24.決意
山道を越えて王都に向う道すがらも、水に税を課していることがリンの心を重く締め付けていた。初夏、青の国に出発する前も同じ道を通ったのだが、すでに同じ山とは思えないほどに草木が枯れ果てていた。
谷を流れる川の水はすでに無く、埃にまみれ乾ききった川底を無残に晒していた。
「雨の少なくなる季節とはいえ、割と水の豊かなバニヤでさえこの状態なんて……」
水のあつまるはずの海沿いの町、ホルストの治める地区バニヤですらこの状態なのだ。同じ黄の国でも内陸側に位置するメイコの生まれ故郷のユドルなど、どうなってしまっているのだろう。ホルストの屋敷を出た後は、一行はまるで逃亡者のように道を急いだ。長い船旅と異国生活の疲れもたたって、一行の口数は少ない。それでも、無事に険しい山道を越えることが出来たのは、ひとえに船医兼護衛のガクがついてきてくれたおかげであった。
「本来なら黄の国に着いた時点で解任だったのだ。だが、ホルスト殿に、王都までの護衛を申し出たのだ。なにせ、ホルスト殿の屋敷でさえも、人が入り込むほどだからな。……切羽詰まると人は、集団の狼よりも恐ろしいぞ」
ガクのほかにも腕のたつ護衛が数人ついたのだが、ガクの医師としての能力は、一人分の値段で医師と護衛をふたり雇っているようなものなのだ。倹約家として知られるホルストが断ることは無かった。
道中は7日。どうしても街中に泊まらざるを得ないので、ホルストの配慮で、行きの宿とは全て違う宿が手配されていた。
どこの町も、夜は早々に静まり返っていた。昼間の暑さと、減ってゆく水に対する不安が人々の気力を根こそぎ奪っていた。
「ホルスト様。ご提案があります」
王都まであと3日となった晩、ついにメイコが口を開いた。
「他国から水を融通くださいませ」
ホルストの眉が跳ね上がる。
「黄の国すべてまかなう水を買えと申すのか」
フン、とホルストは鼻で笑った。
「その水、メイコ殿が仲買を務めてくださるのかな。さすが元『水商人』。しっかり足元を見ている」
「いいえ」
明らかに馬鹿にした様子のホルストに、メイコは切り込んだ。
「買うのは水ではありません。水を作る道具です」
メイコが、リンに目配せした。あっとリンが声を上げる。
「そうよメイコ! たしか、緑の国では、海水を真水にする道具を開発したそうです! ああ、今までなぜ忘れていたのでしょう! 夏の初め、ミク様から頂いた手紙にそう書いてありましたわ!」
「しかしそれは信用に足る技術なのですかな」
ホルストに問われ、不安な顔をしたリンに、にこりとメイコは微笑んだ。
「だからこそです。緑の国に、黄の国で性能を試してみないかと持ち込むのです。緑の国は、貿易と工芸で成り立っている。黄の国の渇水を救ったという評判が立てば、かの国にも利益となるでしょう」
「しかし、その費用は誰が払うのだね? 機械の運搬や技師らの賃金は我ら黄の国が払うのだろう? がめつい緑の者どもが、いったいいくら要求してくるか解らぬ。そんなわけの解らぬことに貴重な金をつぎ込むわけにはいかぬ」
はねつけたホルストに、メイコが踏み込んだ。
「では、今、民を苦しめるまでに増税した金は何に使っているのですか」
「兵力の増強だ」
「ホルスト様!」
ついにメイコが声をとがらせて切り込んだ。
「なぜ今そのようなことを!」
「解らないなら口を出さないで頂こう! 教育係メイコ殿!」
ホルストが、地に響かんばかりの声でメイコを圧倒した。
「嘆かわしい。王に見込まれた女だからどれほどのものかと思いきや、商売に失敗した8年前から成長しておられぬようですな。目のつけどころはともかく、夢のようなことを語り、考えがあまりにも甘すぎる」
ホルストは派手に溜息をついて席を立った。
「お話になりませんな。メイコ殿、そなたの提案は無かったことにして差し上げます。そのほうが、恥をかかずにお済みでしょうからな」
「そんな」
「待って、ホルスト!」
追いかけるように立ち上がったのは、リンだった。
「……政治に口を出せないなら、せめて教えていただけないかしら。メイコの提案の、どこがおかしいのか。わたくしも、メイコの案は良いと思うのだけど」
静かな少女の声が、場の空気を沈静化した。メイコは、顔を赤くしつつもホルストの言葉を待つ。
「この国は、未来を待てない状態なのですよ、リン王女様」
ホルストが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「民は皆、日々の生活に追われている。今日、明日をどうにかするだけで精一杯なのです」
「では、余計に兵力の増強など、今やらなくても」
「今、やるのですよ。国の力で」
ホルストの目が、ゆらりと光った。
「逆に言えば、民の目は、今日明日の生活にしか向いていない。このようなときに、水と食料を軍隊に優先的に回す。そうすれば、人は、生きるために、兵として集まる」
ガクが、ちらりと視線をホルストに向けた。
「ガク殿なら、よくおわかりでしょうな」
え、とリンとメイコがガクを振り返る。ガクは、フンと息をついてホルストを睨んだ。
「どういうこと? ガクせんせ?」
たずねるメイコに、ガクは吐き出すように告げる。
「……人も、国も、弱ったものから、外敵に襲われ死んでいく」
ガクの紫の目が上がり、リンをじっと見つめた。そして、ホルストを再び睨む。
「そういうことであろう。ホルスト殿」
「さすが、よく分かっているな。そういうことです、王女様。そう、メイコ殿。そなたの故郷ユドルの民が、一番多く、兵を志願しておりますなぁ」
ホルストは一礼すると身を翻し宿の自室へ去っていった。メイコは、呆然と立ち尽くしていた。
「ガク……」
リンが、ガクに声をかける。
「リン殿。私は、昔、医者だったのだ」
「今も医者ではないの?」
ガクは首を振った。
「私は、医師兼護衛……つまり人を殺しながら人を生かすことを、ひとつの体で行っている。昔は、本当にただの医者だった。ところが、私の国は滅ぼされ、多くの民が連れ去られた。そして、人を必要とするところへ売られた」
あっさりと語る語調とは裏腹に、恐ろしい内容が語られている。
「国の民の多くは、鉱山に送られ、きつい労働で命を落としていった。私が助かったのは、医術の技が惜しまれた、ただそれだけだったのだ」
ガクの風変わりな白い衣は、すでに滅びた国の衣装だったのだ。
「リン殿。メイコ殿の考えは悪くない。ただ、遅すぎた。
この国は、すでに、瀕死なのだ。……私の国が最後に他国に解体されたように、弱った人間にさまざまな病気や不具合が取り付く状態なのだ。それを防ぐことを最優先するつもりであると、あの方はおっしゃりたかったようだ」
ぎり、と歯噛みしたのはメイコだった。
「それでも、国の長に理想は必要よ。きつい状況に生きる民のためを思うなら、なおさら」
メイコの、歯の隙間から押し出された小さな声が、床に落ちた。
ガクは、静かに席を立った。うつむくメイコの肩を叩き、自室へと戻るよう促す。
「ねぇ、ガク……では、いつまでこの状態は続くのかしら」
リンが声をかける。ガクは険しい表情を変えずに返した。
「雨が降るまで続くであろう」
「でも……それでは、貧しい人たちは兵にならなければ、いずれ井戸を使えなくなるわ。体力の無い者はどうなるのかしら」
ガクの紫の目がゆれた。リンを見ずに彼はつぶやいた。
「耐える力の無い、弱いものは死ぬ。どうあがいても、それが生き物の摂理だ。……ヒトもでかい頭で必死に知恵をめぐらせているが、どうやらその法則からは逃れられぬようだな」
さ、リン殿もそろそろお休みになられよ、とガクは促す。ガクの腰の剣ががたりと椅子にあたって音を立てた。その音こそ、ガクの経験を物語る重い音だとリンは気づき、とっさに奥歯をかみ締める。滅びた国の衣装を未だ着続けるガク。人を殺し、同じ手で治すガク。その心境は、いかばかりのものであろう。
弱いものは、死ぬ。
医者のガクが示した言葉は、重かった。
満天の星空が、今日も黄の国の大地を照らしていた。不安の雲の渦巻く地上に対し、空は雲ひとつ無く澄み渡っている。人々はその美しい星空を、恨みをこめて見上げていた。
夜の冷えた空気が、肌を刺す。この夜、リンは寝ずにひたすらに、黄の国のこと、ホルストの言葉、メイコの提案、ガクの語ったことを考え続けた。そして、ある決意をした。
「あたしの幸せは、黄の国とともにある。黄の国のすべての人と、共にある。……そうよね、父上、母上……!」
そのとき、宿屋の主人がホルストの部屋の戸を叩く音を聞いた。
ホルストが戸を開け、何事かを話す。リンは、必死に聞き耳を立てた。
続く!
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