グミナはヴェノマニアの屋敷を眺め、自分と幼馴染の先祖へ思いを馳せる。
 数百年も経ったのに何も変わっていない。帝国家は歴史に記された事を疑いもしないし、民は英雄の血を引いているのはベルゼニア家だと信じて疑わない。
 強い力を秘めていた事も、勇者の血を引いている事を知らなかった幼馴染は、悪魔と化して人間に殺されてしまった。
「もしも私が教えていたら、こんな事にはならなかったのかな……」
 時が来るまでは他言してはならない。その掟があったのは、漏洩した秘密が帝国の耳に入る事を恐れたからなのは分かる。
 だけど、その時とはいつの事を差すのだろう。機会を窺うのを言い訳にして現実から目を逸らしているだけではないのか。
 グラスレッド家は、幼馴染の彼を守ろうとしていなかった。自分はその事を知っていた癖に、停滞したしきたりを僅かでも変えられる境遇にいながら、気が付かないふりをして何もしなかった。
「最低だ。私」
 自己嫌悪が口をつく。悔やんでも死んだ人は生き返らない。後悔したって過去には戻れない。仕出かしてしまった事は取り返しが付かない。
「あの……、大丈夫ですか?」
 唐突に聞こえて来た少女の声。
「……え?」
 グミナは間の抜けた返事をしてしまう。思考だけに意識が向いていて、周りに気が回っていなかった。
 ここにはほとんど人が来ないはず。空耳かとも思ったが、すぐ傍から足音が聞こえる。いつの間にか俯いていた顔を上げると、数歩離れた場所から一人の人間が歩み寄って来ていた。
 歳は十代の中程。紺色の控えめな修道服に金髪碧眼が映える。
「普通の人はあまりここに来ない方が良いですよ。この場所は悪意が溜まっていますから」
 少女は丁寧で控えめな口調ではあるが、今すぐ立ち去るようグミナに勧めていた。
 グミナは訳知り顔で話す少女には見覚えがあった。屋敷から逃げる際の馬車で同席になった修道女。いくつか会話をした記憶がある。内容はほとんど覚えていないが、名前は頭の中に残っていた。
 幼い頃良く読んだ童話に竜が登場する物語があり、その竜と同じ名前であったお陰で印象が強かったのだ。
「リンド=ブルムさん?」
 少女は呼びかけに怪訝な顔をしつつも頷く。名前が間違っていなかった事に安心し、グミナはリンドに名乗る。
「グミナ=グラスレッドです。ここから逃げる時に馬車が一緒でした。……覚えていますか?」
 被害者に事件の話はあまりしたくないが、他に共通するものがない。リンドは記憶を探るように視線を上に向け、少々間を置いてから声を上げた。
「ああ、あの時の! 思い出しました」
 得心が行ったのか、表情を明るくして手を叩く。とりあえず忘れられていなかった事にグミナは胸を撫で下ろす。
「グミナさんが乗った直後に馬車が走り出して……」
 あの事件について話をしても問題はなさそうだ。そもそも、ほとんどの人が避けるようになった元ヴェノマニア屋敷に来ている時点で、リンドへの心配は不要だったかもしれない。
「……って、世間話をしに来た訳ではないんです」
 リンドは我に返り、引き締めた顔をグミナに見せる。
「さっきも言った通りここには悪意が……、怒りや妬み、悲しみと言った負の感情が溜まっています。早く帰った方が賢明です」
 来ない方が良いと人には勧めているのにも関わらず、リンドは屋敷跡へ足を運んでいる。何かがおかしい。
「そう言うリンドさんはどうしてここに?」
 グミナは何気なく問いかける。わざわざここに来る人に注意するだけに来たとは思えないと含めた質問に、リンドは一度息を詰まらせ、目を泳がせながら答えた。
「私は、その、個人的な用事で。……ほら! 私これでも修道女なので迷える魂に少しでも安らぎを与えたいと言うか! 犯人とは言え亡くなった方に花の一つも供えられてないのはどうかと思いますし! 別にこっそり来たとか言う訳では!」
 頬を赤くして早口でまくし立てる。手に小さな花束を持っているのでまるっきり嘘ではないだろうが、誤魔化すのが下手過ぎる。しかも自分で墓穴を掘っているのに気が付いていない。
 今時珍しい純情な相手をからかってみたくなり、グミナははっきりと言う。
「つまり、リンドさんは誰にも内緒でここに来たと」
 慣れないながらも必死で誤魔化していたリンドが瞬時に硬直する。
「……はい、そうです。こっそりここに来ました……。他に人がいるとは全然思いませんでした……」
 恥ずかしさで俯いてしまったが、素直に白状する辺りは流石修道女と言った所か。グミナが笑いを噛み殺していると、リンドは不服な顔で訴える。
「花を供えに来たのも本当ですよ」
「分かっています。私もですから」
 グミナはすみませんと軽く謝り、屋敷の玄関があった場所を指差す。
 自分の他には彼を悼む者はいないのではと考えていた。ましてや、被害者の誰かが花を供えに来るなど思わず、リンドが来てくれた事が嬉しかったのだ。
「他の人に知られたくないのはお互い様でしょう?」
 気にする必要はないと笑って言うと、リンドは会釈して玄関に近づき、グミナが置いた花の隣に花束を置いて祈りを捧げる。
「どうして皆、悪魔って理由だけで差別するんでしょうね」
 リンドは祈りを終えて立ち上がり、意味深な言葉を言う。ヴェノマニアを憎んでいる訳でも憐れんでいるのでもなく、どうして周りはそう考えるのかを疑問に感じているような口調だった。
「それは……」
 グミナが口を開くが、適切な言い方が思い浮かばず言い淀む。リンドはグミナに向き直り、寂しげな笑みを浮かべて語る。
「仕方がないのは分かっています。人間は得体の知れないもの、自分が理解出来ないものに恐怖を抱き、歩み寄るのを怖がらずにはいられない。……それが、自分達と違う種族や大きすぎる力であれば尚更です」
 グミナは頷かざるを得ない。実際、自分は変わり果てた幼馴染を見て怖れを感じ、その場から逃げ出そうかとも考えた。彼の味方でいたかったのに、彼の変化を受け入れられず僅かでも否定してしまったのだ。
 リンドは達観したように話を続ける。
「怖がる事や理解出来ない事を悪いとは思いません。……大切なのは、理解出来ない事を理解して、その上でどうするかを考える事だと思うんです」
 リンドの考えはおそらく正しい。しかし、グミナはそれを素直に認めるのを拒み、嫌味を言ってしまう。
「……綺麗事ですね」
 言葉を口にして、グミナ再び自己嫌悪に陥る。
 いつから自分はこんな風になってしまったのだろう。リンドが言っている事は人間が目指す理想なのは間違いないのに、それを素直に受け止める事が出来なくて否定してしまう。
 グミナの返事を分かっていたのか、リンドは暗い表情をする事もなく言い切る。
「ええ、綺麗事です。でも、私はこの考えを変えるつもりはありません」
 笑顔で告げたリンドに釣られ、グミナは思わず笑みを浮かべた。
「そこまで言われると、かえって気分が良いですね」
 上辺を取り繕う司祭などよりもずっと聖職者らしく、まるで天使のようだと冗談半分で言うと、リンドは顔を真っ赤にする。
「別に私はそんなつもりじゃなくて……、そうだ! この屋敷にいた時、黒い服で金髪の男の子がいたのを覚えていませんか!?」
 リンドは話題を変えようと再び早口でまくし立てる。そこまで恥ずかしがらなくてもと思いながら、グミナは屋敷にいた時の事を頭から引っ張りだす。
 幼馴染と会ってから屋敷を逃げ出すまでの記憶は酷く曖昧だ。夢を見ていたかのようにぼやけてしまっているせいで、リンドが言った男の子がいたかどうか自信がない。
 言われてみればいたような気がする。グミナが伝えると、リンドはやっぱりそうですかと返した。
「私もあの時の事はよく覚えていないんです。だから勘違いかもしれなくて」
 気落ちしたリンドの様子に、グミナは内心首を傾げる。
 どうして事件の犯人であるヴェノマニアではなく、いたかどうかも分からない人物の事を聞いたのか。その事を尋ねると、リンドは顔を引き締めて雰囲気を固くした。しばし考えた後、覚悟を決めたように口を開いた。
「私、小さい頃に悪魔と会った事があるんです」
 他の人には秘密にして欲しいと頼み、リンドは話を続ける。
 悪魔の見た目は背中に羽が生えている以外は人間と大して変わらず、今のリンドと同じ歳頃の少年であったらしい。
 初めは相手が人ではない事に驚いたものの、リンドは何故か怖いと感じなかった。むしろ、自分と同じ色の髪を持つ悪魔に親近感を持って話しかけに行き、いくつか会話をしたと言う。
 悪魔と出会った事は秘密にしなくてはいけない。リンドはそれを誰に教えられる訳でも無く感じ取っていた為、親にも友達にも言わなかった。しかし、どこからどう分かったのかある日父にばれてしまい、母と共に家を出て修道院で暮らすよう決められてしまった。

「要は体良く家を追い出されたんです。悪魔と関わりを持った娘なんて人間じゃないとか言って」
 馬鹿馬鹿しいにも程があるとリンドは怒りを見せ、あんな事を平気で言う人間から離れられて良かったとまで語る。
 グミナは同意する訳にも否定する訳にもいかず、どうすればいいのかと考える。言葉を選んでいる最中、リンドがぽつりと悪態をついた。
「……王族があれじゃ先は暗いよ」
「王族?」
 リンドははっと我に返り、聞こえちゃいましたかと苦笑する。今更隠し事をしても仕方がないと開き直り、自身の出自を告げる。
「リンド=ベルゼニア。それが私の本名です。尤も、ベルゼニア帝国第四王女の存在はとっくに無かった事にされていますけどね」
 帝国家には何の未練もない。頼まれたって戻りたくないとリンドは話す。
「よく無事でしたね……」
 驚いたグミナは思ったままを口にする。骨肉の争いが当たり前であり、邪魔な者は消すのが当然になっている支配者層。その中でも最上位の王族で殺されずに済んだとは。
「私の母は、何人もいる妃の中でも権力がないに等しい人だったんです。追放された時の私はまだ小さかったですし、生かしておいでも問題はないと判断されたんだと思います」
 ブルムの姓は王室を追い出された後に母が付けたもので、大好きな童話からとった名前だとリンドは笑う。
「ここに来たのは、もしかしたら悪魔に会えるかもって思ったからなんです」
 確率は低い。無いと言った方が正しいのかもしれない。それ以前に、ヴェノマニア屋敷に金髪の悪魔がいたかどうかも怪しく、いたとしても本人かどうかは分からない。
 それでも構わないとリンドは言う。会えなくても違っていても、小さい頃の思い出は変わらない。本来ならあり得なかった出会いに感謝をして、心に残しておけば良い。
「リンドさんのような人がベルゼニア家にいたんですね……」
 もっと早く会いたかったとグミナは漏らす。勇者の血を引く選ばれし者だと自惚れて、周りの事を見ようともしない。それがいかに愚かであるかを考えようともしない帝国家から、どこをどうしたらこんな素晴らしい人間が生まれるのだろう。突然変異としか思えない。
 異端扱いされる程高潔な精神を持つリンドになら、伝説の真実を教えても大丈夫かもしれない。悪魔に偏見を持たない彼女にこそ、幼馴染の事を伝えたい。
「この国の伝説に、似て非なる話があるのを知っていますか?」
 グミナが念の為に確認すると、リンドは首を横に振る。
「いいえ。全く。そんなのが存在するんですか?」
 どうやら興味を持ってくれたようで、好奇心を持った顔と声で返してくれた。彼女に話しても問題はないと確信して、グミナは静かに語り出す。

 世界を救った真の勇者の物語と、人間から悪魔となった公爵の話を。







「つまんねぇなぁ……」
 ベルゼニア帝国内のとある大きな街。人々が行き交い活気にあふれた道を、退屈そうな表情で歩く金髪の少年がいた。
 黒い服を着た少年は周りの人間に目は向けるものの、すぐに視線を前に戻す。
「あーあ。これからどうするかな」
 ぼやいたのは、ヴェノマニア公と契約を交わした悪魔。尖った耳は髪で隠され、出し入れ自由な羽は仕舞われている。
 人間としてのヴェノマニアが死んだ時点で契約は終わり、今では退屈しのぎで人間界をふらついているだけである。
「ベルゼニアの馬鹿さ加減には飽きたし」
 悪魔を退けた人間の事を伝えないばかりか、自分達の手で真の勇者であるヴェノマニア家の血を絶やしてしまうとは。
 この世界であれほどの魔力を持った者が生まれる事はもう無いだろう。万が一ヴェノマニアが悪魔としてベルゼニアを襲ったとしても、帝国は文句を言える立場ではない。
「この前のガキは見付からねぇし」
 長い時を生きる悪魔にとっては、十年二十年など一瞬である。
 だから、金髪の悪魔は気付いていなかった。
 以前会った子どもが成長して修道女になり、ヴェノマニア屋敷で再会していた事に。

 悪魔は賑う街を後にして、誰もいない平原で羽を露わにする。別に街中で羽を出しても構わないのだが、周りの人間が騒ぐのが非常に面倒臭い。
「ま、気が向いた時にでも探せばいいだろう」
 この世界に訪れる度に波風を立てて来た悪魔は、誰に見られる事もなく姿を消した。

 FIN

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

二人の悪魔 11

 すっきりしない終わり方ですが、この話はこれでおしまいです。

 バッドエンドにする。あまり救いの無い終わり方にしようと決めていたせいか、話がどんどん暗くなる事に……。レンの無茶っぷりは書いていて楽しかったですが。

 本文でも触れられている『リンドブルム』は、ドイツに伝わる伝説の竜の事です(ウィキ調べ)
 名前の元ネタがきっとこれなんだろうと勝手に思って使いました。

閲覧数:431

投稿日:2011/12/03 22:35:49

文字数:5,467文字

カテゴリ:小説

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  • 目白皐月

    目白皐月

    ご意見・ご感想

     こんにちは、目白皐月です。
     完結おめでとうございます。

     ゲームのラスボスといえば、難易度が適当なせいで二ターンで死んでくれた奴がいました……。
    まあ、戦闘全体が大味なゲームでしたし、ロマサガみたいなひたすら苦労する戦闘は好きじゃないので、その辺はいいんですが。正直「戦闘が面白い」という感覚、よくわからないんです。
     ラスボスじゃなくて中ボスなんですが、バーサク(いやこういう名前じゃなかったですが、効果はそんな感じ)かけると勝手に自滅する奴ってのもいました。製作サイド側のチェック忘れだったのかもしれません。

     で、なんというか……すっきりしない、というより「すっきりしなすぎる」話だなと思いました。
    当初「勇者は特別な存在ではない」と書かれているのに、後になって、ヴェノマニアの血筋が特別であることが出てきたりとか。なんとなくそういった細かいところのせいで、ピントがボケてしまったような印象があります。
     私は『ミレニアム』とか『デクスター』とかが好きなので、この手の話を楽しむには感性がひねくれすぎているのかもしれません。自分では書けないのですが。

     毎回毎回微妙なコメントばかり寄せてしまって申し訳ありません。でも、matatab1さんの話がつまらないと思っているわけではないんです。

    2011/12/06 00:15:41

    • matatab1

      matatab1

       どうも。毎度メッセージありがとうございます。

       私はリアルタイム戦闘で十秒もいらなかったラスボスを知っています……。弱い弱いと聞いてましたがそこまでとは思わず、一瞬呆気にとられた後に爆笑しました。

       ヴェノマニア家についてはもっと早めに、分かりやすくやっておけば良かったかなと反省しています。伏線は張っていたつもりだったのですが……。難しいです。
       真に英雄と呼ばれるべき人が英雄を求める人達に認められない、それどころか排斥されると言う皮肉をやりたくてああしました。
       
      『勇者は特別な存在じゃない』は、これまた『ワイルドアームズ』から。王道だけど色んなお約束事が潰してある所が好きです。

       気軽に読んでもらえればいいかなと思っているので、あまり深い事を気にしなくても大丈夫ですよ。 

      2011/12/06 22:13:32

  • レイジ

    レイジ

    その他

    ご無沙汰しています。

    読ませていただきました。面白かった!
    実は密かに最終話待ちわびていたクチですがw

    背景にある物語(悪魔の伝説やら、リンドの話やら)が世界観をうまく深堀して際立たせていましたね。
    本当の悪魔は誰か。
    そんなテーマを感じました。

    ではでは、執筆お疲れ様でした♫

    2011/12/04 11:45:31

    • matatab1

      matatab1

       コメントありがとうございます!
       
       お待たせしてすみません。一つ前の第十話はとっくに書き上がってはいたのですが、一気に最後までいきたいなと考えて、かなり間隔があってからの二話まとめて投稿にしました。
       
       悪魔の伝説については、ゲームで良く出てくる話や設定を元にしています。人様の家に無断で入ってタンスを開けようが、ツボの中から小銭を拾おうが、御伽話の勇者は清廉潔白になります(笑)
       現代では英雄と呼ばれて崇められているけど、当の本人はそう扱われるのなんか望んでいなくて、ただ普通に生きていたかったとか。

      『本当の悪魔は誰か』は少し意識して書いていた部分でもあるので、感じ取ってもらえて嬉しいです。

      2011/12/04 17:44:01

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