異界を見ようと願うな。何故なら、それらは簡単に覗き見ることが出来るからだ。
<五月雨と現 下>
再びうのかやさぎり達と出会ってからというもの、海渡は毎日日暮時になると山に入っては彼等を探す日を続けていた。
それが未来や芽衣に心配を掛けているのだと知りつつも、足は何故か山に向く。
昼日中に街で会えれば、それが一番良い。それは最初から分かっていた。
しかし海渡は去年初めて彼等に会ってから直ぐに、彼等は夕暮れ以降の山の中でしか姿を見せないのだと言うことも知っていた。
うのかやさぎりにそれを尋ねた所やんわりとした首肯が返って来たから、恐らく事実なのだろう。彼等はけして嘘を吐かない。
―――本当に不思議な人達だ。ああ、人ではないのだっけ。
海渡はぼんやりとそんな事を考える。
彼等は妖、人ではないと言う。では何故こんなにはっきりと人の形を取っているのだろう。
また、うのかやさぎりは良く笑い、時に積極的に口を開く。では何故ながるやかむいは無表情のまま、喋ろうとはしないのだろう。そもそも海渡の存在を認識しているのかすら疑わしい。
「―――御若い方」
「っ!?」
考え込んでいた所にいきなり声を掛けられ、海渡はびくりと身を震わせた。
はっとしてそちらを見ると、不思議そうな顔をしたうのかが海渡を見ていた。
「おや、何如かなさいましたか」
「あ、え、ええと」
海渡の頭の中を、丁度浮かんでいた疑問が駆け巡る。しかし結局どれも言葉にはならず、海渡は口を開閉してから在り来りな疑問を口にした。
「君達は、異人なのかと思って。其の様な色合い、この国では見た事の無い姿だ」
うのかはにこりと笑顔を浮かべた。
花が咲くような、とはこういう笑顔を言うのだろう―――海渡はそんな事を頭の隅に思い浮かべる。
「いえいえ、私達は海向こうの国の事等知りません。しかし本来、人、否生物と言いますものは誠に多様な色彩を持って居るので御座います。私達のこの色彩も本来のものを表に出しただけの事。御若い方も本来は其の様な黒髪黒瞳では無い事でしょう」
「え、僕もそうなのかな?未来や芽衣ちゃんも?」
「勿論ですとも、御若い方」
うのかに頷かれ、海渡は自分の髪を一筋摘んでみる。
そこにあるのは、何の変哲も無い黒髪。嫌いではないけれど、彼等の様な鮮やかな色彩に憧れないと言えば嘘になる。
一つ溜息を吐き、海渡は唇を尖らせる。子供じみた仕草だという自覚は有ったものの、そういう性格なのだから仕方が無い。
「でも、じゃあ何故今の僕はこんな色をしているのかな」
「人だから、で御座いましょう」
うのかの後ろに控えていたさぎりが不意に口を出す。
「人と我々では、その生活の仕方が大分違います。ですから、自然と様々な場所に相違点が出て来るのですよ。例えば名前一つ取っても、人と我々とでは違うのです」
「へえ」
名前さえ。海渡は感心して声を漏らした。
かなり徹底している。
そこでふと、海渡の頭を過ぎったのは…以前芽衣に言われた言葉だった。
神隠し。
何と無く嫌な感じがして、海渡は頭を振った。
名前の違い等というものが知られているという事は、彼等の中に元々人であった存在が居るという事ではないのだろうか。
それがもしも攫って来た人であったら…
「…あのさ」
「はい」
首を傾げるうのかとさぎりに、海渡は直球の問いをぶつけた。
「もしかして、君達は…人を攫ったりする?」
「はい?」
「いやその、家族から『神隠しに気をつけろ』と言われて、急に心配になったんだ」
「そんな…」
うのかは僅かに表情を厳しくした。
「御若い方。私は其の様な事を願う事等けして有りません。―――」
「俺等も元は人でしたが、録に身寄りも有りませんでしたし」
「へえ、君達も元は人だったのか」
「あの、―――」
「ええ。数年前までは」
うのかは二度言葉を遮られ、流石に不審そうにさぎりを見る。しかし、さぎりは丁度うのかの右に居たため、うのかからは般若の表情しか見る事が出来なかった。
対する海渡は何も気付かず、驚いたような顔で二人を見ている。
やがて、彼は一つの疑問を口にした。
「じゃあ、君達の本来の名前は…」
しん。
静寂が夜の空気を満たす。
何も感じさせない目線で自分を見つめる四つの人影に、海渡は初めて恐怖を感じた。
―――まるで、本当は此処には誰も居ないかの様で。
目の前に彼等は確かに居る。しかも一人ではなく、四人も並んでいる。
なのに、それなのに―――何故こんなにも彼等には現実感が無いんだろう。
妖。
正にその通りだ。
しかし背筋を這う悪寒も束の間、直ぐにうのかが顔を愛らしく笑み崩す。たったそれだけで、不気味さは霧散して消えていった。
「御若い方になら教える事もやぶさかでは御座いません。但し、私とさぎりの名だけですが、宜しいでしょうか」
「…いいの?その、秘密とかではないのかな」
「確かに秘事ですが…其処まで御気になさらず。私の名は、旧くは倫と申しました。さぎりは、蓮。私達は互いに良く似ていた姿のものでしたから、うのかとさぎりと名乗ることにしたのです」
白い指先が砂に文字を描く。辺りは闇だというのに、何と書かれたのか海渡の目にははっきりと分かった。
「右花と左桐。丁度桐の花咲く季節でしたから」
「え、丁度って、何が?」
「…」
何故かうのかは困ったような顔をしてさぎりを見詰める。
その視線を受け、さぎりが口を開いた。
「我々が放浪を始める様に成った日です」
「そうです。…どう言えば良いのか咄嗟に思い付きませんでした、失礼致しました」
「え、いやいや謝る様な事じゃないよ。あ、でも、それならこの時期には思い入れが有ったりするのかな」
海渡は急いで空気を変えようと話を振るが―――うのかはやはり困ったようにさぎりを見詰めた。
そして、答えるのはやはり、さぎり。
「…何方かと言えば、有りますね」
「そうなのか。誕生日の様なものかな」
「誕生日。言い得て妙ですね。確かにあれは産まれた日と言っても過言では有りません」
ふと、海渡は考える。
確かに、産まれた日なのかも知れない。―――「さぎり」や「うのか」に取っては。
けれど、では…「蓮」や「倫」に取っては?
それは、彼等に取っての命日ではないのだろうか。
古き名を持つ二人の子供が死に、新しい名を持つ二つの妖が産まれた。そういう日なのではないだろうか。
…何だか、
何だか、それはとても詩的な事の様に思えた。
「でね、久緒の所には毎年白鷺が来るのだって。今度見に行かせて、って頼んだら許可を貰えたの」
「良かったじゃない」
「…み、未来、お兄ちゃんは不純異性交遊とか許さないからね!」
「嫌だお兄ちゃん、そんなに進んでないよ!」
温かい家族団欒。海渡、芽衣、未来の三人だけとは言え、食卓には笑顔が溢れていた。
些細な、しかしだからこそ安らぐ風景。
そんな中―――突然海渡は目をしばたたかせた。
あれ?
何だか急に、自分が何処で誰と一緒にいるのか分からなくなってしまったのだ。
「兄さん?」
長い黒髪を二つ括りにした可愛らしい少女。これは誰だっただろう。
「海渡?」
短く髪を整えた美しい女性。これは誰だっただろう。
分からない。分かろうとする気も起きない。ただ、ここは自分の居場所ではない―――そんな気がする。
箸を置き、彼は立ち上がる。
それなら自分の居るべき場所は何処なのか。それはもう、分かり過ぎるほど分かっていた。
彼はふらふらと玄関から足を踏み出す。
彼の家があるのは村の中、整えられた砂利道と良く似た家が並ぶ場所だ。しかし、彼が踏み締めた大地は濃い土の香りをさせていた。
山だ。
海渡はぼんやりと考える。
そう、此処だ…自分の属する世界は、此処だ。
りり、と軽やかに鳴る鈴の音に顔を動かすと、うのか達四人がゆっくりと林の中から姿を現す所だった。
「…海渡さん」
別に特別な事は何も無い。ただうのかが軽く名前を呼んだだけだ。しかしそれだけで、びり、と縛り付けられるような感覚が海渡の体を襲う。
―――動けない。
海渡は自分の体の自由が完全に奪われたのだという事に気付きながらも、呆然と目の前に立ち並ぶ美しい姿を見詰めていた。
それらは夜闇の中で、心奪う様なまろやかさで黙然と立ち尽くしている。無表情なのはうのかだけで、背後の三人すべての唇に浮かぶ笑みは凶々しくも艶やかだった。
「私は以前貴方に申し上げた筈です。美しいものは異界に属する、御注意なされませ、と」
うのかの顔の左半分を隠す様に鎮座している般若の面がにやりと笑う、海渡の目にはそんな幻覚が見えた。
―――しかしそれは果たして、幻覚だったのだろうか。
「何故御気付きに成らなかったのですか…異界に深く関わってしまったものは、異界に取り込まれて仕舞う定めなのだと」
彼女が彼の前にそっと歩み寄る。
それを合図にしたかの様に、海渡の髪と瞳がゆるりと色を変え始めた。生まれ持った黒が、海の様な青へと変わって行く。
同時に、海渡の意識もまたぼんやりと拡散を始めた。
「私は決して人を掠う積もり等有りません。ただ、私には来た者を拒む事は出来ず…海渡さん程異界に染まった者は最早人の世には戻れない。此方に来るしか選択肢は無いのです」
うのかの声には感情が無かった。
ひたすらに静謐な声を背景に、ゆっくりと意識が溶け崩れていく。
自分が誰だったのか。
自分が何だったのか。
それら全てが広がり、薄まり、混ざり合い―――…
―――未来、芽衣ちゃん…
彼は最後の一瞬で、大切な二人の名前を思い出す。しかしそれはほんの刹那の間に過ぎず、それに何を思う事も無い。思い浮かべた二つの笑顔は、そのまま掻き消えて行った。
「貴方に名を差し上げます」
風すら吹くのを止めたかのような静寂の中、うのかの声が静かに響く。
「これより貴方の名は、わたつみ。深く広く果ての無い、紺青の名で御座います」
「…わたつみ」
海渡―――いや、わたつみがぼんやりと呟く。うのかは一つ頷き、背後に控えた三つの影を振り返った。
「うのか」
「さぎり」
良く似た青い瞳が交差する。それだけだ。しかし、それだけでさぎりは何も言わずに、一枚の面をうのかに差し出した。
そして微かに微笑む。
「おめでとう、うのか。又一人増えた」
「有り難う、さぎり。では行きましょう」
何時の間にか、世界は朝焼けを迎えていた。今まで億と繰り返され、これからも億と続くだろう一日の始まり。
しかし、その輪の中からは今、一人が欠け落ちた。
うのかは手にした面をわたつみに渡す。わたつみはそれを受け取り、当然の様に左顔を隠すように付ける。特別な事はそれだけだ。それが終わってしまえば、まるで初めから変わったところ等無かったかの様に彼等は歩き始める。
うのかを先頭に、その直ぐ後にさぎりが、数歩後にながるとかむいが、そして最後にわたつみが続く。
そう、それは、この世のものではないような美しい一団。
そのゆるりとした行進は、やがて溶ける様にして消え失せた。
その年、山の下の村では一人の男が姿を消し、二人の娘が悲嘆に暮れた。
そして人々は言う。
山は怖い。みだりに入ってはならない。
それ故に、山の中に時折現れる美しい影が一つ増えたという事に気付くものは、誰もいなかった。
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レイジ
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Aki-rA
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こんにちは。朔夜です。
またコメントしちゃいます。
注目の作品に載ってるのを見てから長い時間掛けて読ませていただきました。
見事に引き込まれました!
そして山には気をつけようと思いました。
2010/11/09 20:04:59