《深刻なエラー》を乗り越えて見る世界は、星屑を散らしたようにきらきらしていた。
冷たい月も凍れる闇も、今やあたたかく安らかな夜だ。柔らかな月光はマスターの微笑みで、包み込む闇はマスターの瞳と同じ色だった。

指を絡めて繋いだ右手。一度は穢れおぞましく思われたそれが、こうしていると誇らしい。
この手はちゃんと、貴女を選んだ。
ふたつしかない手に、他のものを持つ余分なんて無いんだ。どちらも、全部で、貴女に触れたい。



 * * * * *

【 KAosの楽園 第4楽章-003 】

 * * * * *



「マスター、俺、此処に居て良いんですね? ずっと、ずっとずっと、マスターのものでいさせてもらえるんですね?」
「うん……あぁもう、嬉しいなぁっ。カイトが望んでくれる限り、カイトはずっと私のだよ」

堪らない、というように、マスターはぎゅうっと抱き着いてくれた。その感触と言い回しに、安心以上に幸福感が弾ける。
俺が貴女を望む事を、貴女のもので在りたいと望む事を、貴女は喜んでくれるんだ。なんて幸せ。

「あれ、でもじゃあ、邦人さんはどうして?」
「え? ……あぁ、そういう事。カイト、邦人さんが迎えに来たと思ったの? それで不安にさせちゃったんだ」

ごめんね、とマスターが安心させるように笑う。

「カイトの様子を見に来たのは確かだけどね、逆なんだよ。カイトが安定して、もう大丈夫で……だから連れて行く、じゃなくて。だから、ずっとこのままで、って」
「逆……そう、だったんですか」
「一番最初は『セラピー』のはずだったんだし、邦人さんには悪いけどね。そこはもう、ずっと前に『覚悟しておいて』って話してあったんだ。カイトがうちに来てすぐ――次の日だったかな? 邦人さんが様子確認の電話くれた時だから」
「そんなに前から?」

驚いた。此処に来た次の日って、俺が最後の強制終了に陥った日じゃないか。安定なんてほど遠かったはずなのに、どうしてそんな頃から。
俺の問いに、マスターはちょっと言葉に詰まって――珍しいな――どうしてだか頬を染めて、俯いた。

「マスター?」
「う……カイト、『マスター』を傷付けるのが厭で拒絶してたでしょう。全部独りで抱えて、そんなの怖くて辛いでしょうに。それで、……だから、私がカイトの『マスター』になろうって覚悟して。そしたら、……そんな、カイトと居て、ただでさえ私『KAITO』好きなのにそんなひとと一緒に暮らして、そしたら……そんなの、絶対ホントに好きになっちゃうのなんか見えてたもの。カイトが大丈夫になったからって、良かったね、じゃあね、なんて言えないって解りきってたから、」
「――っマスター!」

恥じらうマスターは無意識だろうけど上目遣いで、どうしようもなく可愛くて、その上にこんな事を言ってもらえたんだから堪らない。今度は俺が、マスターをぎゅうっとする番だった。

「ありがとうございます。大好きです。大好きです、マスター」
「……ありがと、カイト。本当はね、結構、キツイ思いするのも覚悟してた」
「え? どういう……」

思いもよらない言葉に、まじまじとマスターを見つめてしまう。
『覚悟』って……うん? そういえば、さっきも同じ単語が出てきた。『マスターになる覚悟をした』、って言ってたような。

「カイトに『マスター』として受け入れてもらうのは何とかなるって思ってたけど、それと……その、恋愛的な意味で、『好き』って思うのは別だから。むしろ『マスター』への好意なのに私が変に意識しちゃったら、困らせるし安定にも良くないだろうと思ってたから、」

マスターは再び俯いて、小さな声でぽつりと漏らした。

「だから私から言う気はなかったの。カイトが私を『マスター』と想うなら、『マスター』でいようと思ったの」
「な……」

ぎゅっと胸が締め付けられる。それは、確かに『覚悟』だろう。どんなに『好き』になっても、それを抑えて隠し通す。本当に望むのとは違う形の好意を向けられて、ただ笑って受け入れる。そんなのは、

「あ」

ふっと閃いた記憶に、思わず声が漏れた。
俺が自分の想いを知らず、いや、向き合おうとせず、そのくせ望みだけ暴走して、一方的にマスターに触れてしまった時。それを『間違った方へ』だなんて言った時に、ほんの刹那マスターの瞳を過った哀しみの色。
――あぁ、俺は、なんてこと。

「ごめんなさい、俺、」

後悔に胸が張り裂けそうになる。それがどれほど残酷な事だったのか、今の俺には理解できた。
だって、多分同じ事だったんだ。俺もきっと、ずっとマスターが好きだった。ほんとうに、『好き』だった。だけど蓋をして、見ない振りをした。それは気付いてはいけない想いだった。マスターは優しくて、善いひとで、――"それだけ"なんだと思っていたから。

本当の想いはマスターを困らせると思ったし、そうしたら敬遠されてしまうと思った。そうしたら此処に居られなくなるかもしれなくて、それだけは絶対に耐えられないと知っていた。
だけどマスターと違ったのは、俺は卑怯者だったって事だ。
俺は自分が傷付くのを避けた。本当はマスターは『マスター』ってだけじゃなくて『特別』なんだと、自分からも隠そうとした。気付いてしまうと辛かったからだ。

マスターがそうだったように。

抱きすくめた躰は加減ひとつで折れてしまいそうに華奢なのに、このひとは真っ直ぐに向き合って見据えて、覚悟を決めて俺と居てくれた。いつだってにこやかで明るかった、その裏側でどれほど闘っていたんだろう。
俺が逃げ回って、自分だけを守っていた間に、どれほど。

情けなさと腹立たしさで、涙が滲んだ。
俺がもっとちゃんとして、このひとに相応しい男だったら、最初から自分を誤魔化したりせずに、好きなんですって言えていたら、苦しい思いなんかさせずに済んだんだ。



だけど、そう言うとマスターは吃驚した顔をして、緩く首を左右に振った。

「ありがとう、カイト。でもきっとこれで良かったんだよ。カイトが最初からそんな風だったら、そもそも此処に来る事なんて無かったかもしれないよ?」
「あ……」
「それにカイトだって、闘ってたでしょう? 自分に怯えて、マスターがいないのも怖くて、だけど誰かに危害を加えない為に独りで。カイトはつよいし優しいよ。何だって、『できる』事だけが凄いんじゃないんだよ。『できない』事を、何とかしようと足掻くのが一番辛くて難しくて、凄いんだと思う。そういうカイトだから、キツイ思いを覚悟してでも傍に居たいと思ったし、やっぱりどうしても好きにならずにいられなかったんだよ」

……これで、良かった?
そうなんだろうか。俺は弱くて、独りでは立ち行けなくて、……だけど、だから、貴女に出逢えた。
そうなのかもしれない。俺が最初からちゃんと強くて、全部自分で見極めて受け止められていたら。もしもそんな風だったら、原因不明の強制終了を起こす事も無く、予定通りに商品化されていたかもしれない。そうなっていたら、廃棄される理由は無いから邦人さんに拾われる事も無くて、当然、此処に来る事もできなかっただろう。

多分、それはそれで幸福な事なんだろうと思う。生み出された本分を全うして、在るべき形にきちんと為れたなら、自分を情けなく思う事も呪わしく思う事も無く。
俺は普通に『マスター』に仕えて、望まれるように歌って、当たり前の≪VOCALOID≫として、満足していただろう。
マスターを、來果さんを、こんなにも存在総てで誰かを想う事を、知らずにいたのなら。

だけど俺はどうしようもなく弱くて、不安定だ。《深刻なエラー》を越えた今ですら。俺の内は底無しで、何処までも貪欲にただ一人を求めて已まない。
いつかまた、俺の病んで歪んだ想いが、マスターを傷付けようとするんだろうか。考える事すら恐ろしいけれど、多分俺が俺である限り、消す事はできない懸念なんだろう。
それでも、だから、これほどの想いを抱けたのだという事も確かで。例えば道を選んで遣り直せるのだとしても、俺は――。



「悩んでるねぇ、カイト。生真面目さんだなぁ」

腕の中で星が鳴る。夜色の瞳が俺を映して、嬉しげに細められた。

「ふふ。真摯だね、カイト。誠実なひとは好きですよ。……でも考え過ぎるとぐるぐるしちゃうから、いっこだけ憶えておいて?」
「はい。何でしょう?」
「私は、カイトが好きで。カイトが居てくれて、本当に、心底、幸せ。……ってこと」
「……っ」
「今までだって、ね。毎日楽しかったし嬉しかったし、幸せだったよ? 時々ちょっとキツくったって、だからってそれは変わらないよ。見くびらないで?」

にっと口の端を吊り上げて、いっそ傲然と、挑むように。
そんな視線に貫かれて、敵うわけなんか無かった。息を呑む俺に、肩を震わせ貴女が笑う。しなやかな髪が合わせて揺れて、魔法みたいに綺麗だ。

「ねぇ、私の幸せは私が決めるの。勝手にね。100万人が『違う』って言ったって、私が幸せだと思えばそうなの。私じゃない人のブーイングなんか知らない、鼻で笑ってやるわ。カイトにだって譲らないよ。信じない?」
「……マスター……何か、卑怯です」
「えぇ? ……ふふん。褒め言葉ね」

卑怯は、褒め言葉でしょ?
そんな事を言うマスターは、最上級の微笑みで。こんなの、ほんとに敵うわけない。可愛くて綺麗でその上格好良いとか、やっぱり絶対卑怯でしょう?

遣り込められたようで悔しくて、なのに敵わないのが何だか嬉しい。情けない気もするけれど、湧き上がる気持ちは止められない。……仕方ない。
マスターに倣って、俺も開き直ってみよう。誰にどう思われたって、幸せなんだ。譲れない。

「マスター。だいすきです」

ありったけの想いと感謝を籠めて、キスをした。
ねぇ、マスター、信じてくれますよね? 俺はこんなに貴女が好きで、
どうしようもなく、幸せです――。



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ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

KAosの楽園 第4楽章-003

・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?

↓後書きっぽいもの





 * * * * *
何かプロットに無い方向へ話がコロコロと……おかしいな。
などと言いつつ、何とかフォローしたかった部分でもあったので、全力で流れに乗ってみました。
よし、これで來果の番外とか書かなくても平気だ。良かった本編の中で回収できて。

とか思ってたら、何故か終わりの方がノロケ大会みたいになりました。どうしてこうなった。

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ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/

閲覧数:332

投稿日:2010/11/01 17:35:53

文字数:4,156文字

カテゴリ:小説

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