來果さんがマスターになってくれて、僕に許してくれた沢山の事。
食事を作らせてくれる、家の事をやらせてくれる、……職場に、傍に、行かせてくれる。
普通じゃない、って自分で思う。いくら≪VOCALOID≫がマスターを慕うものだと言ったって、僕のこれは病的だ。だけど來果さんはちっとも気にしないで、笑って赦してくれた。受け入れて、くれた。
來果さんが受け入れてくれるから、僕も少しずつ、受け入れられるようになってきた。
マスターを戴き、マスターを好きだと思うこと。それは≪VOCALOID≫の必然であり、誇り――にも関わらず、僕がずっと自らに禁じてきたことだった。焦がれるほどに切望しながら、絶対に赦せなかったことだった。
その禁を、僕は少しずつ解いていった。來果さんが、ほぐしていってくれた。
* * * * *
【 KAosの楽園 第3楽章-002 】
* * * * *
「來果さん、こっちのフォルダのも聴いていいですか?」
「ん、どれ? あぁ、どうぞー」
お許しを貰って、ファイルを端から再生していく。最近僕は、歌う曲以外も色々と聴かせてもらうようになった。來果さんのPCにあるって事は、來果さんが気に入った曲って事だろうから。
『KAITO』好き、と言ってくれただけあって、沢山あるファイルの半分は『KAITO』の曲だった。本気曲からネタ曲まで、それにカバー曲も。本当に全般的に好きらしい。
歌だけじゃなく、食べ物の好みや、洋服の好みや……いろんな事を、訊くようになった。
これまでは絶対にできなかった事だった。マスターにしない為に『個人』の認識を避けて、自分自身も押し殺していたから、あらゆる『情報』は忌避すべきものだった。
だけどもう、來果さんはマスターと認めさせてくれたから。だから、來果さんの事は知って良いんだ。
もっと笑ってもらう為に、役に立つ為に。傍に居る為に。
図書館でも、僕の行動は少し変わった。
『許可証』――貸し出しカードを作ってもらってから、來果さんが仕事の日は午後を図書館で過ごしている。ただマスターの傍にいたくて通っていたから、手元に本は持ってきても形だけだった。
それを変えたのは、僕が貰った部屋に残された本棚の存在だ。両脇の壁に据え付けられた、大きな本棚。そこにぎっしりと並んだ本達。一人暮らしだったはずだから、あれは全部來果さんの蔵書だろう。
どんな話が好きなのかな、と思ったから、棚を眺めて回ってみたんだ。
「あ、この本……」
覚えのあるタイトルを見付けたのは、児童書の並ぶコーナーだった。周りに並んだ本の倍はありそうな分厚い本は、手に取ってみるとずしりと重い。
適当に空いた席に腰を据えて、表紙をめくって驚いた。本に印刷される文字というのは黒いものとばかり思っていたけど、この本のインクは綺麗な赤だったんだ。
ぱらぱらとページを繰って、更に驚く。本文の色が、今度は群青になっていた。2色で刷り分けられているなんて、変わった本だ。それとも、子供向けの本ではよくある事なのかな。
それにしても、つい持ってきてはみたものの、分厚いな。これを読み切るのはちょっと大変そうだ。適当に拾い読みで内容わからないかな……。
書いた人に失礼な事を考えながら眺めていると、あれ、と声をかけられた。
「カイト、珍しいね。児童書に興味が涌いたの?」
「マスター。いえ、見覚えのある本だったので何となく」
「あ、そっか。カイトの部屋に置かせてもらってるもんね」
静かな図書館では話す声も抑え気味になるから、いつもとは違った響きに聞こえて不思議な感じだ。囁きあっていると内緒話のようで、何故だか少しどきどきする。
「読みたかったら、うちの読んでいいんだよ。それ一気に読むのも持って帰るのも、ちょっと大変でしょう」
微かに、殆ど息だけで笑って、來果さんは小さく首を傾げた。
「どう、面白い?」
訊ねる顔は何処となく楽しそうで、嬉しそうで。眺めていただけで読んではいなかった僕は、ばつの悪い思いを押し隠す。
「まだ読み始めたばかりで……」
「あぁ、そうだよね」
僕の言い訳にすんなり頷いて、ちょっと恥ずかしそうに笑うと、來果さんは軽く手を振って仕事に戻っていった。
その去り際の笑顔に、僕は覚悟を決めた。これをちゃんと、眺めるんじゃなくて、拾い読みでもなくて、ちゃんと読もう。そうすれば、來果さんとこの本の話ができるんだ。
それに、きっと。來果さんの本棚は文庫本がメインで、大きな本は全集とこの本と、数えるほどだけだった。それは多分、この本がそれだけ好きで、特別って事なんだろう。
僕がこの本を広げていて、來果さんは嬉しそうだった。僕もこの本を読んで、好きな本の話をできたら楽しい。きっとそんな風に考えたんじゃないかな。だったら、僕は応えたい。
それに。僕は知りたい。來果さんが好きなもの、來果さんにとって特別なもの、その理由を。元々、それが目的で手に取ったんだ。
その晩、僕は眠らずに――≪VOCALOID≫も普通は休眠をとる――夜通し分厚い物語を読み続けた。
最後の文字を拾い終え、裏表紙をぱたんと閉じた時には、もう窓の外が白み始めていた。長く濃密な物語を一気に読み通して、思わずはぁっと溜息を吐き出す。
子供向けの本だと思っていたのに、何だか複雑で難しい話だった。いや、不思議な世界を旅するファンタジーで、分類するなら確かに児童書で間違いないと思うんだけど。
この感想、どう言ったら良いんだろう。
「え、もう? 一晩で読み切ったの?」
読み終わりました、と告げた僕を、來果さんは目を丸くしてまじまじと見つめてきた。頑張ったねぇ、と感心した風だ。
「どうだった?」
「面白かったです。えぇと、」
一言目はするりと出てきた。來果さんの好きな本を貶すなんてありえないからだ。だけど続きに詰まってしまう。何か具体的に挙げなくちゃ、と思いながら、すぐには浮かばない。
焦りが見えてしまったか、クスリと笑う声がした。
「カイト、無理しなくていいんだよ。カイトが何をどう感じるかは、カイトだけの自由なんだから」
「や、えと、面白かったのは本当ですよ。ただあの、何て言うか……難しかったです」
「うん、私も読む度に考えるよ。大人になって初めて面白いと思うようになった部分もあるし。子供の時は終わりの方読むのキツかったなぁ、主人公がどんどこヤな奴になってっちゃって」
「あ、ですよね。間違った方へどんどん変わっていかれて、主人公なのに悪者みたいになっちゃって」
否定的な事を言うつもりはなかったのに、意外な、けれど同意見の言葉に、反射的に頷いてしまった。主人公が『力』を手に入れてどんどん変わっていく後半は、彼が驕り高慢になっていって、前半のように楽しくは読めなかったんだ。
僕の言葉にマスターも頷いて、でも、と微笑んだ。
「間違ってたわけじゃないよ。『結局は正しい道だった』って、作中でも書かれてたよね」
「……それが一番難しいです。禍いを招いて、手に入れたつもりでみんな失くして、なのに『正しい道』なんですか?」
「うん……その果てに、真の望みに辿り着けたからね。きっと私達もそうなんだと思うよ。間違った事も回り道で、いつか在るべき処へ辿り着けたら、『結局は正しい道』と呼べるんだよ」
私の解釈だけどね、と付け加える來果さんは、不思議に深い微笑みを浮かべていた。
その視線があたたかくて、その表情にどきりとして。思わず腕を伸ばしそうになるのを、僕は慌てて抑え込んだ。
來果さんが受け入れてくれて、沢山『証』をくれて。安心して、僕も受け入れられるようになってきて、だけど時折行き過ぎて困る。
≪VOCALOID≫はマスターを慕うものだけど、だからって――触れたいとか、抱き締めたいとか。そんな風に思うのは、行き過ぎてるだろう?
來果さんが優しくて、良いマスターで。嬉しくて、幸せで、大好きで――其処で留まらなくちゃ。
その枠を逸脱してしまったら、あの本の主人公のように、きっと間違った方へ変わってしまうから。
<the 3rd mov-002:Closed / Next:the 3rd mov-003>
KAosの楽園 第3楽章-002
・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?
↓後書きっぽいもの
↓
↓
* * * * *
なんとなく今までと文体がズレてる気がする……。
1週間くらいまともに書けなくなってて、やっと何とか書いたら、文体忘れてました。改行とかのリズムも、こんな感じだったっけなぁ。
カイトが読んだ本は、実在のものを想定して書きました。読んだ事ある人には多分わかりますね。
最初はこんなに本の内容を出すつもりじゃなかったんですが、書いてたら話の流れに絡んできたので削れなくなりました……。一応、読んだ事なくても(この話を読むには)支障ないようにしたつもりです;
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ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/
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だけど、短い会話の中で...KAosの楽園 第3楽章-003
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アイスカップが空になる頃、そんな問いを投げかけられた。
「歌、ですか?」
「うん。『マスター』意識しちゃって、まだ抵抗あるかな」
重ねられた言葉で、あぁ、と思い出した。
そうだった、僕は『歌うアンドロイド』だっけ。どうもそういう意識が薄いなぁ……。
* * *...KAosの楽園 第2楽章-003
藍流
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