「女将さん、短い間でしたけどお世話になりました」
「残念だよぉ、紅緒がいなくなるなんてさぁ」
ぺこりと頭を下げると、女将が大げさに身をくねらせた。相変わらず頭の弱そうな喋り方だ。実際その人柄も口調通りだったので、お陰で潜入捜査の首尾は上々だったわけだが。
「菱沼の旦那もさぁ、身請けするならもうちょっと後にしてくれたら良かったのにさぁ。せっかちなお人だよぉ」
「これからは、旦那様に尽くして精一杯頑張ります」
「まぁねぇ、揚げ代はたんまり弾んでもらったわけだしねぇ。アンタの幸せ?を願うんなら、これが一番良かったんだろうけどねぇ」
「ふふ、ありがとうございます」
「アンタだけじゃなくて、ユキまで身請けってのがびっくりしたけど、まぁ二人で仲良くやんなよぉ、辛くなったら戻ってきていいからさぁ」
「はい、二人で頑張ります。ね、ユキ」
「はい、紅姐様」
まっすぐに私を見上げるユキの瞳は聡明だ。きっと、彼女はこれから役に立つ。直感がそう告げて、私はユキの身請けもお願いしたのだ。
「菱沼の旦那、馬車で迎えに来てくれるんだっけぇ?」
「はい、この近くの街道で待ってるようにと」
「ああ、いいねぇ。馬車だなんて憧れるよぉ」
うっとりと夢見るような調子で女将はため息をつく。厚化粧で誤魔化してはいるが、おそらく五十に手が届く頃だろう。いつからここにいるのかは知らないし興味もないけれど、彼女も馬車に乗って身請けされる日を夢見ていた時代があるのだろうか。
気の毒に、なんて同情心が沸くわけではないけれど、花街というのはつくづく女を生きながら殺す世界だ。
「…それじゃあ、そろそろ行きます。女将さん、お体に気をつけて」
「お世話になりました」
「はいよぉ。頑張るんだよぉ。ユキも達者でねぇ」
「それじゃあユキ、行きましょうか」
手を差し出すと彼女は一瞬だけ戸惑ったような様子を見せ、そしておずおずと小さな手できゅっと私の指先を握る。三歳の頃にここに売られたというユキは、誰かと手を繋ぐ経験など皆無なのだろう。この小さな手が、光を見ないまま鳥かごに捕らわれなくて良かったと心から思った。
白粉と化粧と、混ざりあった麝香の薫り。
そしてそのどこかで雄と雌の匂いが入り交じった花街に背を向けて、私たちはゆっくりと歩きだした。
【カイメイ】千本桜・籠の中の鳥は
千本桜妄想を更に加速させてみました…
もう既に原型を留めていないので、それでもいいよ読んでやるよという方だけご推奨です…すみませんすみませんすみません
!ご注意!
・前作から1ヶ月後のお話
・相変わらず花魁とか遊郭については雰囲気です
・カイト出てきません
・氷の大将はキヨテルさんの異名です。本人はそう呼ばれるのが嫌いです。
・神威さん→特務機関所属。暗殺の名手。顔を知られてはならないため外の仕事はあまりしない。
・ルカさん→特務機関所属。密偵、街道沿いの喫茶店「浪漫亭」を営みながら情報を軍部に伝達している。
・天子様はリュウトくんです。
前のページで進みます。
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