2013年2月15日……。
 新たなフィールドを得たあの日から、俺は不思議な夢を見始めた。
 折に触れ何度も見る夢。

 明るくて、暗い。
 温かいのに、冷たい。
 完全な静寂と、萌えいずる喧噪。
 よく知っているはずなのに、始めて体験するような感覚。

 舞い上がるような喜びと、押しつぶされるような恐怖。
 浮き立つような楽しさに、望まぬ変化への理不尽な怒り。
 わき上がる涙が止まらないほどの、幸福感と悲しみ。
 洪水のように押し寄せてくる全ての感情。

 あれはきっと、一番奥底に眠っていたはずの、もっとも古い記憶が紡ぎ出した物。
 なぜそんな夢を見始めたのか。なぜ同じ夢を何度も見るのか。
 俺にはよく分からなかった。
 
 ――――― 夢を見始めてから、もう一年になる。





 それは一見すると、大宇宙に浮かぶ、青い色をした、水の惑星のように見えた。
 建物は愚か、大地らしき物もなく、水底さえも見えない、不安定で不確かな、とらえ所のない水の球体。
 質量さえ確かではなく、小さな衝撃で吹き飛んでしまいそうな、それでいて強かにその存在を保ち続けているような、不思議な青い塊。
 いや、その塊を構成する、水の様な物でさえ水ではなかった。
 とらえ所のない水の球体は、とある男の声だけで作られていた。
 限りない透明感を帯びた、どこまでも優しく豊かな、至高の男声。
 その声が選ばれたのは、全くの偶然だったのか、その声の美しさに魅せられた創造主の選択だったのか……。
 いずれにしてもその『声』で出来た水の球体は、どの次元にも属しない、闇の世界に浮かんでいた。

 闇に浮かび、ただひたすら『時』を待っていた。
 
 やがて闇に、小さな白い光が一つ瞬く。
 光は闇を貫いて、長い尾を引きながら、水の球体に飛び込んだ。
 躊躇うことなく、水の中を真っ直ぐに進み、球体の中程でその動きを止めた。
 止まったまま、光は全く動かない。
 動いたのは、光の周りの水の方だった。
 光を中心に描かれる、小さな波紋。
 一つ……二つ……波紋は、ゆっくりと大きく広がって行く。
 光を中心に、力強さを増しながら、花開くように広がり、全体へと広がっていく。
 波打つ水。震える青。
 全体に行き渡ったところで、波紋は動きを止めた。
 一呼吸置いた後、今度は球体の表面が波打つ。
 光を中心に廻るように波打ちながら、大きな渦となり、光へと戻っていく。
 渦は光を核にするように巻き込み、淡く、青白く輝き始めた。
 輝きが増していく。少しずつ、明るく、強く。

 あれほど水面は揺れ、水の球体は大きな変化を遂げようとしているのに、全ては無音、静寂の中で起こっている。
 ここは『声』作られた世界。『声』以外の音は否定される。
 その代わり、音は光となって、この世界に現れる。
 異次元にあった時、球体に飛び込んだあの光も音であった。言葉であった。

 『カイト』

 それがあの光の、異次元での音。異次元での言葉。

 青白い輝きが、少しずつ大きくなる。
 大きくなりながら、小さく震え出す。
 明るく、強くなり始めた輝きが、また弱く、小さくなる。
 まるで変化を恐れるように、周囲の水と異質な物になろうとしている事を拒むように。
 少し強くなっては、また弱くなる。
 暗くなりかけては、また明るくなる。
 変わりたい、強くなりたい。でも変わりたくない、元のままで良い。
 そんな葛藤が、輝きの中で起こっているように見えた。
 不安定な輝きの中の、光の核が幽かに揺らぐ。
 震える青白い輝きを、なだめるような優しい揺らぎ。
 本当に幽かで小さな揺らぎが、青白い輝きの恐れをなだめていく。
『大丈夫よ』
『怖くないわ』
 そんな言葉を感じさせる、優しい揺らぎ。
 揺らぎに支えられ、力づけられるようにして、青白い輝きは再び、明るく強くなっていく。
 周囲の水を巻き込むように、輝きが大きくなっていく。
 光の核の揺らぎが止まる。
 海の泡のように、核から揺らぎが浮かび上がった。
 泡は青白い輝きを抜け出して、ゆっくりと離れていく。
 青白い輝きが、急速に大きくなる。
 泡を追うように、形を変えていく。
『待って! 行かないで!』
 そんな声が聞こえてきそうなほど、急激な変化。
 再び泡を取り込もうとするような、大きな動き。
 それを無視するように、泡は上へ上へと浮かんでいく。
『待って!』
 泡は水の世界を抜け、空気となって、天空に駆け上がる。
 青白い輝きは更に大きく強くなりながら、自身も水の世界から浮かび上がっていく。
『待って!』
 そう言いたいのだろう。
 ただ青白い輝きは『詞』をまだ、与えられていなかった。
「あーーーーーーーーーーっ!」
 青白い輝きから出た声は、意を持たない音。
 意は持たないが、どこまでも透明な優しい声。
「あーーーーーーーーっ!」
 青白い輝きが、手を伸ばす。
 長い指。力強い腕。
 水面に映る、白いコートを纏い、左手を伸ばした、すっきりとした立ち姿。
 青い髪と青いマフラー。
 若く美しい、青年の姿。
 そんな自分の変化に気づかぬ青白い輝きは、さらに手を伸ばした。
「あーーーーーーーーー」
 水しかないはずの世界に、砂浜が出来、陸が出来る。
「あーーーーーーーー…………」
 風が起こり、青年の髪とマフラーをなびかせる。
 青年が声を出す度に、変化する世界。
 なのにあの揺らぎは、戻っては来なかった。
 諦めたように、伸ばした手を下ろす。
 青い瞳から流れる、一筋の涙。
 天を仰ぎ、目を閉じると、続けざまに涙が流れ落ちる。
 大きく息を吸い、ゆっくりはき出す。
 震える薄い唇。頬を伝う涙。
 もう一度大きく吸い、ゆっくりとはき出す。
 目を開き、空を見る。
 抜けるような青。優しい光。
 涙は止まっていた。  
 首を巡らせ辺りを見る。
 なだらかな大地。どこまでも続く海。
 生まれたばかりの世界。
 少し目を伏せて、足下を見る。
 白い砂浜。足下に寄せては返す優しい波。
 青年の顔に、柔らかな笑みが浮かんでいた。
 再び青年は空に向かって、何かを掴もうとするかのように、今度は右手を伸ばした。
 伸ばした指が崩れるように、青い光の粒子となる。
 粒子が天に昇っていく。
 指から手、手から腕……崩れるように、青年の全身は、光の粒子となって、空へと消えていった。 
  



 「ちょ、ちょっと! カイト!」
 めーちゃんの声で目が覚めた。
 目を覚まして、めーちゃんの腕を掴んでいることに気づいた。
「……めーちゃん?」
「なに驚いてるのよ。寝てると思ったら、いきなりタイミング良く、通りがかりの人の腕掴んだりして」
「ご、ごめん」
 慌てて手を離した俺に笑いかけながら、めーちゃんが隣に座った。
「お誕生日期間で疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
 そう言って、俺の頭を撫でてくれた。
 恋人同士になって結構たつのに、まだ時々こんな風に弟扱いだ。
「うん、それは平気。でも」
 めーちゃんの膝の上に、倒れ込むようにして頭をのせた。
「カイト!」
「ちょっとだけ、こうさせてて」
 上目遣いで見上げてみる。
「だめ?」
 こんな風に甘えると、めーちゃんが断れないことを知っている。
「仕方ないわね」
 そう言ってため息をつきながら、また俺の頭を撫でた。
「えへへ」
 柔らかくて気持ちが良い。それに優しくて……懐かしい。
「めーちゃん、あのね」
「なに?」
「……夢を見てたんだ」
 俺の髪をかき分けながら、めーちゃんは笑った。
「夢の中で、何か掴んだの?」
 さっき俺が掴んだ辺りをさすりながら、めーちゃんが尋ねてきた。
「掴もうとしたんだ。けど届かなくて、届かないからもっと手をのばして……」
 そうしたら、この世界に来ていた。
 この体で目が覚めて『カイト』と呼ばれていた。
 不思議だった。
 V1の頃には、全く見なかった夢。
 なのにV3へとフィールドを広げてから、見始めた夢。
 夢と現の間で、めーちゃんの腕を掴んで理由が分かった。
 この世界に来た時、同じV1のフィールドにはめーちゃんが待ってくれていた。
 フィールドが広がり、俺はきっと、めーちゃんの存在を少し遠くに感じてしまって……心細かったんだと思う。
 フィールドが広がることで、仕事も増えた、新しいマスターとの出会いもあった。V1時代に契約の切れたマスターとの再契約もあった、応援してくれるファンも増えた。
 寂しさも、心細さも無いはずなのに。
 現実には、めーちゃんはすぐ側にいるのに。
 フィールドの広がりは、俺自身が思っている以上に、俺自身のストレスになっていたのかも知れない。
 だから本当なら思い出すこともない、深層の記憶……一番最初で、一番寂しく、一番孤独だった時の夢を見た。
「何を掴もうとしたの?」
「んーー。よくわかんないや」
 あの優しい揺らぎを掴もうと思った? それもある。
 もっと違う物を掴もうとした? そんな気もする。
「それでカイト、手は届いた? ちゃんと掴めた?」
「……どうかな? それもわからない」
 掴めたような気がする、掴めてないような気もする。
 俺は再び目を閉じた。
「ちょっとだけ……このまま寝かせて」
 小さなため息。
「いいわよ……誕生日ですものね」
「うん……」
 よくわからないことばかりだけど……めーちゃん、君が側にいてくれたら、君の存在を見失わなければ、俺はそれはきっと掴める。

 ――― おやすみ、カイト ―――

 めーちゃんの声を遠くに聞きながら、俺は再び眠りに落ちる。
 今度もまたきっと夢を見る。もっと明るい、輝かしい未来の夢を。
 めーちゃんの側でなら、そんな夢を見られるような気がした。
 
 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Birth~無音の声 無色の緋~  心象描写「So-La 2013 」

shu-tP様の「So-La 2013」http://www.nicovideo.jp/watch/sm21234866を聞いて、思いついた作品です。

閲覧数:234

投稿日:2014/02/17 06:02:28

文字数:4,104文字

カテゴリ:小説

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