【ミク】
良い天気だった。
春の日差しがぽかぽかと暖かい。
そんな中、あたしは広場で歌を歌う。昨日の、このくらいの時間にあの人と会ったんだな、と思うと腹が立ったり、憂鬱になったりするから、敢えて思考から取り払って。
もし来たとしても、口なんてきかない。無視だ、無視。
一曲歌い終わると、青い影が視界の端に映る。
目を逸らして無視しようとするけれど、ふと感じた違和感にもう一度視線を戻す。
「なっ、どうしたんですか、その顔!」
綺麗な顔が、左頬が、真っ赤に腫れてしまっている。それを見て思わず声を上げてしまってから、しまった、と思う。無視するつもりだったのに。
でも、気になる。
一体、昨日の今日で何があったんだろう。
「顔…?ああ…これね」
カイトさんの綺麗な長い指が腫れている頬をそっと撫でる。痛むのか、少し顔を顰めた。
「折角の綺麗な顔が……勿体無い……」
「ふっ……ははははっ」
思わず漏れた呟きに対して、彼は声を出して笑い出す。そんなに笑われるのは心外だ。この人の顔が綺麗なのは事実だし、綺麗なものが損なわれたなら勿体無いって思うのは、人間として当然の心理だと思う。
「な、何を笑ってるんですか!」
「いや、ごめん。そこまではっきり、残念そうに言われると、つい」
「当たり前です、カイトさん、顔は、綺麗ですから」
顔は、のところを強調して嫌味を言ってみたけど、当人は気にした様子もなく笑みを浮かべている。全然通じてない、というか、効いてない?
「うん、有難う」
やっぱり通じてない。
「褒めてませんから!」
「うん」
楽しげな笑顔を浮かべながら、それでも時折痛そうに顔を顰める。これだけ腫れてたら話すのだって辛いんじゃないだろうか。
何より、どうしてこんな風になったのか、は気になる。
「……で、その顔、一体どうしたんですか?」
「父さんに殴られた」
「え?」
嘘。
嘘でしょう?
一体なんで?
「もう、貴族のお嬢さんのお相手は出来ません、って言ったら、怒らせちゃってね」
「どうして…?」
「君が言ったんだろう、最低だ、って」
「でも、だからって…」
言った。言ったけれど。
だからって、昨日の、今日で。
あたしが言ったから、お父さんに逆らって、殴られたっていうのだろうか?いくらなんでも、それは、素直過ぎる。
「俺は、君がああ言ってくれて良かったと思う。いけないと思っていても、今までの俺は父に逆らう事が出来なかったから。どうにかする切欠が欲しかったんだ」
「…別に、あたしは」
勝手に怒って、怒鳴り散らしただけだ。感謝されるような事なんて、何も言ってない。それなのに、カイトさんは当然のように笑う。
「うん、勝手に俺が感謝してるだけ。今日は、ちゃんとお礼が言いたくてね。有難う」
ああ、駄目だ。この人、本当に駄目だ。
結局、第一印象で感じたままの人だったってこと。優しくて暖かくて、笑顔の素敵な人。顔は腫れてしまっているけれど、それでも笑顔の温かさは少しも変わらない。
噂の方が脚色されてしまっていたんだろう。
「まあ、言ったは良いけど、駄目だの一点張りで、明日も大臣の娘さんに会えって言われてるけどね」
軽く言っているように聞こえるが、顔を見てみれば憂いを帯びた眼差しだった。本当に、この人自身が望んでしていた事じゃないんだ。
昨日、もっとちゃんと話を聞いていれば良かったんだろうか。逃げたりせずに。
「それでも、今まで通りにするつもりはないけど」
そう言って決意を秘めたような声に、たまらなくなる。あたしはただ、自分勝手に怒鳴り散らして逃げただけなのに。
「ごめんなさい」
「え?」
「昨日は、あたしも言い過ぎたから、ごめんなさい」
心底解からない、というような顔をするカイトさんに頭を下げる。この人が少しも恨んでいないのは、むしろ感謝しているらしいというのは、聞けば解かるけれど、それでも謝らなきゃ気がすまない。
「いや、あれは、ああ言われても仕方ないし。別に気にしないで」
そんな事無い。
無いのに、本当に気にしてない、と笑みを浮かべるカイトさんに、これ以上謝る事は出来ない。
「ああ、それからもう一つ」
「はい?」
「俺、自分から誰かに声をかけたのは、君が初めてだよ。それは信じて欲しい」
「え、それって…」
どういう意味なんだろう。
深く考えると、いや、この人の言葉は、深く考えちゃいけないような気もするし…。兎に角意味を尋ねよう、としたところで、声が割って入った。
「兄さん!」
その声に反応して、カイトさんが振り返る。あたしも、声のした方に視線を向けた。
綺麗な女の人だった。長い桃色の髪、大人っぽい顔立ち。胸も、大きい。あ、でも肌の色はカイトさんの方が白いかな。
「こんな所で何をしてるんですか!お父さん、かなりお怒りですよ!」
「ああ、うん。だろうね」
「勝手に抜け出して、ほんとに。早く戻りましょう」
会話からして、カイトさんの妹なのだろう。並んで立ってみれば、本当に美形兄妹だ。余り似てないけれど。
それにしても、抜け出してきたって、一体どういう事だろうか。
その女性はしっかりとカイトさんの腕を握り、早く帰るようにと促す。
「じゃあね、有難う。本当に、それだけは言っておきたかったんだ」
カイトさんも、迎えが来れば帰るしか無いだろう、手を振って別れようとする。
あ。
待って。
そう思った瞬間に、カイトさんの空いている方の手を掴んでいた。
「あ、あの!」
「え?」
掴んだは良いけど、咄嗟の事で何を言うつもりだったのかと自問自答する。でも、兎に角、何か言わなければ。
「あたし、大体いつも、この広場で歌ってますから。またいつでも来てください!」
「うん、有難う。また来るよ」
もう一度会いたい、そう思って口から出た言葉だった。心臓がうるさい。
カイトさんは、綺麗に笑って、頷いてくれた。
「兄さん、早くしてください」
「ああ、ごめん、ルカ。帰ろうか」
カイトさんの妹さんが強く手を引いて、いつまでも掴んでいる訳にもいかず、手を離す。足早に人ごみの中に向かう彼女が一瞬、あたしの方を睨んだのは多分、気のせいではない気がする。
カイトさんは気づかなかったみたいだけれど。
二人が見えなくなるまで見送ってから、盛大に溜息を吐いた。
酷く緊張していたのが、居なくなってから解かった。それでも、また会いたい。
それがどうしてか、なんてことは、考えるまでも無い事だった。
翌々日。
カイトさんは来ないのだろうか、と思いながら噴水の前で座り込む。
そもそも昨日は大臣の娘さんと会わなきゃいけなかったらしいし。今日は来るんだろうか。
歌わなきゃな、と思うのだけれど、カイトさんのことが気になってどうしてもそんな気にはなれない。こんなこと、初めてだ。今までは、どんなことがあっても歌っていれば楽しかった。それなのに、今は歌う気にすらなれないなんて。
大体、カイトさん自身がもう相手をしない、なんて言ったって、カイトさんがモテるのはどうしようもない事だ。何しろ、あんなに綺麗だし、優しいし、穏やかな眼差しも、暖かい声も、何もかもが人を惹きつけてやまない、そんな人だから。
女たらしというか、かってにみんなが、彼に惹かれてしまうだけなんだろう。そして、あたしもその中の一人に過ぎないだけだ。
「…ミクさん?」
声を掛けられて、顔を上げる。
「レンくん?」
去年の秋に一度会ってから、緑の国に来る度に顔を見せてくれるようになった子だ。同年代の男の子の友達は初めてだから、話しているだけでも楽しかった。
「どうしたんですか?今日は歌わないんですか?」
「えへへ、ちょっとね。そんな気分じゃなくて」
「悩みごとですか?」
礼儀正しい言葉遣いは何度会っても変わらない。黄の国の貴族の召使らしいから、その所為なのかも知れない。
いつも優しく気遣ってくれるレンくんの言葉に、それでも何と答えたものか悩む。
思わず溜息。
「レンくんを好きになれたら、良かったのにな」
そしたら、此処まで思い悩んだりはしなかっただろう。
「え…?」
思わず漏れた呟きに、レンくんが驚いた表情を見せる。まあ、いきなりそんな事を言われれば当然か。
何でもないよ、と言おうと口を開いた時、
「ミク!」
名前を呼ばれて、その瞬間には立ち上がって声がした方向に走り出した。
「カイトさん!」
小走りに駆け寄り、カイトさんの顔を見つめる。左頬は、まだ少し赤くなっているけど、それでもかなり腫れは引いたみたいだった。
良かった。
カイトさんに会ったらもう、それだけで悩んでいたことなんて全部吹き飛んでしまった。カイトさんに会えて、嬉しい。また、一緒に歌いたい。
なんて調子が良いんだろう、あたし。
そう思うばかりだ。
「本当はもっと早く来たかったんだけど、家から抜け出して来るのが大変でね」
「抜け出してって…何かあったんですか?」
「いや、まあ…昨日も父さんを怒らせたんだ、それだけ」
そう言って苦笑いを浮かべる。それでも殴られなかっただけ良いのかも知れない。あんな痛々しいのは余り見たくない。
「……あれ、レンくん?」
ふとあたしの後ろに居たレンくんに目をやって、カイトさんが声を掛ける。
「カイトさん…こんにちは」
「こんにちは、久しぶりだね」
親しげに会話を交わす二人を交互に見つめる。
「あれ、知り合いなんですか?」
「ああ、うん。レンくんは…」
「カイトさん!!」
何か言いかけたカイトさんを、レンくんが声を荒げて遮る。正直、驚いた。レンくんがこんな風に大声を出したのは初めてだ。いつも、しっかりして年より大人びた雰囲気があったから、余計に。
「レンくん…?」
「駄目だよ、レンくん。隠したり誤魔化したりするのは、良くないよ」
「カイトさん…」
一体、何を言っているんだろう。
訳が解からない。
「レンくんは、黄の国のかなり身分の高い人の召使でね。そこのお嬢さんの相手を俺がしてた時に知り合ったんだ。あの国はあまりよくない噂があるから、知られたくなかったんだろう」
「何だ、そんな事。全然気にしてないのに」
黄の国の、どこか貴族の召使らしい、というのは気づいてたし。それがかなり身分の高い家柄だったからって、あたしのレンくんに対する印象が変わったりする訳無いのに。
「有難う御座います」
レンくんは曖昧な笑みをあたしに向けてから、カイトさんに視線を移す。カイトさんはそれに対してふわりと笑みを浮かべて、レンくんはぺこりと頭を下げた。
何か、無言のやり取りがあったみたいだ。
仲が良いんだろうか、この二人。カイトさんは誰にでも優しそうだから、彼とも親しくしているのかも知れない。
「ところでミク、今日は歌ってないの?」
「あ、はい。まだ、歌ってないです」
「そっか、ミクの歌を聞くの楽しみにしてたんだけど。……一緒に歌ってもいい?」
どこか控えめに尋ねてくるカイトさんに、あたしは勢い良く頷く。
「はい、是非!」
「良かった、断られたらどうしようかと思った」
「断ったりなんかしませんよっ」
そりゃ、青の商人の息子さんだって知った時は、酷い態度を取ったけど。でも、なんだか避けるのも馬鹿馬鹿しいと思うぐらいに素直な人だというのは、よく解かったし。
「あたしも、一緒に歌いたいです」
だから、あたしも素直に言おう。あなたと歌いたい。
あなたと一緒に、歌っていられる時間が、とても幸せだと思うから。
歌い終わると、レンくんの姿が見えない。
帰ってしまったんだろうか。
「二人だけで歌ったから怒って帰っちゃったのかなあ…」
「どうだろうね。何か用事があったのかも知れないし、黄の国に帰るのも大変だろうから、一泊していくのかも知れない。そうだとしたら、明日も会えるかも知れないよ」
「そっか、うん、そうですね」
だったら良いな。
明日会ったら、今日のことは謝らないと。
カイトさんと歌えるという事が嬉しくて、うっかりレンくんを放っておく形になってしまったのが凄く申し訳ない。
あたしの事、励まそうとしてくれてたんだし。本当に、カイトさんに会えたのが嬉しいからって、浮かれすぎだ。というか、調子良すぎるな、と思う。
「カイトさんは、明日もまた来ますか?」
「うん、来たいと思ってるよ。上手く抜け出せればね」
「…早く、お父さんと仲直りしてくださいね」
「…そうだね」
そう答えたカイトさんの表情は、何処か沈んで見えた。
余り、そういう顔はして欲しくない。笑っていて欲しいのに。
優しいカイトさんの笑顔を見ていると、あたしも安心出来るから。傍に居れば、それだけで満たされた気分になれるから。それまでいつも何処かで感じていた寂しさも、カイトさんと一緒に居ると、不思議と消えてなくなった。
そんな人だから。
どうしたらあたしは、あなたを笑顔に出来ますか?
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ご意見・ご感想
甘音
ご意見・ご感想
>エメルさん
ちょ、エメルさん大丈夫ですか!?
ルカは南国生まれですが漁師じゃないですよー?(笑)
カイトは無駄にモテるので、言い出したら切りがありません。ルカとミクの修羅場はやっぱり期待されてますか…(笑)でも、そういう程のものは無いかも、いや、どうなんだろう?展開しだいですねー。
ミクは兎も角、このお話のカイトさんはそう鈍くは無い人なので、そのうちミクの好意には気づきそうです。というか、どうにも察しが良いから苦労している人です。多分。
レンに関しては、重要なところなのでちゃんと描きます。というか次はレン視点です。(ぁ)
このお話では、レンの苦悩もちゃんと描きたいですね。あっちこっちと、貪欲なのです、私。
取り敢えずエメルさんの精神状態が心配です。
もう、ゆっくり休んでください!
>時給310円さん
な、何か対抗してるんですか、これ?(苦笑)
こんばんは、いつも感想有難う御座います。
本当に、この二人は素直です。そういう点では余りやきもきして欲しくないですね。
腫れあがった顔のインパクトは絶大だと思います。無視するつもりのミクをひきつけるにはやっぱりインパクトが大事ですよね!カイトは狙った訳ではないですが。
ラブラブパートは続きますが、シリアスも入れていきます。物語も大分進んで来ましたし。
追加シーンというか、視点変更をしているからこそ、出来ることもある、ということで。ルカさんは結構やきもち屋さんです。今後の展開に関しては、お話を読んで、ということでお願いします。
爆弾はいっぱいありますが、その一つが爆発するのは案外近い、かも。
…で、同好会?あれ、そんなの有るんですか、っていうか作るんですか?有りなんですかそういうつながり!?
いやまあ、私は構いませんよ、お好きにどうぞ。場所は提供させていただきますよー!
2009/04/13 23:02:54
時給310円
ご意見・ご感想
おっと、またしても振り遅れ。さあツーストライクと追い込まれました、苦しいバッティング。
というわけで、こんばんは甘音さん。読ませて頂きました。
いや~……なんという素直なお2人さん。前回のカイト視点と見比べてみても、もうお互いしか目に映ってないって感じですね。結構、結構、おおいに結構。
腫れ上がったカイトの顔に思わず話しかけてしまってから、『ああ、駄目だ。この人、本当に駄目だ。』のくだり、ちょっと吹きましたw 噂を信じるのか、自分の目で見たものを信じるのか、というおばさんの問いかけに結論が出る一幕でしたね。何だかんだ言って、ミクも信じたかったんだろうし、報われて何よりです。あー、もういいなぁこの2人!
ところで、前回のカイト視点には無かった追加シーンが登場ですね。……うわぁ、睨んではる睨んではる、めっさ睨んではるで、ルカさんww 遅かれ早かれ、修羅場は避けられそうにないような雰囲気ですね。甘音さんの書く修羅場シーン、見たいような見たくないような。そして修羅場と言えば、レンの存在もけっこうな時限爆弾っぷり。どうなるのかなぁ、これ……どうなるんですか? 甘音さん ←聞くな
当人同士の間は高速道路並みにノンストップの直通道路なのに、周囲に爆弾の潜むこの状況。これからの展開に期待です。
そうだ、ついでにこの場をお借りしまして。
前回僕の名前を出して頂いたので、お礼代わりのご挨拶を。エメルさん、『比翼ノ鳥』同好会(in 甘音さん家)として仲良くして下さい。
私信&長文失礼しました。次も頑張って下さい!
2009/04/13 22:31:50
エメル
ご意見・ご感想
ルカは生粋の南国生まれの漁師で毎日タコを取っては売りさばき崇められ・・・ってなんだ今の幻覚は!
やばいSAN値がおびただしく減少してるwさっきまでニコ動でクトゥルカを見ていたせいだなwww
そういえば青の国は南国でしたね~ふむ、やっぱりカイトは(推理自重)
前回のメッセで修羅場期待を見破られてしまいましたねwあの時よりさらに上がって四つ巴とな!むぅ、なかなか盛り上がってまいりました。
カイトにしろミクにしろ鋭い洞察力はなさそうですね。大きな誤解に発展はしないと思うけど、お互いの気持ちを間違った認識で思い悩んでは苦労しそうです。まぁ共にいる時間が幸せと思っているから気持ちは離れることはなさそうですが。
問題はレンですね。カイトもミクも彼の気持ちは知らない。でもレンは二人の気持ちを気がついたように思えました。それってかなり残酷ですね。レンはカイトの人となりを知っているから強く出ることはなさそうだけど・・・それにリンのこともありましたね。原作ではミクよりリンを優先してましたがどうなるんでしょうか。
あ、原作考えたら落ち込みそう・・・これ以上SAN値(精神力)が下がったら・・・あぁたこルカにカイトがぐるぐる巻きにされてるのが見える・・・おぉ~ミクのネギカッターがたこ足を千切りに・・・しかしレンのバナナですっ転ぶとそこにリンの乗ったロードローラーがあぁぁぁ・・・ガクッ
お後がよろしいようでw続き楽しみにしてますね~
2009/04/13 21:34:23