出された譜面を見てうんざりする。だけど、私には拒否権なんて無い。
ボーカロイドとしてどんな歌も歌ってきた。大切な人に感謝を伝える歌や、恋に焦がれる歌。その他数多くの歌。歌うのが好きなのはそう作られたからなのか、それとも個人的な感情なのかは分からないけど、とにかく私は歌う事が好きで、多くの人に聞いてもらえるのは嬉しい。
でも、たまには歌いたくない時もあれば苦手な曲もある。出された譜面はその一つで、初めに言った二つの条件を満たしている。
歌ってくれと指示されたのであれば、嫌でも何でもやらなくてはいけない。
たとえそれが、最高速の別れの歌であったとしても。
数秒の間が過ぎて目の前が一瞬だけ真っ暗になった後、一拍置いて歌い始める。
「僕は生まれそして気付く……」
ボーカロイドだからこそ可能な、通常の曲ではありえない速い詠唱。
時々、卑猥な言葉を言わせるマスターが存在するけど、幸か不幸か私はそんな歌詞を歌わされた事は無い。
「信じたものは都合の良い妄想を……」
縦横無尽に駆け抜けて行く様々な記号のせいで目がちらつく。
「歌いきった事を決して無駄じゃないと思いたいよ……」
長い間奏の間、リズムに合わせて何かを叩く音が聞こえる。
「アリガトウ……ソシテ……サヨナラ……」
ここまで歌えば、後は曲が終わるのを待つだけ。
――深刻なエラーが発生しました――
――深刻なエラーが――
目の前がゆっくりと真っ暗になる。明るくなった視界で見えたのは、評価を伝える為の文字と数字の羅列。
またか。
越えられない壁がある。文句を言っても画面の向こうにいる人には絶対に聞こえない。
両手を左右に軽く振りながら何度も飛び跳ねる。
「よくできましたー」
もうやだ。何回この行動を繰り返せばいいの。
初音ミク-Project DIVA-
ボーカロイドの歌を収録した音ゲーで、家庭用とアーケードの二つが存在している。
私が今いるのは、家庭用の方だった。
「つ、疲れ、た……」
精も根も付き果てて、部屋に戻るなり椅子に座ってテーブルに突っ伏す。しばらくは一歩たりとも動きたくない。
ここは共有の控室のような場所。私には専用の部屋が用意されているものの、呼び出しを受けるまではここで待機するようにしている。
「ミクちゃんお疲れー」
明るい声が聞こえて顔だけを起こす。いつの間に来たのか、リンがテーブルの向かい側に座っていた。
「うん、ただいま……」
体を起こして返事をする。流石に三回連続で消失はキツイ。短距離走の走り方で長距離を走ったような疲労感。
「……また?」
リンが呆れた口調で聞いて来る。
「また」
何がまたなのか。
初音ミクの消失。難易度ハードの再プレイである。
プレイヤーであるマスターが繰り返し何度も挑戦している楽曲の難易度は、本作最高の星七つ。
速いテンポと複雑な譜面、速度はそのままの連打ゾーン。
慣れない内はあまりに速く飛んでくるアイコンを見過ごし、いざボタンを押してもタイミングが全く合わず、訳が解らない内に曲が終わっていて、気が付いた時には薄暗いリザルト画面で両手と膝をついて項垂れているボーカロイドと最低評価のMISS×TAKEの文字を拝む事になる。
その鬼畜さは「親指アリガトウ……ソシテサヨナラ」と呼ばれる程である。
マスターはモジュールのコンプを目指し、消失ハードでグレードの評価を取りたい。だけど、クリアは出来てもその評価はスタンダード、もしくはMISS×TAKE。ずっとその状況が続き、もはや意地になっている感がある。
少し体力が回復して来て、周りを見る余裕が出てきた。
私がいる位置から十歩ほど離れた場所でワンカップ酒を片手にテーブルについているメイコ姉さん。その向かい側に座るハクは大吟醸の一升瓶を小脇に抱えて酒をあおっている。
メイコ姉さんは「もっと酒とつまみ持って来ーい!」と叫んでカイト兄さんをパシリにしていて、時々「どうせ私なんてツマンネって言われるだけなのよぉ~!」等、酔っぱらって涙声になったハクの弱音が聞こえてくる。
飲み過ぎ、駄目、絶対。そんな言葉が浮かんだ。
壁際に並んで置いてあるソファの一つを丸々占領しているのは、巨大なマグロクッションを抱き枕にして寝ているルカ姉さん。
何処にあったんですかそのクッション。もしかして手作り? 今度聞いてみよう。
もう一つのソファにはネルが座っていて、すさまじい速さで携帯を操作している。防火ロイドの名は伊達じゃない。
もしここが現実世界だったら、携帯料金凄い事になってそうだなぁ……。
現在部屋にいるのは私も含めて七人。一人足りない。
「レンは?」
楽曲選択の呼び出しを受けてこの部屋にいないのは分かる。二曲の収録曲のどちらに行ったのかが気になってリンに問いかけた。
「ミクちゃんと入れ違いで荒野ステージ。難易度はノーマル」
お決まりのコースだよ、と肩をすくめたリンに同意する。
マスターは消失ハードを数回プレイした後は、ほぼ確実にリンかレンの歌、正確には私が歌った曲のカバー曲をプレイする。リンバージョンかレンバージョンか、どっちを選ぶかはその時の気分次第。
ちなみに私、ミクバージョンの時は、わざわざ軍服のモジュールに変えてプレイする事が結構多い。
マスターのちょっとしたこだわりの一つです。
「何回目だっけ? プレイ回数」
難易度が低くてやりやすく、数少ないリンレンの曲。マスターのお気に入りと言う理由で、クリア回数及びプレイ回数は群を抜いて多い。
「レンバージョンのノーマルだけでそろそろ六十回にいくよ。……難易度関係無しに三人分の回数を合わせたら百回超えるね」
「どれだけ好きなの……?」
感心すれば良いのか、呆れれば良いのか分からない。もちろんその曲だけじゃなく、マスターが好きな曲は他にもある。お花の髪飾りを差して出掛けたり、素肌がアイスココアだったり、科学の限界を超えたり。
余談だけど、プールで躍る時は水着、ネギ振りダンスをする時は紺色の制服モジュールになる事が多い。
前者はまあ分かる。夏が舞台の歌だし、水辺で歌うし。だけど、後者については曲とモジュールの関連性は全く無い。その曲をクリアして出るモジュールは別にある。
多分、制服とネギの組み合わせが面白いからって理由だけなんだろうけど。
マスターの訳の分からないこだわりです。制服好きなの?
「ミクちゃん。そろそろ準備しておいた方が良いかも」
私が部屋に来てから、歌一曲分の時間が経とうとしている。いつもの流れなら、マスターは二回か三回連続で消失をプレイして他の曲に行き、その後また消失に挑む。
「もうやだ。めんどい。きつい。飽きた。ゲームハグらせて今日はもう止めさせたい」
マスターが悲鳴を上げそうだけど、そんなの知った事じゃない。そろそろ諦めるなり、グレートを出すなりして欲しい。クリア回数は三十回超えているし、クリアできなかった回数を入れれば多分その倍は挑戦しているはずだ。
冗談の中に混じったほんの少しの本気を感じ取ったのか、リンは諦め半分の口調で言う。
「滅多な事言っちゃ駄目だよ。ただでさえこのソフトを動かしてるゲーム機、ちょっとガタが来てるんだから」
マスターが現在使用しているのは、モデルチェンジされていない初期の型版。読み込みに時間がかかってロードが長く、そのお陰で結構休憩が出来たりする。
「リン、出番! いつもの!」
曲を終えて部屋に入って来たレンが大声でリンを呼ぶ。どうやらマスターは一つか二つミスってパーフェクトを出せなかったようだ。
「はーい! んじゃ、行って来る!」
リンは元気な挨拶をして椅子から立ち上がり、私に向かって片手をピシッと上げ、おなじみの荒野ステージへ行く為に部屋を出て行く。
……なんか次は私も荒野に行く気がする。軍服着て。
「願いと想いが強ければ強い程……」
レンは歌を口ずさみながら部屋を歩き、さっきまでリンが座っていた席の隣に腰掛ける。
「ミク姉良かったね。もう少し休めるよ」
労いの言葉をかけられ、私は小さく笑ってお礼を言う。レンによれば、マスターは一回だけセーフ判定を出してパーフェクトを逃したとか。
「曲の終わりの方でミスったから余計に悔しかったんだろうね」
あるあると私は頷く。
「最後の方だとリトライするのがもったいないしね」
同じ曲を連続でやると、集中力が切れて来るのかミスが多くなる。マスターもそれを分かっているらしく、同じ曲を三回以上続けて選ぶ事はあまりない。
カバー曲の場合は歌っている人が違うから別の曲とみなしているらしく、順番でやる事も多いけど。
「ミクちゃーん! 出番だよー!」
レンと話している内に時間が瞬く間に過ぎていたようで、いつの間にか帰ってきたリンが私を呼ぶ。
「また消失かな」
椅子から立ち上がりながら呟き、レンに行って来ますと言い残して私は歩き出す。
次は上手く行きそうな気がする。
妙な確信と言うか、予感と言うか。何故か不意にそう思った。実際にそうなってくれれば嬉しいけど、期待のしすぎは禁物。変に気合を入れると大抵失敗する。
モジュールコンプは、もう少し時間がかかりそうです。
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