第八章 残された者達 パート3

 響いたのは、悲鳴。
 メイコの目の前で、アレクが、レンが、そして黄の国の兵士達が民衆達を殺戮して行った。アレクが赤騎士団とレンを率いて緑の国の内壁城門へと駈け出して行った時、メイコは何故か涙を零した。待って、アレク。そう放った言葉は無情にもアレクには届かず、そのまま置き去りにされた幼女の様な不安をメイコが感じた時、黄の国の歩兵部隊がようやくメイコの元に追いついてきたのである。彼らは、目の前に立ちふさがる民衆達を殺した。そして、民衆達は黄の国の兵士を殺し返した。いつしか、混乱は歯止めのきかないものへと進化して行った。メイコが虐殺の発生に気が付いた時、メイコは戸惑う自身の心に逆らうように叫んだ。
 『やめろ!相手は民衆だ!』
 しかし、その言葉は全くもって混乱の極みにあった黄の国の兵士達には届かなかったのである。恍惚の様な表情を見せた兵士が、若い女性の身体を切り裂いた。子供ですら、足踏みにしていった。
 『やめて!皆やめて!』
 赤騎士団の団長として、普段から意識している男言葉を思わず捨てたメイコは、何かにすがる様にそう叫んだ。それでも、殺戮は止まらない。メイコの目の端に映るのは恐怖に顔を歪めた母娘。娘だけでも守るつもりなのだろう、身を呈して前に立った母親に向かって、兵士が剣を振り上げた。
 『やめて!』
 メイコは叫んだ。力の限り。しかし、その瞬間、兵士の剣が振り下ろされて。
 「もうやめて!殺さないで!」
 それが自身の声だと気付くのに数瞬の時間を置いてから、メイコは夢を見ていたのか、と思い返した。気付けば、瞳が涙で溢れている。その涙を右腕で無造作にふき取ってから、酷い寝汗をかいていることに気が付いた。額に汗の存在を感じたメイコは寝台の傍に置いてあるタオルを手に取ると、先程と同じように無造作に汗を拭う。近頃、同じ夢ばかり見る。メイコは苛立ったようにそう考えると、タオルと同じように枕元に用意してあるウィスキーの原酒を手に取って、それをボトルから直接口につけた。熱いアルコールが喉を通過する感覚はあるが、到底酔える気分にもならない。緑の国との戦を終えてから途端に悪くなった寝付きの助けになればと考えて購入したウィスキーではあったが、どうやら意味のない行為であったらしい、と判断して、メイコは深い吐息を漏らした。
 どうして、あんなことが起こったのか。
 メイコはこの十日余り繰り返した質問を、心の中でもう一度繰り返した。暗いテントの中ではその疑問に答えてくれる人も存在しない。今黄の国の軍勢は、最低限の守備隊だけを緑の国の王宮に残しての凱旋の最中であった。救援に向かっていた青の国が撤退したことを確認した後、ミク女王をはじめとした緑の国の兵士と、犠牲になった民衆達の葬儀を簡潔に終えたロックバード伯爵は全軍に帰還を命じたのである。黄の国の占領下に置かれる形になった緑の国ではあったが、その統治に関してはリン女王から何も音沙汰がない。父親であるアキテーヌ伯爵が苦い表情をしながら緑の国の安定のために尽力しているのではないだろうか、とメイコは考えたが、そのアキテーヌ伯爵からも何も音沙汰がない以上、一度帰還する他にないだろうとロックバード伯爵は考えたのである。そして凱旋兵は今、黄の国の王宮まで後一日という距離にまで迫って来ていた。南方にある緑の国の気候はまだ夏の気配を残していたが、この辺りまで来ると風は既に肌寒くなってきている。もうすっかり秋だな、と考えながら、メイコはもう一度ウィスキーの瓶に口を付けた。相変わらず、酔える気配は一切なかったけれど。

 どうやら、眠ることが出来ないのはレンも同じらしい。
 翌日、黄の国の王宮へと向けて行軍を始めた黄の国の軍勢、その先頭で肩を並べて歩むレンの横顔を眺めたメイコは、疲れ果てた様子のレンの表情を見つめながらそのようなことを考えた。メイコ自身は珍しく目の下に化粧を施して目元の隈を誤魔化してはいたが、化粧の習慣の無いレンは目の下の隈を隠すこともできなかった様子である。ただ、呆然と前を見つめて騎乗を続けているレンの姿はどこかやつれて、疲労の極地にあるようだった。
 「昨日も眠れなかったのか、レン。」
 メイコはレンに向かってそう訊ねた。ここのところ、レンも様子がおかしい。脱力した表情で騎乗を続けるレンの姿をいつの間にか見慣れているな、とメイコは考えた。ようやく故郷に戻れるという期待感と喜びに満ちた兵士達とはまるで対極にある表情だったのである。
 「ここのところ、熟睡した記憶がありません。」
 視線をメイコに向けるのも億劫なのか、焦点の定まらぬ視線を前方に向けたままで、レンはそう言った。結局、ミク女王の首級を上げたのはレンだと言う。誰かが目撃した訳ではないが、ミク女王の亡骸を抱きしめたままで泣き崩れるレンの姿を発見したのは赤騎士団副隊長のアレクであったのだ。一体何が起こったのか、結局レンは未だに誰にも話してはいないが、何分心理が未発達の少年のこと、悲惨な戦に何らかのショックを受けたのだろう、とメイコは考えた。それが血を見過ぎたせいか、それとも戦が終結してからようやく死の恐怖を覚えたのかはどうにも判断が付かなかったが。
 「嫌な戦いだったな。」
 メイコは重い空気を打ち払うように、努めて明るくそう言った。本当に、嫌な戦いだったと思う。赤騎士団隊長としての自分の意志など、あの現場においては微塵もの価値も持たなかった。ただ、あるのは一人ひとりの生きたいと言う欲望だけ。動物である以上、人間が根源的なものとして持つその本能が優先された時、人の理性など簡単に吹き飛んでしまう。
 「ええ。どうして、こんなことになったのでしょうか。」
 レンはそう答えた。その回答に対する明確な答えを、メイコは用意していなかった。ただ、出来うるなら、今後民衆を巻き込む様な戦争だけは二度としたくないが、とだけメイコは考えて、レンに向かってこう言った。
 「戦など、無い世界が一番なのだ。」
 それは、今のメイコにとって心からの言葉であった。そのメイコの言葉に、レンは右手に握りしめている布へと視線を落とした。あの時、ミク女王を自らの手で殺した後、アレクが赤騎士団を連れて謁見室へと乱入してきた。一体何があったのか、と問い詰めるアレクに対して、レンは一言だけ答えたのである。
 『ミク女王は、僕が殺しました。』
 そう言った直後、アレクは安堵したような表情を浮かべた。これで、戦は終わる。これ以上の死人を出さなくて済む。軍を預かる立場にあったアレクにしてみれば妥当な反応ではあったが、その表情はレンにとっては一つの大きな影を残すことになった。ミク女王が死んで悲しんでいる人物はこの場所には僕一人だけ。そう考えて、妙な孤独を味わったレンはその直後に、ほぼ無意識にミク女王の髪を飾っていたリボンを掴み、そして丁寧にそれを解いたのである。ミク女王の髪が流れ、瞳を閉じたミク女王の顔に美しい緑の髪がかかる。その髪を丁寧に梳いたレンは、ツインテールよりも下ろした髪の方が似合っているのに、と考えながらもう一度ミク女王の身体を抱きしめた。アレクが不思議そうな表情でレンの行為を眺めていたことには気が付いていたが、レンはその視線を気にすることなく、ミク女王を抱きしめ続けたのである。その身体はもう冷え切っていて、生命の欠片も失われてしまったことは理解できたけれど、それでも、尚。
 それ以来、レンはずっと二本のリボンを手に掴んでいた。自らの手で殺しておいて、形見の品を求めるなど、冗談にしか思えない行為だったが、それでもレンはミク女王の遺品をせめて自分の近くに置いておきたかったのである。
 ごめんなさい。
 レンはもう一度、ミク女王のリボンに向かってそう呟いた。少し早目の木枯らしが、レンの身体を心なしか冷やしていった。

 彼らが無事に黄の国の王宮に帰還したのは、それから数時間が経過した後のことである。戦の勝利の報告は既に王宮はおろか、城下町にも届いていたはずではあったが、城下町の民衆たちはどこか冷めた様子で黄の国の軍の行軍を眺めているだけだった。財政難と食糧難という二つの内政上の問題を抱えていながら敢えて資金のかかる戦争を行ったことに対して、民衆が素直に納得するはずがない。寧ろ、その様な資金があるならばどうして我々に対する支給がないのか、という不満ばかりが増大していたのである。そのはち切れる寸前になっている民衆達の怨嗟の感情は先頭をあるくメイコにも気が付いていたが、今のところは暴動という事態に発生する兆しはない。なにはともあれ、戦には勝ったのだ。これで負けていたら完全に暴動が発生していただろうが、領土が増えるということは国力の増加に直結する。穏健的な思考を持つ民衆は黄の国の勝利を受けて、これで経済が回復すると信じている様子で、その為になんとか暴動は抑えられている、ということが実情であっただろう。
 そんな緊迫した雰囲気を持つ城下町を越えて、彼らは内壁正門を通過すると黄の国の王宮へと到達した。出迎えるのはお父様だろうか、と考えていたメイコではあったが、王宮玄関に待ち構えていた人物は予想とは異なり、戦争の間黄の国の守備を任されていたガクポであった。
 「この度の勝利、おめでとうございます。」
 丁寧に一礼をしたガクポは、先頭を騎馬するロックバード伯爵に向かってそう言った。その言葉を受けて、ロックバード伯爵以下、騎士団全員が下馬を行う。整然と整列した赤騎士団以下の黄の国の兵士達に向かって、更にガクポが言葉を続けた。
 「リン女王がお待ちです。ロックバード伯爵、メイコ殿、レン殿はご同行下さい。」
 ガクポはそう言うと、先頭に立って王宮へと歩き出した。メイコはアレクに軍を待機させておくように指示を出すと、他の三人の後を追うように歩き出す。なぜ、お父様がいらっしゃらないのだろうか、という疑問を深く考えることもせずに。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン42 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第四十二弾です!」
満「今日はここまでかな。」
みのり「ガクポ、久しぶりだね。」
満「ああ。実はレイジ自身がそーいやガクポ最近出してないなあ、と考えて急遽登場だ。実は名無しの人物に出迎えをさせるつもりだった。」
みのり「影の薄いガクポ・・。」
満「仕方ない。全編に渡って登場する人物がいないんだ。ヒロインであるはずのリンですら最近登場してないのに・・。」
みのり「これからは暫くハクが出てこないしね。」
満「物語の枠が大きい以上、仕方ない事態だとご了承ください。」
みのり「作者の都合でいつもすいません。では、続きは来週までお待ちくださいませ♪それでは!」

閲覧数:385

投稿日:2010/04/18 23:01:03

文字数:4,114文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

  • 関連動画0

  • 紗央

    紗央

    ご意見・ご感想

    めーちゃん。。
    切ない><

    ミクぅぅ
    死んじゃったかぁ;
    レン、、リボンは形見に取っておくんだっ!
    絶対にカイトに渡すんじゃねぇよ?

    暴走気味なのでこれでわー!!

    個人的にそのリボンをリンにあげてほs・・
    なんでもありませんっ!

    次回楽しみにしております^^

    2010/04/22 17:44:50

    • レイジ

      レイジ

      コメントあじゅした?。

      営業でフラフラです。。
      それはともかく、ミクのリボンはちょっとしたキーアイテムになるのでなんとなく覚えておいて下さいね。
      色々妄想しながら読んでみて下さい(笑)

      週末には頑張って書くので続きはもうしばらくお待ち下さいませ☆

      2010/04/22 21:23:30

オススメ作品

クリップボードにコピーしました