‐ 一章乃二 ‐
規模の小さな村とて教会のひとつくらいは存在している。
大陸全土から見れば、馳せる名も持たぬ程度でしかない大公の治める小国。せせこましい領土の中に散らばった町や村の集合体。領土を広げんとにらみを利かせる他国からこの国の体裁を侵されないためにも、国民一人ひとりが貴重な資源となり、また盾として戦力に数えられなければならなかった。
その素材を効果的に育成するためにも最低限の教育制度は必要とされ、役割を担う施設となる教会は国が把握している町や村全てに建設された。
讃える神に祈りをささげる礼拝に並行し、訪れる住人らに読み書きの手ほどきをする。
また、書物を理解できる者には農業に関する新技術や武器をふるう術までもが伝授された。
もちろん国民全てがそれに従うとは限らない。
だが、大半は理解しているのだ、自らで護らねば故郷は容易に失われかねない現実を。
崇高な施設であるところの教会は今、怪しい煙と強烈な臭気に襲われつつあった。
敷地内の片隅、普段は農具が収納されている平和なはずの建物の隙間から漏れ出るそれは、普通の感覚を持った人間では近づくことも躊躇われる空間と化しているのだ。
だが、ラズベリッドはそこにいた。
いつもは流れるままに腰まで下ろした髪は一つに束ねられ、手元の作業に支障が出ないよう後ろに追いやられている。鼻と口元も布で隠し、一見しただけでは彼女だと正体が掴めない。
傍から窺える険しい目つきから、彼女が何かに集中しているのだけは見て取れる。
「よしっ、あとはライラックの精油がルアナローズを上手く受け入れてくれれば……」
蝋燭に熱せられた小皿には細く湯気を立ち上らせる液体があり、そこへひとつまみの花びらが落とされる。翡翠の色を帯びた花びら。これがルアナローズであろうか。
待つまでもなく変化が現れ、半透明の液体が薄緑色に染まりだした。同時にはらりと落とされた花びらの方は、まるで雪で出来ていたかのように皿の中で融けて消えた。
それを見届けた彼女の顔からも険が取れ、次には勢いをつけて納屋の戸を開け放つ。ややおぼつかない足取りであったが、思い切った勢いで教会の庭へと身を躍らせる。
「んーっっっ、やったぁ。成功だよーっ、偉いわたし!」
「物事を成し遂げたのは素晴らしい事ですけどね、多少は周りへの迷惑も考慮した方がいいですよ?」
地面へ直に座り込み足を投げ出すラズベリッドの姿を前に、呆れ顔の女性が歩み寄って来る。
礼拝堂からやってきたのは、この教会に住まう聖職者の一人であった。
「主人を目にして駆け寄ろうとしたハクが、貴女の身体から漂う匂いに驚いて逃げ去ったのが見えませんでしたか? 祭事のためとはいえ、これはもう立派なご近所迷惑になりますね」
「えー……真面目にやっていただけなのになぁ。でも、ごめんなさいですね、シスター・ルカ」
村の市は夕刻を前にたたまれる。しかし、商いをする側も買い手の村人らも帰路につくことはしなかった。この村特有の祭事が後に控えているからだ。
むしろ、今日に限ってはそちらが主の目的だと言える。
特別な条件下でのみ咲く花の香りをもって、祝福をもたらす精霊を村へと招き入れる儀式。
―――― 精薫祭(せいこうさい)――――
そして、祭事限定で聖職者の列に加わり自らを精霊への供物として捧げるのがラズベリッドの重要な役割であった。
「今年こそ姿を現して下さるといいなぁ。とても綺麗な蝶々の形をとっていらっしゃるって、話には聞いてるけど……シスターは目にしたことあるのよね」
「ええ、貴女のお母様が歌い手をなさっていた頃一度だけですが、顕現された瞬間に私も居合わせるという幸運を賜りましたよ」
『歌い手』とは言葉通り、歌で精霊を讃え自らが放つ香りで人の世への道しるべと成らんとする役目のこと。母の跡を継いだ彼女に与えられた正式な呼び名のことでもある。
特殊な技術、特殊な体質。それが不可欠な故ここでしか行えないし、ラズベリッドにしか成し遂げることが叶わない。
しかしながら、彼女は未だに精霊の化身たる蝶を目にしたことがなかった。
今日までその悔しさを表面に浮き出させたことはない。だが、そろそろ限界が近かった。
彼女にはもう、猶予がないのだから。
「私さ、もう……」
駄目かもしれない。と、こぼしそうになった弱音を言い切ることは出来なかった。
激しい感情そのままの声が彼女たちに浴びせ掛けられたからである。
「なんでっ、なんでよ!?」
教会から村の広場へと続く道に立つ人影。一目で女性だとは分かったが、小柄で肉づきの良くない華奢な身体をしている。
だが印象的なのはそこではない。
「言ったよね? わたしと同じにならないでって」
長く伸ばした髪は翡翠を思わせる鮮やかな色。それを後頭部で二房に束ね長く下ろしている。着ている服もどのように染められたものか、色合いのはっきりした生地が身体に密着した形で少女を包む。
ラズベリッドの知る限りでは、それは『道化師』を想像させる奇抜な恰好にしか見えなかった。
「なんで、ここに、ルカがいるの!?」
どうやらシスター・ルカと面識のある人物らしいが、横にいる長身の聖職者はラズベリッド同様に困惑顔を浮かべていた。相対する少女は叫ぶときに振り下ろした手を握り締め、そのまま肩を震わせて立ち尽くしている。泣くのを堪えていることは見て明らかだった。
二人が固まってしまった以上、場を取り成すことが出来るのは間に座り込んでいる自分しかいないと覚悟を決める。弱音を吐く機会を失ったが、それで良かったのだと立ち上がる。
「んっと、どちら様で何の御用なの、かな?」
間が抜けた声になってしまったが、奇抜な恰好をした少女は反応を示してくれた。
こちらに向けた顔は頬が紅潮し、目じりには微かに涙の跡が見受けられる。
「……ミクよ……わたしは、ミク! あなたを排除しに来たのよ!」
「っ、えええええっ?」
ラズベリッドに指を突きつける『ミク』なる少女。
本当に知らないのか、忘れているだけなのか、不審人物を前にするかのように困惑した様子のシスター・ルカ。
この場の混乱がひとまず収拾するのは地平線に陽が沈む頃。
しかし彼女らの都合に関係なく、村は夜の帳とともに『精薫祭』の厳粛な空気へと染まりつつあった。
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