それからというもの、ハクとミクは頻繁に会うようになった。毎日二人で山菜を取りに行った。放棄された畑を見つけ、二人で耕した。そうしてできた小さな畑で、いろいろな野菜を育てた。数日に一度は、二人で畑に行き丁寧に手入れをした。それはみんなハクにとって初めてのことだった。
ある夏の日、ハクはいつものように千年樹の木の下でミクを待っていた。今日も畑に行くためだった。
森林特有の優しい風が吹き、ハクの銀の髪を揺らす。
あの春の日、ミクに髪がきれいだと言われた時、苦しさと悔しさ、怒りと同時に、喜びを感じていたことに、ハクはしばらくたってから気づいた。それ以来、その銀の髪は嫌いなものから好きなものへと変わった。頭に巻かれていたスカーフはとられ、髪は伸ばされていた。もう、肩甲骨を過ぎたあたりだろうか。
・・・・・・遅いなぁ。
どうしたんだろう、とつぶやいてハクは空を見た。夏の青い空に圧倒的なまでに光る太陽が浮かんでいる。
時計なんてものは持っていない。一瞬、暗い考えが頭をよぎる。まさか・・・・・・いや、そんな事は――。
「――ちゃーん」
聞きなれた声が聞こえた気がして、いつの間にか足もとに向いていた視線を前に戻す。木々の奥で左右に結ばれた髪が踊っていた。ミクが走ってきたのだった。
「ハクちゃーん」
手を振って走ってくるミクを見て、ハクは無意識に安堵し、思わず笑顔になる。
「そんなに走ったら――」
危ないよ、と言おうとした時に、
「ハークちゃああっとっとぉ!」
木の根をひっかけて倒れかけたミクは、しかしうまくバランスを取って、倒れずにすむ。一瞬の静寂のあと、目を合わせた二人は、どちらからともなく笑い始める。
「もう、大丈夫?」
「え、えへへ。。。うん。大丈夫」
少し恥ずかしげに笑ったミクは、
「そんな事よりさ、ハクちゃん。向こうの森で木切るんだ。そのあと。木植えるんだって私たちも行こっ」
「え・・・・・・でも私・・・」
「さっ」
ミクはハクの手をつかむと、
「レッツゴーっ」
と言ってハクを引っ張っていく。
「ミ、ミクちゃん!?私は――」
「大丈夫だって。私がついてるもん」
ハク達が着いた時、そこにはすでに20人ほど集まっていた。皆がみな、ハクを見るなり怪奇の視線を送る。やっぱりと思うと同時に、ハクは息苦しさを感じた。何で此処にいるんだ?というプレッシャーがハクを責める。
「こんにちはーっ!」
ミクは、そんな空気を一蹴するかのように、ことさら大きな声であいさつする。
「お友達も連れて来たの。人は多いほうがいいでしょ?」
あ・・・ああ、と周りの大人たちは生返事をしてまたチラリとハクを見る。それでも、ハクが居ることに異を唱える者はいなかった。そこには村を仕切っている年寄りはなく、比較的若いものばかりだったし、そして何より、人は多いほうがいいのは本当だった。
「んじゃ、始めますか」
誰かがそんなことを言った。
「おーし」
隣でミクが無邪気に力を込めるのを、ハクは羨ましげに見ていた。
伐採は、まず切る木の周りを片付けることから始まる。運ぶための道や岩の位置、斜面を考えて切り倒す方向を決める。どうしても邪魔な低木は切り、倒す場所を作っていった。
「うーし。いくぞー」
準備が整うと、村の男たち4人が全員で1mはありそうな巨大なのこぎりを使って木を切っていく。これが結構大変なようで、何度も切る人が変わっていった。わたしもやりたーい、とミクが言ったのでハクとミクもそれに混ぜてもらって懸命にのこぎりを引いた。とても大変だった。
「あ~じぃ~」
雲一つない夏の空の下、これだけ体を動かせば汗も溢れるように出るのは当然といえば当然のことだった。ミクは足を投げ出すように木陰に座り込みながら、手のひらで風を作っていた。さっきとはまた違う男4人がのこぎりを引いている。あと少しで切り倒せそうだった。
「あついねー」
「うん」
「おなかすいたなー」
「あ、サンドウィッチ、作ってきたよ」
「おーう。いただきまーす」
「はい、お水」
「おおーう」
ミクの隣に座ったハクから渡されて、ミクはサンドウィッチを片手に水筒の水を飲んだ。
「ぷはーっ」
「ミクちゃん、おやじくさいよ?」
「え?そう?」
この数か月で、ミクとはずいぶん話せるようになった。だが、他の村民とは以前から変わっていなかった。
もうすこしかな。
ミクはそんな風に思いながら視線をハクから前に戻す。ちょうど、木が倒れるところだった。
「お、おおお、おおーーっ!!」
ドシーン!
地面が揺れた。
「おーし、運ぶぞーっ」
誰かが叫んだ。
「おーっ!」
ミクが叫んだ。
「「おおーっ!」」
みんなが叫んだ。
「…おー」
少し遅れて、ハクも言った。
二人はお互いを見合って、そして笑った。
小さな丸太を下に敷いて、倒した大きな丸太を引いていく。みくとハクは下に敷いてある丸太を、後ろからとってどんどん前において行った。
「はいはい、ごめんよー」
「えっと・・・し、失礼します・・・」
「おいしょっとぉ。次ぃっ」
「えっと、はい」
「へっへーん。どんどん行くよ~」
「ま、待ってミクちゃん。・・・速すぎる」
「そら、姉ちゃんたち。もっと頑張れ」
どこかの男がそんなことを言ってきた。
「いっわれなくてもっ!」
ミクはさらにペースを上げた。
「ま・・・そんな・・・速いよぉっ」
「疲れたぁ~」
丸太を動かし終わって、ミクはへにゃへにゃとその場にしゃがみ込む。
「ちょっと頑張りすぎちゃったかなぁ・・・」
「が・・・・・・頑張りすぎだよ」
ハクは膝を手で押さえるようにして息を整えながらそう言って、
「でも・・・・・・・・・・・・楽しかった」
と笑う。
「そうでしょそうでしょ?」
ミクが身を乗り出すようにして嬉しそうに言った。
そんな、時だった。
「ねえ、あの子・・・・・・」
「・・・・・・の子?・・・」
「やだ。・・・・・・」
「何で・・・こんなところに・・・・・・」
夫に弁当を持ってきた村の女たちがハクたちを見てひそひそと話しあっていた。顔に表れていた笑顔が姿を消すのをハクは感じた。
「ハ、ハクちゃん・・・・・・」
「やっぱり。」
「・・・・・・」
「やっぱり私は、嫌われ者、なんだね・・・・・・っ」
「ハ、ハクちゃんっ。待って!」
森の奥に走っていくハクに、ミクは急いで立ち上がると
「おやっさんっ。ごめん、ちょっとリタイアでっ」
そう叫んで森に走って行った。
ハクは、千年樹を背に座り込んでいた。
「ハクちゃ――」
ハクを呼びかけたミクは、彼女が泣いていることに口をつぐんだ。罪悪感が胸を貫く。
「・・・・・・ごめんね、ハクちゃん」
気づけば、快晴だった空には雲が表れ始めている。
「おやっさんたちなら、大丈夫だと思ったんだけど…」
ごめんね、とミクは謝る。
「でも、私はここにいるから」
ずっと、ハクちゃんと一緒にいるから。
そう、ミクは囁くように言った。
「・・・・・・何で?」
ハクが、震えた声を口に出した。
「何で、そんなに、私に、こんな私にも優しいの・・・?」
「え・・・・・・?」
「ミクちゃん、は、みんなに好かれてるのに、私なんかと一緒にいるし・・・」
ハクは嗚咽交じりに声を吐き出す。
「な、何で、私なんかと一緒にいるの?なんで私にもそんなに優しいの?なんで・・・」
苦しげに顔をゆがませながら、ハクは叫んだ。
「私が、あなたより劣ってるからっ!?」
考えてみれば、おかしかった。それまで話したこともなかったのに、ミクはハクにとても親しげに話しかけてきた。
「私を、憐れんでるつもり・・・・・・なんでしょっ!?」
そう言って、ミクに背を向ける。
ああ、言ってしまった。とハクは思った。もうミクは、私のところには来てくれないだろう。ミクは、せっかくできた友達だったのに。祈り続けた、友達だったのに。気付けば自分の手でミクを排している。
ああ、なんて愚かなんだろう。
馬鹿馬鹿馬鹿。
結局私が一人だったのは。
自分から離れていたからだったのだ。
自分で自分の周りに壁を作っていたからだ。
それなのに、私は――
ふいに、暖かな感覚がハクを覆った。
ミクだった。地面の膝をついて座っているハクの背から抱くようにして腕をまわす。ミクの腕は優しく、でもしっかりと、ハクを抱きしめていた。
「私があの森でハクちゃんに出会ったとき」
ミクは、ポツリポツリと話しだす。
「私、結構驚いたんだよ?」
美しい思い出を思い出すように、ミクは丁寧に言葉を紡いでいく。
「本当に、きれいだなって思った。髪だけじゃなくて、顔も、スタイルも。それで、もっと話したくなった。」
ハクはただ、黙ってミクの声を聞いていた。
「私がハクちゃんと一緒にいたのは、そんな気持ちだからじゃないよ。二人でいるのが、すごく楽しかったから。だから、私はあなたと一緒にいたの」
それにね。とミクは続けた。
「あなたと一緒に過ごしてきて、ハクちゃんは私にとってかけがえのない友達に、親友になった。ハクちゃん、私にとってあなたは」
あなたは誰より素敵な人よ。
ミクのそのセリフに、涙の止まりかけていたハクの目は、また涙を溢れださせた。それは、今までの涙とは、確かに違うものだった。
もう、冬も深まってきたなぁ。
ちらちらと雪の舞う空を見ながら、ミクは手袋をつけた手にはぁーっと息を吹きかける。
今年はいつもより楽しかったな、とミクは思った。思えば、この一年、いつも二人だった。
春、ハクと出会った。二人で山菜を取り、畑を見つけ、二人で野菜を育てた。秋には、収穫した野菜で、小さなパーティをした。夏の間も、ずっと一緒だった。
ああ、でも。
ミクの努力にもかかわらず、村人のハクへの態度に大した変化は起きなかった。
髪の色なんて、ただの個性だろうに。なぜそれを否定するのだろう。世界には、もっといろいろな髪の色の人がいるというのに。
結局、視野が狭いんだ。
みんな、村の中で完結してしまっていてその外を見ようとしないのだ。ハクと付き合うミクを、みんなが注意してきた。友達も、近所の奥さんも、親すらも――。
「はあ」
ため息が出て、親のセリフを思い出す。
――あんな子と付き合ってると、あんたまでのけ者にされちゃうよ。
「だから、のけ者にしなきゃいいじゃん」
そういったら、また怒られた。憂鬱そうな顔で足元の石ころを蹴りながら、ミクはつぶやいた。
「・・・・・・逃げちゃおっかな」
その日は、モントルークスでも祝われた、C.E.1990年の1月1日。テアトールやモントロージアを始めとして、ナイアデスのほとんどの国はメシアを信仰している。それは、モントルークスのあるインターリアでも例外ではない。12月末の生誕祭から村は連日お祭り騒ぎだった。生誕祭からの1週間は、みな昼から酒を飲んでいたし、だがそれが許されるほどに特別な日々だった。
冬の太陽が部屋を照らす。
「う、ううん・・・」
簡素なベッドで、ハクは目をこすりながら上体を起こした。足を下ろしてベッドに腰掛ける。それから、しばらくボーっとしていた。
窓を見る。光の屈折か、外は明るくて見えなかった。空気を入れ替えようと思って、窓際まで歩いて行ったハクは、太陽の明るさに思わず目を細めた。
もう、随分高いところにある。お昼時、と言っても過言ではないようだった。
寝すぎちゃった。
3日前以来、ミクとは会っていない。年末は、家族と一緒にいるそうだ。村で行われていた様々なイベントの準備もこなさなくちゃいけなかったから、なかなか忙しいようだった。だが今日、1日の午後に、ミクは伯の家に遊びに来ると言っていた。
・・・・・・ああ、そうだ。早く準備しないと・・・!
はっと、その大事なことを思い出して、ハクは焦り始めた。なにしろ、ハクは寝間着のままだし、ミクを迎える何の準備もしていないのだ。
と、とりあえず、顔洗おう・・・!
そう思って、家の裏の井戸から水を汲もうと木の桶を持って家の戸をあけたハクの目の前には、寮目を赤く泣き腫らし、大きなリュックを背負ったミクがいた。
「ハクちゃん・・・・・・」
あまりのことに驚いて固まっているハクの、そのシルバーグレーの瞳を、確固たる決意を持った目でミクはまっすぐ見据えると、ぽつりとハクの名を呼び、どこか、懇願するような響きを持った声音で、言った。
「逃げよう」
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