「エルフェゴートへ?」
「そう、少し用事をね。お願いするわ」
「分かった」
「お土産に、エルフェゴートの名産品トラウベンがあれば嬉しいわね」


「ふあぁぁ」
あくびをするリリアンヌが、視界の端に見えた。
あーあ、退屈な会議ねぇ。形だけで、意味なんてない。リリアンヌじゃなくても、あくびが出るわ。
「ふぁっ」
思わず出そうになったあくびを、かみころす。
「あー、オホン。このところ、街に羊の化け物が出ているとの報告を多数受けております」
ん? 化け物? 羊の……?
「世迷いごとではないのか?」
「私もそう思うのですが、報告があまりにも多いので、念のため」
報告をしている大臣が、チラッと私を見た。彼は──いや、彼も、と言うべきか。彼も、私が評価されているのが気に入らないのだろう。女の身であり、更に魔導師という、彼からすると胡散臭い私が。
まあ、私には関係ないけれど。
「ふむ。で、その羊の化け物とはどのような?」
「報告によりますと、頭に羊の角を生やし、背中に蝙蝠のような羽がある、上半身裸の男だということです」
「うぇ……。で、そやつは何をやらかしたのじゃ?」
リリアンヌが、顔を盛大にしかめる。話、聞いていたのね。てっきり聞いていないのかと。
大臣たちも、彼女が聞いているとは思っていなかったのだろう。口を挟んだことに、たいそう驚いているようだ。
「あああ、あの、それが……」
「何じゃ。勿体ぶらずに、言うてみい」
「……女を惑わし、連れ去るのだとか」
「む? 惑わす、じゃと?」
「その化け物と目が合った女は、化け物に惚れ、ホイホイとついていってしまうのだそうで……」
「そんな格好の男に、ついていく女がおるのか?」
「顔はたいそう美しく整っており、それは女性と見紛うほどであると……」
「そのようなもの、上半身裸の時点で全部台無しじゃ」
「そ、その、女を惑わすのが、どうやらその化け物の能力のようで……」
「ほう……まあ、化け物のことなら、エルルカに任せておけば、安心じゃろ! 詳しいことはエルルカに話しておけ。頼んだぞ、エルルカ」
「はーい」
あー、めんどくさ……。
「報告はもう無いか? では、会議はしまいじゃ!」
嬉々として、会議の終了を告げるリリアンヌ。あくびをしていたほどだ。退屈な会議が終わるのが、余程嬉しいのだろう。
退席する大臣たち。それと入れ替わるように、掃除のため、部屋に入ってくる使用人たち。
「リリアンヌ様、今日のおやつは……」
「ああ……アレンか。今日はいらん。変態の話を聞いて、気持ち悪くて食べる気がおきん」
「変態……ああ、ネイとシャルテットが話していた化け物のことでしょうか……なんでも──」
「話していらんからな⁉︎ 話すでないぞ‼︎」
ぼんやりと、人の流れを目で追う。
めんどくさいわね……めんどくさいけど……羊の角……蝙蝠の羽……何より、女を惑わす力……。おそらくは……。あーあ。めんどくさいなんて言ってられないじゃない。


──その日の真夜中。
「キャアアアアアアアアアアアアア‼︎」
王宮に、1人の女の甲高い悲鳴が響いた。


突如。真夜中の静かな王宮に響いた悲鳴。
それに気づいて飛び起きた者が、心配の声を上げ、悲鳴の発生場所へと向かう。更に、その音に気づいて飛び起きた者が後を追い、更にその音に気づいた者が─────そして、王宮は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
その騒ぎは──。

「何よ。うっさいわねぇ」
化け物騒動対策に疲れ、机に突っ伏していた魔導師の元へも──。

「んー? 何ー? ふぁぁ……。……こんな夜に何の騒ぎじゃ⁉︎ 誰か‼︎ 誰かおらぬか⁉︎」
ぐっすりと眠っていた王女の元へも、届いた。


「どうました⁉︎ 一体何が──」
偶然──本当に偶然、悲鳴の発生場所の近くの部屋で寝ていたために、1番早くに駆けつけた使用人の青年は、廊下で腰を抜かしてへたり込んでいるメイドに声をかけた。青ざめた顔をしたメイドは、まるで虚空を見つめているようであった。

──スッ──

彼女の腕が、彼女の視線の先──窓の外を指した。
その動きに従い、窓の外を見た青年は──。
「ギャアアアアアアアアアアアアア‼︎」
窓の外、満月の光の中に、羊の角と蝙蝠の羽を持つ半裸の男の姿を見た。


「うっわあ……あれが、噂の……」
騒ぎの現場に、かなり遅れて辿り着いた僕は、ネイとシャルテットと共に、少し離れたところから、騒ぎを見ていた。
その様は、正に、化け物。
毎日顔を合わせているネイとシャルテットの、初めて見る寝巻姿。常時なら気になるであろうその姿も、今は興味を持てやしない。
初めに発見したメイドと、彼女に駆け寄った召使にはご愁傷としか言いようがない。
一体、あの化け物、何が目的でこの王宮に来たのだろう。
まあ化け物だし、大した目的などなく本能で、人の多いところに来たのかもしれないが。
……あれ?
「化け物の目、光らなかった?」
僕の気のせいだろうか。化け物の目が、赤い光を帯びたように見えた。
「あっ……」
「シャルテット、どうしたの?」
シャルテットが、高く甘い声を上げた。その声に隣を見ると、目が泳ぎ、口元が緩み、普段から間抜けな顔が更に間抜けになった、シャルテットがいた。
「ど、どうした?」
「どこへ行く気だ!」
周りから次々とあがる、戸惑うような、心配するような野太い声に周りを見渡す。シャルテットだけじゃない! 他の女性もだ。他の女性も皆、虚ろな表情になり、化け物の元へ行こうとしているのだろうか? 外へ向かおうとしている。
「これが、化け物が持っているという女を惑わす力かしら?」
「ネイ、君は……どうして無事なんだい?」
「……さあ? もしかしたら、持ってるお守りが役に立ったのかもしれないわ」
「行くな‼︎」
外に行こうとする女性を、それぞれ近くにいる男が力づくで止める。
そして、僕とネイは。
「クッ!」
「こっの、馬鹿力が!」
僕とネイが止めているのは、シャルテット。よりにもよって、馬鹿力なシャルテットだ。男のくせに情けないことだが、僕1人ならきっと、シャルテットに負けていた。本当に、ネイが正気を保っていて良かった。
だけど、この状況、いつまで続くんだ?
城へ常駐している兵は、屋外で、屋内に入ってこようとする化け物への対応──化け物との戦闘──を迫られており、そちらはそちらで大変そうだ。
どうする……どうする?
誰か!
誰か‼︎
「やれやれ、噂が本当だったとは……」
焦燥と警戒に満ちた空気を破る声。
「エルルカ様!」
エルルカが来たなら、安心だろう。
ルシフェニアの三英雄、宮廷魔導師エルルカ=クロックワーカー。
化け物相手なら、彼女の右に出る者はいない。
「エルルカ様だ!」
「これで安心だ!」
「おおおおおーー!」
周りからも歓声が上がる。
「え……うざ……」
エルルカが微妙な顔をしているのは気のせいだ。うん、気のせいだ。今、彼女は王宮を守るという使命感に燃えている。そうでなくてはならない。


「退きなさい」
化け物に応戦している兵たちに、声をかけた。
「エルルカ様のお出ましだ!」
「退きなさい! あなたたちまで、吹き飛ぶわよ!」
「はい!」
ふぅ……。
魔術を放つ構えをとる。
「ほう、これはこれは綺麗な女性だな」
大丈夫。兵士たちは苦戦していたようだけれど、化け物といえど、“所詮は人間”。
大丈夫。私なら、倒せる。
「兵士が数人がかりでも苦戦したんだよ? 君のような華奢な女性に何が出来るんだい? ふふふ、君のような美しい女性とお近づきになれて嬉しいよ」
「別に、あなたとお近づきになんかなりたくないわ」
思い切り睨みつける。
「おお、怖い。威勢がいいねぇ……。だが、これでも、そう言ってられるかな?」
男の口角が、クイと上がる。
「っ……⁉︎」
危ない‼︎
咄嗟に、風を操る。微かに吹いていた風を暴風にし、化け物の男を吹き飛ばした。
今、男は、何をしようとした? 感じた、底知れぬ危機感は一体……?
いや、そんなものは、決まっている。
私を魅了し、惚れさせようとしたのだろう。他の女と同じように。
化け物の正体は、話を聞いた時から、察していた。この男が持つ異性を魅了する力……魔導師である私に効くのかどうかは……分からないので、警戒しなければ。
そもそも、早く決着を付けなければならないのだ。そうしなければ、術にかかった女の子たちが、屋内から出てきてしまうかもしれないのだから。男を倒せば、同時に術も解けるはずだ。
「今の暴風……なるほど。君が、噂の魔導師か。道理で、兵士が信頼して撤退したはずだ……。その高度な魔術、敬意を払おう。是非、我がハーレムへ」
「お断りよ‼︎」
再び、魅了の術を使おうとする男に向け、風を操る。先ほどよりも、強く‼︎ 竜巻を‼︎ 全てを切り裂く竜巻を‼︎
この一撃で、終わらせてやる‼︎

大きな術を使うのは、こちらも疲労が大きいけれど、これで終わるのだから問題はな──え⁉︎ なんて事なの⁉︎
竜巻により起きた、砂煙の向こう。男が立ち上がるのが見える。
「そんな……‼︎」
これが効かない⁉︎ そんなに弱い竜巻だった?
砂煙が晴れ、男の姿が見える。
……いえ、弱くない。確かに、狙ったとおりの強さが出せている。
男の服は見る影もなく、男の身体も全身傷だらけ。
やはり先ほどの一撃は、倒せるくらいの威力があったのだ──普通の相手なら。
「これも、悪魔の持つ力だっていうの……⁉︎」
凄まじい、回復力。
ズタズタに刻まれた服は戻りはしないが、男の傷は治っていき──既に全快。
これは、マズいかもしれない。
私なら、倒せる──そう思っていた。
でも……先程の竜巻で倒せないとなると……万が一が起こりうる。
寒気がした。背筋が凍りつきそうだ。これは、夜の寒さのせいではない。この寒気は。
はあぁ……。
あーあ、こんな時に限って、あの子がエルフェゴートに行っていて不在だなんて。どんなタイミングの悪さかしら……なんて、文句を並べたって仕方がない。この王宮で、この男に対処できる可能性が多少でもあるのは、私しかいないのだか───。
「騒々しいと思えば、なるほど。お主が、近頃街に出るという、羊の化け物か」
何、ノコノコと出てきてるの⁉︎
突如、後ろから聞こえた高い声。その声の主は。
「幼い体躯。豪奢な服。君がリリアンヌ王女か」
そう、リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュ。このルシフェニア王国の君臨者たる王女。
彼女を見ると、その手には、ルシフェニア王家に伝わる黄金の剣。
だが、そんな物を持っていたところで敵うはずがない。兵士でさえ、魔導師の私でさえ、敵わなかった相手に。
「エルルカ。お主ともあろう者が、何という顔をしておる。大丈夫じゃ。わらわは、剣には覚えがあるぞ」
箱庭育ちの王女のくせに? 剣を持ったことすらないかと思っていたけれど。
「何度か兵と手合わせをしたが、負けたことは一度としてない‼︎」
いや、アンタねぇ……⁉︎ 誰がこの国で、アンタに本気で剣をふるうと思ってんのよ⁉︎ 兵士が手加減してるからに決まってんでしょ⁉︎ 本気で相手されたら、アンタが負けるに決まっているでしょ⁉︎
「おお、勇ましいねぇ。エルルカといい、君といい、ルシフェニアの女性は大層勇ましいようだ」
男は楽しそうに笑っている。男も、私と同じように考えているのだろう。完全に、ナメられた。
「“君”じゃと⁉︎ なんと、無礼な奴じゃ。わらわを誰と心得る」
見なくても分かる。今の彼女は『悪ノ娘』の表情をしている。14歳の子供とは思えない、皆が怯える邪悪な表情を。
私たちの目の前で笑っている男は、その顔を恐ろしいとは感じていないようだが。
「君は、僕が怖くないのか?」
「怖い?何がじゃ」
「僕の、この姿が……」
「わらわは、化け物など信じておらん。ただの変装じゃろう」
ああ、無知ってのは、恐ろしいわね……。
「ふふ、そうかそうか……」
男はリリアンヌを見つめ、リリアンヌは男を睨む。2人の視線が交わった。
「エルルカ、今のは何じゃ」
「はい?」
「今、あやつの目が光ったぞ‼︎ こう……赤に」
……丁度、見てなくて気がつかなかった。
「何故⁉︎ なぜ効かない⁉︎」
男が狼狽する。
目が光った。おそらく、それは男が魅了の力を使った印。
けれども、リリアンヌにはその術が効いていない……⁉︎
「エルルカ」
小さな──男には届かないくらいの小さな声で、リリアンヌが声をかけてきた。
「あやつ、何やらわからんが、うろたえておる。好都合じゃ。お主の竜巻であやつを止めろ。その隙にわらわがあやつを倒す」
……正直、リリアンヌがあの男を倒せるとは思えない。いくら隙があってもだ。
「エルルカ‼︎」
だけど、こんな屈辱的な終わり方、出来るわけがない‼︎
全力で、竜巻を起こす‼︎ 今度こそ、これで最後‼︎ 私だけで、あの男を倒してやる‼︎
「わらわはこの国の王女じゃ‼︎ 何人たりとも、勝手なマネは許さぬ‼︎」
今宵は満月。最も魔力が満ちる日。
その魔力を使い果たし、私は膝をついた。


「何か、あった? 疲れている、ように、見える」
「大変だったのよ。あー、あなたがいれば、もう少しマシだったかもしれないのに……」
「そんなこと、言われても、困る。トラウベン、食べる? 話は、食べながら、聞く」
「いただくわ」


────エルルカが大きな竜巻を起こし、リリアンヌが化け物に向かい剣を振るった。
その時見えたものは、僕の幻覚だったのかもしれない。シャルテットを抑えていなければ、僕は目をこすっていたはずだ。

あまりに信じられない──リリアンヌの背中に羽が生えた──現象に。

リリアンヌの足元に紫の水たまりが広がり、化け物が崩れ落ちた。
エルルカも、力を使い果たしたのか……膝をついた。
それからすぐに、シャルテットや他の女性たちが、夢から覚めたようになり、安心した僕は外へ──リリアンヌの元へ──向かった。
リリアンヌの元へ駆け寄ると、彼女は虚ろな目で僕を見て、僕に倒れかかり、眠りについた────。
スヤスヤと気持ちよさそうに眠る、君を見つめる。
あの時、君は……。
「んっ……んー、ぐっすり寝たー」
昨夜、君は、とても虚ろな目をしていたね。
昨夜の出来事を覚えているのか、いないのか──。
「おはようじゃ、アレン」


────君は笑う。無邪気に笑う。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

化ケ物ノ襲来

エルルカ視点が難しかったです……。

※この作品は『悪ノ娘 黄のクロアテュール』他、mothy_悪ノP様の作品に出てくるネタを含みます

閲覧数:622

投稿日:2018/08/22 17:13:13

文字数:5,943文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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