気づかれなければ僕の勝ち。
<王国の薔薇.15>
「・・・さむ」
一人牢に放り込まれた僕は、僅かに身を震わせた。
身につけているのはぼろぼろに汚れたドレスだ。結局彼等は捕まえた『王女』に囚人服を与えることもしなかった。
面倒だったのか、用も無く王女に構う気がしないのか・・・なんにせよ、下手に飾り気の無い服なんて渡されなくてよかった。
でも結局『王女』がどんな処遇を受けることになるかは聞かされていない。
もしも処刑になるならば早くしてもらわないと困る。望ましいのは今日明日に刑が執行されることだ。
何ヶ月も騙しおおすことはできない。
段々、それこそ日毎にリンから離れていく僕の外見。
それを考えれば、出来るだけ早く決着をつけてもらわないと困る。・・・なんて、僕の事情で動いてもらえる訳じゃないけれど。
ふと、耳が扉に近づいてくる足音を拾った。二人か三人。複数だけど、大人数じゃない。
こちらに向かって来ているならば、目的は『王女』だろう。
心の準備をする。
僕は―――『私』は、『王女』。その矜持を忘れてはならない。
案の定、足音は牢のある部屋の前で止まった。
微かに軋みながら開く扉。
現れたのは。
「―――あら、カイトさん!会いに来てくれたのね!失礼な女を連れているのは目障りだけど、嬉しいわ」
微かに表情を引き攣らせたカイトさんと、冷静な顔付きのメイコさんだった。
リンとの会話を切り上げた僕が玉座に腰を下ろしてからそう時間もおかず、彼等は謁見の間に攻め入って来た。
扉を壊され、なだれ込んでくる足音と怒号。かなり五月蝿かったけれど、まるで他人事のようだった。怖くもなければ怒りもなく、僕はただ広間に人が溢れ返るのを眺めていただけだった。
殺気立った人達の先頭に立っていたのは赤い鎧を纏った女性、メイコ元騎士団隊長。
そしてその後ろで、僕の顔を見て微かに目を見開いたのは―――カイトさん。
それを確かめて『私』は目を輝かせた。
『カイトさん!嬉しいわ、やっと私の元に来てくれたのね!』
両手を握りしめて、立ち上がる。
カイトさんの表情が驚愕から困惑に変わるのを確かめ、内心で、よし、と呟く。
どこかでカイトさんに会うことは可能性の一つとして考えていた。
カイトさんは『レン』を知っている。だから目の前に同じ顔が現れれば驚き、疑問に思うに違いなかった。
最悪、その疑問を追求されれば正体はばれる。
だったら僕に出来るのは王女に成り切ることだけだった。
王女の顔で王女の声で王女の思考で。可能な限り、彼女に成り切る。
勝算もあった。
カイトさんの傷を邪気なく見せながら刔ってやれば、彼は逆上するだろう。
『あの身の程知らずの女がいなくなったからようやく目が覚めたのね!良かったわ、早めに処分しておいて』
『―――処分!?』
『駆除、の方が正しいかしら。あんな溝ネズミだもの』
『ふざけるな!』
『カイト!抑えて』
読み通りいとも簡単に怒りを溢れさせるカイトさん。
その目にはもはや疑念は存在していない。
『リン王女、貴女の負けね。今度は貴女が、人々の苦しみの深さを身を以って知る番よ』
言いながら近づいて来たメイコさんが右腕を掴む。
反射的に、その手を振り払った。
『気安く触らないで頂戴!―――この、無礼者!』
一瞬、メイコさんの中で怒りが膨らんだのが分かった。
でも流石と言うべきか、すぐに自制を働かせて怒りが鎮火される。
改めて、右手が掴まれた。
『来てもらうわ』
有無を言わせないその力に、僕は眉をしかめた。
抵抗らしい抵抗はしなかった。
する必要なんてなかったから。
牢に放り込まれてから半日程は拍子抜けするほどに誰も来なかった。勿論、この二人も。
だから何事かとも思う。
「それで、用件はなあに?」
「単刀直入に言うわ。貴女は明日、昼の三時に公開処刑に付されます。貴女自身が据え付けさせた断頭台での処刑よ」
「あらそう。それだけ?」
「・・・ええ」
「何よ、それだけの用事で私の時間を割かせたの?もう少しろくな伝達事項を考えて伝えて頂戴」
軽薄に言い捨てる。
案の定メイコさんとカイトさんは怪訝な顔をした。
「怖くないの?」
なんて陳腐な質問。
僕は半分素で答えた。
「私が恐れるに値するものなんて、この世には無いわ」
恐れるのはただ一つ、気付かれてしまう事だけ。
でも実際、それ以外に怖いものなんて無い。この世界にも、いっそ面白い位に未練がなかった。
ふとその時、静かに控えていたカイトさんが口を開いた。
「リン王女」
「何かしら、カイトさん」
ぐっと彼は唇を噛む。
「・・・貴女に言いたいことは沢山あった筈だった」
青い瞳が一瞬床を見つめる。
「でも、沢山ありすぎて全てを言い尽くすことは出来ない」
声が微妙な響きを孕む。
―――ああ。
僕は微かに目を細めた。
その気持ち、分からないでもない。
人間って、感情の許容量を超えると思考回路が上手く回らなくなるものだよね。
「俺は、許さない。本当ならこの手で殺してやりたい。でも貴女は圧政の象徴として皆の目の前で断罪されるべきだ」
強い瞳が僕の目を捕らえる。
カイトさん。僕は貴方に謝りたかった。
許されることではなくても、誠意を示したかった。
そして、貴方に許して貰うことで、この手で殺したミクさんにもまた許して貰いたかった。
―――でもそれは、飽くまで『レン』の意志。
残念だけれど、今の僕は『王女』なんだ。
だから貴方に謝ることも許しを乞うことも無い。ただ、傲慢な優雅さを以って返すだけだ。
「・・・貴方も私を憎む人の一人なのね。興が削げたわ。もう顔を見せないで頂戴」
「言われなくても、次に会うのは処刑の時だ」
「二度と顔を見せるな、と言ったのよ」
「貴女が決められることではない」
「なんですって!」
静かな部屋の中で僕の叫びだけが響く。
しんとした静寂に余韻までもが吸い込まれてから、再びメイコさんが口を開いた。
「では王女、私達はこれで。最期の夜よ、ゆっくり過ごしたら良いわ」
その言葉を合図にするように、彼等は僕に背を向けて部屋を出た。
カイトさんも、振り返らずに部屋を出て行った。
足音が遠ざかるのを確かめて、やっと安堵の溜息をつく。
彼等が傍にいては、ろくに深呼吸もできない。
・・・良かった。明日三時、割と理想的な日時だ。
実は、早く刑が執行される事はそんなに疑っていなかった。死刑になることもまたしかり。
リンの言葉は正しい。結局この世は多数決、力がある多数派の意見が採用される。
そして、革命軍で最も力を持つ多数決となるのは怒れる群集だ。
彼等は怒りのままに望むだろう―――王女の死を。
そして王女は語り継がれる。
かつてこの国に君臨した、我が儘で残酷な支配者として。
少し前ならその汚名すら雪ごうと思っただろう。
でもいい。
語り継がれる『王女』は、リンじゃない。
名前こそ『リン王女』であっても、それは結局僕なんだから。
(カイトさん、メイコさん、そして立ち上がった皆)
心の中で呼びかける。
けして口には出さない、懺悔の言葉。
(ごめんなさい。僕は貴方達までも欺きます)
彼らは『王女』を処刑するだろう。
少なくとも、そう信じて断頭台を見守るはずだ。
でもそこに立つのは、彼等が憎んでやまない『王女』じゃない。
何食わぬ顔で悪の王女を逃がした、ただの召使なのだ。
これは果たして喜劇か悲劇か。
少なくとも僕にとっては、悲劇ではなかった。
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