天然って、恐ろしい……。
そう再認識した夏の日。あれは、いつまで経っても忘れられない経験だった。
「だからあぁっ!」
めーちゃんがものすごい声で叫んだ。そうでもしないと、すぐ隣にいる俺にも声が届かない。
「今っ、何時って、聞いてるのおぉっ!」
この怒りようから見ると、かなり前から呼んでいたに違いない。
それほど、安岐妥川の花火大会はすごい人混みだった。ちらちらと何度も後ろを見て、めーちゃんがついてきているのを確認しなければならないくらい。
「八時三十二分五十八秒!」
こういうとき、男の声って便利だと思う。めーちゃんみたいな女性の声は、大きく声を出すと裏返ってしまうけれど、俺は少し低くすればどうにかそれより大きい声を出すことが出来る。
「……ねえ、帰りましょうよ。こんなに近くから見なくても良いわ。私の家からも十分見えるわよ!」
何かぽそぽそささやいているので、俺はめーちゃんの口元にぐっと耳を寄せた。それを見て、めーちゃんも声を張り上げた。
「え? 良いの?」
元々めーちゃんから誘ってきた花火大会だ。そんなにあっさりあきらめて良いのだろうか。
「……もう、疲れた……。昨日の仕事はかなり人の多い所だったから、疲れてるの……」
そう言うめーちゃんの顔も疲労が色濃く出ている。さっきまでは掴んでいなかったのに、俺の袖を握っている所からも、かなり参っているのだということが分かった。
「分かった、じゃあめーちゃんの家に行く?」
「うん……」
もう人混みをかき分ける気力すらないようだ。
「ちょっとごめんね」
俺はめーちゃんを左手で抱き寄せると、右手で人混みを押し分けて進み始めた。俺に会わせて、めーちゃんも歩いてくれた。
本当にすごい人だったのだなと、めーちゃんの家についてから改めて思った。めーちゃんが私の家でも見えると言ったのは本当で、川近くの人混みも空もはっきり見えた。確かにここからの方が花火は見やすいかも知れない。
「……」
めーちゃんがソファに腰掛ける。
「……ごめんね」
「え?」
窓を見ていた俺は振り返った。めーちゃんは申し訳なさそうにうつむいていた。
「花火、間近で見られなくて。誘ったのは、私なのに」
「全然気にしてないよ。それに、ここからの方が見やすいかも知れないよ」
俺は微笑む。
「めーちゃんと二人で見られるしね」
「もう……」
めーちゃんもちょっと困ったように微笑んだ。
……と、その時だった。
ぱっと部屋が真っ暗になった。
「……? 何だ?」
俺は部屋を見回す。停電か? ブレーカーが落ちたのか? 目がだんだん慣れて、部屋のブレーカーを探しに行こうとすると。
「……やっ」
必死な声が聞こえて、だきつかれた。
「いや……行かないで……」
「めーちゃん?」
そして、思い出した。
そう、あれは高校の修学旅行のときだった。ほら、多分君も体験したことがあるだろう。必ず肝試しに行きたがる男子がいる。
何でそんなことを言うのか、未だに分からないのだけれど。確かに俺も男子だったのだがどこか人とずれているところがあるらしい、全然そう言い出す神経が分からない。
中学生や小学生の頃は無理でも、高校生になると流石に頭が働いて、泊まっているホテルを抜け出し、何人かで集まって肝試しも可能になる。その中には俺とめーちゃんも入っていた。
……一応言っておくと、俺たちは誘われただけだからね? 気は進まないけど、何か断れないように仕組まれていたような……昔の事だから覚えてないけど。
俺とめーちゃんは同じコンビになって……偶然だよ? ……本当に偶然だってば。くじで決めたんだから。お前ならくじに細工しかねない? まあ否定はしないけど、本当に偶然で同じコンビになったんだ。
俺は前述の通り、幽霊霊魂そのたぐいのものは全て平気だから、普通に歩いていったんだ。森の中を歩いて、墓場がゴール。そこに一本ずつ線香を置いてきたらしく、それを一本ずつとってくるのが指令。
……そこで発覚した。めーちゃん、俺にしがみついてかたかた震えているんだ。あのたくましい人がだよ? 最初、風邪かと思って心配したくらいだ。
「めーちゃん、大丈夫?」
「な、何よ。私は平気なんだから……」
その言葉にすでに覇気がない。
「もしかして……めーちゃん、お化けとか嫌い?」
「えっ? え、ええそうよ、嫌いなの! 苦手とか怖いとかそういう甘っちょろい感情じゃなくて、ただ単に嫌いなの! 大嫌いなの!」
向きになるのがかわいらしい。俺は微笑ましくて、それ以上深入りはしなかったけど、茂みががさがさ音を立てるたびに小さく悲鳴を上げて、わざとらしく咳をするものだから、思わず笑ってしまった。
「なっ、何よっ。何がおかしいの!」
そう怒るのがすでに面白いのだということを、彼女は気づいていたのだろうか。
「……真っ暗……一人は嫌なの……」
声が湿っている。もう泣きべそくらいにはなっているのかも知れない。
そういえばメイトもこういうところだけは、ものすごく似ていたな……。
思い出しながら、手探りでめーちゃんの手を握った。
「ブレーカーが落ちたんだと思うよ。上げればすぐに直るから、すぐだから」
「嫌っ、ここにいるのっ」
そう叫んでいる。結構強い力で手を握るものだから、振りほどくことすら出来やしない。
……仕方ない、落ちつくまで待つか……。
俺もソファに座った。
……いつから、こんなに暗闇が苦手になったんだろう……。
………………そうだ、あの時か。
昔、私の家で友達五人とかくれんぼした時があった。結構小さな頃。三歳くらいかな。
私は張り切ってタンスの中に隠れた。絶好の隠れ場所で、誰にも見つからなかった。そう、誰にも。
見つけてもらえずに、何だか寂しくなって、見つかってもいいから出ようとしたの。……でもね。
入るときは簡単よ、戸が閉まるように体を揺すれば良いのだから。
でも、出たことはなかった。見つけてくれた人が戸を開けているから、私は出口を自動的に作ることが出来たの。今回は出してもらっていない。
一生懸命声を張り上げたけれど、誰にも見つけてもらえない。その内息が苦しくなるし、暗闇の中で昨日見た怖い話のビデオを思い出すしで、もう大変だった。号泣して、やっと見つけてもらえたの。
それから、暗闇が怖くなった。あの時の息苦しさを思い出して、自然に恐怖に震える。
「苦しい……暗闇は苦しいの……」
俺が離れていくわけでもないのに、めーちゃんは俺の腕に抱きついていた。ほのかに髪からシャンプーの匂いがする。
「苦しくないよ、俺がここにいる、大丈夫だよ」
「苦しいの……怖いの……っ」
……駄目だ、カイコと同じか。
こういう発作的症状は、治るのを待つしかな……
……ばーん、どどどどっ。
「きゃっ」
いきなりの音に、めーちゃんはさらに強く抱きついた。花火だ。
花火が一瞬、この部屋を明るく照らしたのだ。
「花火だよ、めーちゃん! 暗闇で見ると、もっと綺麗だね」
これで少しは治ると良いのだが。そう思って、めーちゃんのいる方を見ていた。
ばーん、どどどどっ。
また、花火が上がった。
…………一瞬だったが、まあ、一瞬で物事は目に焼き付くもので……。
ちょっと冷静になってみようか。別に、これは故意のあるものじゃない。こうなるとは夢にも思わなかった。予想外だ。考えていたらめーちゃんの方など向いていない。
……落ち着け始音カイト。お前はそんなに弱いキャラじゃない。動揺するな。今はめーちゃんが大変な時なんだぞ。何だよ、大したことじゃないじゃないか。
お前は本当に成人した男性か? これくらいで動揺するなんて、思春期真っ盛りの中学生男子並みだぞ、恥ずかしいとは思わないのか。……おい。
……と、この文が三回ほど繰り返される。
ばーん、どどどどっ。
「……大きな音がするよう……」
この調子じゃ、目を開けていないのか……? 推測形なのは、俺が確かめていないからだ。
確かめろ、そうだ、目だけだ。目を見ればすぐに分かる。
また見えたらなんて、気にするな。動揺するような事態じゃない、通常運営だ。
そうだ…………めーちゃんの……胸の谷間なんて気にするな。
ばーん、どどどどっ。
説明すると、めーちゃんは綺麗な赤い着物を着ていた。すらっと着こなしためーちゃんは格好良かったけど、着物って意外と鎖骨辺りがようく見えるようですね。
……まあ、谷間が見えたわけで。
お前慣れてるんじゃねえのか! ……ですって?
慣れるわけないじゃないですか! あなたは俺をいったいどういうヤツだと……!
「いやぁ……」
………………………っっ。
……泣きたい……めーちゃんが俺の体に抱きついてきて、ドキッとして。
そういうことしてる場合じゃないだろっ……。
「こわい……よぅ」
良いね、女の人は胸がクッションで。
……違うだろうっ!
俺、もう駄目かもしれない。本気でそう思う。何か記憶がおぼろげだ。
……。
ばーん、どどどどっ。
ひゃあああぁぁぁぁっ悪化してるっ、めーちゃん気づけよその状態!
少しは危機感持ってくれっ、俺だって一応男なのに!
確かに幼なじみで、俺が男だと認識出来てないのかもしれない。だがしかし俺は男なんだよ、ねえーっ! メイコさーん!
ばーん、ばーん、どどどどどっ。
連発花火。とうとうこらえきれないめーちゃんの、癖が出た。
俺をぬいぐるみのように思っているのか、よく頭を抱きしめられたものだ……すでにお気づきですね?
【壊れたバカイトは見たくない人のために、ここからは三人称でお送りいたします】
メイコはカイトの頭を抱きしめる。カイトは慌てているが、口はふさがれていて何も言えない。
メイコの胸が顔に当たる。声にならない悲鳴が漏れた。
果たして、悲痛の悲鳴なのか。喜びの悲鳴なのか。そこら辺は定かではない。……定かにしたくない。
「…………何なのよぉ、もう……」
涙目メイコさん。そろそろ着物に気づかないのでしょうか。
カイトはもう昇天してしまったのか、あらがう気力もないようです。
……おっと、ここでカイト選手の反撃です!
カイトはメイコの腕を掴むと、一気に自分で抱きしめてそのまま転がった。
我慢できなくなったのでしょうか、カイト選手!
メイコの頬をさわり、涙を優しくほろう。
「……ここに、俺はいるよ」
「ここ……にいる?」
「うん、ここにずっといるから」
カイトだけ起きあがり、押し倒したような状態のメイコに微笑む。
「……いるよ」
メイコも笑った。泣き笑いのような表情に、カイトは遂に我慢ならなくなった。
「……めーちゃん、そろそろ……我慢できないんだけど」
「……?」
「天然って恐ろしいね……そっちの方が色気あると思う……」
「……??」
カイトはメイコにキスすると、唇を離さずに頭を掴んだ。食べてしまうような勢いで、メイコにキスをする。
「――っ? んーっ!」
メイコはもがくが、こうなってしまったカイトさんは止められません。
メイコはとりあえず拳を振り上げた。
翌日、カイトの右目の周りにはあざが出来ていたとさ。めでたしめでたし。
……その後、経験者は語る。
天然ほど、恐ろしいものはないと。
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