体中から嫌な汗が出るのを感じながら、卓は急いで青年の下へ走りよる。こんな炎天下の中、熱射病か何かで倒れているのだとしたら命に関わる問題だ。
「ちょっ、大丈夫です・・・か?!」
 駆け寄って青年のすぐ傍まで来た瞬間、首の後ろの辺りがチリチリと痛み、伝えてきた。
危険をだ。
 卓はその本能にも似た直感に従い崩れるようにして前に転ぶ。その際、数瞬前に頭があった場所を何かが風を切って横切った。
「へぶぇっ!?」
 倒れた先は地に寝そべっている青年の上。声がしたあたり一応生きてはいるらしい。助け起こすつもりがこんなことになってしまい、申し訳なくは思っているが、正直そんなことを言っている場合ではない。
 卓は何が起きたのかと思い、無様に倒れた状態から首だけ回してそれを見る。
 そこには目にまぶしい赤い服を着た綺麗な女性が立っていた。
 一升瓶をバットのように構えて。
「・・・・・・~っひ?!」
 声にならない悲鳴のようなものを出して、後ずさり。いきなり何なのだ、この展開は・・・!?
 女性は一升瓶を構えたまま、ゆらりと一歩近づいてくる。顔は逆光でよく見えない。状況がさっぱり見えない中、ただ一つだけはっきりしていることがある。
「よ・・・・・」
「・・・・・・・ひっく」
「酔っ払いだあああああ!」
 叫ぶのもつかの間、酔っ払いの女性は大きく振りかぶって上段の構えから一気に一升瓶を振り下ろす。それを反射的に飛び跳ねるようにして避ける卓。転がり込んだ先で急ぎ体勢を立て直して、振り向く。
そこには距離を詰めてさらにもう一撃振るおうと迫ってくる女性の姿があった。その後も繰り出される一升瓶の恐怖に、必死になって避け続ける卓。これで5発目になるんじゃないかと思われる攻撃をギリギリのところで避ける時、足がよろけてしまった。
 その瞬間、手にしていたビニール袋が彼女の顔に向かって叩きつけられそうになっているのを目の端で追った。
(やばい!当たる!?)
 そう思ったと同時、卓の視界が何かによって遮られ、あっという間に世界は暗転した。来るはずのビニール袋のぶつかる感触もない。
「?!っ?!!!」
 突然のことに混乱する中、視界を遮った何かはもそもそと動いて顔を登ろうとしている。それがくすぐったくて、卓はその何かを摘んで引き剥がした。
「何、これ・・・?」
 摘まれた指の先には、随分と小さくすっとぼけたミクのようなものがぶら下がっていた。
「いやぁ、突然のことで申し訳ない。随分と驚かせてしまったみたいだね」
 声のする方に視線を向けると、そこには先ほどまで地面に潰れていた青年がビニール袋を掴んで笑顔で佇んでいた。
「どうも、初めまして。高野卓君」
 そう言って、彼はまた笑顔を深くした。その隣では苦笑混じりに女性が一升瓶を肩に乗せて卓を見る。
「いやぁ、つい熱くなっちゃってやりすぎちゃったわ。ごめんなさいね」
「・・・・・いや、はぁ」
 ついさっきまで鬼のように一升瓶を振り回していたとは思えないほどの笑顔だ。正直、ごめんなさいねの一言で済まされるようなレベルではなかったような気がした。
「あの・・・、それで何なんですか。家に何か用でも?」
 かつてないほどの不審者の来襲は、卓の警戒心を容易に高めた。それ故の疑いのジト目。そんな卓を見て青年は何とも言えない笑みを浮かべて言葉を選ぶ。
「ああ、それはね・・・・」




「ミクの定期検査・・・ですか?」
 改めて言われた言葉を復唱する。
 玄関先での一件のあと、外で話しているよりも家の中に通してゆっくりと話をしようと思い、今は居間のテーブルに向かい合って座っている。家に入れる際、迎えに来たミクが赤い服を着た女性を見て随分と驚いていた。どうやら以前にミクが喫茶店で奢ってもらった人らしい。不思議な縁もあるものだ。
「そう、私達はその検査のために派遣されてきたスタッフなの」
 赤い服の女性は、ミクが出したコーヒーを味わうようにしてゆっくりと飲みながら言う。
「自己紹介がまだだったわね。私はメイコ、親しい人とかにはめーちゃんとかメイメイとか呼ばれてるわ。よろしくね」
「は、はぁ。どうも」
 親愛のつもりなのか、軽くウィンクをして見せた笑顔は何とも魅力的なものがあった。先ほどのことも忘れてついつい赤面してしまう卓を、ミクが隣の席からジト目で睨んでいるのに気づき、姿勢を正す。
 そんな光景をもう一人の青年がクスクス笑いながら見つめている。 
「ボクはカイト。以前に一度会ってるんだけど・・・気づいてるかな?」
「え・・・?」
 言われてみると確かに、この口調や笑みはどこかで見聞きしたような気がする。しかしそれ以上のことはいくら記憶を漁っても出てこない。
「あの、すいません。ちょっと記憶にないんですけど」
「あぁ、じゃあこれでどうだい?」
 そう言ってカイトは胸元からある帽子を取り出し、目深に被って見せた。唯一見える口元は柔らかい曲線を描いている。その姿を見て、卓の中で一つの記憶が呼び戻された。
「ああ!あの宅配の人!」
 一番最初に、ダンボールに入ったミクを運んできた宅配人だった。
「はは、やっと気づいてくれたね。一応、改めて初めまして」
 被っていた帽子を脱いで、彼は握手を求めてきた。その手をおずおずと卓が掴む。
「はぁ、どうもご丁寧にありがとうございます」
 丁寧な対応についつい恐縮してしまう。しかしそんな思いも束の間、卓はずっと思っていた疑問を投げかける。
「ところで、検査できた二人が一体なんで家の玄関前で倒れてたり襲ってきたりしたんでしょうか?」
 卓の質問に二人は向き合って少しの間を置き、なぜか気まずそうに苦笑いを浮かべて卓に向き直る。
「ああ、あれはなんていうか・・・」
「ちょっとしたサプライズのつもりだったのよ」 
「・・・・サプライズ?」
 その一言につい卓の顔が険しくなる。度肝を抜かれて驚いたと言う意味では間違いなくサプライズではあるが、あれにはそんな言葉を使うほどの遊びの猶予はなかった気がした。むしろあれはトラップといったほうがいいくらいだ。
 そんな卓の心情が表情に露骨に出ていたせいか、カイトとメイコは若干焦って卓とミクに背中を向ける。こそこそと会話を始めるが、筒抜けだった。
「ほら、やっぱり怒ってるじゃないか。だからこんなのやめたほうがいいって言ったのに」
「何よぉ、最初はインパクトが大事って言ったのはどこの誰よ。だったらやっぱり最初に言ったアイスクリームトラップにしておけばよかったじゃない。パイ投げみたいなやつで顔にバアアンッ!とね」
「それはアイスへの冒涜だ!」
「ほらみなさい。あんたがそう言うから、結局不意打ちからのビックリドッキリ闇討ち作戦にしたんじゃない。見てみなさい!このときのために、わざわざうちの秘蔵の純米吟醸酒『美少年』まで持ち出してきたんだからね、あたし」
「だからって一升瓶はやりすぎだよ。しかも一回で済ませばいいのに何度も繰り返すから」
「あれはまぁ・・・、いきおいでつい」
 照れ隠しか何かわからないが、メイコはそう言って笑う。その姿に卓は自身の体から力が抜けるのがわかった。
「・・・そもそもそのサプライズ企画自体が大間違いだよ」
 勢いなんてもので危うく死に掛けたのかと思うとちょっと欝だった。
「ところで、ミクの定期検査というのはどういうものなのでしょうか?」
 それまであまり話には参加せずにコーヒーを飲んで静観していたミクは、ゆっくりとその口を開いて言った。うまいこと話が変わり、二人は安堵の息を吐いてミク達へ振り返る。
「あ、ああ。一応君がこの家に来てから一週間がたつよね?今回は君のメンタルやボディの状態確認が大きな目的だね」
「検査って言っても、ちょっとした質問とボディの簡単なチェックをするだけだから、すぐに終わるわ」
「それに卓君自身、こういうモニターとしての立場は初めてだろう。不安や不満とかもあるだろうから、今回はちょっと時期を早めてそういったこととかもいろいろと相談に乗りに来たんだ」
はぁ、と生返事をしながら卓は二人の話にコクコクと頷いた。
「時期を早めたって言うのことは、本当はもっと間が空くってことですか?」
「うん。本来なら一カ月おきに起動データやシステムチェックなんかを含めてするんだ。まぁこれくらいならパソコンで直接送信しちゃえば早いんだけど、卓君にはいろいろと急に無茶なお願いをしてしまったしね。わからないことも多いだろうし、一応何かあったときにすぐに対処できるように僕らみたいなのが派遣されたわけ」
 その言葉に卓は内心ホッとしていた。先輩が以前言っていた通り、確かにフォローはしっかりしてくれるようである。
「でも、メイコさんは確かボーカロイドだったはずですが・・・・」
「え?!」
 ミクの一言に卓は驚いて席を立ちかける。視線を向かいの席へ座る二人へと向けると、そこにはそうだよ言わんばかりに笑ったメイコとカイトがいた。
 この人がボーカロイド?どう見たって普通の人間にしか見えない。ミクの時にも非常に驚いたが、今回の驚きはまたその時のものとは別のものだった。あまりにも自然な振る舞いに、ボーカロイドなんて思っていなかった分、余計に衝撃が大きい。
 そんな卓の驚きなんて気にもせず、メイコは軽く背もたれに体重をかける。
「まぁこれでも結構長い時間動いてるからねぇ。普通の人みたいに、とまではいかないけど、一応許可をもらってこういうことやらせてもらってるの。ある意味ではこういうのもデータになるしね」
「ちなみに僕もボーカロイドだよ。稼動年月だけ言えばメイコより少し長いんだ」 
 そう言いながら、せっかくだからとカイトは懐から二人分の名刺をミクと卓に差し出す。名刺には特に何も変なところはなく、それぞれにカイトとメイコの名前が書かれていて一番上にクリプトン社と書かれている。
「はぁ・・・っ、二人ともボーカロイド・・・・・信じられない」
 もらった名刺と本人達とを見比べながら、卓は渇いた喉にコーヒーを流し込む。そうしながら、卓はあることに気づく。
「もしかしてミクのデータってクリプトン社に送られるんですか?」
 よく考えてみれば、ミクから得られたデータはいったいどこに送られ、どうされるのか良く知らない。それが、派遣されてきた二人の名刺にはクリプトン社の名前が書かれていることからも、もしかしてと思った。
「そうだねぇ、説明が若干難しくなるんだけど。簡単に言えば一応卓君の思ったとおりだよ。彼女のデータはクリプトン社で収集・解析されてATDに送られるんだ」
「ATD?」
「先進的技術開発の探求というのの略だよ。ボーカロイドの計画が立ち上がったときにできたボーカロイドの研究所みたいなものだね。僕らはみんなここで生まれてきたんだ」
「へぇ、そんなものがあるんだ。ミクは何か覚えてる?」
「いえ、特には。知識として知っているだけです」
「そりゃそうよ、ミクはロールアウトと同時にこっちに送られたんだから」
「そうですか。それは、少し残念な気もしますね」 
 ミクがしゅんと珍しく少し寂しそうにうな垂れる。それを見てカイトはミクに向けて慈しむ様な笑みを浮かべる。
「生まれ故郷みたいなものだしね。いつか皆と一緒に連れて行ってあげるよ」
 カイトの言葉にミクの表情が明るさを取り戻した。ミクの表情の変化に卓は小さく苦笑し、しかしここしばらくでのミクの感情表現の広がりを喜んでいた。
 そんな中かちゃり、と食器のぶつかる音がして、メイコのカップに注がれていたコーヒーがなくなった。それを合図に、メイコは椅子から立ち上がる。
「さて、それじゃあ目的を果たしましょうか」
 立ち上がってまっすぐミクの背後へ回ると、メイコはミクの両肩を掴んでカイトに顔を向ける。
「じゃあミクちゃんはあたしが借りていくわね。そっちはカイトよろしく」
「了解、あんまり遊んじゃダメだよ」
「あれ?二人ともどこに・・・」
 卓一人だけ状況についてこれず困惑していると、メイコがため息混じりに卓に向き直る。
「言ったでしょ、検査だって。こんなところでボディのチェックなんてできるわけないじゃない。あ、それとももしかして気になっちゃう?ミクちゃんのあられもない姿に」
「ち、違いますよ!そんなんじゃないですって!」
 メイコのあからさまな発言につい赤くなってしまい、あたふたしていると今度は席に着いたままのミクから冷たい視線が送られてきた。
「卓さん・・・・・」
「違うって言ってるだろ!こら、そんな目で見るな!ああもうわかったよ、すいませんでした!」
 とうとう恥ずかしさとかいろいろな気持ちが破裂して卓をいじけさせる。そんな様をメイコは心底面白そうに眺めて笑っていた。
「あはは、からかいがいがあるなぁ卓君は。それじゃあ後ほど~」
 そう言ってミクを席から立たせると、居間から出て行き二階への階段を登っていく音がした。その音が遠ざかったのを確認し、扉の閉まる音を聞いて卓は深いため息を漏らす。
「はぁ・・・、どっと疲れた」
「よかったね、君は随分とメイちゃんに気に入られたみたいだ」
「うぅっ、素直に喜べない・・・ん?」
 ふと、胸元のポケットが急にもぞもぞ動きだした。驚いてそれをつまみ出すと、そこには一升瓶を避けている時に顔へ飛び込んできたあの小さなミクがいた。卓に捕まって宙ぶらりんの状態から、小さいミクは持っていた極小のネギを振るっている。
「あの、そう言えばこれってなんですか?この小さいの」
「あぁ、それははちゅねミクって言うんだ。はちゅねシリーズのプロトタイプだね。検査の補助のために連れて来たのに、どうやら君が気に入ったようだ。とりあえずほっといてあげれば自分で納得して満足するから気にしないで」
「はぁ・・・、そういうものですか」
 先輩が言っていた小型の端末というのはこういうのを指すのかと、改めてちびミクを眺める。とてもじゃないがそんな高度な何かには見えない。今だって何見てるんだこの野郎と言わんばかりに持っているネギで人の顔を叩いてくる。
 邪魔なのでテーブルに下ろすと、なぜか人の腕にくっついて頭のてっぺんまで登ってきた。それで落ち着いたのか、ちびミクは卓の頭の上で仰向けになって寝てしまう。めんどくさいのでもうこのまま放置しておく。
「さて、それじゃあこちらも始めようか」
 そんなやりとりをしているうちに、カイトもコーヒーを飲み終えてカップを端に寄せる。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

小説『ハツネミク』part.2赤い人、青い人(2)

学校の試験が終わってやっと続きが書けましたTT
もう書きたいことが山積みでまとめるのに苦労してしまいました。間が空いてしまいましたが、またこれからはなるべく定期的に続けて書いていきたいと思います。
久しぶりなのでさらに文章能力が低下してしまいましたが、読んで頂けたら幸いです。

閲覧数:217

投稿日:2009/02/23 03:33:32

文字数:5,981文字

カテゴリ:小説

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  • warashi

    warashi

    ご意見・ご感想

    こんばんわトレインさん!
    また読みに来ていただいて嬉しいです!^^
    いえいえ!私の文章なんて他の皆さんに比べたらやっぱりまだまだです。
    でも、正直言うとお褒め頂いて実はかなり嬉しかったりします、ありがとうございます!^^
    私なんかでもトレインさんや他の方に面白いと読んでいただけるものが書けると言うだけでとても勇気付けられます
    私もトレインさんの作品を読むたびに、自分もしっかりとした内容のあるお話が書きたいと思っています。
    トレインさんの期待に応えられるよう、続きも頑張って書いていきます!
    コメントを頂き、ありがとうございました!

    2009/02/25 02:59:48

  • トレイン

    トレイン

    ご意見・ご感想

    こんばんは~
    毎回見ていますが、脱帽しそうなぐらいの文章力で、
    ただただ感心しています。
    その中で、ストーリーが面白く展開されていて、
    いつかこう言うのかければいいなぁ~と思いました。
    続きが気になります^^
    お待ちしてます~

    2009/02/24 18:35:16

  • warashi

    warashi

    その他

    こんばんわ佑希さん!
    いつも読んでいただいてありがとうございます^^
    テスト前なのに読んでいただけるとは恐縮です!><
    はちゅねは今のところ一番気に入っているキャラなので、今後もなるべく前面に出れるように頑張ってみようと思います。
    続きはもう少し早めに書き上げようと思っています。
    今後も頑張りますので、よろしくお願いします!
    テスト頑張ってください、応援しています!

    2009/02/24 00:23:39

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