「……」
「……」

歌い終え、プレーヤーの電源を落とすと、息苦しいほどの無音が辺りを包んだ。完全防音のレッスン室に響くのは二人分の呼吸。あたしと、彼の呼吸だけ。息と心を整える。いつになく難しそうな顔をした彼がうーんと唸り声を上げた。
「…遠慮しないで、言って」
「……」
「頼んだのはあたしだもん、隠さないで思ったことを言ってほしい」
「……」
「…カイト」
強く名前を呼ぶと、カイトは眉間に皺が寄った表情から眉尻を下げた表情へ変わり、情けなくあたしを見つめる。
妹弟だけでなく、隣人であるあたしやグミにも優しいカイトのことだ。心にある言葉を包むオブラートを探しているのだろうが、それは必要ない。そんなものいらない。あたしは、そのままの言葉が欲しい。あたしの殻や固定観念をぐっちゃぐちゃにぶっ壊すような言葉が。だから、あたしは彼を選んだのだ。
「…じゃあ、はっきり言うけど」
「…うん」
「今のリリィちゃんの歌は、めーちゃんの模倣だ」
「……」
「技術はあっても、個性がない。…『心』がない」
「……」
「君がこの歌を歌う意味が、俺には伝わってこないんだ」
深い青の瞳に問われて、視線を下げる。何も言い返せなかった。

ああ。
きっとあの人も、そう思ったのだろう。
『模倣』。『個性がない』。『心がない』。
それは、ボーカロイドとして最低の評価だ。
歌を歌うために生まれたのに、あたしはあの人の望む歌を歌うことが出来なかった。
レコーディングの延期を告げてスタジオを出て行く背中はあまりに遠くて、引き止めようと手を伸ばすことすら許されていないような気がした。





新曲がメイコのカバーだとマスターから告げられたのは、一週間前のこと。
メイコの曲として十分にユーザーの指示を得ていた曲を、アレンジを変え歌い手を替え別の角度からアプローチしたい、とマスターは言った。
マスターの指先から再生が始まった瞬間、イントロの音の渦に飲み込まれる。例えるなら、聞いた瞬間放り出された音の宇宙。そこから、力強い歌声が星座を作っていくような。数年前、まだ一人きりの歌姫だったメイコのために作ったというその曲はあっという間にあたしを虜にして、心をかっさらっていった。
『レコーディングの時はもう少しロック寄りのアレンジにするつもりだ』
『……』
『…やれるか?リリィ』
『…はい、やってみます』
やってみます、という言葉以外に選択肢はなかった。他でもないメイコのために作った曲だ。マスターの思い入れがどれ程か想像に難くない。けれど、マスターがあたしの声を望んでくれるなら、あたしを見てくれるなら。
ーーいくらでも、その恩恵に預かったって構わないと思った。

その日から、あたしはその曲を気が狂うほど聞き続けた。
メロディの気持ちよさは勿論、メイコの歌声がこの歌の魅力を最大限に引き立てている。メイコじゃなければきっと歌いこなせなかっただろう。ブレスの位置、ビブラートの長さ、高音低音のタイミング、歌詞の乗せ方、メイコの声の癖…。すべてを自分のものにするまで他の音を遮断して生活をした。メイコの声だけを聞いて、メイコの背中だけを追い続けた数日間。まるで恋焦がれているような気持ちだった。

どうしたら、こんな風になれる?
どうしたら、マスターに喜んでもらえる?
どうしたら。どうしたらどうしたらどうしたら。


そんなことばかり考えて、迎えたレコーディングの初日。それが、今日だった。
結果は、ご覧の通り。
惨敗。
マスターは最後、あたしの方を見もしないでスタジオから出て行った。
あたしの何が足りなかったのか。数えきれないほど聞き込んで、体に刻み込んだはずなのに。メイコの歌を、完璧に歌えるようになったはずだったのに。あたしの歌では、到底メイコに追いつけなということなのか。
考えても考えても答えは出なくて、あたしはカイトを訪ねた。メイコの恋人の彼なら、あたしに何が足りないのかきっと教えてくれるはずだと思ったから。
ねぇ、どうしたら。

(どうしたら、あたしはメイコになれる?)





「…ない」
しばらくの沈黙のあと、あたしは口を開く。え、と聞き返す彼の瞳をまっすぐに見返して、叫んだ。
「…だって、仕方ないじゃない!」
「……」
「あたしは!メイコになりたいんだもん!」
そう。そうだ。あたしは、彼女に憧れた。彼女みたいに歌えばきっとマスターも喜んでくれると思って、何度も何度もリピートしたのだ。模倣。コピー。望むところだ。あたしはそれを目指したのだから。
「あれはメイコの歌だもの!メイコみたいに歌えばマスターは喜んでくれるじゃない!」
「……」
「メイコみたいに歌えば、マスターはあたしを見てくれるかもしれないじゃない!」
箍が外れた感情は理性と涙腺を決壊して涙を溢れさせた。泣くつもりなんかないのに、勝手に熱いものがこみ上げてくる。吐き出すような言葉につられて嗚咽が漏れた。
「なんでよ!どうしていけないの!メイコみたいに、メイコになりたいって思ったらいけないの!」
「……」
「ねぇ、じゃあどうすればいいのよ!」
「…リリィちゃ…」
「ねえ!教えてよ!どうしたらいいの!どうしたらいいのよっ…!」
ひどい八つ当たりだと自分でも理解していた。カイトはあたしに頼まれて歌を聞いて、思ったことを言っただけなのに。こんな風にわめかれて泣かれて。なんて気の毒なんだろう。
膝の力が抜けてずるずると床にへたり込む。四方が鏡のレッスン室はどこを見ても自分の姿が映って、あたしは最高潮に情けない顔をしていた。



「…リリィちゃん」
おそるおそる顔を上げると、そっとあたしの前にしゃがみ込んだカイトが優しくあたしを覗き込んでいる。深い青。アニキの紫ともグミの黄緑とも違う、落ち着いた色。
「リリィちゃんは、めーちゃんになりたいの?」
「……」
声を出すとまた感情が昂りそうだったから、ただ黙って頷く。
すると、カイトが静かにあたしにとどめを刺した。
「…君は、めーちゃんにはなれない」
「……」
「だって、めーちゃんはこの世界にたった一人だ。いくら彼女を真似たって、それは模倣でしかない」
「……」
「そうだろう?」
決してあたしではメイコには追いつかない。メイコにはなれない。マスターに、見てもらえない。
突きつけられた事実が、膝だけでなく全身から力を奪って行く。
本当は、分かっていた。あたしでは無理なのだ。あたしがメイコになろうなんて、メイコになって、マスターに喜んでもらおうだなんて、行き過ぎた願いで。それでも、あたしは。
止まっていたはずの涙が一粒ぽたりと落ちて、レッスン室の床にシミを作った。

「でもね」
ぽん、と頭に優しい感触を感じたのは、そんな時だ。
ふと顔を上げると、優しく微笑んだカイトがあたしを見つめている。
「君だって同じなんだよ、リリィちゃん」
「…え…?」
「君だって、世界にたった一人。誰が君の真似をしたって、それは模倣だ。君には決してなれない」
「……」
「そうだろう?」
そう言って、カイトはプレーヤーを再生する。
やがて流れ始めたのは、さっきあたしが歌ったアレンジ版ではない。幾度も繰り返し聞いたメイコのオリジナル版だ。

「この歌ね、ものすごい苦労したんだって」
「…誰が?」
「めーちゃん。って言っても、俺も生まれてなかったから、彼女から話を聞いただけなんだけど」
少し長めのイントロのあと、メイコの力強い歌声が乗る。導かれるような、音楽の宇宙。まさにメイコのために作られた歌なのに。
「それまでね、めーちゃんの歌ってアイドルポップスが多かったんだ。まあマスターの趣味なんだけどさ」
「……」
「で、これが、初めてその路線から抜け出した歌なんだ。めーちゃんもマスターも、初めての試みだったんだって」
「……」
「マスター、この歌作るのに三ヶ月掛かったって言ってた。で、めーちゃんも練習してレコーディングするのに相当時間が必要で、あーだこーだ話し合って、結局半年掛かったって言ってたかな」
半年。俄には信じられなかった。マスターは仕事が速い。ボーカロイドが14人になった今、大体ひと月に2本のペースで新曲を皆に下ろしている。まだボーカロイドがメイコ一人だったとはいえ、一曲に半年も費やすなんて、どれだけこの歌に力を入れていたか。
「試行錯誤してようやく完成して、めーちゃんのファンは爆発的に増えた。新境地開拓!なんて煽りまでついたらしいよ」
「…じゃあ、マスターが怒るのも当然だね」
「どうして?」
「…だって、そんな大切な歌を、あたしが汚したんだもん。メイコとマスターの絆の歌を、あたしが」

メイコに追いつけもしないあたしが、メイコの真似をして。
マスターは、きっとあたしを軽蔑した。もう二度とあたしを使ってもらえないかもしれない。そう思うとまたじわりと涙が込み上げる。

すると、カイトが音もなくプレーヤーに手を伸ばした。
一瞬のノイズのあと、流れたのはあたしが歌うはずだったアレンジ版。オリジナル版よりもドラムやギターの生楽器の音を増やした、ロック寄りの編曲。
「…どうして、マスターがリリィちゃんにこのカバーを任せたか、分かる?」
「……」
「リリィちゃんなら、出来ると思ったからだよ」
「…あたしなら…?」
首を傾げるあたしに、カイトが微笑む。
「知ってた?本当はこの歌、こっちがオリジナル版なんだ」
「…え?」
「アイドルポップスを離れて、ロックを歌わせたかったんだって。けど、二人ともまだまだ駆け出しで、なかなかうまく行かなくて、トランスにしたらしい」
「……」
「思い入れのある曲だからこそ、マスターはもう一度挑戦したかったんじゃないかな。今度は、リリィちゃんと一緒に」
「…あたし、と…?」
「リリィちゃんじゃなくたって、女声ボーカロイドはたくさんいる。うちの妹たちも、グミちゃんも、ミキちゃんやユキちゃんやいろはちゃんも」
「……」
「でも、マスターは君を選んだ。それがもう、答えじゃないか」
「……」
「マスターは、君の歌が聞きたいんだ。めーちゃんの真似じゃなくて、君だけの歌が」


――あたしの、歌。
頭の中で、光が弾けた。散った欠片がきらきらと舞い散って、あたしの中に降り積もる。

『やれるか、リリィ』
あの人はそう尋ねた。
その質問の意図を、あたしは履き違えていたのだ。
メイコのように歌えばきっとマスターは喜んでくれるとばかり思っていた。

でもそうじゃない。マスターは、あたしの歌を望んでくれた。あたし自身を望んでくれた。
メイコじゃなくていい。あたしでいいのだ。
それはなんて光栄で、なんて甘美な幸福。

彼の気持ちに応えるのは、あたしの歌。メイコじゃなくて、あたしだけの歌。



「…ねぇ、カイト」
「ん?」
「もう一回、聞いてくれる?」
「なにを?」
「…あたしの、歌」
「うん、勿論」

その言葉を聞いて、あたしは立ち上がる。まっすぐに鏡に写る自分を見つめ、呼吸を整えた。
メイコみたいになりたい。メイコみたいなボーカロイドに、マスターにとって特別な存在に。
今だって、その気持ちに変わりはない。けど。
あたしは、あたしの歌を歌って、メイコに追いつきたい。その場所に行くことは出来なくたって、いつかは隣に行くことは出来るかもしれないから。

プレーヤーを操作して、もう一度イントロを流す。
力強いドラムの音、重厚なベースの音、情熱的なギターの音。頭の中でカウントをとって、肺に目一杯の空気を吸い込んだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【マス←リリ】ひかりのかけら【カイメイ】

ティンと来た 原稿合間に ティンと来た (心の俳句)

リリィ可愛いよリリィ!
見た目ギャルで喋り方もタメ口なのに、家事が得意で世話女房タイプで、努力家ででもそれを誰にも見せたがらない意地っ張りな女の子とか…すごく…俺得です…
需要がないって分かってる、けど書いてみたかったので衝動に身を任せてみましたすみませんスライディング土下座(ズシャァ

!ご注意!
・自分設定のリリィとマスターです。
・マスター←リリィです。結ばれないと分かってる片思い萌え。
・当然のごとくカイメイですがめーちゃんは出てきません
・リリィはめーちゃんに憧れてるといいなっていう願望

インスパイア元はshu-tPのこちらの名曲。アレンジ云々とか音楽用語について突っ込まれたら土下座するしかないほどのクオリティ。
めーちゃん
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11765094
リリィ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11771930
おkの方のみどうぞ!

閲覧数:353

投稿日:2011/09/22 16:41:22

文字数:4,742文字

カテゴリ:小説

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