マスターとカイトと涙の理由(わけ)
レコーディングスタジオへの階段を、メイコは駆け上がっていた。
もちろん、エレベーターはあるのだが、そんな物は待っていられない。
今日は久しぶりのオフ。
家で昼食をとった後、さて、どこかに出かけようかと思っていた時に、なじみのマスターから電話が入った。
「すまん、メイコ、すぐに来てくれ。カイトが大変なんだ」
聞き慣れたマスターのバリトンボイス。
確か今日のカイトの仕事は、このマスターとのレコーディング。
カイトになにが?!
取るものも取りあえず、メイコは家を飛び出していた。
「メイコ!来てくれたか!大天使様!」
件のマスターが使っているスタジオのあるフロアにたどり着くと同時に、マスターが満面の笑みで出迎えた。
長身で体格がよく、良く響く低音の声をもつこの男。メイコとカイトの昔からのマスターだ。
歳の頃は、俗に言うアラフォーと言ったところだろう。
短く刈り込んだ黒髪に、彫りの深い野性味溢れる容貌の、なかなかにいい男だ。
「マスター何事なんです?!カイトは?」
「控え室にいる。スタッフがついているが……」
さっき、メイコを出迎えた時の笑顔が消えた。
「泣き止まないんだ」
「……マスター……今度は何を言ったんです」
「……たいした事は言ってない……と思うんだが」
このマスターに、カイトは良く泣かされていた。
別に注文が多いとか、無茶ぶりが過ぎるからといった理由で、泣かされているのではない。
だいたいそんなことで、ボーカロイド一の苦労人、カイトは泣かない。
カイトを泣かすのは、マスターの無神経な発言のせいだ。
この男の無神経発言については、カイトを泣かせるばかりではなく、嫁に逃げられたという前科まである。
もっともカイトに関しては、このマスターのせいばかりでもない。いや、別の意味で、このマスターのせいだとも言える。
ボーカロイドマスターから、ボーカロイドへの要求は、マスターによって様々だ。
低音で穏やかに歌わせたいと思うマスターもいれば、高音でやや挑戦的に歌わせようとするマスタ-、少々破天荒なネタ的な部分を全面に押し出したいマスターもいる。
まさに千差万別と言っていい。
そんなマスターの要求が、レコーディング時の、ボーカロイドの性格に若干の影響を与える。
もちろん、性格が百八十度がらりと変わってしまうわけではない。
いつもよりも少し穏やかになったり、強気になったり、明るくなったり。
そのマスターから要求や、作風、その時に歌わせる曲の傾向等が、うっすらと表面を覆うように、一緒に仕事をしている間、ボーカロイドの性格に影響を与えるのだ。
もっともマスターから離れれば、その影響はほぼ消えてしまう。
そして、このマスターがカイトに要求するのは、銀の糸を絡め取るような繊細さ。
どこからどう見てもごついくて、見た目通りワイルド系な男ではあるが、このマスターがカイトに歌わせる歌は、精巧な硝子細工のような繊細なメロディに、壊れそうなほど儚げな歌詞。
その歌が、カイトの硬質のテノールによって紡がれる様の危うさは、いつも聞く者の胸を締め付けた。
と言うことで、曲のせいでいつもより繊細になっているカイトが、曲と違って大雑把で無神経なこのマスターの言動に必要以上に傷つき、泣かされるのは良くあることだった。
「まあ、説明するから、取りあえずカイトに顔を見せてやってくれや」
控え室のドアを開け、メイコを促す。
そこには長いすの中央に座り、タオルで顔を覆った、見慣れた青い頭。
両脇には女性スタッフが座り、必死でカイトに話しかけていた。
他にも二人、女性スタッフが長いすの脇に立って、心配そうに見つめている。
その前のテーブルには、あらゆる種類の、結構お高いアイス。
事の重大さが、メイコにも分かった。
アイスで機嫌をとっても、カイトが泣き止まない。
「カイト」
駆け寄るメイコに、女性スタッフが場所を空けた。
「……めーちゃん?」
「そうよどうしたの?」
カイトが恐る恐るといった風情で、タオルから顔を上げた。
相当泣いたのだろう。赤くなった目元に、潤んだ青い瞳。
メイコを見ると、みるみるうちに瞳に涙がたまっていく。
カイトは慌てて、タオルに顔を伏せた。
(……どうしよう。……可愛いじゃないの)
泣いてる本人をみて、可愛いと思うのも不謹慎だが、可愛いから仕方がない。
周りの女性スタッフも、小動物を見るような目で、今のカイトの仕草を見ていた。
「……マスター……カイトに何をしたんですか?話によっては、マスターといえども……」
メイコの声が、一オクターブ低い。
「メイコさん、原因は、今日のこの歌なんです」
メイコに席を空けた女性スタッフが、楽譜を手渡した。
ざっと譜面に目を通す。
いつもながらの繊細な曲。歌詞は……、死んだ恋人を思う詞だった。
「カイトのやつ、その詞の解釈で、色々考えこんでるみたいだったからよ。ここは、メイコが死んだと思って、バーンと歌ってみろって言ったら、いきなりボロボロ泣き出してな」
周りの女性スタッフが、全員マスターを睨み付けた。
「バーンて! なんてアドバイスするんですか! 十分大したことを言ってるじゃないですか! だいたい人を勝手に殺さないで下さい!」
つかみかかりそうな勢いのメイコ。
ちなみにこのマスターが、いつもメイコに出す要求は、カイトとは正反対のパワフル&男前。
ここでマスターは理解した。
自分が呼んだのは、この事態を打開してくれる救世主の大天使ではなく、カイトを泣かした自分に鉄槌を下そうとするラスボスだったことを。
「めーちゃん……怒らないで。マスターは悪くないんだ。俺が泣き止まないから……」
タオルで顔を押さえたまま、振り絞るように、カイトは言った。
これではとても歌えそうにない。
「おっ、怒ってなんか無いわ」
超繊細状態カイトに対するマスターの無神経さに、怒り沸騰中なのだが、これ以上カイトを悩ませるわけにも行かないので、メイコは仕方なくそう言って見せた。
「それにカイトこそ悪くないのよ。悪いのはぜーんぶマスターなんだから」
これぐらい言ってやらないと、カイトを泣かして、オフなのに人を呼びつけた男に対して、気が済まない。
「ねっ、カイト。私は絶対、カイトを置いて死んだりしないんだから、泣かなくていいのよ」
「うん、分かってる。分かってるけど、涙が止まらなくて……」
カイトの肩が、一段と震えた。
だめだ。超繊細カイトには、何を言っても、暗い方にしか行かない。
「さすがのめーちゃんでも無理か。恋人と言っても、まあ、そんなもんだろうな。にしてもどうするかなー、スケジュール」
無神経バツイチ男らしい、愛も希望もない発言。
この更なる無神経発言に、いつもより凶暴……、いやパワフルなメイコがカチンと来た。
だいたいこういう事態になった原因は、マスターがカイトに繊細を求めた過ぎたことと、
繊細な人間に対する無神経発言のせい。
(すべてこいつのせいなのに、なによこの男は!)
最早こいつ呼ばわり。
(そんなのだから、奥さんに逃げられるのよ!)
とはさすがに口にはしなかった。
「ぼけたこと言わないで下さい。一発で泣き止ませて見せます」
売り言葉に買い言葉。
この手は使いたくなかったが仕方がない。
メイコはカイトをそっと抱き寄せると、耳元に唇を寄せた。
周りのスタッフに聞こえないように、そっとささやく。
「それ以上泣き続けたら、解雇されるわよ」
カイトの震えが止まった。
タオルから顔を上げて、マスターに向き直った。
もう泣いてはいない。涙のひとしずくも出ていない。
「マスター、俺、歌えます!」
声もしっかりしている。
メイコの一言は、仕事が無くて苦労してきた男カイトには、一発で聞いた。
最早条件反射に近い。
「……みたいだな」
あまりの変化にあっけにとられるマスター。
そしてメイコのどや顔。
こうしてなんとか、レコーディングは始まったのだった。
本気のカイトはすごかった。
死に別れた恋人を想い、何も出来なかった自分を悔い、永遠の愛を歌い続けようと誓う。 愛する人に捧げるレクイエムを、これ以上ないほど繊細に、美しく歌い上げた。
レコーディングブースから出てきたカイトに、メイコが飛びつく。
「カイトーーー。私、絶対、絶対、カイトより先に死なないから~~~」
今度はメイコが大泣きだった。
「う、うん。ぜひ、そうして」
周りを見ると、スタッフの女の子達も泣いている。
「カイト……最高だ……」
と言った、無骨者のマスターの目も真っ赤だった。
こうして無事にレコーディングは終わった。
最後に……。
カイトはご機嫌取り用に出されたアイスを、上機嫌で持って帰り、アイスの代金は、騒ぎの元であるマスターのポケットマネーから出されたことを、付け加えておく。
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