「カイル兄様が遊びに来るぞ!」
まさに喜色満面といった笑みを浮かべるリリアンヌ。
「よかったですね、リリアンヌ様」
アレンは穏やかな表情でそれに応える。純粋な祝福と、これでしばらくは上機嫌でいてくれるだろう、というほんの少しの安堵も込めて。
「遊びに、ではなくお仕事なのでは……」
「何か言ったか、ネイ?」
「いえ、なんでも」
ネイは涼しい顔をして、先ほどのツッコミをなかったことにした。
この瞬間こそ年相応の少女らしい無垢さを見せているとはいえ、気に入らない者は即刻ギロチン送りにする王女様の機嫌を損ねるような真似はしない。ネイは賢いメイドなのだ。
「遊びに来るんスか? 王って言っても結構ヒマなんスね~」
どちらかといえば賢くない──もとい直感型のメイドであるシャルテットはそんな呑気な感想を漏らした。
「じゃあ、今日はとっておきのおめかしをしてお出迎えしなきゃね。私もアドバイスの一つや二つしてあげてもいいわよ?」
エルルカのそんな提案に、リリアンヌは表情を一転させ、眉間に皺を寄せる。
「……おぬしがそのような言葉を掛けてくるとは、珍しいな」
「そ、そうかしら?」
エルルカは視線を明後日へ向けた。
「ほら、やっぱり女の子の恋は応援してあげたいじゃない?」
「ふうん……まあ、せっかくの申し出じゃが遠慮しておこう。今日の妾はおばさんのアドバイスを聴いている暇はないのじゃ」
「お、おばさん……」
エルルカはこめかみをひくつかせる。それでもかろうじて口元だけは笑みを保っていた。いくらそう簡単に処刑される立場ではない彼女であっても、今日ばかりはリリアンヌとケンカするわけにはいかないのだ。
「忙しいって、好きな人のためのオシャレ以上に重要な用が何かあるのかしら?」
公務、というわけではないだろう。こういう時は、いやこういう時でなくとも基本的に仕事は臣下に丸投げしているのが彼女であるのだから。
「ふっふっふ、聞いて驚くがよい」
リリアンヌ以外のこの場の全員の脳裏に、嫌な予感が過った。
「今回の妾は待っているだけの女ではない。カイル兄様を迎えに行くぞ!」
「その決意はあと五百年後にしてもらえるかしら!?」
思わず「怒らせまい」という決意も忘れてツッコんでしまうエルルカ。
「五百年後? 何の話じゃ?」
「いや、私もよく分からないんだけど、何か天から言葉が降ってきたというか……」
「今日のおぬしは本当に気味が悪いのう」
しばらく訝しげな顔をしていたリリアンヌだが、「まあよい」と気持ちを切り替えて計画を語り始める。
「これはサプライズなのじゃ。カイル兄様は妾が城で待っていると思うじゃろう? そこを街まで迎えに行って、驚かすのじゃ!」
「でもリリアンヌ様、流石にそれは父さん……レオンハルト殿が反対するのでは?」
これまでは笑顔で頷くばかりだったアレンも、ついに口を挟んだ。
「そのへんもぬかりはない。もうミニスから話はついておる。何人か護衛をつけてもらう手はずになっておるのだ」
「それは用意周到ですね」
いつになく、と聞こえないように小さく付け足すネイ。
「もちろん、アレンも来るのじゃぞ」
「え、僕はとても戦力には……」
「同年代の者が一人はいた方が何かと融通が効くじゃろう? 来るったら来るのじゃ!」
「はいはーい、自分も行きたいッス!」
「おぬしは隠密行動に向かぬからダメじゃ!」
「えぇ……」
ぶすくれるシャルテットを宥めるネイに、リリアンヌから計画の詳細を聞かされるアレン。
その四人を眺めながら、エルルカは内心冷や汗をかいていた。
──マズいわね、このままじゃ……戦争が始まってしまう!
数日前、エルルカはとある予知夢を見た。
それは、カイルが女性と仲良さげに話しているのを目撃したリリアンヌが憤怒し、それがきっかけで各国への戦争を勃発させてしまうというものだった。
カイルがルシフェニアに来る機会はそう多くはない。あれは今日のことを指しているとみて間違いない。
ならばリリアンヌを城から出さなければいいと、おめかしで時間を潰させようと先ほどの提案をしたわけだが……あえなく失敗に終わってしまった。
護衛まで手配しているこの用意周到さからして、今回の決意は尋常ではない。おそらく街へ迎えに行くことを阻止するのは難しいだろう。
──こうなれば、カイル王の方をなんとかするしかないわ。
あいにく愛弟子は昨日から遠方へ使いに出してしまい、しばらくは戻ってこない。だから、一人でやるしかない。
カイルが話していた女性の顔は残念ながらよく覚えていないが、要は片っ端から彼と女性との接触を阻止すればいいのだ。
「……大丈夫。これくらいの運命なら、きっと変えられるはず」
エルルカは決意した。
偵察を頼まれたと親衛隊にうそぶいて情報を聞きだし、コネと魔術を総動員して一足お先にカイルの元へ向かったエルルカ。
しかし予定されていたルートに彼の姿はなく、一本隣の大通りでようやく見つけることができた。
……よりによって、女性に話し掛けている彼の姿を。
「すまないが、少し道を聞きたくてね」
──まさか、道に迷ったっていうの? てか仮にも一国の王なんだから、ちゃんと従者くらいつけて歩きなさいよ……!
エルルカは憤慨したものの、流石にまだリリアンヌたちは追いつかないだろうと判断し、とりあえず成り行きを見守ることにした。
カイルも外套と帽子で軽く変装していたし、話し掛けている相手が同じ三英雄レオンハルトの娘、ジェルメイヌであることもその理由の一つであった。道行の男に簡単になびくような軽い女性ではない。いい男よりも美味しい酒を飲めるという話の方がよっぽど食いつくだろう。
「いいけど、どこに行きたいの?」
「××という店なんだが」
「うーん、少し道が複雑なのよね。まず──」
ジェルメイヌが説明するも、あまりしっくりきていない表情のカイル。
「分かった?」
「正直、あまり自信は……」
それを聞いたジェルメイヌは仕方ないわね、と嘆息する。
「一緒に行ってあげましょうか?」
「いいのかい?」
「かまわないわよ。その代わり、なんかお礼に美味しいものでも奢ってくれないかしら、色男さん?」
──めちゃくちゃかまうわよ! なんか微妙にいい雰囲気だし!
作戦変更、エルルカは早急に彼らを引き離すことにした。
普通にジェルメイヌに話し掛けてもいいが、万が一彼女の相手をしている間にカイルを見失ってしまっては困る。
ならば、
「きゃー! レオンハルト殿が酔っぱらって道に倒れられていますわー!」
渾身の裏声で悲鳴を上げると、ジェルメイヌはバッと振り向いた。
「昼間っから何やってんの!?」
そして「ごめん、急用ができた!」と声がした方、すなわちエルルカの方へ走り出す。
エルルカは建物の影を使って上手くそれをかわすと、心の中でアヴァドニア親子に謝罪した。
──今度いいお酒差し入れしてあげるから、許して!
置いて行かれたカイルはしばし唖然としていたが、「レオンハルト、か……」と何やら懐かしげに呟いた後、彼女の後を追うでもなく教えられた道を歩き始めたのであった。
数分後、カイルはふと橋の手前で立ち止まった。そして帽子を脱ぎ、橋の上で川を眺めているらしい少女へ声を掛ける。
「……もしかして、ミカエラかい?」
少女が緑の美しい長髪をなびかせて振り向いた。その顔にエルルカは驚く。
──どうしてあの娘がここに?
「カイル様?」
「……こんなところでどうされたのですか?」
ミカエラの隣には白髪の少女、クラリスもいたが、純粋に驚いた様子のミカエラとは違い、ほんの僅かであるが不機嫌そうな表情だ。
「ちょっと王宮に用があるんだが、その前に私用で買い物をね」
「そうなんですか。私たちはキール様のおつかいで来たんです」
「偶然だね」
「ええ、まあ」
話を聞くに、三人は知り合いらしい。しかもカイルは多少なりとも気があるのか、随分と嬉しげに話しているではないか。ミカエラの方は少々ぎこちない表情だが。
これは危険だ。幸い自分とミカエラの仲であるから多少強引に引きはがしても問題ないだろう、とエルルカが飛び出そうとした時であった。
「……そろそろ行かないと、帰るまでに日が暮れてしまうわ」
「え、そう? 休憩はもういいの?」
「大丈夫よ。……失礼ながらカイル王も、あまり仕事前に油を売り過ぎるのはいかがなものかと」
そう言い放ったクラリスは半ば強引にミカエラの腕を絡め取ると、歩き始めてしまった。
「あ、ちょっと」
ミカエラも少々戸惑いながらもそれについていく。
「お、お気をつけて……」
二人の後姿を見送ったカイルは、肩を落とした。
「最近、こんな調子であまり話せていない気が……」
三人の関係性は詳しく知らないものの、何はともあれ、エルルカの出る幕はなかったようだった。
少々気落ちしながらも予定を曲げるつもりはないらしく、カイルはそのまま道を進んでいった。そして、目的地へ辿り着く。どうやら、女性の装飾品を取り扱っている店のようであった。
彼は店頭に並べられた煌びやかな品々を眺めながら、ああでもないこうでもないと首を捻っている。もしかして、ミカエラへのプレゼントでも選んでいるのだろうか。
余談だが、カイルは先ほどとった帽子を被り忘れており、その整った顔立ちがまるっと晒されてしまっている。店の前はこれまでの道と比べると人通りが多く、道行く女性がちらちらを彼のことを窺っていた。話し掛けてしまう者が現れるのも時間の問題であろう。
当然、エルルカは気が気ではなかった。
──もう、何やってんのよ! 一生に一度のもんじゃないんだからさくっと選んでさっさと王宮へ向かいなさい!
彼女の苛立ちとは裏腹に、カイルはうんうんと唸り続けている。
埒があかないと判断したエルルカは、髪をまとめ外套を被って軽く変装すると、ついに彼に近づいていった。
「プレゼント選びにお悩みで?」
「……よく分かったね」
むしろそれ以外に選択肢はないだろう。まさか女装するでもあるまいし……とは流石に口には出さなかった。
「よければ、お手伝いしましょうか?」
「それは助かるが……その」
「どうしました?」
「いや、私が贈ろうとしている相手は、君とちょっと歳が離れているもので」
「そ、そうですか」
本日二度目の年増扱いにカチンときたエルルカだが、なんとか自制する。
「そこまで悩むとは、よほど大事な方への贈り物なんですね」
「……ああ。とても可愛い女の子へ、ね」
カイルが照れくさそうにはにかんだ、その時であった。
「カ、カイル兄様、隣の女は一体誰なのじゃ……?」
背後から、動揺した少女の声が聞こえる。
エルルカが振り向くと、そこには呆然と立ち尽くすリリアンヌと、その少し後ろで頭を抱えるアレンの姿があった。
そこで、エルルカは悟る。
──もしかして予知夢でカイル王と話していた女性って……私のことだったの!?
リリアンヌの表情が徐々に怒りを含んだものに変わっていく。
おそらく正体がバレた途端、彼女は「おぬしなんかクビじゃ!」とエルルカを王宮から追放してしまうだろう。そしてブレーキの一つを失ったルシフェニア王国は戦争を始め、そして滅びの道へ……予知夢が見せたのは、そういうシナリオなのかもしれなかった。
──運命なんて、所詮変えられないのかしら。
エルルカが諦めかけた、その時であった。
「ああ、リリアンヌ。ちょうどよかった!」
カイルが微笑み、リリアンヌへ向かって手を振ったのだ。
「…………」
絶句するエルルカ。
──ちょっとは空気を読みなさい! 婚約者に女性と二人のところを見られて、何がちょうどいいって……
「君の好みがよく分からなくてね……よければ、一緒に選んでくれないかい?」
「へ?」
リリアンヌが目を見開く。
「そ、それは、その、カイル兄様が妾に、プレゼントを買ってくださるということですか?」
「もちろんだよ」
「でも、誕生日でも何でもないのに……」
「いつも王女としての務めを頑張っている素敵な女の子に贈り物を贈るのに、理由がいるのかい?」
それを聞いたリリアンヌは茹蛸のように真っ赤になる。そして、街中に響く大声で応えたのであった。
「ぜひ、ご一緒に!」
エルルカが装飾品を選び始めた二人の背中を眺めていると、すっとアレンが隣に立った。
「エルルカ様ですか?」
「ええ」
「なんだか、お疲れのようですね」
「まあ、いろいろあってね……」
やがてリリアンヌは黄色い髪飾りを選びとると、それをカイルに直々につけてもらっていた。その顔といったら、今が幸福の絶頂と言わんばかりの、溶けてしまいそうなほどの満面の笑みであった。
対してアレンは、複雑な表情を浮かべている。
「どうしたの?」
「リリアンヌが嬉しそうで僕も嬉しいはずなのに、なんだかもやもやして。何故でしょう?」
「……さあね」
エルルカは理由に心当たりがあったが、口に出すことはなかった。
──みんな、似たような感情に振り回されるのねえ。
何百年も生きてきた彼女にとっては少し青臭く、そして眩しかった。
さて、結局のところエルルカは、予知夢で見た運命を変えられたというわけではなかったというのが、その日の晩に判明した。
彼女がその日見た夢は、昨夜のものと似てはいるが、しかしながら肝心な部分が異なるものであったのだ。
カイルに顔がよく似ているが、マーロンではなく蛇国の着物を身に纏っている青年が、ルシフェニアとは似つかない独特の街並みの中で、様々な女性と親しくし、最後にはまた別の女性に惨殺される。
そう、それはルシフェニアとは違う国、そしておそらく、違う時代で起こる出来事についての予知夢であったのだ。
この世界には、時折同じ顔の人間が生まれてくる。
おそらく身近な人物とよく似た人物が予知夢に出たせいで、記憶に混乱が生じ、その内容がいろいろと混濁してしまったのだろう。
──まったく、ルシフェニアに長くいすぎたかしらね。
エルルカは自嘲する。
だが、まだ弟子を育て上げるまではここに残るという約束をしてしまっている。だから仕方ない。もう少しここにいることにしよう。
決して、あの王女の恋する乙女全開の笑顔にほんのちょっぴり絆されたとか、あるいは召使のあの感情の行く末を見届けたいとか、そんな理由ではないのだ。
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ブクマつながり
もっと見る『悪の娘』を捕らえることができた。
それが確信となった途端、ジェルメイヌは膝から崩れて座り込んだ。
安堵と満足。そして、革命で命を落とした者への謝罪。色々な感情がまぜこぜになり、足から力が抜けた。
端から見ると怪我で意識を落としたと思われたのだろう。
近くに居たカーチェスがジェルメイヌの体を支えよう...革命のあと
ogacchi
自宅にも井戸端会議にも居らず、
おそらくと目処をたてていた第3の場所…居酒屋へとシャルテットは足を運んだ。
「あぁ、やっぱりッスね」
座ったままでも窓から外の景色を眺める位置に茶色の髪の女性はいた。
グラスには赤い液体が入っており、チビチビと飲んでいたようだ。
空きビンは見あたらない。
「夕方前から...居酒屋にて
ogacchi
私の目の前には一人の男が座っている。見かけは質素だが生地も仕立ても一級品な服に青い髪。画材道具の入った鞄を持っていれば旅行客に見えるとでも思ったのだろうけど、護身用の長剣にはばっちりマーロン王家の紋章が入っている。……というか、忍ぶ気が全くないんじゃないかこの人。
「好きなものを頼んでくれて構わな...青ノ妹
粉末緑茶
私の名前はネイ=フタピエ。『悪ノ娘』リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュに仕えるメイド……というのは仮の姿。
その正体はリリアンヌに悪魔を取り憑かせ、悪政による内部崩壊を引き起こすために送り込まれた工作員であり、知られざるマーロン国第十三王女である。
無事王女付きのメイドとして王宮の中枢に潜...工作員の試練
むぎちゃ
リリアンヌは気まぐれだ。だから使用人たちは往々にして彼女に翻弄されることになる。今、僕もまた彼女の気まぐれに振り回されていた。
「剣術でわらわが負けたことは一度もない。アレン、いくらお主でもわらわには敵わぬじゃろう。」
僕はただニッコリと愛想笑いを浮かべて静かに頷く。誰も君相手に本気出せるわけな...夕焼けとはんぶんこ
カンラン
「エルフェゴートへ?」
「そう、少し用事をね。お願いするわ」
「分かった」
「お土産に、エルフェゴートの名産品トラウベンがあれば嬉しいわね」
「ふあぁぁ」
あくびをするリリアンヌが、視界の端に見えた。
あーあ、退屈な会議ねぇ。形だけで、意味なんてない。リリアンヌじゃなくても、あくびが出るわ。
「ふぁ...化ケ物ノ襲来
亮也
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