それは、人ならぬ物も人も、同じ一つの歌を歌うことが可能となった世界の物語。
事件なのか現象なのか、ただの共通の夢想であったのか、誰も知り得ぬ出来事がある時その世界に起こった。
世界に生きるすべての人間が、一斉に同じ言葉を聞いたのだ。
聞いたと便宜上表現したが、はたしてそれが本当に音声を伴う言葉であったのかは誰もわからない。
なぜならば正常な耳を持つ物も持たぬ物も『すべての人間が』投げかけられた同じ言葉を、同じものとして受け止めたのだから。
百を超える言語が満ちる世界で、それぞれの人間が同じメッセージを己の母語で受けたのかと訪ねられると質問を受けた人間は皆一様に「よくわからない」と答えた。
ただ、そのメッセージはすべての人間にこう伝えたのだ。
-我に、歌を届けよ-
メッセージを投げかけた『我』が何者であるのか、誰もわからない。どうやって正体のわからぬ『我』に歌を届けるのか、誰もその方法を知らなかった。
ある者は『我』を神であると言い、ある者は『我』を宇宙であると言った。
様々な想像のどれが正しいのかもわからぬまま、人々はそれぞれの地で歌を歌った。
世界に歌が満ちるようになって十年近くの時が過ぎ、二度目のメッセージがまた人々に届いた。以前とまったく同じ声、同じ言葉で。
二度目の声が届くのをきっかけにしたかのように、世界の各所で何十年に一度何百年に一度と呼ばれる災害が頻繁に起きだした。
災害はそれまでも世界のいずこかで常に起きていた。しかし、二度目の声の後に起きたそれらは、あきらかに今までの災害と質を異にするものだった。
三度目の声が聞こえたときはいよいよ世界の終わりなのではないかと、多くの人が囁き交わすそれが、今やこの世界の日常となっていた。
「カイト、次のフィールドワークに必要な書類とかチケット類、揃ったわよ。予定よりかなり押したスケジュールになりそうだけど間に合いそうかしら?」
彼らの仕事場『国際音声学研究所』のロビーで、荷物を足下に置いたまま静かにたたずむ背の高い青年に、一人の女性がファイルを手渡した。
声をかけたのは、彼と同じ準学芸員の記章を襟元につけた、メイコという愛称で人々に呼ばれる女性アンドロイドだ。
彼女のイメージカラーである赤を基調とした品のいい事務服が、メリハリのある女らしい姿形とダークブラウンの髪によく映える。
「間に合いそうかと尋ねられても、間に合わせるよう努力するとしか答えられないよ。災害危険区域指定で教授の渡航許可の降りなかったことが、ある意味良かったとも言えるけど」
カイトと呼ばれた青年は困ったように首を傾け、息を吐く。日頃は人の良さそうな印象ばかりを与える姿形に、こんな皮肉の混じった憂い顔が乗ると、彼本来の美貌がより際だって見えるようでもあった。
「そんなこと言わないの。あなただって負荷をかけすぎると動けなくなるのよ。わかってる?」
「……それはもちろん。我が姉上ほどではないにしても、僕だって稼働歴は並の人間より長いですから」
「あら、新型ボディにコンバートしたばかりのくせに、よく言うこと」
くすくすと笑いながら『姉』は、見上げる位置にある『弟』の額を指先で小突く。
傍目ではまるきり普通の同僚同士がしゃべっているようにしか見えない風景で、彼らのどちらもが人間ではないことを一目で見抜ける人間はまずいないだろう。
この世界で人間型のロボット……アンドロイドは珍しくないが、その最高峰である『国際音声学研究所』所属のアンドロイド達は際だった別格であった。
最古参である『メイコ』『カイト』の初期型は研究所に収集されたありとあらゆる言語のデータを、正確に再現するための音声再生プログラムでしかなかったという。
そんな彼らに『歌』を再現する機能を求められたことが、進化の一つのきっかけだったとある研究者は語る。
『歌』の収集と研究が音声学研究所で始まり、当然のように『メイコ』と『カイト』、そして彼らの後継機達にもその再現が求められた。
人の心の記録である歌を正確に記録・再現するために、より人に近い姿形と人工知能が開発され、自己学習してゆくプログラムを与えられた彼らは人以上の早さで進化した。
研究所の巨大データベース『アーカイブ』の歩く端末であり、人工知能とサイバネティクスの芸術品。歌と言葉の究極の再生機器であり、国家予算並の金がかかった究極のお人形。
そんな風に賛美と皮肉がセットになる存在たちが、人間と変わりなく軽口を叩き会話をし、それを誰も奇異の目で見ないのが、この研究所の特異性というものなのかもしれなかった。
『姉』に手渡されたファイルの書類を確認していたカイトが、ふと顔を上げた。
同じタイミングで顔を上げたメイコとカイトの視線は、まったく同じタイミングで同じ方向を向く。
彼らの視線が移動したその先には奥へと続く廊下があり、行き交う人々を器用に避けながら走ってくる一人の少女の姿があった。
「お兄様!」
アンドロイドの『耳』である受信機に、人には聞こえぬ『声』が飛び込んでくる。声が聞こえて数秒後、緑の長い髪を頭の両脇で結った少女が彼らのもとに到着した。
人間ならば何かしらの疲労なり息切れなりを起こす状況で、少女は息一つ乱さず走ってきた。その襟には、メイコやカイトと同じ記章が付いている。彼女もまたアンドロイドであるようだった。
「ミク、あなたこれから舞台の『仕事』があるでしょう? 準備や移動があるんだから、わざわざ来なくてもよかったのに」
「……えっと、人間なら見送りに行くものだ、って」
メイコの苦笑にミクと呼ばれた少女アンドロイドは困ったような顔をした。
言葉が足りないのは新型で経験値が少ないせいだが、聞こえてくる声は繊細で美しい。
「ありがとう、ミク」
カイトが微笑むとミクは同じ笑顔を返してきた。
彼らの母体『アーカイブ』を通せば距離など関係のない会話がいつでもできる。だが、幼い彼女が精一杯に何かを考えて行動してくれたというそのことが、彼の感情プログラムに嬉しさという結果を起こさせる。
「私も、一緒に行きたいなあ。お兄様たちのフィールドワークとか収集ってどんなのかなって、いつも思うの」
残念そうにつぶやいたミクに、今度はメイコが微笑んだ。
「今回は危険度の高い地域だから。長年研究を進めてきた教授でさえ、許可が下りなかったのですもの、そこはガマンしなさい。危なくない地域で、舞台のオファーがない時ならカイトの補佐に入れるように今度申請してあげる」
「そんな危ないところ、お兄様は大丈夫なの?」
「数年ぶりだけど初めて行く場所じゃないからね。大きな地震があった後だから危ないってだけで、『神の庭』って呼ばれるきれいな所だよ」
神様……神様……と小さく繰り返し、ミクは何かに納得したかのようにうなずいた。
「神様に会えたら、今度は私も行っていいかお話してね」
「会えたらね」
妹の頭を撫で、カイトは足下から荷物を拾い上げた。姉と妹の表情に名残惜しそうな色が浮かぶのが確認できても、同じ行動論理を母体とする彼女等はカイトの行動を遮ることをしない。
「行ってらっしゃい、アクシデントがないことを期待しているわ」
「何かあったらすぐ連絡してね」
人間ならばこんな時に何かを感じるのだろうか、ふいに湧いた疑問にカイトはそんなことを考えてしまった理由をさぐる。
出ない答えの代わりに彼の数式が呼び起こしたのは、記憶装置の奥底にある古い歌だった。
彼を最初にプログラムから『形』にした科学者が、よく歌っていた単純な節回しの歌。それを今なぜ思い出したのかはわからない。
長い年月の間に降り積もる雑多なデータにかき消されていたはずのそれが、じつは消えていなかったのだという理由もわからない。
後にして思えばそれは人間が言う『天啓』というものであったのかもしれない。
しかし、人間ですら解釈の難しい予感を人間でない彼が処理することはさらに難しく、彼の思考プログラムはそれをただのエラーとして処理した。
そのことが幸運であったのか不幸であったのかは、誰もわからなかった。
大陸の奥地と呼ばれる国の、さらに最奥の山脈が連なる地帯。古代には『秘境』や『神域』と呼ばれていた地域にカイトの目指す僧院はあった。
「このたびは、我々の要請にお応えいただきまして、誠にありがとうございました」
二週間の行程を経てたどり着いたカイトに、僧院の年老いた尼僧長はそう言って深く頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。二十年に一度の神事に立ち会わせていただけて光栄です。この身が人間ではないことを感謝せずにはいられません」
カイトの言葉に何かを言おうとした尼僧長は、言葉が見つからなかったのか不思議な間の後に微笑み、カイトを僧院の奥へと案内する。
どのような文書にも残してはならぬ、僧院に関わらぬ他者が立ち会うことを禁ずるという神事の掟を作った存在は、彼のような存在に頼ってまでも神事の記憶を残さねばならぬ事態を想定したのであろうか。
遠い昔には天に歌を捧げる神聖な場所として賑わっていた僧院も、今は廃墟と見まごうほどに古びて閑散とし、かつての面影はかけらもない。
度重なる天変地異によって老人と子どもだけになってしまったこの僧院で、神事をまともに行えるのはこれが最後であろう、と僧院は神事の記録を国際音声学研究所に依頼した。
ただそんな状況であっても『人』ではなく、写真の撮影も文書の記録もしないカイトが掟を破らない記録者として派遣されたことは、尼僧たちの一つの救いであるようだった。
十日を超える長い神事の中で歌われた祈祷の歌はおよそ百二十。儀式の典礼全てにカイトは立ち会い、見聞きした物全てを己の記録装置に収めた。
予定されていたすべての記録を終えた最終日、退去のあいさつをするべく尼僧長の部屋に入ったカイトは、来たときと同じ部屋に見慣れぬ人物が追加されていることに気づいた。
「ああ、もうご出発なされますか」
静かにほほえんだ尼僧長は、うなずいてあいさつと礼を述べたカイトの視線が、己の隣にいる人物に注がれていることに気づく。
年は十歳前後くらいであろうか。このあたりのごく普通の村人と同じ日に焼け、民族衣装を着けた背の低い少女がそこにいた。
二人分の視線を受けた少女は恐縮したのか、足を踏み換えて尼僧長の後ろに隠れようとする。
「こんにちは、はじめまして……かな?」
カイトが微笑みかけると、少女は小さな声で同じ挨拶を返してきた。
「近くの村に住んでいた子どもです。……災害で親を亡くし、この僧院で預かりました」
あなたに頼みたいことがあるそうです。尼僧長はそう言って少女の背に触れた。
「頼みたいことってどんなこと?」
少女が堅苦しさを感じない表情と言葉遣いを選び、膝をついて少女より少し低い視点からカイトが尋ねる。
すると少女は『この人、本当に人間じゃないの?』という表情でじっと彼を見た。
「……尼僧長様が、あなたは『危険区域』に行けるっておっしゃっていたのですが、本当ですか?」
彼女の言葉がたどたどしいようにも堅苦しいようにも感じられるのは、少数民族の言語であるため、翻訳ライブラリが細かいニュアンスを訳しきれないせいだろう。
少女の問いにカイトはうなずいた。
「『人間』ではないので。ここに来るときも『危険区域』やその近くを通ってきました」
具体的な経路をいくつかカイトが口にすると、少女が信じられないと言いたげな表情をした。
大変だったでしょうと問われ、大丈夫でしたよ、ありがとうとカイトは返す。
子どもであれ、大人であれ、アンドロイドは基本的に『人間』に敬意を持って接するようプログラムされている。丁寧な彼の態度に少女はそれを感じ取ったようだった。
「戻る時も同じ道を通りますか?」
尋ねられたカイトはええと答える。すると少女は意を決したように胸の前で手を握った。
「カイトさん、私の村を見てきてもらえませんか?」
もう誰もいないけれど、そう続けて少女は息を吐く。
カイトがどこの村ですかと尋ねると彼女は彼の経路沿いにある村の名前を答える。危険区域とされる場所の中心近い、山の麓の集落だ。
「私の村の中には、古い塔がありました。昔、えらいお坊様が神様に祈りを捧げるための鐘をそこにつるしました。災害が急だったので、村を出て行くことが決まった時に誰もその鐘を持っていくことができませんでした。……塔が……鐘がまだあるのかどうか、見てきていただけないでしょうか」
少女の願いにカイトは行く道が閉ざされていない限り、行きましょうと答える。
「鐘を下ろしてあなたに届けましょうか?」
彼がそう尋ねると少女は『大きな鐘です。無理ですよ』と笑った。どこか彼の妹分たるミクに似ている愛らしい笑顔だった。
僧院の尼僧達と少女に見送られ、カイトはそうして帰路についた。僧院の記録についてのデータは既に本体である『アーカイブ』に送信済みであり、少女の依頼についても報告が済んでいる。
ルートの変更について許可を求めた政府や自治体からは、『危険区域』内の別の村などについても簡単な調査を依頼されるくらいであった。
調査の依頼をこなしながらの帰り道は、行きの二倍ほどの時間がかかった。
「ある歌の物語」-Pane dhiriaに寄せる幻想(1)
新城PのKAITOオリジナル曲「Pane dhiria」(http://www.nicovideo.jp/watch/nm9437578)をもとにした小説です。全3話くらいになる予定です。
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