10

レンはこの街が好きだ。
特に観光名所があるわけでもなく、特別物価が低いわけでもないが、なんとなく雰囲気があっていた。
この街と、もう一つしかレンは知らないが、もう一つが特段ひどかったがためにそう思えるのかもしれないが、この空気が、匂いが、歩いたときの感触が、聞こえてくるものが、見えているものが、レンは好きだった。
「レンは、学校とか、行ってないの?」
散歩ももう終盤となったとき、ミクが訊いた。「なんで?」
「なんでって訊かれても困るけど……それが普通だから、かな?」
「ああ……。なるほど」
確かに、平日の昼間にこうやってぶらぶらしている十代は珍しいかもしれない。しかも、レンは仕事をしているところを見られているのだ。不思議に思われるのも当然だろう。
「俺はいいの。もうそういうのは終わったから」
「……終わった?」
「飛び級。もう大学まで終わってる」
「へえ……。頭良いんだ」
「……ミクは?」
なるべく、顔を見ないように、訊く。
「学校」
「……勉強はしてたけど、学校は、行ってない。お金、ないから」
でも、とミクは付け足す。
「施設の中で勉強はしてたから、そこそこできると思う。大学……までは絶対及んでないけど、小学校ぐらいなら、なんとかなる」
ミクの歳だとせめて中学だ。レンは言いかけてやめる。
「なんかさあ、羨ましい、って思うんだ」
「…………」
「どうして、ここまで、違うんだろうなって」
「…………」
「私はずっと、施設だったのに」
「…………」
「レンは、家族とか、居る?」
家族。重い響きだった。レンが好きで、大嫌いな言葉だ。
「姉がいる」
「お姉さん?」
「俺と似てるけど、正反対で、ずっと喧嘩ばっかしてる姉がいる」
「ご両親は?」
「……ああ、いたね。そんな奴ら」
「いたって……」

「もう、随分前に、殺しちゃったからなあ」

天気の話題をするように、言い慣れた言葉だった。もうその発言自体に重みはない。意味すらなくなってしまっていた。
「……それって」
「昔話しよっか。だから、そこで待ってて。ちょっと、アイス買ってくる」
「……あいす」
「なんだ、知らないのか? 美味いぞー?」
『殺』の言葉に、心がざわつく。それに続いて。鎌鼬が連想された。どうして忘れていたのかと思うほど、すっかり覚えていなかった。怖い。怖い。怖い。でも、なぜだろう。
平気だと、わかる。
殺されない自信がある。
ミクは言われた通り、すぐ近くにあったベンチに腰掛ける。レンはソフトクリームを二つ持ってきた。それを食べ終えるまで、レンは話をしなかった。食べ終えて、ようやく、口を開く。
「俺さ、孤児院にいたんだよね」


黒い壁。黒い壁。黒い壁。黒い壁。黒い壁。黒い壁。6方全てが薄汚れた壁。窓もない。明かりもない。なにも見えない。なにもない。狭い狭い部屋。でも、両手を広げても端に届かないほどの、広い部屋。そこでレンは自由していた。狭くて広い部屋はレンだけのもので、なにをしても怒られなかった。でも、一人だった。狭くて広い部屋にはレンしかいなくて、なんでもしてよかったけれど、それはとても退屈なものだった。
明かりが差し込んだ。
ドアが開いて、人が見えた。逆光で、目が慣れていなくて、誰なのかまったくわからないけれど、いつもの人だとなんとなくわかった。
レンの前に、人が投げてよこされた。それは親と呼ばれているもので、それは大切にしなきゃいけないものだった。
人は言った。「好きにしていい」。レンに言っていた。親と呼ばれているものには言っていなかった。
人は言った。「なには必要なものはあるか?」。レンに言っていた。親と呼ばれているものには言っていなかった。
レンは言った。「あれとそれとこれとあれ」
用意はすぐされた。
親を、親と呼ばれたものを、レンは殺した。また、部屋の中は、一人になった。
また、次の親が、運ばれてきた。

「集る蝿。増える鼠。漂う死臭。減らない死体。俺の世界はそれが大半を占めててさ。きっと死体で部屋を埋め尽くせば、なんかなるんじゃないかって、そう思ってた。でもさ、なかなかそうはいかないんだよな。死体は腐ってぐすぐずになるに、増える早さでいったら鼠の方がよっぽど早かったね。蝿もそうだけど、蝿は蝿でどっかに逃げてるらしくてさ、ぶんぶん舞ってるんだけど、踏んで殺す感触はあるんだけど、それだけ」
「…………」
「まあ、じゃあなんで俺がここにいるかって言うと。俺の姉が、その部屋をぶっ壊してくれたからなんだよね。どうやら姉はもっと待遇がよかったらしいんだけど、それに飽きたのか、嫌気がさしたのか、暴れたらしい。らしい、っていうのは、俺が見たときには全部終わってたから、よくわかんなかったんだよな。単純に破壊してた。粉砕してた。滅砕してた。そこでようやく、俺は『ああ、世界ってこんなに広かったんだ』って知ったわけだね。俺の姉は、破壊活動に満足したのか、もうそこにいなくてさ。じゃあ、俺もってな感じで、そこを出た。あとはカイト、今朝あったあのマフラー男に拾われて、今こうやって生きてるんだけどさ」
「…………」
「まあ、なんというかさ。自分だけが不幸だと思わないほうがいいよ」
「…………」
「最悪なんてない。もっと下には下がいるし、それは最高だって同じこと。こんだけ人がいるんだからさ、自分が一番不幸だなんて、そんなこと、あり得ないじゃんか」
「……レンは、あるの?」
「なにを?」
「自分より、不幸な人」
「ああ、あるね。姉だ」
「…………」
「姉は俺より不幸で、でも、だから幸せでもあるんだろうな、ってたまに思う。どこからでも希望を見つけちゃうから、そのたびに絶望に変わるんだけど、またすぐ希望を見つけるから」
「……そっか」
「帰ろっか」
レンは立ち上がる。もう日が落ちて、風が冷たくなり始めていた。
「そろそろカイトが、なにか掴んでいるころだろう」
その予感は的中していた。


「鎌鼬との死闘の予約をしてきた。明日の深夜。廃工場で、決着をつけよう」


次の日の新聞に、ある広告が出ていた。その内容は
『親愛なる鎌鼬様。あなたを○○工場へ招待いたします。午前0時。そこで、殺し合いましょう。
唯一の目撃者より』
という、ものだった。


11

約束の1時間ほど前。23時頃。カイトとミクは廃工場へと到着した。23時といえばまだ若者からして見れば寝るには早い時間で、幽霊など捕まえて見世物にしようと企む輩にしてみればこの時間帯の廃工場など怖がるものはなに一つないのだが、幸いにもそこは無人であった。
メイコとレンに人払いを頼んでおいたのだが、そんなもの、必要なかっただろう。巷で噂の鎌鼬が、まだどこに潜んでいるかわからないのだ。そうそう出歩けるわけもないし、新聞を読んでいる人はここに出没することを知っている。嘘を思いつつも、近寄りはしないだろう。一番の心配は鎌鼬を一目見ようと企む野次馬であったが、幸いもいなかったようだ。
廃工場、と名はありながらも、もう機材は撤去されており、鉄骨の骨組みがあるだけとなっている。中には不法投棄されたゴミが散乱し、一種のオブジェとなっている。トタンの屋根は剥がれ、そこから月が見えていた。
「さて、じゃあここで待ってようか」
「……はい」
カイトは捨てられたテレビの上に腰掛け、空を仰いだ。ミクはカイトから少し離れた場所に、それでもしっかりとカイトが見える位置に腰を下ろす。地べたに、体育座りである。履いているのはスカートではないのでなにも見えないが、もしレンがいたら「その辺のゴミに座れ!」と怒鳴ったところだろう。
「孤児院の出なんだって?」
唐突にカイトが訊いた。このまま黙って過ごすのは堪らないので、ミクは会話を繋ぐ。「はい」
「レンから聞いたよ。いろいろ大変だったんだってね」
「そんな、レンの方が、よっぽど……」
「よっぽど?」
ミクは黙る。その後に続く言葉がいくつか浮かんだが、そのどれもがレンを侮辱しているように思えた。
「まあ、人は誰しもいろいろあるってことだよ。深い事情がない人なんていない。そういうもん」
「……はい」
カイトはゆっくりと体を倒す。腕をつっかえにし、体を反らした。
「ミクちゃんは自分のことを特別だと思うかい?」
「え?」なにを言っているのかわらない、という表情で問う。カイトはミクを見ずに、月ばかりを見ている。
「自分は特別で、他人とは違くて、複雑で難解で、漫画で言えば主人公にあたるような、そんな特別な人間だと思ったことはあるかい?」
「…………」
「ぼくはね、あるよ」
子どものように、カイトは笑った。
「この世界はぼくを中心に回ってる。ぼくが死ねば、この世界は終わる。ぼくの知らないところでは面白いことなんて起こらないし、面白いことが起こればそれはぼくの周りに集まってくる」
自然に。あまりに不自然なほど自然に。逃れようなく、避けようなく、嫌が応にも、その中心に、軸にいる。
「それを望んでいたし、そうなればいいかなって思ってたときもあった。そういうときが、ミクちゃんもなかった?」
「もちろん……」
即答できてしまうほどに、それは。
「ありましたよ」
「ふーん」
自分から聞いておきながら、カイトの反応は素っ気ないものだった。やっぱりという感情が強く見える。そしてやや、懐かしいものを見たような、哀愁があった。
「それさ、ありえないから」
「……え?」
「自分が世界の中心だとか、特別だとか、主人公だとか、面白いことは寄ってくるとか、ありえないから」
そんなこと、といいかけて、やめる。なぜか、止める。本当は言いたいのに、なにかが自分を止めていた。
「まあ、それに気付くのは、多分もっとあとなんだろうね。でも、ぼくが言ったことは本当。ミクちゃんは特別じゃないし特異でもない。普通。平凡。平均的。なにからなにまで突出したところもないし、劣っているところもない」
「……あなたは」
ーーいったい、なにを。
「だからさ」
ミクの発言を遮るようにカイトが言った。
「普通に考えて、ありえないんだよね。ミクちゃんが殺人鬼から、鎌鼬から逃げられたってことが」
カイトがテレビから立ち上がる。
「じゃあ、私が嘘を吐いているとーー」
「いや」
ざわり、と、ミクの中をなにかが走った。ざらり、と、なにか凶悪なものが支配していくような気がした。
「誰も見たこともない聞いたことない宝島。でも、それは実在する。じゃあ、その地図はなんで存在する。それは誰が知ってる?」
ミクは答えない。答えられない。もうカイトの質問が聞こえていない。聞こえなかった。耳が、鼓膜が、変形してしまって、塞がってしまっていた。
「単純なことだよ。簡単なことだよ。ーー作者だよ。その宝島を書いた作者が知ってるんだ。その作者の頭の中には存在するし、それを信じているのなら、それは確実に、実在するんだよ」
ミクの目が、変わる。よく見えるようになる。髪が伸びる。硬質化する。爪が伸びる。鋭くなる。
歯が牙になる。手足が四肢になる。人間が、獣になる。
思考が消える。ミクの思考が消える。徐々に別の思考が芽生えてくる。
言いようのない殺意。堪えようのない殺人衝動。抑えようのない疼き。
ーーああ、わすれていたのだろう。なんで、ころしちゃいけないのだろう
「ミクちゃん。キミが、殺人鬼、鎌鼬だ」




ーー無頼 その4ーー

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

無頼 その4

掌編小説。
『無頼 その5』に続きます。

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閲覧数:298

投稿日:2016/09/15 21:14:41

文字数:4,789文字

カテゴリ:小説

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