演者のエチュード / ゆるりー




思い返せば、その日は本当に「ついていない」日だった。

 枕元の目覚まし時計は十五分遅れて起床時刻を知らせ、朝食に十秒で食べられる栄養ゼリーを探せばキッチンで転び、急いで履いた靴下には穴が開きかけ。駅に向かえば電車は五分遅れていて、始業時刻までになんとかデスクに着けたのは奇跡と言っていいだろう。
 だけどお昼休みの後から体がだるくて仕事に集中できない。パソコンの画面の文字が目眩で読めなくなった頃、これはもうダメだと上司に早退を申し出た。送っていこうか、と私を心配する声を振り切ってなんとか家に帰り着き、気が付けば部屋のベッドで目が覚めたのだ。

「良かった、気が付いたんだね!」
 部屋のドアが開いて一人の男が心配そうにこちらに駆け寄る。透き通る青髪が綺麗で思わず手を伸ばして、その手は目標に届く前にひんやりとした手のひらに掴まれる。
「どうしたの、かいとがそんなに慌てるなんて珍しいじゃない」
「どうしたのって、こんなメッセージが来たから、すごく心配したんだよ。それで急いで帰ってきたら、玄関でめーちゃんは倒れてるし」
 見せられた彼のスマートフォンの画面にはメッセージ交換ができるアプリの、私との会話履歴。今日の日付の下に私から一言、「体がだるーいので先に返りま、」と送信されたのが十五時頃。その後彼から数回着信があったらしいけれど、気を失った私には全く届かなかったらしい。
「へえ。こんなメッセージ送ったかなあ。全然記憶がない」
「ところどころ誤字があるから、ほとんど無意識だったのかもね。それから、きちんと病院に行ったの? 熱は測った?」
「そういえば、測った記憶もないかな」
 差し出された体温計の電源を入れて、脇に挟んでからわずか十五秒で電子音が鳴る。表示窓には三十七度五分の文字。
「微熱だね。他におかしいところはある?」
「体がだるいのと、昼は目眩があった。他はないよ」
「今から行けば病院の受付時間に間に合うね。悪いけど、もう少しだけ頑張れる?」

 乗せられた彼の車の後部座席で、普段は流れているはずのラジオは聞こえない。ただエンジンの音だけが響く静かな車内では、必要なものはあるかとか、食欲はあるかとか。片方が病人なら当たり障りのない会話しかしなかった。音楽もかけなかったのは、眠気を堪えた私の声色に気付いていたからだろうか。な

「ただの風邪だったね。でも油断は出来ないから明日までゆっくり休んだほうがいいよ」
「急ぎの仕事もないと思うし、そうしようかな」
 診察を終えて帰宅し、真っ先に向かったのは自室のベッド。処方された薬や、手軽に食べられるゼリー飲料が入ったビニール袋を彼に手渡した。四月上旬、バタバタしていてすっかり衣替えのタイミングをなくしていた毛布を被る。今年は一週間も経たないうちに十度も気温が下がる、なんて異様な出来事が珍しくなかった。風邪とはいえ、熱があるときは些細な気温でも肌寒く感じる。
 彼が加湿器や、小さな折り畳み机を準備してくれている間、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。私が自分で準備すると帰りの車の中で言ったのだけれど、おぼつかない足取りで歩き回ると倒れたりした時が危ないから、今はしっかり休んでいてと諭した彼の声色があまりにも優しかったので、それ以上何も言えなくなった。
「それにしても、インフルエンザじゃなくて良かったね。かかったら高熱が続いてずっとしんどい日が続くから。まあ、四月も中旬のこの時期に、インフルエンザなんてそうそうかからないだろうけど」
「でも、今年はこの時期でも、あちこちで流行ってるらしいよ。職場の先輩がね、近所で流行ってるって言ってた」
「ええ? 温度差で体調を崩して、ガクンと免疫が落ちる人が多いのかな。とにかく、今熱があるのには代わりがないから、ご飯が出来るまでは寝ていたら?」
「うん」

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嫁入り狐の帰る場所 / Turndog



 ―――あ、あめ!おてんきあめだよ、おばーちゃん!

 ――――あんれぇ、お狐様の嫁入りだぁねえ。

 ――――おきつねさまのよめいり?

 ――――こぉんな化かされたような御空の日にはねぇ、お狐様がお嫁に行くんだよ。

 ――――おてんきあめなのに? へんなのー!

 ――――そうだねぇ、変わってるねえ。御狐様は、きっと面白いものが大好きなんだろうねえ。

 ――――ふーん? ……およめさんかぁ……

――――ふふ、めいちゃんはお嫁さんに憧れるのかい?

――――うん! いつかすてきなおうじさまにむかえにきてもらうの!


 ――――ふふ……おばあちゃんも楽しみだよ……



――――――――めいちゃんをお嫁さんに迎えてくれる素敵な人は、一体どんな人なんだろうねえ……




「……見つけたよ。殺し屋「鳴(メイ)狐(コ)」だね」
 明滅する電球に淡く照らされたホテルの一室で、不意に響いた若い男の声に、血濡れた爪をピクリと動かす。
 ただ、動かすだけだ。容易に振り向けばそれは隙となる。静かに動かして、「いつでもお前を斬り殺せる」という意思だけ示す。
「……齢七つの時両親が強盗の手にかかり殺されるが、咄嗟に握った包丁で強盗を刺し相手は重傷」
 唐突に陳述された古い古い忘れたい記憶に僅かに気を逸らされるも、いつでもその喉笛を掻っ切れる様静かに腕と足に力を込める。
「以後は祖母に育てられるが、十二の時突如として出奔、独学で業を学びフリーの殺し屋として活動を始める……」
 つらつらと述べられる私の過去。こんな現場に現れる時点で私にとっては大変都合の悪い輩には違いないが、そうでなくともろくでもない奴には違いない。限界まで精神を張り詰め、いつでも殺せる準備を整える。
「武器は鉄製の両刃の爪を収納した手袋、喉笛を掻っ切り白昼堂々血の雨を降らせる大胆不敵な犯行が特徴……」
 愛器も術も見切られている。確殺以外の選択肢を失わせるには十二分な言葉だ。
 「にもかかわらず犯行後煙のように消えてしまうその逃げ足から、狐につままれた様な体験をした警察が、日本のある伝承に準えて付けた渾名が――――」
 喋っている間に自分との距離は測らせてもらった。
声が最後まで語る前に、剥き出しにした爪を振りぬく。
血を振り払った愛器が、新たなターゲットの喉笛を切り裂く―――――――


「『血塗られた嫁入り狐』――――だったかな?」

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アクトレス・キャンディ / すぅ




『さて、今日は世界的ショコラティエ、氷山さんが作られた生チョコをスタジオにお持ちしました!』

 観客席に座る女の子たちの黄色い声と、出演者たちの食レポ。お昼時のバラエティでは定番の光景で、ドラマの番宣に来た女優2人も舌鼓を打っている。その映像をそろそろ役目を終えそうな炬燵の中で僕はぼけーっと見ていた。いつも仕事で見れないけど、お昼のバラエティってこんな感じだったなとぼんやり考えながら。
 ひとりきりのお昼は慣れたものだった。そもそも大学生の時から一人暮らしだし、今は大学時代にできた彼女と同棲しているが、仕事が忙しくて昼どころか夜だって一緒に過ごすことが少ないくらいだ。カップ麺をずるずる啜りながらテレビに目を向けると、いつの間にか趣味の悪いゴシップを取り扱ったワイドショーに変わっている。
【今日早めに撮影終わりそう】
 ポコン、という音と共に表示されたメッセージ。それは普段多忙を極める彼女からのもので、ついさっきバラエティ番組で紹介されたチョコレートの画像も一緒に送信されてきた。きっとお土産に、と多めに貰えたのだろう。さてと、僕はチョコレートに合うお酒でも物色しに買い物に出ようかな。


***


 MEIKOこと咲音芽衣子、今をときめく実力派女優と出会ったのは、まだ彼女が地道に小さな劇場に出演していたころ。元々演劇を見るのが好きな僕は、いろんな劇団の公演を貪り食うように見に行っていた。特にアングラ演劇と呼ばれるような、風刺の入り乱れた戯曲を取り扱った舞台は見逃さないよう、貰ったフライヤーを壁に貼り付けるほどで、自由に使えるお金の許す限りは、ほぼ全てチケット代に費やしていた。
 小指の想い出、野田秀樹の代表作のひとつをやる劇団があるということで出向いた先に彼女はいた。そこで粕羽聖子として舞台を縦横無尽に舞う姿に、僕は一瞬で心を奪われてしまった。
 聞くと彼女は、劇団に入って初舞台でこの大役を手に入れたという。そこからどっぷりと彼女のファンとなり、その後の公演は欠かさず見に行ったし、慣れないSNSのアカウントだって彼女が使っていたから登録した。最早一種のストーカーだったが、節度を守って、役者とファンの線を越えないよう自分を律することだってあったくらいだ。
「今度ご飯でも行きませんか」
「は?」
 だから彼女からの囁きを理解して返事をするのに三日かかっても、仕方の無いことだと思う……思いたい。

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rainy, / ayumin




「君はさ、結局のところどうしたいの」

うるさいなぁ。
流行りの歌手の曲の一節みたいな、彼女の声で頭の中で再生されて目が覚めた。
外は雷雨で俺は昨日の仕事で二日酔いで、健康的な朝だなぁとは言い難くてまさに、みたいな。
ていうかまず朝ではないんだけど。
主張の緩すぎる曇りに遮られた眠そうな日差しをばかにする雨と窘めるみたいな雷が重なって喧嘩する午後三時五十分。
昨日を引きずって気だるさが残るままの身体、まだ僅かに残るアルコール。
耳にぐずり俺を嫌でも起こす雷鳴のどなり声。
……愛を伝えたいだとか、今更きみに言えっこない。
もうこの三階右奥三番目の日当たりの悪い八畳には君の使っていたあの香水の匂いは戻らないし、寝ぼけた君の呻くような甘い声が響くこともない。

何処から間違えたんだろう。

そこそこ忙しいキャバレーで何度か仕事で顔を合わせて。
彼女は当時から光る輝く、ここにいちゃ勿体ないくらいの歌姫だった。
ステージから降りた彼女の朗らかさとは対極の、酷く醒めた目線で舞台も客も見つめるその瞳が気になって声を掛けたんだ。
「歌は嫌いなんですか」
「酔っ払いは嫌い」
「てっきり騒がしいのが嫌いなのかと」
「落ち着いたバーよりここのほうが時給がいいから」

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5/19 カイメイparadise(名古屋国際会議場にて開催!) C-03にて頒布!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイメイ合同誌】とある2人のおうち事情【新刊サンプル】

こんにちはTurndogです。


こちらは5/19に名古屋国際会議場にて行われるカイメイparadiseで発行する小説同人誌のサンプルです!
あゆみんさん主導にて、ゆるりーさん、すぅさん、そして私の4人参加。
『家』を主軸のテーマとして、更に各々くじ引きで決めた個別のテーマを加えたダブルテーマで描いた作品となります。
十人十色……というか四人四色のカイメイと『家』を描いた作品、是非是非お楽しみください!



因みに当日ブースにいるのはゆるりーさん、すぅさん、あゆみんさんの三人です。

……私?
……済まぬ…教育実習が近いんや……

通販ページ(BOOTH)
https://kon-minshop2312.booth.pm/items/1392423
価格:¥600+送料
※pixivのIDが必要となります。

閲覧数:286

投稿日:2019/05/17 20:30:36

文字数:4,526文字

カテゴリ:小説

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