來果さんがマスターになってくれて、数日。
朝晩の食事と夕食後のレッスン、それから歌った後のアイスタイムは、至福の時間だ。來果さんと一緒に過ごせて、沢山笑いかけてもらえて、僕も沢山笑う。
だけど、昼間は辛かった。來果さんは仕事があるから、ひとりで留守番をしなくちゃいけない。仕方がないって分かってはいるけど、やっぱり淋しい。
そんな時間を遣り過ごすのと実利を兼ねて、僕は殆どネットに入り浸っている。
最初は料理のレシピや調理知識ばかり見ていたけれど、≪VOCALOID≫の調教法やDTMについても学ぶようになった。
上手くなくても來果さんと歌えるだけでいい、と思っていたけど、僕が下手なままだと、折角一緒に歌っても不協和音になってしまうんだ。それに調声にかける時間が短縮できれば、それだけ沢山歌う事ができる。一緒に歌って、あのひとの歌声に抱かれていられる。
それでも、ひとりで過ごす一日はひどく長くて、息苦しい。お昼が一番きつかった。どうしても、歪んだ思いが涌くのを止められない。
お昼も作らせてもらおう、なんて一度は思ったけど、言えなかった。朝も昼も夜も、來果さんの口にするものは全部僕に作らせて欲しい、なんて。
そんなのも、きっと歪んでる。
* * * * *
【 KAosの楽園 第2楽章-004 】
* * * * *
「そうだ、カイト。私、明日はお休みだから」
來果さんがそう言ったのは、夕食の席でだった。
僕が此処に来てから、初めての事だ。お休みって事は仕事に行かなくていいって事で、ずっと家に居てくれるって事で。
『明日は ずっと一緒に居られて、沢山構ってもらえる』なんて、期待でどきどきしてしまった。
――の、だけど。
『お休み』のはずの翌日、來果さんは朝から忙しく動き回っていた。洗濯をしたり、掃除をしたり、溜まった郵便物をチェックしたり。
「掃除なんてしなくても……充分綺麗ですよ」
「そういうわけにはいかないんだよねぇ」
拗ねた口調で漏らした僕に、優しい苦笑が返ってくる。窘めるでもなく、ごめんね、と添えて。
そんな風に言ってもらって初めて、僕は自分が我侭を溢してしまった事に気が付いた。ぎくりと肝が冷え、思わず口元を手で覆う。今更そんな事をしたって、発してしまった言葉は消せはしないのに。
青褪めた僕に手を止めて、來果さんがこちらへ来てくれた。
慈母のように微笑んで、あたたかな手で優しく頭を撫でてくれる。
「いいんだよ、カイト。毎日ひとりでお留守番させちゃって、お休みまでこれじゃあ つまんないよね」
「や、そんな」
「無理してイイコにしなくていいの。我侭くらい言ったっていいし……っていうか、これくらい我侭のうちにも入らないけど」
そうやって甘やかして、僕が止まらなくなったらどうするんだろう。
『我侭くらい』って言うけど、何処までが『我侭』で許されますか? 病んで歪んだ独占欲との境目は、何処でしょうか。
僕のそんな物思いなど知らない來果さんは、ひとしきり撫でてくれた手を離し、時計を見上げた。
「ちょっと早いけど、お昼の準備しようか。カイト、手伝ってくれる?」
「勿論です。むしろ僕やりますよ? 來果さん、さっきのまだ途中でしょう」
「そう? じゃあ お言葉に甘えようかな。ありがとね、カイト」
僕の言葉に にっこり笑ってくれる貴女は、知らない。
僕が支度を引き受けるのは親切心でもなんでもなくて、ただ貴女に早く雑事を済ませてしまってほしいだけなんです。早く済ませて、僕に構ってほしい、って。そんな病んだ、ただのエゴで。
「カイト?」
「ぁ、はい?」
「ご飯、食べ終わったら。お出掛けするからね」
「え」
それって、僕は――?
不安が顔に出てしまったんだろう。白い指が伸びてきて、ちょい、と軽く頬を抓った。
「ひどいなカイト、私そんなに冷徹に見える? この期に及んで、お休みの日まで留守番してろとか言いませんて」
拗ねた振りをしてみせても、來果さんの瞳は優しい。
「カイトも一緒に、お出掛けだから。ウチに来てから一歩も外に出てないでしょう、この辺 案内するよ。……ただ買い物もしなくちゃいけないから、悪いけど荷物持ちは覚悟してね」
「――っ、はい、幾らでもっ」
「あは、頼もしいね。そんな事言うとホントに山ほど持ってもらっちゃうよ?」
冗談めかしてクスクス笑う声が眩しい。だけど僕は本気で、荷物なんか幾らでも持てると思った。マスターが僕の事を考えてくれていて、一緒に連れて行ってもらえるっていうだけで、もう有頂天だったんだ。
「そういえばカイト、来た時ってセーフモードだったから、ホントに初めてなんだね。此処から右手に行くと駅、ちょっとかかるけどね。ドラッグストアとかも駅前にあるから、たまに行くよ」
マンションから出て、早速あれこれ説明が始まった。指差される先を見て頷きながら、インストールされている近隣地図と照らし合わせる。成程、駅までは歩いて15分ってところみたいだ。
「でも今日の行き先は反対側ー。こっちの方が用事は多いんだ、食品とか買うお店はこっちだし。結構大きいショッピングモールだからね、大抵何でも賄えちゃうの」
「ドラッグストアは無いんですか?」
「一応入ってるけど、あんまり安くないんだなー。品揃えもイマイチ」
話しながらも歩き出す。歩調はゆっくり、お散歩ペースだ。それだけでなんだか嬉しい。
來果さんは並んで歩く僕に頻繁に視線を向けてくれて、この家の庭はいつも花が咲いていて綺麗なんだとか、その路地の向こうは河川敷に繋がるんだとか教えてくれた。
そうして暫く歩いて、何度か角を曲がった先に、まだ新しそうな大きな建物が見えた。煉瓦造りで、モダン、て言うのかな? ちょっと洒落た建物だ。
何だろう?と思う間に、來果さんはその敷地に僕を導いていった。
「はい、本日の目的地・そのいち。図書館でーす」
「図書館、でしたか。綺麗な建物ですね」
「この春に開館したばっかりの出来立てなんだよー。私の勤務先ー」
「へぇ……っぇ、えぇ?」
今さらっと重大発言が!?
思わず全力で喰いつく僕に、楽しそうな笑い声が降り注ぐ。悪戯大成功、とでも言いたげに、來果さんはご満悦だ。
「カイト、いきなり強制終了はもう平気そうだし、そろそろ昼間 外出してもらってもいいかなって。図書館なら時間潰すのにも向いてるだろうし。私は仕事してるけど、一語たりとも私語は許さん、てほど厳しいわけでもないから」
「それ、って、僕……来ても、いいんですか」
「カイトがそうしたいならね。とりあえず今日、貸し出しカードだけ作っちゃおうか」
――どうしてだろう。
貴女には、わかってたんですか? 僕が昼間、ひとりでは辛くて、怖かった事が。貴女に会いたくて、会いたくて会いたくて会いたくて、昏い闇に呑まれそうだった事が――?
先に立ってカウンターへと向かった貴女が、僕を振り返って笑いかけてくれて。
僕は涙が滲むのを誤魔化しながら、後を追って歩き出した。
<the 2nd mov-004:Closed / Next:the 2nd mov-005>
KAosの楽園 第2楽章-004
・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?
↓後書きっぽいもの
↓
↓
* * * * *
兄さん、自分の思考がちょっと微妙なラインにある事に気付き始めたようです。
マスターを大切に思って、役に立てたり傍に居られたりして嬉しいのと、ヤンデレめいた過剰な独占欲の境界線は何処なのか?
第2楽章もそろそろ佳境かな……次かその次くらいで終わると思います。……多分。
そこからまだ第3楽章に続くわけですが。
そういえば余談ですが、作中では≪VOCALOID≫も(図書館の)貸し出しカードを作れる設定です。
本文に入れようか迷った結果、蛇足かなぁと省いたのでここで補足。
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ブログで進捗報告してます。『KAITOful~』各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/
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もっと見る※アンドロイド設定注意※
『KAosの楽園』の≪VOCALOID≫(アンドロイド)設定ネタSSです。
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1. ≪VOCALOID≫的 夏事情
「暑いねー……ってカイト、その格好で暑くないの? マフラーとか」
「え? あぁ、いえ。これ、排熱と冷却の効果があるんですよ。脱ぐと却ってや...≪VOCALOID≫的 季節の事情【カイマス小ネタSS】
藍流
“『KAITO』の全要素を盛り込んで”人格プログラムを組まれた僕、≪VOCALOID-KAITO/KA-P-01≫。
矛盾する設定に困惑し、いつか主を害する事に恐怖して、特定のマスターを持つ事を拒んできた。
だけどマスターは、僕の根幹に関わる不可欠な存在で。それを拒絶する事はあまりに過酷で、恐ろしか...KAosの楽園 第2楽章-001
藍流
※『序奏』(序章)がありますので、未読の方は先にそちらをご覧ください
→ http://piapro.jp/content/v6ksfv2oeaf4e8ua
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『KAITO』のイメージは無数に在る。例えば優しいお兄さんだったり、真面目な歌い手だったり、はたまたお調子者のネタキャラだったり...KAosの楽園 第1楽章-001
藍流
作ってもらった貸し出しカードは、僕の目には どんなものより価値あるものに映った。1mmの厚みもないような薄いカードだけれど、これは僕が此処へ来ても良いっていう――マスターに会いに来ても良いんだ、っていう、確かな『許可証』なんだから。
來果さんは館内の案内もしてくれて、僕は図書館にあるのが閲覧室だけじ...KAosの楽園 第2楽章-005
藍流
間違った方へ変わりそうな自分を、どうやったら止められるだろう。
例えば図書館で、短い会話を交わす時。図書館だから静かにしないといけないのと、仕事中だからか落ち着いた様子で話すので、來果さんは家にいる時とは別の顔を見せる。品の良い微笑を絶やさず、『穏やかなお姉さん』って感じだ。
だけど、短い会話の中で...KAosの楽園 第3楽章-003
藍流
來果さんがマスターになってくれて、僕に許してくれた沢山の事。
食事を作らせてくれる、家の事をやらせてくれる、……職場に、傍に、行かせてくれる。
普通じゃない、って自分で思う。いくら≪VOCALOID≫がマスターを慕うものだと言ったって、僕のこれは病的だ。だけど來果さんはちっとも気にしないで、笑って赦...KAosの楽園 第3楽章-002
藍流
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