私の目の前には一人の男が座っている。見かけは質素だが生地も仕立ても一級品な服に青い髪。画材道具の入った鞄を持っていれば旅行客に見えるとでも思ったのだろうけど、護身用の長剣にはばっちりマーロン王家の紋章が入っている。……というか、忍ぶ気が全くないんじゃないかこの人。
「好きなものを頼んでくれて構わないよ」
「いえ、あの、……リリアンヌ様にお使いを頼まれているので、早く帰らなければいけないのですが」
「折角個室のある店にしたのだから、その他人行儀は止めなさい。……それに、リリアンヌのお使いは急ぎのものじゃないはずだよ」
 ああ、やっぱりあの子の差し金か。出発前「楽しんでくるのじゃ!」と言ったあの子の顔を思い浮かべて、私は息を吐いた。ついでに肩の力も抜き、纏う空気を仕事用のものから対家族用のものに切り替える。
「また王宮を抜け出して……、アルカトイルお義兄様に叱られますよ?」
「『ネイに会ってくる』と言っておいたから大丈夫。……久しぶりだね、ネイ」
「ええ。カイルお兄様」
 そう言うと、マーロン国王カイル=マーロン――兄は嬉しそうに笑った。


 マーロン国第十三王女である私は、父の青とも母の黒ともかけ離れた金色の髪を持って生まれてきた。そのせいか、私を見る目はいつも冷え冷えとしていた。
私は母の不義の子だと思われていたらしい。それでもルシフェニアの上流貴族出身の母は、私の金髪を『隔世遺伝か何かでしょうね』と慰めてくれたし、五つ違いの兄と一つ違いの義兄は私の髪を『綺麗だ』と褒めてくれた。他の大人が何を言っても私を大切に想ってくれる人がいれば大丈夫だと、幼心にも思ったものだ。
そんなある日、母は友人のアンネ妃から六歳になる王女と王子が腕白で手を焼いているという相談を受けた。青髪の多い(義兄は赤毛だけど)マーロンから離れて暮らした方が私の成長に良いのではないかと考えていた母は子供たちの遊び相手を作った方が良いと提案し、その相手に私を推したらしい。そうして私は、兄とリリアンヌの婚姻までの九年間、王室に仕えるメイドの一人として迎えられることになった
王室のメイドとして見聞を広めなさい。と、送り出されたときは一体どうなるのかと不安に思ったけど、王も王妃も気遣って下さったし、保護者役のマリアム=フタピエも厳しいながらしっかりした人だったので、その不安はすぐに解消された。それに何より四つ年の離れた私を「ネイ義姉様」、「ネイ義姉上」と慕ってくれるリリアンヌ王女とアレクシル王子が可愛くてたまらなかった。
メイドとしての仕事にも慣れ、友人もでき、私のルシフェニア滞在も八年目に突入した。色々な髪の色がある国で暮らしたおかげで視野も広くなったし、継承順は回ってこないにしても、マーロン国の恥にはならない生き方ができるようになったとも思う。名残惜しいけど、国に帰り、国王になった兄を手伝えるのは楽しみでもあった。いつか他国に嫁ぐにしても、それまで兄の助けとなれるよう力をつけようと、最後の一年を噛みしめるように私は暮らしていた。


 その日私は、リリアンヌに頼まれてルシフェニアンの書店に訪れていた。「ルシフェニアンの大型書店で、ユキナ=フリージスの本を買ってきて欲しい」とお願いされたからだった。
本の購入自体はシャルテットの影響で読書好きになりつつあるリリアンヌからよく聞かされるもので、そのことに関しては特に疑問は持たなかったけど、「ルシフェニアンの大型書店」という場所指定は初めてで(そうじゃなくても大体その店で買っていたけれど)、妙に嬉しそうなリリアンヌと少し困ったようなアレクシルといい、何かあるだろうとは思っていた。
 でも、目当ての本(題名は『ヘビとカエルのおはなし』)を購入し店を出たところで懐かしい青髪の兄が従者も連れず現れるとは思っていなかった。
その場で回れ右して城まで帰りたくなったけれど、妹の考えなど兄にはお見通しだったようで、「久しぶりだね、ネイ。お茶でもどうかな?」などと言いながら兄は私の肩に手をかけてきた。
「リリアンヌ様の差し金ですか、カイル王?」
「さあ? 私はカーチェス=クリムというただの旅行客だよ」
 そう小声でやり取りしながら連れてこられたのがこのカフェというわけだ。ルシフェニアンに主流のカフェには珍しく個室のある店で、海外から輸入された果物なども取り扱っているらしい。注文したガレットには南洋から輸入したバナナが添えられていた。
 ナイフとフォークを使い、ガレットを一切れ口に運ぶ。ぱりぱりとした生地にバナナの風味がよく合って美味しい。
「気に入ってもらえたかな?」
「はい。カイルお兄様は……いつも通りですね」
 私のガレットが一口分しか減っていないのに対して、兄のアイスは半分近く減っている。兄は昔からアイスが好きだった。おやつの時間に出るアイスをいつも楽しみにしていたし、アイスを食べるときはとても幸せそうな表情になった。と思ったところで、気づく。
「お兄様、毒見はしてないですよね?」
「ああ、そのことなら心配しなくても大丈夫。ここはキールに紹介された店だし、私はただのカーチェス=クリムだからね。毒殺の心配なんてないだろう」
「ただのカーチェス=クリムさんは王家の紋章が入った剣なんて持ってないと思いますが」
 そう返しながら、なるほどと納得する。よく城を抜け出すにしても、こんな都合の良い店をマーロンで暮らす兄が知っているはずがない。でも、兄にはキール=フリージスという友人がいる。商業連合の総帥である彼なら条件に合う店を見つけるくらいお茶の子さいさいだろう。
「キール様と言えば、娘さんの小説をリリアンヌが楽しみにしてる、と伝えてください。あの子、発売日を指折り数えていたので」
「なるほど、リリアンヌにネイと会わせて欲しい、皆には内密に、と頼んだとき、「それならいい考えがあるのじゃ!」と言っていたからどんな理由でお使いに出すんだろうと想像していたけど、まさかユキナの本を読みたがっているとは思いもしなかった」
「あの子、最近読書に凝ってるんですよ。次の贈り物はマーロンで流行っている本にしたら喜ぶんじゃないかと」
 兄はリリアンヌの婚約者だ。親同士が決めたことだけど、リリアンヌは本気で兄と結婚するのだと考えているし、兄の方も折々に装飾品の数々を送っている。リリアンヌはそれらをとても喜んでいるけれど、最近は宝石類よりも面白い本の方がいいらしい。
 城にある本はつまらないからと、私やシャルテットに本のお使いを頼み、そのことでアレクシルが小言を云うまでがセットだ。昔からリリアンヌが奔放でアレクシルがそのストッパー役だったけど、それは今でも変わらない。
 そんなことを考えながら、兄にリリアンヌたちの近況を伝えていたけど、ふと見上げた兄の表情が曇っているように見えて、私は一度話を止めた。
「お兄様?」
「……ああ、いや」
 兄はどこか悩んでいるような表情をしていた。掬うものがなくなったスプーンを手遊びのように弄んで、空になった器ごとテーブルの端に寄せる。
「……ネイ。もし、私が婚約を解消すると言ったら、リリアンヌはどう思うだろうか?」
 ぽつりとつぶやかれた言葉は疑問文の形をしていたけれど、兄がその答えを持っていることはすぐに分かった。その言葉が戯れからのことでは無いことも。
 だから私も空になった皿を端に寄せ、背筋を伸ばした。
「悲しむと思います。すごく。あの子……リリアンヌは産まれた時からお兄様に嫁ぐことが決まっていて、あの子自身もお兄様のことを「愛している」から」
 「愛している」の所は少しだけ言葉を強めた。リリアンヌは我儘を言うし奔放な部分もある。でも、ここ一年は勉学に励むようになり、我儘を控えるよう努力し始めた。彼女が最も尊敬するアンネ女王の口調を真似るようにもなった。私たちに連日本を買いに行かせたり、お菓子の家を作りたいなんて我儘を言うことはあるけど、買ってきた本にはちゃんと目を通すし、我儘が通らなくても癇癪を起さなくなった。
「リリアンヌはアンネ王妃のような女性になろうと努力しています。でもそれは、一国の姫だからではなく、一年後、お兄様の隣に並んでも恥ずかしくない女性になるためだと言っていました」
 『わらわはカイル兄様を愛しているのじゃ。ゆえにカイル兄様と並ぶにふさわしいレディにならねばならぬ』
 頬を赤くしながら真剣な表情で語るリリアンヌを私は何度も見てきた。それを見て複雑そうな顔をするアレクシルの姿も。
「それに、リリアンヌを泣かせたお兄様をアレクシルは絶対に許さないと思いますよ」
 アレクシルは小柄な体格だが、三英雄の一人、レオンハルトから教えを受けている。その剣術の腕は中々のもので、城に侵入した賊を無傷で倒したこともある。加えて、アレクシルは姉を大切に想いすぎる傾向にある。リリアンヌを泣かした相手に決闘を申し込むくらいはするかもしれない。
「確かに、そうかもしれないな」
 兄は少しだけ笑って、また真剣な顔に戻った。
「これからする話は、私とネイの間だけのものにして欲しい。誰にも話してはいけないし、もっと言うなら明日にでも忘れて欲しい」
 いいかい? と続けた兄に、私は静かに頷いた。何の知らせも無く兄がルシフェニアに訪れたのは、私とその話をするためだったのだとその時漸く理解し、秘密を打ち明ける相手に私を選んでくれたことが嬉しかった。

◇ ◇ ◇
キールの屋敷ではお前も知っている通り、毎月晩餐会を開いて出し物を披露している。二ヶ月ほど前かな、その日披露されたのは一人の歌い手だった。彼女はエルフェ人で女神のように整った顔立ちに、美しい緑の髪。それに美しく透き通るような声をしていた。
挨拶回りの時に少しだけ話をしてね。キールにマーロン国王だと紹介された時こそ畏まっていたけれど、私が「気安くしてくれればいい」と言ったら、本当に友達にするような気安い口調で話しかけてくれた。そんなところが面白い子だと思ったし、そんなところが好きだと思ってしまった。
勿論、リリアンヌのことを忘れたことは無かった。来年にはリリアンヌと結婚することもね。それでも私は彼女を愛してしまった。
母上や大臣たちに決められたわけじゃない。私は私自身の心で彼女を愛していた。カイル王ではなく、ただのカイルとして彼女の隣に並びたいと思ってしまった。
三日前、私は彼女に貝殻のネックレスを送ろうとキールの屋敷に行った。『嘘偽りのない愛の形』だと言って。……リリアンヌにも同じことをしたというのに。
彼女は庭の噴水の所にいた。隣には使用人が一人いたけど、他には誰もいなかったから絶好のタイミングだと思った。少し席を外させれば二人きりになれると、そう思った。
二人は噴水の縁に座り、何か話をしているようだった。使用人が何か言うと彼女は頷いて口を開いた。
『るりらるりら』
 その歌声は彼女の物だとすぐに分かった。でも、その歌は今まで聞いたことがない旋律と歌詞だった。そしてその歌を使用人がお気に入りの曲を聞くように穏やかな表情で聞いていた。それほど長い曲では無かったのか、声はすぐに止んで使用人が小さく手を叩いた。
 満ち足りた表情で何事か言う使用人を、彼女は穏やかに見つめていた。キールがミキナを見つめるのと同じ愛しい人を見るときの目だった。
 絵画のように美しい光景だったよ。カンバスが無い今でも描きたいと思うくらいに。でも、その光景には私は必要なかった。
 好き合っている相手同士だとしても障害が多いだろうと思った。それでも彼女たちは幸せそうに笑っていた。対する私はどうだろう。母上に決められたレールに乗り、母上の命令通りの人生を歩んでいるだけだ。これなら人形と変わらない、とね。
 今日お前に会おうと思ったのは、私の中にある衝動を揺るがそうと思ったからだ。妹の顔でも見れば正気に還ると思ったのだけど……珍しく私の心は揺るがないらしい。
 後の事は全てアルカトイルに任せてある。お前は何も心配しなくていい。
◇ ◇ ◇
 
 会話を終えてすぐ私たちは店を出た。その頃には兄はいつも通りの兄に戻っていて「二人によろしく」と手を振っていた。手を振り返しながらも、私はあの会話と兄の表情を忘れることができなかった。


 三日後、ルシフェニア王宮に兄とリリアンヌの婚約を解消する手紙と、私への予定より早い帰還命令がほぼ同時に届いた。
碌な挨拶もできないまま連れ戻されたマーロン王室では、国王の失踪と残していった置手紙のために大混乱していた。
『私、カイル=マーロンは王位を義弟アルカトイル=マーロンに譲る』
マーロンに帰還した私はリリアンヌへの慰めの手紙を書く暇もなく母に呼び出された。
「最後にカイルに会ったのは貴女だと知らせがあったの。ネイ、貴女、カイルがどこに行ったか知らないかしら?」
「……ごめんなさい、お母様。ネイはカイルお兄様の行先を知りません。あの日はお兄様と食事をしただけで、私には何も分からないんです」
「そう、誰にも言わずに出ていくなんて悪い子ね。まあ、いつもの気まぐれでしょう。すぐに帰って来るわ」
 母はそう言って困ったように息を吐いた。母は兄の失踪をいつものお忍びの延長だと思っているらしい。当然だ。いきなり王が消えてしまったら、国だけでなくエヴィリオス地方全体が混乱してしまう。
私は一礼し、母の部屋から退出した。あの日兄が話した言葉を、兄の中にあった衝動を、私は話さなかった。
 懐かしい自室で一人になった私は、マーロンへ行く途中の船で高官の一人から受け取った手紙を開いた。
『あの人の無茶を通した。お前にも協力してもらう』
 義兄の筆跡で書かれたそれは決定事項だった。勿論反対する理由もない。承諾の手紙を兄の元家庭教師だった女性に託し、私はルシフェニア王宮で使っていたコートを羽織り、深くフードを被った。
 その夜、秘匿としたはずの置手紙の内容がマーロン国内外にビラとなってばら撒かれた。
 

 新しい王として義兄を即位させることしかできなかった母は、監視役として私を国王補佐に就かせ、十年経った今でも血眼になって兄を探している。国内では前国王の死亡説まで流れているらしい。母直属の特務工作員たちが探しても見つからないのだから当然といったところだろう。
 ところで最近、私の部屋に一枚の絵が増えた。緑髪と白髪の二人の少女を描いたそれは最近発売されたユキナ=フリージスの『いつきのおとめ』の挿絵にも使われていて、絵の下部には几帳面な字でC・Kと書かれている。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

青ノ妹

マーロン兄弟とネイちゃんとルシフェニアの双子が兄妹してる作品が読みたくて作りました。(ほぼマーロン兄妹になってしまいましたが)
平和に兄妹させたかったので世界観も少し平和めです。
マーロン王女なネイちゃんの口調が謎ですが、多めに見ていただけると助かります。

閲覧数:478

投稿日:2018/09/15 23:24:53

文字数:6,000文字

カテゴリ:小説

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