朝食を終えMEIKOと別れた俺は、九十二階にいた。この階層は医療地区となっており、テレポートスポットを円形に囲む幅十五メートルほどの通路を中心に、三つのドアが壁の内周に沿い均等な距離を空け並んでいる。
 医療地区がこんな高階層にあるのは、この上階――九十三階から百階までがトレーニング地区に割り当てられているからだ。
 トレーニング地区はその名の通り術士が自主訓練を行う場所で、一フロア九室ずつあるトレーニング室は随分と重宝されていた。個人で魔力の出力具合を確かめたり、新たな魔術の創作に励んだりは勿論、仲間と協力し合う訓練を行うことも出来る。満室だった場合は先客の了解の下、相部屋となることも間々あるものの、俺も暇な時はよく此処へ赴き、時折MEIKOも誘っては、互いの術を評価したり技を磨いたりと利用していた。
 怪我の可能性を考えれば両地区の位置取りは当然のように思える。だが実際の所テレポートスポットがあるため、階層の高さや距離は移動における障害とならない。にも関わらずトレーニング地区の直近直下へ医療地区を配したのは、効率とまた別の所で人が物事を判断する証拠だろう。この荒んだ世界において、そんな人と人との結びつき――打算や私利私欲とは無縁の絆が、何にも増して強い拠り所になる。俺にはそう思えてならなかった。
 それはともかく、医療地区に三つ並んだドアの向こう側は、診察室や処置室、手術室に薬品保管庫など、一般的な医療施設と大差ない部屋が整然と配置されている。しかし各ドア向こうは互いに地続きとなってはおらず、内部で三つの壁に仕切られ全三区画に分けられていた。面積の違いなどあるのかもしれないが、そこまで歩き回ったわけじゃないため定かではない。ただ断言出来るのは、この区画分けは診てくれる術士のランクによるものだということだ。
 ほんの擦り傷程度なら丙ランクでも診られるが、内臓破裂などの重傷になってくると甲ランクでなければ荷が重い場合が予想される。かといって甲ランクの者に日常的な怪我の処置まで任せてしまうと、一気に彼らの負担が増すことになる。魔力も無尽蔵ではない。処置中に倒れられては元も子もなく、魔力を使い果たさないよう気を配る必要があった。兄のような人間は特殊を通り越して異常なのだ。
 そういう理由から、怪我の程度によって診察及び処置を受ける区画を変えることが規則で定められていた。つまりかかりつけ医などは存在せず、負傷する度ごとに具合を自己判断して診療を受けるということだ。
 どの区画にも常時十人程度の術士がいて、基本的にローテーションで診療に当たっている。医療地区専属の術士もいるにはいるが、ほとんどが外での仕事も並行して行っているため、その入れ替わりは激しい。同じ術士に当たる確率は、塔内で何の相談なく知り合いと行き会うより高い、というくらいのものだろう。
 けれど俺を診る医術士は昔から決まっている。甲ランクの区画へ入り、俺は迷わず一番奥の診察室へと突き進んだ。そうして横開きのドアをスライドさせると、オフホワイトの明るい室内が視界に飛び込んでくる。他階層のものと比べると大分こじんまりとした部屋で、右の壁面へ接する位置に簡易ベッドが、奥には各医療品やら医療器具やらが収まった作りつけの棚が二つ並んでいる。
 そして左側の壁面に対するよう置かれた診療机、それに向かう一人の女性の姿が目に入った。背筋を伸ばし腰掛ける姿勢は美しく、その横顔ははっと息を呑むほどに端整だ。白磁のような肌は遠目でも分かる肌理の細かさで、額にかかる落ち着いた深緑の前髪には艶めく光の輪が出来ている。また今は見えないが、翡翠を思わせる双眸、その左側の目尻にちょこんとある泣きぼくろが、何とも言えない色香を醸し出していた。
「おはよう、KAITO君。時間通りね。調子はどうかしら」
 入口で立ち止まっている俺に気付き、彼女は椅子ごとくるりとこちらへ向き直った。そうしてぷっくりした、可愛らしくも艶やかな唇をにっこり上げ嫣然と笑いかけてくる。そんな天が二物以上を授けたに違いない彼女のことを、俺はよく知っていた。何しろ彼女がこの医療地区・甲区画へ専属で配置される以前より続く長い付き合いなのだから。
「今日はいつも通りの定期健診だから、楽にしてね」
「はい。宜しくお願いします」
 そう答え、優美な手振りに促されるままスツールへと腰を下ろしつつ、俺は彼女をじっと見つめた。
 俺と彼女が出会ったのは今から十二年くらい前のこと。まだ幼かったため正確ではないかもしれないが、その時の彼女は大体二十歳前後といった所だった。つまり今の彼女は確実に三十路を越えていると思われたが、その容姿に衰えは見られずまるで変わりなかった。高く一つに結い上げ房をぐるっと一回捻った髪型は若々しくとても似合っていたし、吸い付けられそうな肌も瑞々しさを保っている。化粧で誤魔化しているという風でもなく、むしろ大した化粧はしていないような気がした。せいぜいが唇と目元くらいだろう。ほんのり差した頬の朱も自前のように思える。
 こんな俺の不躾な視線に一度瞬き、彼女はおっとりと微笑んだ。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
「いえ……。あの、SONIKAさんって一体おいくつなんですか?」
「女性に歳を訊くのは野暮というものよ」
 想像通りの返答に、俺はむしろ安堵した。これ以上この話題を長引かせるつもりは毛頭なかったし、そんなことをすれば自ら地雷原に足を突っ込むようなものだ。それならば最初から適当に誤魔化せばいい気もするが、彼女はMEIKO以上に勘が鋭い。職業柄なのか元からなのかは分からないが、彼女を前にうまく切り抜け騙し通せた試しがなかった。言い淀めば穏やかに追及の手を緩めない上、嘘をついても即座に見破られる。
 そうして大抵はその場で獄門晒し首……とまではいかないものの、なかなかに人には言えない仕置きを体験させられた。そんな過去のトラウマから、俺は彼女から質問を受けるともはや脊髄反射で正直に答えてしまうようになっていた。
 それ故、何事もなくやり過ごせそうなことに胸を撫で下ろしていたのだが、こんな俺の尚早な観測を嘲笑うかのように、彼女はとんでもないことを口にした。
「そうね……それなら決めてもらおうかしら」
「は?」
「ねえ、KAITO君。私、いくつに見えるかしら」
「っ……!!?」
 どう答えればいいというのだ。もし彼女の思惑から外れようものなら、血の制裁を受けるのは目に見えている。かと言ってお愛想など吐いた日には、より恐ろしい地獄が待っていることは火を見るより明らかだ。しかも彼女の場合、本当に世辞ではないから一層厄介だった。率直に感じたままを述べても心にもない言葉だと責められ、逆に気を遣って実年齢に近い齢を言うと不機嫌になる。ならば一体俺に何を求めているというのだろう。
 この堂々巡りの感覚は、方向性の違いはあるものの昔経験したものとよく似ていた。以前MEIKOと買い物に出かけた時のこと。彼女が露店に並ぶ服を胸の前で合わせ、似合うかどうか問うてきたことがあった。その際俺は素直に似合うと答え、彼女はまた別の店でも同様の問いを発した。そしてやはりこちらも同じ答えを返した所、にわかに彼女が不機嫌になったのだ。
『適当な返事してる』
 本当に似合うと思い、そう伝えただけだったのだが、それは彼女の望む答えではなかったようだった。そこで仕方なく一計を巡らし、次に訊かれた時はあらかじめ用意していた台詞を口にした。
『前の方が良かった』
 これで機嫌も直るだろうと思いきや、今度は呆れたような表情になり、果てには憐憫を含んだ瞳で軽く睨まれたのだ。
『分かってないわね。こっちのデザインの方が私に合ってるでしょう?前のはちょっと子供っぽいし。まあそっちの方が気に入ったって言うなら、もう一度考えてみてもいいけど。じゃあ、戻りましょ。』
 その返事に俺は唖然とした。正直に感想を述べるのも駄目、別の方を持ち上げても駄目。では一体俺はどう答えれば良かったというのか。
 それから前に寄った店へと戻ったりしつつ、二時間ほどの買い物は終わった。確かあの時は結局俺が評した――ということにされた服に決めていた気がするが、それでも釈然としない気分になったのを覚えている。
 女とは何とも摩訶不思議な生き物だ。どちらに比重を置いた所で、結局は同じ帰結に行き着く。
「そ、そんなことよりも、早く始めて下さい!!SONIKAさんだって俺だけ診ているわけじゃないでしょう……!!」
 しかし今はそんな達観した哲学を弄んでいる場合ではない。目の前の危機をどうにか回避すべく、俺は必死に抗った。
「あら、そう?折角貴方が私をどんな風に見ているか知るチャンスだったのに。残念だわ」
 最初からからかうつもりでいたのか、思ったよりあっさりと彼女は話を切り上げた。無論それについては何の不満もなかったが、自分の気に入らない答えなら果たしてどうだったろうと、彼女の整い過ぎた美貌を眺めずにはいられない。


(②に続く)

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

夢の痕~siciliano 4-①

字数制限で分けました。
ご了承下さいm(_)m

今回も、新しいキャラクターが登場します。
ただ彼女の描写について二つお詫びが…。
実際は若い女性なのだろうと分かってはいるのですが、物語の都合上、年齢が青少年の域ではありません(ぎりぎり青年かもしれませんが)。
今後も、ご都合主義な年齢のキャラクターばかり登場しますが(特に海外のボーカロイド)、どうぞご容赦下さいませ><

もう一つは、彼女のとあるチャームポイントのことです。
これはおそらく実際の絵(パッケージ等に描かれているもの)にはありません。
ただ、前髪に隠れて確認できない=見えないけどあることにしてもいいかな?
という屁理屈でつけてしまいました。
このチャームポイントを増やしたからと言って、実際のキャラクターと雰囲気が変わるということはないと思います。
物語にも全く関わってきません。
大人の色気みたいなものを手っ取り早く出したいなぁというだけの代物ですので、どうかこちらもご容赦頂けたらと思います。

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投稿日:2012/09/23 04:54:04

文字数:3,742文字

カテゴリ:小説

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