カーテンが風にそよぐ。
温かくなり始めた太陽の日差しをほんのりと感じながら、私はじっと前を見つめた。
ひらひら、と斜め前の金髪が風にそよぐのをそっと視界の端に入れながら、5時間目の気怠い授業を聞き流す。

「えー、この時元の価格をXとするなら、個数が四割増、価格が二割減であるので…」

別に、見てない。斜め前に座っているから視界に勝手に入ってくるだけ。
誰にともなく言い訳をしながら、私はシャープペンのキャップをかちかち、とノックした。



だから、そう―――こんなに授業が頭に入ってこないのは、気持ちのいい気候のせい。

きみのせいじゃ、ないんだから。





<私的メランコリック Girl's side>





このクラスには「鏡音」が二人いる。
だけど、苗字が同じ人が二人いるなんてよくあることだし。渡辺とか佐藤とかね。だから最初のほうこそ物珍しそうに見られていたけど、クラス替えから一ヶ月くらい経って慣れてしまった皆はごく当たり前に私を「リン」、彼を「レン」と呼ぶようになった。
私と比べてみると、幾ら同じ苗字だと言っても、彼は格段に社交的で楽天的な性格に見える。でも脳天気な馬鹿っていう訳でもない。成績良いし。
それに誰と話すのにも物怖じしないし、初対面の相手にも気安く話し掛けて来て―――テストの時とかに隣になる私にも同じように接する。

『鏡音、リン、さん?だよね?俺も鏡音なんだ!よろしくー』
『…どうも』

対して、私はあんまり人との付き合いが上手い方じゃない。特に男子と話すのは慣れていない。
だから私と普通に会話できる鏡音レンは、さりげなーく押し付けられる形で私のペアに回ってくる。本人は気付いてないみたいだけど、だとしたらどれだけ鈍いのやら。

『鏡音、じゃ被っちゃうから、リンさんでいい?』

最初にペアにされた時、にこにこしながらそう言われて、私は仏頂面で返事をした。

『好きにすれば?』

今から考えると、可愛いげも何もあったものじゃ……いやいやいや、可愛いげなんてなくていいよ!
…あったらどうだっていうんだろう。
ちょっとは何か、変わってたのかな。

でも今更そんなふうに考えたってどうしようもない。
後悔先に立たず、覆水盆に返らず。特に第一印象って言うのは覆しにくいものだし、それはもう仕方ない…よね。


彼について一番印象に残っているのは、先月、つまり四月のこと。
まだ私とペアを組まされること二、三回目くらいの時期だったと思う。

『じゃあ、今回もリンさんよろし…あっ』

確かその時は総合の時間で、メモをとる必要があったんだったような気がする。でもその辺の詳細まではよく覚えてない。
その記憶でただ一つ、いやに鮮明に覚えているのは。

『…シャーペン壊れた!?うそマジで!?芯が!芯が―――!?』

あわあわとパニックを起こすその姿が、まあ、余りにも見ていられない感じで…私は溜息をつきながら、持っていたシャープペンシルを彼に差し出した。予備のシャープペンシルはあるから、自分がそれを使えば問題はない。

『使えば?』

余計なお世話かとも思ったけれど、別に嫌がられたり戸惑われたりしたらそれはそれで良いと思った。慣れてるし。
だけど彼はぱっと笑顔になって、大切そうにそれを受け取ったのだ。

『ありがとう!助かるよ』

その笑顔が余りに素直で、結局私は「どういたしまして」さえろくに言えないままそっぽを向くことしか出来なかった。

なんでそんな反応をしたのか、その時は自分でもわからなかった。


でもその日から私の目は鏡音レンを捉える事が多くなった。普段の席なら彼の方が私より前の席に指定されているから、当然黒板を見るたびに目に入ってくるんだけど、何故かそのみょんみょん毛の跳ねた後ろ頭を見るたびに落ち着かない気持ちになる。
特に、話し掛けられると素直に返せない。
私は基本的に愛想が良くないのに、輪をかけて無愛想な物言いをしてしまって後で後悔する。そして、後悔したことに少し苛立つ。
だって、なんだかこれじゃ、

…そんなはずない!

そんな葛藤には気付かず、鏡音レンはやっぱり愛想良く笑いかけてくる。私はそれを突っぱねることしか出来ない。
もういい加減、構うのは止めてほしい。つんけんした態度しか取れない自分が、その度に嫌になってしまうから。
なのに何だか最近彼は、私に話しかけるのを面白がっているような感じすら出て来た。

なんで?
私、基本的に言われたことにしか反応しないのに。愛想笑いだってできなくて、話は膨らませるどころか続けることだって上手く出来ないのに。話してたって、きっと面白くなんてないのに。
なのに鏡音レンは笑いながら話し掛けてくる。他の女の子にだって人気あるみたいなんだから、そっちに行けばいいじゃない。でもそう思う度、胸の奥がぐるぐるもやもやする。
おかしい。
絶対おかしい。
だってこれじゃ、本当に、私が鏡音レンに、こ、恋、…認めません。認めないよ!

鏡音レンは意外と女子から可愛い可愛いって騒がれているけど、確かに外見は悪くないと思う。でも同じクラスになってまだ数ヶ月、だから彼の中身についてはまだ全然知らないまま。
私が知っている鏡音レン、それは人当たりがよくて、人懐こくて、スポーツが好きで…でも、本当の彼は多分それだけじゃないんだろうな。知りたいような気もするし、知りたくないような気もする。
くるっ、とシャープペンシルを指先で回して、先生が黒板に書いた内容をノートに書き写す。頭の中に数式が入り込む余地なんて正直なところ無いけれど、目から入った情報を機械的に指先に伝えることは簡単なんだって事を最近学んだ。
…ああ、きっと成績落ちちゃうんだろうなあ…それもこれも、たった一人のクラスメイトのせいで。
何だか自分がとても不甲斐ないような、馬鹿みたいな気がしてきてそっと眉を寄せた。


たまに、この曖昧な気持ちを彼に打ち明けた方がいいんじゃないか、って思うことがある。だって、そうすれば少なくとも何らかの答えは貰えるだろうから。
それは本当に、すごく魅力的。

でも。


…そんな勇気、ないし。


言わないせいで悩むにしても、想っているだけの方がずっと楽だ。行動するなんてとても出来そうに無い。
知らんぷりもできない。ぶち当たる度胸もない。
ふらふら、私の心はきみに惹かれて漂っていくだけ。






ふわり、と手渡された一輪の花に驚いて顔を上げると、目の前で見慣れた顔が笑っていた。
冗談交じりに差しだされたそれ。どう見ても道端で摘んだようにしか見えない、華やかでも鮮やかでもないその花が、目の前で淡い桜色に揺れる。

「なにこれ」
「だから、どーぞ」

普段なら「別にいい」とかすっぱりと切り捨てることしかできない私も、そんな風に微笑まれたらどうする事もできなかった。
珍しく素直な気持ちで花に手を伸ばす。
摘んだ茎は瑞々しいけれど頼りないくらいに細くて、触れた時の風圧で軽くしなる。壊れ物を扱うように慎重にそれを受け取って、見つめる。
本当にただの花。珍しくもない。
でも、私が見たどんな花よりもかけがえのない物みたいに思えるのは。
思えるのは。

君がくれた、ものだから―――…






はっ、とした瞬間に世界が暗転した。
自分が何を見ているのか理解できなくて…でも暗闇に目が慣れてくるにつれて、自分が横になって天井を見上げているんだと分かってきた。ただ、いきなりの場面転換に頭が追い付かない。

―――あ、夢?

それに思い当たった瞬間、私は自分の頬が火のように熱くなるのを自覚した。ごろごろと無意味に寝返りをうちながら、頭の中でリピートされる映像を消そうと頑張ってみる。

「うううぅ…」

本当は、こういう夢を見るのは初めてじゃない。寧ろ、何回も何回も似たような夢を見て、目覚めるたびに恥ずかしさと落胆で落ち込むのが慣れっこになる位に頻繁にあることだったりする。
でも。
私は布団の中で頭を抱えた。

違う。違う。そんなの認めない。
だって認めたら悔しいじゃない。

私は、初めて君を夢見たあの時からずっと―――…



「し、知らないもん、知らないもん…!」

ぶつぶつ、私は異様にほてった顔を掌で冷やしながら呟く。
そう、この顔がこんなに熱いのは季節外れの風邪のせい。そうに決まってる。

「だって、私の気持ちとか全然気付かないし、その割にいつもいつも『リンさん』って、ど、鈍感すぎるのよ、あんな、気安く、にこにこしてさぁ!」

笑顔を向けられるたびに気恥ずかしくて。
声を掛けられるたびにどうしたらいいかわからなくて。

「っていうか花って、花って、いつの時代の話!?夢が願望の発現だって説が本当なら、あれが私の…ない!絶対ない!!」

きっと鏡音レンは私の事を何とも思ってない。寧ろ、無愛想な話しにくい相手だって思っているに決まってる。
そうに決まってる。



―――ああ、だったら。



じわり、と勝手に滲み出てくる涙が鬱陶しい。
大体何?一人で布団の中で恋に泣くなんて、女々しすぎる。
こんな私嫌だ。嫌いだ。

でも……どうして、自分の意思で涙を止められないんだろう。



「きみなんて、きみなんて…知らないもん…!」

いっそはねつけてくれたら、思い上がらずに済むのに。
なのにきみは、私の気持ちなんて全然知らないで、あの笑顔を向けてくる。こだわりなく話しかけてくる。

そんな事されたら、思い上がっちゃうじゃない。
鏡音レン、きみにとって私は多少なり特別なのかな、なんて、自意識過剰な幸福感に浸っちゃうじゃない。

「気付け、馬鹿ぁ…!」

ぎゅう、と枕に顔を埋める。

この世の中には、分かっていてもどうしようもないことが沢山ある。
彼と仲の良い女の子みたいに明るく話し掛けることなんて出来ない。そっけない対応だってどうにも出来ない。十秒以上顔を見ていることだって落ち着かなくて出来ない。
それは、そう―――きみに恋しているのだと心の底で気付いた日から、ずっと。
素直になれない。
可愛くなれない。
勇気を持てない。
いつの間にか私は、できないことばかりになってしまった。きみを想いさえしなければ、そんな事に気付かずにいられた筈なのに。
認めたくないけど、今の私が願うことは一つだけ。

―――こっちを向いて。

「…知らないもん…!」

両腕でしっかり枕を抱きしめて、私は呻く。
駄々をこねる子供みたいだ、なんて思いながら。






睡魔は意外とあっさりやってきた。脳を使いすぎて疲れたのが良かったのかもしれない。
溜息をつきながら支度を整えて、朝食の席に着く。朝は天気予報をやらないからテレビの音声は全部聞き流して、新聞をめくる。
今日の天気は晴れ。
気温は上がりすぎず、爽やかな気候になるでしょう。
でもきっと今日も、私の心は爽やかとは程遠い。

家を出て通学路を歩きながら、私はまたため息をついた。イヤホンから流れ出すポップスに憂鬱な気分が煽られる。
ああ、朝から気が重い。今日もまた、ぐるぐる思い悩む事になるんだろうなあ。
分かっている癖に心の奥にはそれを待ち望む気持ちもあるなんて、我ながら本当にどうしようもないんじゃないかと思う。
いや、実際どうしようもないんだけど。

「あっ、リンさんじゃん!おはよー!」

イヤホンをしていても聞き取れる呼び掛けに、ポケットの中でプレイヤーを停めた。
後ろから聞こえてくる、急ぐ気もないような足音。通学途中に会うなんて珍しい。
イヤホンを外して振り返りながら、私は少しだけ笑った。視界に捉える金髪と笑顔は、相も変わらず柔らかい。

―――朝から良いことがあった、と思っちゃうなんて、ああ、本当、駄目だなあ。

「おはよう」

素っ気なく一言だけ返して、また前を向く。
彼を待つ気はなかった。一緒に登校っていう状況に惹かれない訳じゃないけど…無理。とてもじゃないけど出来ない。
でも、いつか一歩踏み出す勇気を持てるかな?

遠くで信号が変わる。
…もしかしたら、信号待ちの時間くらいは隣に立っていられるかもしれない。


早咲きの紫陽花が空き地から微笑みかけてくる。
偶然に装ってしか幸福を享受できない私に、少しだけ。
素直になれない私に、少しだけ。





歩き出す私ともう一度再生を始めたプレイヤー。
イヤホンからは早い夏の歌が涼しげに流れ出す。
その季節にはまだ少し早いけれど、確実に時間は進んでいく。

四月を超え、五月を超え、夏に向かって。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

私的メランコリック Girl's side

あんまり憂鬱になってくれませんでした←
時期は五月のつもりです。

しかしメランコリックのリンちゃんは本当に可愛いですね!
意地っ張りで素直になれないリンちゃんを傍で見てニヤニヤしたいです。そういうノリで書きました。ろくでもない動機です。

閲覧数:1,132

投稿日:2010/09/17 23:02:56

文字数:5,177文字

カテゴリ:小説

  • コメント4

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  • ゆゆけ

    ゆゆけ

    ご意見・ご感想

    わぁ…!こちらも解釈お上手ですね!
    レン目線の方もみましたがやっぱり何回も言うけど解釈が上手い!!!!!うらやましいです…o(`^´*)
    それと、メランコリックのリンちゃんって本当にかわいいですよね!ツンデレリンちゃん…そばでみてニヤニヤしたいですね笑笑

    2017/09/21 00:25:44

  • 翔破

    翔破

    コメントのお返し

    はじめまして!ゆーささん、読んで下さってありがとうございました!
    面白かったのなら光栄です。好きなものを気ままに書いているので、果たして他の人から見てどうなんだろう…と思ったりしますが、良かったです!
    メランコリック大好きなので、褒めて頂いて嬉しいです。ちまちまUPしていくので、暇な時にでも見てみてください。

    2010/09/29 21:25:35

  • lunar

    lunar

    ご意見・ご感想

    こんにちは。始めまして、lunarと言うものです。

    メランコリック・・・お上手ですねぇ・・・お話書くの・・・。
    私も書いたのですが何か残念クオリティーに・・・orz
    翔破さんが羨ましいです・・・!

    それでは、これからも頑張って下さいね。失礼しました。

    2010/09/18 16:23:57

    • 翔破

      翔破

      はじめまして!私的メランコリック、読んで下さりありがとうございました!

      え…そんな、lunarさんの文章のどこが残念クオリティーだと言うのですか…!?
      あれが残念クオリティーなら、私の文章は残念な感じの何かです。クオリティーすらつきませんよ!
      lunarさんの文章は、実は友人の勧めでちまちま見に行っています。
      lunarさんもどうか文字書き頑張ってください。私は友人と一緒に、(隠れ)ファンを続けさせて頂きます!

      2010/09/18 20:29:41

  • 梨亜

    梨亜

    ご意見・ご感想

    梨亜です。リンちゃん可愛いですねリンちゃん!!わいわい!!
    「知らないもん」とか…!!
    鼻血モンでした。(ちょ

    2010/09/18 07:00:29

    • 翔破

      翔破

      リンちゃん可愛いはこの世の理です!
      それにしても、作曲者のJunkyさんと、PV作成者のちほさんは本当に凄いと思います。あれで私のリン廃度に磨きがかかりました。

      そして鼻血…ですと…?あの心の汗という…!?(それは涙
      拙文に萌えて頂けたのなら幸いですが、それは多分、リンちゃんそのものの可愛さが主成分だったのだと思います。読んで下さりありがとうございました!

      2010/09/18 20:22:07

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