前書き
『悪徳判事と小市民な職員』シリーズです。
二人は今日もマイペースです。
【悪徳判事とうるさい原作者のお話】
その日、僕がいつものようにマーロン判事の執務室で仕事をしていると、神経質そうな男の人が入ってきました。どうやら、この人が今回の依頼人(だから違うって)のようです。
「僕はジョーダン。作家だ」
入ってきたその人は、そんな自己紹介をしました。へーえ、作家ですか。一体何やらかしたんだろう。僕はそんなことを考えながら、ジョーダンさんを眺めていました。
「ふーん、作家か。罪状は何だ? 盗作か?」
なんでそこで盗作が出てくるんでしょう。あ、そういえばこの前、大規模な盗作騒ぎがあったんでしたっけ。マーロン判事が担当しなかったので、詳しいことは知らないんですが。
「いや、違う。僕が訴えられているわけじゃない。裁判を起こしているんだ」
この人が訴訟をしているんですか。ということは民事ですね。マーロン判事のとこに来る人って、何故か圧倒的に刑事が多いので、民事の人はかなり珍しいです。なんでかは僕にはわかりません。
いることはいるんですけどね、この前のルディさんとか。そう言えばルディさんは作曲家でした。もっともこの人は、ルディさんよりはずっと大人しそうな感じです。
「要求は何だ?」
「僕の戯曲『ヴァランシーヌの涙』を原作としたオペラの上演の中止」
またオペラ関連ですか。というか、ルディさんと同じような要求ですが……自分が話を考えた作品の上演の差し止め命令? 何だってまたそんなことを?
「いいのか、そんなことをしたらお前に金が入ってこないぞ」
いかにもこの人らしい理屈を、マーロン判事は言いました。一方、ジョーダンさんはというと、首を横に振りました。
「いいんだ。あんなの、僕の書いた『ヴァランシーヌの涙』じゃない」
思いつめた表情で、そんなことを言い出すジョーダンさん。原作を改変でもされたんでしょうか。
「何かあったんですか? 悲しい結末を勝手に幸せな結末にされたとか……」
余計かなと思いつつ、適当に僕は言ってみました。いやこの前、友達がぼやいていたんですよ。大好きな小説が舞台になったから見に行ったら、勝手にハッピーエンドになってたって。「あの物悲しい結末がいいのに! あれじゃ泣けない!」と散々こぼされました。冒涜だとかまで喚いていましたね、そう言えば。もともとの話も舞台も知らないので、僕は何も言えませんでしたが。
「そういうのじゃない。筋書きは僕が書いたとおりそのままだ」
ならいいじゃないですか。一体何が不満なんでしょう。
「じゃ、どこが気に入らないんですか?」
「そんなの決まってる! あの作品のヒロインのヴァランシーヌは、僕の恋人のリューシアがモデルなんだ。リューシア以上にヴァランシーヌらしい女性なんていない! それなのにロデルの奴、ヴァランシーヌ役に新人のジェイナを抜擢したんだ!」
ジョーダンさんは、急に激昂しだしました。どうやらそれだけ「許せない」問題らしいです。えーと……。
「ロデルって誰です?」
「『ヴァランシーヌの涙』をオペラにした作曲家だ。こんなことなら、オペラ化に首を振るんじゃなかった」
どうやら、原作者はキャスティングに口を挟めないらしいです。
「オペラになった方が儲かるじゃないか。オペラであてるとでかいだろ?」
軽い口調でマーロン判事が言いました。いやだから判事、あなたの価値観を全てに当てはめられても困るんですが。
「僕は認めない! リューシア以外のヴァランシーヌなんて!」
でも、このジョーダンさんって人も、そんなつまらない理由で差し止めなんか頼まなくてもいいような気がします。なんか本当に「どうでもいい」ように思うんですが……。ヒロイン役を自分の彼女にって、下手すると原作者の横暴って気もしますし。
「そういうわけだから、オペラの上演を差し止めたい。金は……」
ジョーダンさんが話を詰めようとした時でした。不意に、執務室のドアがバタンと音を立てて開いて、ジョーダンさんと同い年ぐらいの男の人が飛び込んできた。
「ジョーダン、勝手な真似は許さないからな!」
「勝手とは何だ勝手とは! ロデル、僕はあんな上演絶対に認めない!」
「うるさい! そもそもお前が最初に『オペラについては全面的に任せる』って書いてよこしたんだろうがっ! それなのに初演間近の今頃になって、俺のオペラにケチつけやがって! 俺の音楽のどこが不満だ!」
「問題は音楽じゃないっ! ヴァランシーヌにはリューシアしかいないんだっ!」
「黙れ色ボケっ! 俺が作った曲を最高に上手に歌えるのは、リューシアじゃなくてジェイナなんだよっ!」
うわあ……判事の執務室で喧嘩始めましたよ、この二人。判事はつまんなそうな表情で、二人を見ています。多分「ここが法廷なら二人とも法廷侮辱罪にできるのに」とでも、考えているんでしょう。
「はあ……ここが法廷ならなあ。二人とも法廷侮辱罪で済ませるんだが」
あ、当たってました。こんな予想でも、当たると嬉しいです。
ジョーダンさんとロデルさんはしばらく派手に言い争っていましたが、やがて疲れたのか、黙りました。やれやれ……。
「とにかくマーロン判事、金は払う。だから僕を勝訴させて、オペラの上演禁止命令を……」
「いや待て、俺はもっと金を出す。だから勝訴は俺のものだ」
あれれ……厄介なことになってきましたね。両方とも、金を出すとか言い始めました。
「あ、そうなんだ。と言っても、勝訴させられるのは片方だけだからねえ。より多額の金を支払ったほうに、勝訴判決をやるよ」
至ってお軽い口調で、マーロン判事はそう言いました。ジョーダンさんとロデルさんは睨みあった後、どちらがより金を出せるかを争い始めました。……ここはいつからオークション会場になったんでしょう。
それにしてもあなたがた、話し合いで解決するという方法はないんでしょうか。例えば、ヒロインをダブルキャストにするとか。それなら両方とも丸く納まるんじゃないかって気がするんですけど、違うんですかね?
金額はどんどん吊りあがって行き、マーロン判事は嬉しそうにそれを眺めています。まあ、この人からすれば、より多額にふんだくればいいだけの話ですからね。あがればあがるほど嬉しいでしょう。けど、この二人はそれでいいんでしょうか? 勝訴できても、下手すれば明日からすっからかんですよ?
そうやってごたごたともめていると、また執務室のドアがいきなり開いて、今度は若い女の人が駆け込んできました。
「ジョーダン、あなた何をやっているの!?」
「あ、リューシア」
どうやら、この人がジョーダンさんの恋人のリューシアさんとやらだそうです。ジョーダンさんは、リューシアさんにざっと事情を説明しました。
「そういうわけで、僕は『ヴァランシーヌの涙』の上演を差し止めるつもりなんだ。そのためなら、幾らかかっても構うもんか。君以外のヴァランシーヌなんて許せない」
「やめてちょうだいそんなバカなこと!」
リューシアさんにそう言われ、ジョーダンさんはびっくりして目の前の恋人を見つめました。リューシアさんが、真剣な表情でジョーダンさんの手を握ります。
「あなたがわたしのことを大切にしてくれるのは嬉しいわ。でも、そんな無駄な訴訟でお金を使うのはやめて。そんなに支払ったら、あなたは破産してしまう。わたし、そんなあなたを見たくないの」
この執務室で仕事するようになって、初めてまともな意見というものを聞いたような気がします。
「けどリューシア!」
「ジョーダン、この先のことをちゃんと考えて。わたし、あなたと一緒に暮らしていきたいの」
ジョーダンさんはしばらく考え込んでいましたが、やがてリューシアさんの手を握り返しました。
「そうだね……僕がバカだった。こんなことにお金を使うなんて。お金は、僕たちの幸せな将来のために使うべきなんだ」
「わかってくれたのね」
「ああ。……だから、今から指輪を買いに行こう。リューシア、僕の妻になってくれ」
「喜んで!」
あ、抱き合ってます。ジョーダンさんはリューシアさんを抱きしめたまま、ロデルさんに向かってこう言いました。
「そういうわけだから、訴訟は取り下げる。キャストも好きにしろ」
「……いいのか?」
「ああ。一番大切なのはリューシアだ」
二人は手を繋いで、スキップしそうな足取りで執務室を出て行ってしまいました。なんだかよくわかりませんけど、とりあえずお幸せに。
一方でロデルさんの方も、微妙に疲れた表情をしていましたが、こっちに「それじゃ」とだけ言って、執務室を出て行ってしまいました。うーん、台風一過って感じです。マーロン判事はというと、ぼけっとした表情で、みんなが出て行ったドアを眺めていました。
「なあ……結局、訴訟はなくなったってことか?」
僕たちだけになってしまった執務室で、やがてマーロン判事はそう尋ねてきました。
「ですね。ジョーダンさん、取り下げるって言ってましたから」
「じゃあ……今回、私に入る金はなしってことかい?」
「そういうことになりますね」
マーロン判事は、唖然と呆然が入り混じったような表情で、三人が出て行ったドアの方を眺めていました。僕はまた、書類の整理に戻ります。
「……そんなあ! くそっ、色恋沙汰なんか大嫌いだあっ!」
それからしばらくして、そんな判事の悲鳴が執務室に響き渡りました。いや、いいじゃないですか。たまにはこんな幕切れも。
【悪徳判事とうるさい原作者のお話】
前のバージョンで解説に飛びます。
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ご意見・ご感想
水乃
ご意見・ご感想
こんにちは、水乃です。
判事には、とっても個性的な依頼者ばっかり来ますよね。
今回はオペラの出演者関係の訴訟。モデルはメーテルリンクとドビュッシー……
この二人って、本当に凄いですね(笑)
ドビュッシーの「月の光」は姉がピアノで弾いていました。綺麗な曲だと思います。
にしても、判事残念でしたね。もう少しでがっぽり行けそうだったのに…
2012/06/17 03:53:32
目白皐月
こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。
個性的なのは、多分、類が友を呼んでいるんでしょうね。判事自体が変な人ですし。
メーテルリンクとドビュッシーに限らず、有名な芸術家は妙なエピソードをたくさん抱えていたりするものです。モーツァルト然り、ベートーヴェン然り。
『月の光』は、昔遊んでいたゲームのBGMに使われていたので、いつもこれを聞くとあのゲームを思い出してしまいます。
後、マーロン判事はいつもがめつすぎるので、たまにはこんな幕切れがあってもいいんじゃないかなと。
2012/06/17 23:24:18