終わりも、もうすぐね。
<造花の薔薇.12>
きな臭くなってきた国内。山のように届く嘆願状。それらが、もう全てが終わる日が近いのだと告げていた。
レンから再三諌められても何もする気なんて起きなくて、結局書類は山のようにうずたかく積まれる事になった。
執務机に片肘を付き、無造作に一枚めくる。
そこには私への嘆願とも恨み言ともつかない言葉が連ねられていた。
税が重過ぎる、夫を兵に取られた身ではとてもやっていけない。
ああそう。
我ながら酷く冷淡な感想が心を過ぎる。
どうしようとしても何も出来ない身なのに、こんな物だけ読まされているのがカンに障る。ああ、この書類の向こうには生きていく事にも苦労している人がいるというのに、私ときたらなんと身勝手な事だろう。
初めの数日はは気が狂いそうだった。臣下に掛け合っては、何も出来ない事を確かめるだけに終わるばかり。
そして、焦燥に灼けるような日の後に訪れたのは、冷淡な諦めのような感情。
いい加減この感情の推移にも慣れて来てしまった。慣れたくなんてなかったけれど、慣れてしまった。
どんな言葉も心に響く前に撥ね付け、あるいは切り捨て、何も考えないようにする。それは私が王女として生きる為にに磨いた技の一つ。
切り捨てる言葉の九割はレンからの懇願だ。
民の声に耳を傾けてください、王女。
貴女に助けを求める皆を救ってあげてください。
レンは、ただ私にそう願っているだけ―――なのだけれど。
(なんだ、何も出来ないの?)
(良く見てごらん、その紙の山を)
(それが君のせいで苦しんでいる人の数)
(『僕』にかまけて苦しめた人の数)
(君の罪の数)
(逃れられない罪の数)
(そうだよね?)
(そんな、目を逸らしたって意味は無いよ)
(そうする間にも、ほら…罪は増えていくだけだよ)
レンはやっぱり大切。それが変わることなんて有り得ない。
でも、でもレンの言葉に重なって響く咎めの声が私に拒否感を感じさせて、段々ときつい反応しか返せなくなっていく。
早く。
いつしか、私の心はそれだけを考えるようになっていた。
早く、誰か、誰でも良いから私を殺して。
こんな事したくない。
こんな事言いたくない。
なのに何故なの…自分の意志だけではどうしても止めることが出来ない。
―――助けて。
私の拒絶の言葉に顔を歪めるしかないレンを見ては、心で叫ぶ。
早く私を止めて。お願い、誰でも良い。
これ以上、取り返しの付かない程レンを傷つけてしまう前に私を消して。
お願い。お願い。お願い。
お願い。
その話を聞いたのは、この数日ウィリアムの姿を見なくなった、と気付いてから暫くしてからの事だった。
予感は有った。
別に彼から何か言われていた訳じゃない。ただ、彼が居なくなったというのは果たすべき仕事を終えたからだろうというのは推測出来た。
そして彼が仕事を終えたというのは、つまり私の世界ももう終わりに近いという事だ。でなければあのウィリアムが居なくなったりなんてしない筈。それは実際肌で感じる空気からも裏付けることが出来た。
なら、この先に待っている展開は推測出来る。
私の死。そして、それに付随する、黄の国の終焉。
それに気付いてからというもの、私は積極的にあちこちを伺って情報集めをするようになった。立ち回りに関してはかなり上手く出来たと思うし、私が召使達の話を盗み聞きしていたと知っている人も限りなくゼロに近い筈だ。もしかしたら本当にゼロかもしれない。
そして私は漸くその言葉を聞くことが出来た。
遂に―――民が、立ったと。
それから、私の身の回りから次々と全てが失われ始めた。日を追うごとに少なくなっていく使用人達。いつの間にか盗まれている宝飾品。気がつけば臣さえも櫛の歯が欠けるようにぽろぽろと欠けている。
それを薄情とも不敬とも言う気はない。
寧ろ、さっさと皆私の前から去ってくれた方が有り難かったりする位。それこそ王宮に有る貴金属ごと消えていってくれればどんなにか心が休まることだろう。ここに有るものは、全てが遠からず民の手あるいは民の指導者の手に渡る事になるのだから。
なのに。
なのに、何故、一番去ってほしい人に限って私の側に居続けるんだろう。
「此処からお逃げ下さい、王女!」
レンは言う。きっぱりと撥ね付けても、諦めを知らないかのように繰り返し繰り返し私に懇願する。心から私を心配してくれているんだと、分からない筈が無い真摯な口調で。
でもそれは、けして許される事ではない。
私が民衆に捕まり、そして恐らくは処刑される事になる―――それは私にとっては解放であり、贖罪であり、そして…
……だって…許される訳がないもの。
だから望んだりしない。縋ったりしない。
そう、『レンと一緒に生きたい』なんて本当に今更な願い。もうそんなものを願うには遅すぎる。
私という造花はここでやっと摘み取られる事が出来る。土に還る事は出来なくとも、不自然なまま続いていく事だけは避けられる。
何処に根付くこともなく、香りも繊細な色彩もみずみずしい生命力もなく、蝶や鳥が訪れることもない無味乾燥とした薔薇の花。
分かっているわ。
本来ならこんな花は、咲くべきではなかったのよ。
がらんとした私の部屋は外の世界の喧騒など知らぬ顔で、この十余年と変わらない華美さを見せ付けている。
それが何処か哀れで、酷く悲しい。
ああ。
誰もいない部屋の中でそっと溜息をつく。
なんだか、とても久しぶりに静かな気分だった。
もうすぐ悪の王女を倒しに王子様がやってくる。愛しい娘を理不尽に殺された、正義に燃える主人公。私にはとても無理な役回りだから、心から羨ましい。
ハッピーエンドの幕が引かれるまで後どれ位だろうか。半日?一日?一週間?
最も、どれであれ今までとは違う。私はこの待ち時間の先に、確実な解放を見ることが出来る。それが今の私にとっての、唯一の希望。
―――何故かしら。
優しい昼の日差しとそよぐカーテン。
泣きたい。
これでやっと全てが―――…
「…レン」
私はぼんやりと囁いた。けして届かないと知りながら。届いたとして、けして彼が同意しないと知っていながら。
「ねえ…お姉ちゃんを、先にいかせてくれるよね…」
絶望的な幸福感がじわじわと脳を蝕む。近付いてくる運命の気配に全ての感覚が剥がれ落ちていく。
もしも今死ぬことが出来たら―――そしてもしも最期をレンに見届けてもらえたら、それはどれ程幸せだろう。その先に希望は無い。けれど、絶望もない。何も考えずに済む世界はきっととても楽だ。
楽に決まっている―――此処よりは。
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おおお!いよいよ、オールスター……!楽しみにしています!
2010/06/23 23:45:30