その翌日、俺は自室がある階層の中央通路でMEIKOを待っていた。昨晩、あの予言者を自称する女と別れた後。俺たちは何とも形容し難い微妙な空気を払拭すべく殊更精力的に店を回り、無事従妹への贈り物を手に入れることが出来た。そして今日もお互い暇なため、昼からトレーニング室へ行こうと約束していたのだ。
「遅いな……」
普段なら俺より先に来ているか遅れてもせいぜい数分程度なのに、今日は十分以上経っても現れない。そういうことはこれまでもごく稀にあったが、やはりその都度何かあったのではと心配になる。やきもきしつつ更に十分ほど待っていると、テレポートスポットからようやく彼女の姿が吐き出され、俺はやっと安堵した。
「珍しいな。MEIKOが遅れるなんて」
「ごめんね。ちょっと野暮用があって。あ、時間大丈夫?」
「ああ」
「良かった。じゃあ、行きましょ」
そうして歩き出したのと同時、不意に塔内へ魔力で増幅された声がしかつめらしく響き渡る。
「乙類・A種KAITO。至急T6研究室まで来るように。繰り返す。乙類・A種KAITO、至急T6研究室まで来るように」
急な呼び出しに俺は盛大に顔をしかめた。彼女もこのタイミングの悪さには流石に隠しきれない苦笑を浮かべている。それでもすぐに気を取り直したのか、細い廊下の先にある俺の部屋へと視線を向け口を開いた。
「じゃあ、部屋で待っててもいい?どれくらいかかるか分からないし」
「ああ。済まない」
「ううん。じゃあ、行ってらっしゃい」
そんな手を振る彼女に見送られ、俺は足取りも重くテレポートスポットの内へ踏み出した。そのままただT6研究室と考えるだけで、俺の身体は即座に居住地区から遥か高階層の研究地区へと運ばれる。便利ではあるが、このせいで時間稼ぎという選択肢が存在しないのは憂鬱だった。気乗りしない場所への出頭なら尚更のこと。深く嘆息し、だからと言って逃げるわけにはいかない定めを呪いながら、俺はゆっくりと首を巡らせた。
この塔の百一階から百二十六階までは研究地区となっている。全二十六ある階層は下から順にアルファベットで呼び分けがされており、各フロア十二部屋ずつ区切られた研究室にはそれぞれ数字が割り振られていた。これは北を上に見立てた時計の文字盤と同じ配置になっており、呼び出しはその部屋番号と階層記号二つを組み合わせて行われる。また便宜的に研究室と言われているが実際はラボラトリーに近く、実験や研究に取り組む部門もあれば、塔内部で使用する種々の日用品を制作する区画もあったりと、多岐の用途で使用されていた。郵便物を扱うのもこの地区だ。
そして最上階である百二十七階。此処は人が立ち入ってはならない禁止区域として知れ渡っている。どういう原理なのか、この階層へはどんなに思いを馳せてみても決して飛ばされることがない。幹部の者たちでさえなかなか入ることは許されず、煩雑な書類審査といくつもの複雑な魔術で構築されたセキュリティとを経なければ辿り着けぬ最重要区画だった。
そこまで厳重にされていれば当然の如く口さがない噂も飛ぶもので、ある者は緊急時に塔を内部から崩壊させる切り札があるのだと言い、またある者は此処にこそ塔を維持し機能させるに足る魔力の源が存在するのだと言い張った。かく言う俺は昔、兄から“戯れに”セキュリティを突破した話を聞いていたため、何があるのかは承知している。しかしただそれだけだった。俺には関係なさそうだと、かつても今も変わらぬ感想があるばかりだ。
「入りなさい」
ノック後すぐに返答があり、俺はT6研究室のドアを開けた。内部は研究室というより気の利かない応接室といった感じで、無駄に広い室内の中央やや手前に、三人掛けらしき革張りのソファーが一対向かい合っている。その少し奥にはどっしりとした構えの執務机が、更に向こうには天井まで届きそうな高さの書架が幾台もずらっと並び、あたかも収蔵家の蔵書庫のようだった。
「どうした。早くこちらへ」
執務机に向かっていた男が、入口で立ち尽くしている俺へ白々とした眼差しを投げる。ソファーに座っていた数人の人間たちも同様の視線を寄越し、俺はうんざりしつつもそちらへと歩を進めた。
「VY2の所在及び消息不明。死んだと断定するのは早計と思うが、どう見る」
「何しろ状況証拠だけだからな。調査は続行すべきだろう」
しかし俺から注意を外し再び話し始めたソファー組の会話に、目は向けないよう注意しながらもつい耳をそばだててしまう。兄の名を聞いたのは随分と久々で、苦々しさよりもどこか奇妙な懐かしさが募ってくる。
ここにいる彼ら――幹部たちが兄の死に疑念を抱いているのはもっともなことだ。あの男に限って死ぬはずはない。しかも“たかだか ”カオスシード相手に。そう感じさせるに足る絶対的な力と存在感。それが兄という人間だった。
兄は何から何まで他者とは違う基準と法則で生きていた。普通、術士が自身の内外の魔力を対象へ影響を与える形にまで固着するには、魔力の集約と方向付け以外にも何かしらの儀式が必要だ。それは魔術の行使が脳の一部を活性化することによって為されるからで、迅速且つ確実な手段として五感へ直接働きかける方法が形式化したのは予定調和でしかない。
とは言えその様式自体は様々で、意味を持つ文句を一定の規則で並べ詠唱する者、或いはあらかじめ魔力練成がし易いよう術の施してある魔具を用いる者、それらを巧みに組み合わせる者など多岐に渡る。高位の術士ともなると、魔力で陣を描きそれを媒体に術を連続起動させるなんてことも可能だった。
これらの儀式は自分にとって意味のある形、つまり各々の理論体系により異なっており、同じ詠唱形式で術を発動する者でも、その文句が被ることはまずなかった。こんな千差万別の術式構築下にあって、兄のそれはとりわけ一線を画している。
おそらく世界中どこを探してもそんな術士はいないだろう。兄はそれらの予備動作が一切なく、日常の些細な所作のみで魔力を具現することが出来た。髪を軽く掻き上げるだけで火炎の渦が巻き起こり、まじろげば氷柱が突き立つ。勿論魔力の流れる方向を決めてやらねば無効なため、普段の生活において術が発動することはなかったが、どちらにしろ兄はそれすらも瞬く内にやってのけた。魔力や魔術をここまで己が手足の如く自在に操れるのは、後にも先にも兄一人だけだろう。
まだ兄が現役だった頃、同期にずば抜けて魔力の扱いに長けた人物がいたらしいが、その人も兄には敵わなかったようだと後に聞いた。誰だか知らないが、あんな人間離れした兄と比べられては堪らなかったろうと、軽く同情してしまう。
「調子はどうだ」
執務机の前まで赴くと、椅子に腰掛けたままの男がこちらを見上げ問いかけた。威圧的という印象は受けないが、両手を組んだ姿勢や醸す雰囲気に、相手を和ませようという気遣いは欠片もない。対する俺も必要最低限の礼節だけは守りつつ、淡々と答えを返した。
「変わりありません」
「そうか。それは良かった、と言うべきなのかもしれないが」
そこで一拍置き、男はわずか前のめりになると言葉を続けた。
「君の泣き声。そろそろ聞かせてもらえたら嬉しいんだが、そういう気分にはまだならないかね」
知らない人間が聞けば、何か如何わしいことでもさせられているのではと誤解を招きそうな台詞だ。しかし眼前の男の表情は到って真面目で嗜虐の色は見出せない。そしてその意図する所を知っているからこそ、俺は軽く吐息を漏らした。どうせ呼び出した理由なぞそんなことだろうと踏んではいたものの、改めて口にされると脱力感が襲ってくる。
俺の泣き声――正確には“一定値以上の感情を迸らせた声”――にはカオスシードを喚び出す力がある。それを俺が知ったのは今から約十二年ほど前のこと。当時六歳だった俺は、訳も分からぬまま「塔」に連れて来られた上、この傍迷惑な力のせいで様々な実験を受けさせられた。幸い俺には術士の素養もあったため、「庭」を卒園後、こうしてある程度気ままな生活を送っていられるが、もし見込みなしと判断されていたら被験体のまま一生を過ごさなければならなかったかもしれない。そのことを考えるだに、今でもぞっとする。
カオスシードを喚び出す、という害にしかならない力へ彼らが固執するのには勿論理由があった。これまで術士及び彼らを統括する「塔」幹部の連中は、決まった周期もなく突如として出現する奴等にほとほと手を焼かされていた。万全の態勢を整え迎え撃とうと思っても、うまく誘き出せるとは限らず、決まった棲み処を持たぬ奴等がうろつく荒野へとわざわざ出向くのはあまりに危険すぎた。つまり奴等が襲撃した際しか渡り合う機会は存在せず、不毛ないたちごっこを続けるより他なかったのだ。
しかし俺の力を使えば、いつでも好きな時・好きな場所に奴等を喚び込むことが出来る。この膠着状態を打破する起爆剤になるのでは、と幹部たちは諸刃の剣にもなり得るそれに期待を寄せたのだ。そんな探究心旺盛な彼らの手によって、俺は完全防音の障壁が施された研究室にてあらゆる実験の対象にされ、狗のように扱われた。
その結果判明したのは、俺が感情を爆発させた時の声にのみ、一定の律と波にも似た揺れが現れるということだった。すなわち人間には知覚不能なこの音波が、奴等にとっては何らかのシグナルである仮説が浮上したのだ。ただ今の所それを安全に再現する手段はなく、加えて被験者が俺一人しかいないため研究は難航しているらしかった。
ついでに俺はカオスシードの吐く毒気への耐性も備えているようだったが、これに関しては魔力の保有率と同様に個人的かつ一般的なものであると結論が下されていた。実際、魔術を扱えない一般人にも稀ながら耐性を持つ者はいる。故に生来の性質とすぐ判断したのだろう。
とにもかくにも、俺の“声”の仕組みを解明すればカオスシードの撲滅に近付ける。その一心で幹部たちはまだ幼かった俺に泣くことを強要した。初めの頃は彼らの尋常でない迫力に負け泣き出すこともあったものの、流石にある程度の年齢になると人前で泣けと言われて泣けるものではない。どんなに痛めつけられても歯を食い縛って耐え、最後には気を失うまで堪える日々が続くようになり、そうこうしている内に俺を泣かせる実験はいつの間にか立ち消えた。貴重なサンプルに死なれては元も子もないからだ。
だが隙あらば喉笛に噛み付かんとする野獣の如く、今も時々こうして呼び出しては未練がましく俺の意思を確認してくる。おそらく連中にとって、未だに俺は実験台以外の何物でもないに違いない。
「なりませんね。多分一生ならないと思います。……申し訳ありませんが」
それでも何度目だかの要求をきっぱりと拒絶し、次いで俺は頭を下げた。散々痛めつけられた俺が謝ることでもない気がするが、不意に現れるカオスシードにより一番被害を受けるのは街の人々だ。身を守る術を持たぬ彼らは術士に頼らざるを得ず、その術士である俺が我儘を通しているのは紛れもない事実。それに関しては詫びるだけじゃ済まないほどの責任を感じている。とは言え、彼らへ直接謝れない代わりに目の前の男で代用しようというのは、我ながら浅薄な考えで、口の中に苦い味が広がるのを抑え切れない。
「ふむ。それは残念だ……」
対する男はこんな俺の謝罪をどう受け止めたのか、顎をさすりながら何事か思案げにしていた。その間隙を埋めるように、後ろで繰り広げられている幹部連中の会話が耳に飛び込んでくる。どうやら話題は兄から別のものへと逸れているらしい。何にしろ語る内容は口外無用の機密ばかりと思われるが、暇つぶしの茶飲み話くらいにしか聞こえないのはどういう訳なのだろう。
そのまま何気なく言葉を追っていた俺は、不意に飛び込んできた語句に思わず目を見開いた。
「『花の乙女』に変化はないか」
「特にないわ。研究の方も、はかどっているとは言い難いものがあるけれど……ね」
我知らず手が震える。塔内の、少なくとも一般の術士がいる場所では決して耳にすることのない呼称。随分前、ただ一度目にしたきりだった、あの――
「気になるのか?“彼女”のことが」
いつしか手を机上へ戻していた男の問いかけに、俺はつい過敏に反応し顔を背けた。特に声を抑えるでもなく話しているのだから、その内容が聞こえてきたってちっともおかしくはない。それでも何だかソファー連中の会話を聞いていたことが後ろめたく、心に疾しいものを抱えた子供のようにどうしても視線を合わせることが出来なかった。
しかしそんな俺の焦燥を一顧だにせず、表情も変えずに男はさらりと述べた。
「心配せずとも元気にしている。もっとも、“彼女”にそのような“変化”という状態があるのかは不明だが」
何しろ年も取らず病気もしないのだから。そんな男の言葉に後方から、それは羨ましいと軽口が飛ぶ。どうやら咎め立てはされないようだとほっと胸を撫で下ろし、改めて俺も“彼女”との記憶に意識を向けた。
(②へ続く)
夢の痕~siciliano 7-①
久々にウィキペディアを見てみましたら、随分とボーカロイドが増えたんですね。
出来るだけ商品化されているボーカロイドは出したいと考えていたのですけれど、なかなか厳しいことになりそうです。
それもあり、今回の話では出てきませんが、明らかに人外だろうと思われるキャラにもボーカロイドを割り当てたりしていますので(一応姿は人型です)、どうかご了承下さいませ。
まずそこまで書けるかが我ながら疑問ですが…。
また今回も字数制限により分けています。
後半は『花の乙女』についてのお話です。
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裏方くろ子
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