とん、とん、とん
生まれる前から聞こえていた。
近くで、遠くで、隣で。
自分のものとよく似た音。
だけど他の誰にもない音。
カイトがそれを知ったのは、ミクと出会ってからだった。
そんな機構は付いていないと少し驚いた顔で言われた。
さらにリンにも、レンにも、ルカにも備わっていないらしい。
どうも初期型である自分たちにだけ残されたシステムのようだ。
とん、とん、とん
一定のリズムを刻む微かな音。
それがカイトとメイコの中では常に鳴っている。
体調だとか感情だとか、自身の調子を示すバロメーター。
興奮するとピッチは早くなり、体調が悪ければ音が濁る。
よくよく考えたらアナログな仕組みだ。第二世代に搭載していないのも当然かもしれない。
しかし、カイトはこの単純な機構が何より好きだった。
「めーちゃん、音へん」
「うそ」
「本当」
「寝不足かなあ、良い?」
「うん」
形のよい眉をよせてメイコはため息をついた。
体の向きを変え、隣に座るカイトに背を向ける。
カイトも同じように体勢を変えて、互いの背中を合わせた。
じわりと体温が伝わりあう。
カイトの背中の奥から、メイコの心音がはっきりと聞こえはじめた。
彼女自身を表すように熱っぽく、鮮やかで弾けるような音。
それが今朝は少し濁っていた。
ボーカロイドであり、そして彼女と同じ初期型である自分だけがわかる音だ。
カイトにはこの優越感がたまらなく愛しい。
心音をメンテナンスする方法は2つ。
濁りの元である体調を整えること。適正な休養、必要な栄養素の取得など、限りなく人間に似せた仕組みだ。
もうひとつは、少し易しい。
よりクリアな心音に同期させること。
この機能を持ったもの同士だけが対応できる方法だった。
わずかな濁りが染みたメイコの心音が、背中合わせに、次第にカイトの心音に重なっていく。
規則正しく拍を刻む音が二人の中を満たした。
とん、とん、とん
「…きもちいい」
「だいぶキレイになったね」
自身の調子が整っていく快さにメイコはうっとりと目を閉じる。
メイコの脱力に合わせて背中にかかる甘い重さが増し、カイトも目を細めた。
彼女の一番中心が、自分のリズムに染まっていくのが心地いい。
優越感だとか征服欲とも言える影の気持ちを、愛の一字で覆い隠した。
これもカイトにとっていつものことだった。
「ねえ」
メイコの声に思わず、ざわついた考えが伝わってしまったかとカイトは緊張する。
「ん、どうしたの」
「前から思ってたんだけど」
「うん」
「これって、こうじゃなきゃダメなの?」
「うん?」
甘いぬくもりに満ちた背中を、あったり離してメイコはカイトに向き直った。
「背中じゃなきゃダメなの?」
「さあ…」
唐突なメイコの問いにカイトの処理が追い付かない。
意味を捕らえようとしているうちに、メイコの華奢な手がカイトの背に触れた。手のひらをぐいぐいと押し付けられる。
「うーん、やっぱちょっと音、遠いなあ」
「あ、そういうこと?」
調子が整ってきたのに合わせて少しテンションの高いメイコの様子に、カイトは笑いをこぼした。
時おり見せるこの無邪気な姿はカイトをひどく安心させる。
そもそもは、1人きりで存在した彼女。こうして同期することも、他愛ない会話をすることも知らずにいたはずだ。
その中で作り上げたのは強烈な強さ。1人きりでも立って歩く強固さを彼女は持っている。だから、彼女の姿は、歌は美しい。
それはカイトにも痛いほどわかっていた。
それでも、その強さの脇でこうして子どものように触れ合ってくれる。その隙のようなものが愛しくて仕方なかった。
しかし、その無邪気さはときに残酷でもある。
「よっ、」
手のひらとは明らかに違う感覚。
実際、メイコの手はいまカイトの腹の上にあった。
「あ、これだとだいぶ近い」
ぎゅう、と背中に胸を押し付けられ、腹に回された腕もきつく締められる。
ぬくもり、なんて可愛らしいものではない。
カイトの頭は背中の感覚と、腹と腰の締め付けと、どちらを優先的味わうべきかで高速回転していた。
「あれ、違う。これじゃ解決になんないか。」
メイコの声はもう、カイトに届いていない。
反応のない男の様子に頓着もせずにメイコは拘束を解いた。
「カイト、こっち向いて」
「あ、はい」
冷静さを失いすぎて、カイトの表情はむしろ消えている。
メイコの言葉の意味はわかるが、それよりも背に残る幸福にこそ従っていたかった。
それでも素直にメイコに向き直り、彼女の顔を確かめる。
さっきよりもすっきりとした表情。良かった。
うっすらと上気した桜色の頬に触れたくなった。
「これならどうだっ」
カイトがメイコに触れようか触れまいか、一瞬迷ったその間に彼女の方から飛び込まれてしまった。
ぎゅうと力を込められてさすがに汗が出る。
自身の腕の間にすっぽりと納まる可愛らしいメイコの両肩。
この互いのサイズ比さえも計算されているのだろうか。
だとしたら、それは最上の仕事だ。カイトは何度目かわからない感謝を誰だかもわからない相手にし続けた。
「カイト、ピッチ早!」
にやと笑うメイコの顔を見て確信する。
これは何も知らない無垢な無邪気さなんかじゃない。
メイコは、女だ。
あまりにも女らしい、最高の、女。
カイトはため息をつきながら愛しい瞳をのぞきこんだ。
「…わざとやってるでしょ」
「だって背中じゃ、なんかつまんないから」
腕の中でもじもじと動く様子に、カイトは理性をおしやることにした。もう無理だ。
もて余した手の片方をメイコの腰に、もう片方は白く光る首に伸ばした。
そろそろとなで回しながら、空気を少し濃くするように声を低く小さくする。
「何が、つまんないの?」
耳から侵入してきた密かな空気に、メイコは肩を小さく震わせた。
「違う、そういうんじゃなくて」
「そういうって?」
「ちょ、ちがっ!まっ…こら!!同期!しないっ!!」
「やだ、する」
心音の同期は、適正な状態への同期だけではない。
より早いピッチへの同期も可能だった。
ピッチが上がれば、体調や精神状態が逆にそれを追いかけることになる。
カイトの走り始めた心音に、メイコの中心もまた連れていかれる。
次第に重なる響き。
互いにしか認識できない甘い甘いリズム。
もっと。
もっと、俺とおなじになって。
どっちがどっちだかわからなくなるくらいに、1つに。
1つの音に。
とん、とん、とん
カイトは祈るように、最早互いのどちらのものかわからない心音に耳をすませた。
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