ハルジオン② 【小説版悪ノ娘・白ノ娘】

第一章 黄の国の暴君 パート1

 「レン!遅いわ!もうおやつの時間よ!」
 その言葉が王宮内に響いたのは午後三時、ハルジオンが咲き誇る、春先のうららかな一日のことであった。この王宮では特に物珍しい光景でもない。場所はミルドガルド大陸西端に存在する黄の国の王宮。声を上げたのは黄の国で昨年即位したばかりのリン女王陛下であった。輝くような金髪にサファイアのように透き通った蒼眼という、ミルドガルド大陸でも珍しいその姿は遠目からでもよく目立つ。王国の正当な後継者としての十分な美貌を彼女は持っていた。
 「はい、只今!」
 慌てた様子で声を上げた人物は、これまた見事な金髪蒼眼の少年であった。しかし、豪華絢爛という文字がよく似合う衣装に身を包んだリン女王陛下とは異なり、レンと呼ばれた少年はお世辞にも良い衣装とは言えなかった。街を歩く平民よりはまともな衣装ではあるものの、少し裕福な商人が着用している衣装とさほど大差ない。それもそのはず、レンはリン女王陛下の召使であるからだ。理由をレンは知らないし、知ろうと思ったこともない。記憶のある時からリン女王陛下の召使として育てられて来たのだ、それ以外の世界をレンは知らなかったし、生きていく上で必要でもなかったのである。ただ、リン女王とはよく似た顔立ちをしているから、おそらく影武者としてどこからか連れてこられたのだろうと、レンは漠然と納得していた。
 それに、理由はどうであれこの生活は気に入っているのだし。
 城の料理長が腕によりを振るって作ったケーキを万が一でも落とさぬように慎重に運びながら、レンはそう思った。リン女王は甘いものに目がない。レンが持ち運んだケーキを見ると、リン女王は途端に満面の笑顔を見せた。
 「遅いわよ、全く・・。」
 口ではそう悪態をつきながらも、視線はケーキに釘付けである。ああ、そうさ。僕はこの可愛いご主人様の笑顔が見られたら、それで満足なのだから。
 レンはそう思いながら、とても一人では食べきれない量のケーキをテーブルに置き、その一切れを慣れた手つきでカットして銀色のデザート皿に載せると、それをリン女王の目の前に置いた。
 「うわあ、おいしそう。」
 このおやつの時間だけは、いつも気難しい表情をしているリンの表情が緩む。年相応の女の子に戻る瞬間がこの時間なのである。その表情を満足そうに眺めたレンは合わせて用意していたティーポットから、今朝がた入荷したばかりの紅茶をティーカップに注ぎ、静かにリンの目の前に置いた。心地の良い香りがリンの部屋を包みこんでゆく。
 三口ほどケーキを堪能してから、少し甘過ぎたのか紅茶をリンは含んだ。
 「ああ、幸せ。いつもおやつの時間ならいいのに。」
 紅茶で口直しをしたらしいリンはそう言ってレンを見た。あたしによく似ている、生まれた時から一緒にいる男の子。あたしにとってはそれ以上の意味を持たなかったけど、それでも唯一リンが気を抜ける相手であることは間違いない事実だった。レンの出生については昨年の流行病で亡くなった国王からも召使として雇ったという以上の説明を受けてはいなかったし、病弱だった母親はリンが二つの時に亡くなっているから、訊ねようもなかった。だからそれ以上の詮索をする術がなかったし、そんなことは今のリンには必要のないことだと分かりきっていたから、特に訊ねようとも思わなかった。
 「いけません。女王陛下には我が黄の国を導いていただくと言う大切な役目があるのですから。」
 リンがそうしてレンの姿を眺めていると、レンは生真面目な表情でそう告げた。分かっているわ、そんなこと。そう感じるのに、嫌な気分にならないのはなぜだろう。同じ言葉でも、口うるさい内務大臣に同じことを言われるととても嫌な気分になるのに。
 「もう、少しはサボってもいいじゃない。本当に、レンはお小言が多いのだから。」
 リンはそう言って、少し拗ねたようにケーキをもう一口、その薄く形のいい唇の奥に放り込んだ。

 黄の国が所属するミルドガルド大陸は世界の西の果て、大洋に突きだした半島状の大陸である。気候は温暖、主な作物は小麦という大陸だった。その中には三つの国家があり、時に戦を、時に協調をしながら発展を続けていた。リンが統治をおこなっている黄の国はそのミルドガルド大陸でも一番の西の果てに存在する、三か国の中で一番巨大な国土と人口を持つ国家である。その国境を挟んですぐ東には大陸二番目の規模を誇る青の国があり、南東には大陸で一番の小国である緑の国が存在していた。このような政治状態であったものの、ここ数年は戦もなく、人々は割合平穏な日々を過ごすことが出来ていたといえるだろう。
 しかしあくまで平均して、という意味であって、大陸最大の国家である黄の国の民衆達が平和に過ごしていたかというと、必ずしもそうではない。
 原因は昨年黄の国の広範囲で発生した飢饉であった。
 ミルドガルド大陸の三か国の中で唯一大洋と面している黄の国はその地理的状況のために海風の影響を非常に受けやすい。夏の間に大陸方面に吹き込む季節風は黄の国に湿り気の多い風を運びこんでくれる。その季節風は黄の国と青の国の国境線ともなっているミルドガルド山地に衝突すると、そこで巨大な雲を発生させ、そして黄の国に恵みの雨をもたらすのだ。
 その季節風が、昨年は全く吹かなかった。
 そして前国王の突然の病死。
 飢饉と国家体制の突然の変更が、黄の国の民衆に大きな影を落とし始めていたのである。
 そのことを気に留めていないのか、それとも齢十四という年は理解するには若すぎるのか、リンは全くの無策であった。
 もちろん、前王から仕えるベテランの官僚達は危機感を覚え、こまめにリンに注進にやってくるのである。その第一の人間が、内務大臣のアキテーヌ伯爵であっただろう。
 「何度も申し上げておりますが、我が国は今危機的状況なのですぞ!」
 数十人は一度に会することができるだろう広い謁見室の中央で声を張り上げた初老の男性こそアキテーヌ伯爵である。勤続三十年のベテラン官僚であるアキテーヌ伯爵は黄の国一番の内政手腕を持ち、前王の時代にはその敏腕を振るって大いに活躍をしたのだが、ここのところその腕の見せどころがどうも少なくなっている。
 理由は単純、リンがなかなか言うことを聞かないからであった。
 それは本日も同じであり、アキテーヌ伯爵の言葉をお小言として受け取ったリンはその小柄な体には大きすぎる玉座に着席したまま、うるさそうに片手を振った。
 「それは何度も聞いたわ。飢饉だっけ?」
 「そうでございます!ですからリン女王陛下も贅沢は慎まれますよう!」
 「嫌よ。どうして私がそんなことをしなければならないの?」
 「民衆は今や飢えに飢え、いつ暴動が始まるやもしれない状態ですぞ!ここは女王陛下自らが節約の態度を示していただかなければなりません!」
 「暴動が起きたなら戦えばいいわ。何の為の軍隊なの?」
 「軍はあくまで民衆を他国の侵略から守るために存在するのです!民衆に手をかけるなど、言語同断でございます!」
 「うるさいわ。とにかく、私は今の生活を変えるつもりはないの。問題があるなら他の案で対応して。」
 「む・・これほど申し上げてもお解り頂けませんか・・。」
 「何度も言ったでしょ。」
 平然と、リンは言い返した。そして、もうこれ以上の会話は無用、とばかりにあらぬ方角を向く。その態度を見たアキテーヌ伯爵は僅かに溜息を洩らすと諦めたように一礼し、謁見室から退出した。
 本当に、皆うるさいのだから。
 アキテーヌ伯爵が重厚な扉を抜けて退出したことを確認すると、リンは思わずそう考えた。
 皆、レンみたいに何でも言うことを聞いてくれればいいのに。

 「父上、いかがでしたか?」
 謁見室の前、燃えるような赤髪と、それに合わせたような赤い衣装を身につけた女性が、気落ちした表情で退出してきたアキテーヌ伯爵にそう声をかけた。彼女の名前はメイコ。アキテーヌ伯爵の娘であり、黄の国一の腕前を持つと噂される女性騎士である。
 「だめだ。全く聞く耳をお持ちでない。」
 力なく、アキテーヌ伯爵はそう言った。表情を見ればメイコにも悪い結果であったことは理解できるのだが、それでも言葉として伝えられるとより哀愁が増す。
 「そうでしたか・・・。」
 メイコはそう言いながら、父親であるアキテーヌ伯爵の姿を観察した。
 明らかに老けられた。
 ふと、メイコはそのような感想をアキテーヌ伯爵に対して抱いた。メイコと同じ、赤髪が特徴のアキテーヌ伯爵ではあるが、前王のときは赤々としていた髪にはいつの間にか白いものが混じるようになってきている。
 気苦労が絶えないのだろう。
 父親の心情をそう解釈し、メイコはやるせない思いが募ることを覚えた。
 「何か、私にできることがあればいいのですが。」
 「うむ。しかし気持ちだけで十分だ。とにかく、お主は民が暴走しないように治安の維持に努めてくれ。」
 「はい。それでしたら軍務大臣のロックバード伯爵のご指示の下、日々の巡回を行っております。万が一の事態が発生しても、最小限の被害で食い止めて見せましょう。」
 「うむ。とにかく、今の国家状況で暴動が起こればどうなるかわからん。しっかりと頼むぞ。」
 「畏まりました。」
 メイコはそう言って父親に向かって一礼をすると、一回り小さくなったアキテーヌ伯爵の背中を見送った。ふう、と思わず漏れた溜息が力なく、形ばかり豪華な大理石造りの廊下に落下していく。
 リン女王陛下は黄の国を統治されるにはお若すぎるのかも知れない。
 メイコはふとそう考え、直後にその思考を追い出すように頭を振った。聞く者が聞けば反逆罪に問われかねない発想だな、と考え、私も疲れているのかもしれない、と考えた。
 とにかく、我々家臣がしっかりとリン女王陛下の脇を固めている限り、不届きなことは起こらないだろう、と考え直して、メイコは歩き出した。
 待たせている人物がいるためであった。

 メイコ隊長、遅いな・・。
 練兵場で一人、剣の素振りをしていたレンは予定の時間をとっくに過ぎている時計台の時刻を眺めながら、そう考えた。時間に遅れる人物ではないのに、今日は一体どうしたのだろうか。
 そりゃ、名誉ある黄の国の最精鋭といわれる赤騎士団の隊長ともなれば、色々とお忙しいのだろうけど。
 レンはそう考えながら、もう一度練習用の木刀を真上から振り下ろした。
 剣の訓練は半年前、リンが女王に即位した時から継続して行っている。理由は単純だった。
 リン女王を守れるくらいに強くなりたい。
 どうしてそう考えたのか、理由は自分自身でも判然としない。召使という身分である以上、強くなることは必須事項ではもちろんなかったが、リン女王が即位した瞬間に、なんとなく強くならなければならないような気がしたのだ。だから、すぐに黄の国一の騎士であるメイコに指導を申し出たのである。突然の申し出にメイコは多少の戸惑いを見せていたが、それでも快く応じてくれた。
 ただ、それでもそこは騎士メイコ。そうそう楽な鍛練であるはずがなく、何度も練習用の木刀で打ちつけられ、何度も地に伏せた。だが最近は強くなったのだろう、全く歯の立たなかったメイコ相手に数合だが打ち合えるようになってきている。
 今日はメイコ隊長に一本入れるんだ。
 レンはそう考え、もう一度素振りをしようと木刀を上段に構えたとき、ようやくレンの目的の人物が現れた。
「メイコ隊長、お待ちしておりました。」
 木刀を片手に持った赤い騎士の姿を目ざとく見つけると、レンはそのように声をかけた。その言葉に反応して、メイコが軽く右手を掲げながら詫びの言葉を告げる。
 「すまん、遅くなった。」
 「いえ、いつも無理をお願いしているのは僕のほうですから。」
 「そうか。」
 一言述べたメイコは木刀の素振りを始めた。何度か、木刀の感覚を確かめるように素振りをすると再びレンに向き直り、レンの強い視線に真正面から応えながらこう尋ねた。
 「多少は強くなったか?」
 「以前よりは。」
 レンは一言そう述べて、剣を構える。その構えに数か月前にはありありと存在していた隙はない。
 今日は勝つんだ。
自らを鼓舞するように心の奥でそう唱えたレンはじっとメイコを見据えた。
 余計な力を抜いた、綺麗としか表現できないメイコの構えに、レンは舌を巻く。
 ちえ、相変わらず隙のない人だな・・。
 沈黙。
 空気すら張り裂けない緊張が練兵場を包む。
 動かないと始まらない。スピードなら、メイコ隊長より、僕の方が上のはずだ。
 そう判断したレンは間合いを一息に詰め寄ると、下段から鋭い、迷いのない一撃をメイコに向かって振り上げる。その剣をメイコはワンステップ後退しながら避けると、右足を軸足に剣を横薙ぎに操作した。レンはその攻撃を自身の剣の腹で受け止める。重い衝撃がレンの両手首まで響いたが、軽いステップでメイコの剣の威力を減殺すると逆に袈裟切りに剣を振り下ろした。その剣をメイコは軽々しく受け止めてから、攻撃に転ずる。
 そして数合。
 練兵場全体に響くような剣の打ち合いの後、メイコはレンの攻撃に耐えられなくなったように半歩、後ろに下がった。
 今だ。
 レンはそう思い、思い切って踏み込み、上段から剣を振り下ろした。
 しかし、一瞬メイコの反応が速い。剣を振り上げた瞬間を狙っていたかのようにメイコはがら空きのレンの右胴に鋭い一撃を叩き込んだ。
 「うっ!」
 全身を揺さぶるような思い衝撃と痛みに耐えきれず、レンは思わず唸り、そして地面に膝をついた。
 「まだまだ。」
 微かな笑顔を見せたメイコがそう言ってレンを見下ろした。
 「ちぇ・・今日は勝てると思ったのですが。」
 悔しい、という気持ちを抑えるようにレンはそう言った。
 「そう思い悩むこともないだろう。確実に強くなっているぞ。」
 「そうだといいのですが。」
 まだ痛む右腹を左手で押さえながら、レンは立ち上がる。
 「私が言うのだ。間違いはないさ。」
 「なら、もっと強くなります。メイコ隊長より。」
 「そうするといい。また、明日相手をしてやる。」
 メイコはそう言い残すと練兵場から立ち去って行った。
 そうさ。
 去りゆくメイコに深々と一礼をしながら、レンは思った。
 僕は、リン女王を守れるくらいに強くならなきゃいけないんだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン② 【小説版悪ノ娘・白ノ娘】

第二弾です。
この個所はほとんど手直ししただけです。

閲覧数:694

投稿日:2010/02/14 21:38:18

文字数:5,985文字

カテゴリ:小説

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