今でこそ小岩井家のボーカロイドたちといえば大人数の大家族といった体だが、最初からそうだったわけではない。
ミク一人きりだったところにメイコが来て二人きりで秋をすごし、冬の気配がカイトを連れてきた。春の風と共にリンとレンが来て、生い茂る葉が蒼い影を落とす頃がくぽが迎えられ、梅雨の雲間から青空が見えたのと同時にルカも姿を見せた。そして夏の盛り、鮮やかな陽の光に負けぬ姿でぐみがここにたどり着いたのだ。
ひとりずつ、あるいは二人で手を繋いで。ボーカロイドたちは順番にここへやってきたのだ。
そして、これは小岩井家にまだボカロが三人しかいなかった頃の小さなお話。
暮れも押し迫ったある日。マスターが箪笥から取り出したのは、灰色がかった白地の着物だった。ばさり、と広げれば裾や袂に描かれた波の文様が浮き上がる。画面の向こう側で広げられた、しっとりとした上品な美しさにミクがはしゃいだ声を上げた。
「マスター、綺麗ですね!」
「お正月だからねえ、せめて着物くらいは着ようかなと思ってね」
衣文掛に着物をかけながらマスターはそう言った。皺を取るためにあらかじめ着物をかけておくのだそうだ。そう説明するマスターの声も心なしか普段よりも浮ついている。かくいうメイコもまた、普段は見ることのない、ハレの日の装いに目を輝かせた。
どんなに齢を重ねても、たとえひとでないものであったとしても、着飾ることはやっぱり女子として心躍る行為なのだろう。
「マスターは、着物を着ることができるんですね」
一連の動きを見ていたカイトが、まだ硬さの残る口調でそう言った。
このカイト、つい先日このパソコンにやってきたばかりのほやほやの新人だ。敬老の日のプレゼントにミクが贈られて、マスターはおばあちゃんながらもボカロマスターとなり、それからしばらくしてメイコも迎えられ、そして三人目のボーカロイドとしてカイトはここへやって来た。
マスターの所有するパソコンは一般的なものよりも容量が大きいので、ボカロを三人分インストールもまだまだ十分な余裕がある。メイコ達に用意されている居住区も三人でも持て余すほどの広さだ。もしかしたらマスターはまだまだボーカロイドを増やすつもりなのかもしれない。この男声ボーカロイドを迎えながらメイコはそんなことを思ったりもしたのだった。
「着付けくらい出来るわよ。伊達に齢を取っていないんだからね」
カイトの言葉に、わざとらしく拗ねるような様な調子でマスターはそう言った。メイコ達のマスターは時々こういう意地悪な物言いをして相手の反応を面白がる癖がある。けれどそんなマスターに、まだ来たばかりのカイトは慣れておらず、マスターを軽んじたわけじゃないです、と慌てた声を上げる。そんなカイトの姿にメイコとミクはくすりと顔を見合わせて笑った。
「こんなおばあちゃんだけどね、着物姿は我ながらとっても素敵なのよ」
歌うようにそんなことを言って、マスターは帯や半襟などの小物も取り出して並べていく。帯揚げのふっくらと柔らかな藤色や漆の簪に刻まれた小花の細工など、落ち着いた中にも細部に宿る可愛らしさがたまらない。お正月に見られるであろうマスターの着物姿を想像して、ほう、と思わず息を吐くメイコの横で、私も着てみたいです! とミクがまた声を上げた。
「マスター、私もお正月にお着物を着たいです。私達も、お正月の着物、用意してもいいですか?」
可愛いものが大好きなミクの提案に、マスターがにっこりと微笑んだ。
そして次の日にはマスター自らの手で用意された着物ひとそろえが三人分。メイコ達三人が暮らす家のリビングに届けられたのだった。
「……これ、確実にマスター、前々から私たちに着物を着せたいと考えていたに違いなわね」
ミク、メイコ、そしてカイト。それぞれのコーディネイトがばっちりの着物を前にメイコがそう言って苦笑した。
おそらく、ミクが着たいと言い出さなくとも、お正月は自分達ボカロも着物で過ごすことになっていたに違いない。マスターは自分たちに甘すぎる。嬉しい事は間違いないけれど、けれど、マスターの甘やかしに慣れてはいけない。そうメイコは自重するように思った。
「でもこのお着物、私、すっごく好きな感じだし。着たいって思ったし。結果オーライっていうんじゃないかな」
ミクも同じように考えているのだろう。苦笑しながらそう言って、着物を広げた。
ミクの着物は淡いピンクの着物にはさらに淡く浮き上がるように桜の花が描かれたものだ。薄紅の花びらが着物の裾に楚々と散る様は可憐でミクによく似合っている。帯は茶に近い黒という渋い色合いを持って来ていて、可愛いだけで済まさないセンスもミクの好みだったはずだ。
メイコの着物は、濃紺に朱や辛子の幾何学模様が描かれた大正モダンな雰囲気のもの。帯は赤、柄は梅。かなり大胆な配色で着こなすのは難しそうだが、このきっぱりとした色合いがメイコには好ましく映った。
「マスターは、本当に私たちの好みを熟知しているわね」
大きなリボンの髪飾りを手に取りながらメイコはそう感嘆した。
リボン、なんて若々しすぎて普段のメイコ的には敬遠しがちなアイテムなのだがこの髪飾りは色合いが落ち着いていてレトロな雰囲気だ。幼い愛らしさというよりも、甘すぎない可愛らしさがあった。こういうテイストのものはメイコの好むところだ。
こういう細かいところひとつとってもそれぞれに好きなものをマスターは選んでいる。一見おっとりとした世間知らずな老女であるマスターの、情の濃やかさとセンスの良さを実感する。
「あ、見て。ストールと鼻緒の刺繍がお揃いだ。細かいところまで可愛いね、お姉ちゃん」
次々と包みを開けて歓声を上げるミクに、本当だ、とメイコもはしゃいだ声を上げつつ、ふと、カイトのはどんなのだろう、とその手元を覗き込んだ。
カイトは袴と羽織り。深い紺の着物に同じく同じく紺の袴。羽織は白。赤みを帯びたその白は、紺の袴と相まって夜明け前の空の色を連想させた。羽織に描かれているのは梅。水墨画のような線で描かれた枝先に緋の花が色付いている。
「あら、素敵じゃない」
予想外の華やかさにメイコは思わず声を上げた。男物の着物は地味なものか七五三的なものしかイメージがなかったので、落ち着いていながらも華のあるカイトの着物に正直、驚いたのだ。
「これ、私が男ならこういうの着たいわ」
「え、あ、」
不意に声を掛けられて驚いたのか、カイトは目を丸くしたまま、どもるようにそんな声を発した。そういえば、先ほどからはしゃいでいるのはメイコとミクだけで、カイトは何も言わずに包みを開くばかりだった。そんなカイトの様子に、もしかして、とメイコは眉根を寄せた。
「なあに、気に入っていないの? だったらマスターに言って代えてもらった方がいいわよ。貴方はまだ来たばかりだし、マスターだって好みを把握しきれていなかったかも知れないのだから」
少しきつい口調でメイコはそう言った。その強めの言葉に、カイトは困った様に眉をハの字に下げた。緊張しているのか、心なしか頬が赤い。カイトの何か遠慮するようなその態度に、メイコは厳しい態度を崩さないままじっとカイトを見据えた。
折角選んでくれたものを変えて欲しい、と言うのは少し勇気が要るかもしれない。けどカイトにとっていい機会だ。
まだ来たばかりのせいか、一人だけ男のせいか、それともそういう性格なのか。このカイトには遠慮がちなところがある。メイコの場合、初日早々にミクとケンカして遠慮とかそういうものが吹っ飛んでしまったのもあるけれど。それにしてもカイトがここに来てから一週間以上は経つ。もう少し打ち解けてもいいと思うとメイコは思うし、マスターもそんな思いを抱いているような気がする。
メイコのまっすぐな眼差しに、戸惑うようにカイトは瞳を揺らす。まるで迷子の子犬の様だ。その心細げな様子に、手のかかる弟ね、とメイコはため息を吐いた。
「私も一緒について行ってあげるから。一人じゃないなら大丈夫よ」
「え、何? 何だかわからないけどミクもついていくから、お兄ちゃん、安心して」
横ではしゃいでいたミクも、メイコの言葉に続いて笑んだ。全く何の話かちゃんと聞いていなかったくせに。この笑顔で大丈夫って言ってもらえたら、心強いったらないじゃない。なんなのだまったくこの可愛い妹はお姉ちゃんをどうするつもりなのかしら。
ミクの可愛らしさに和みつつ、それでどうする? とメイコは促すような視線をカイトに向けた。
「ええと、あの」
メイコとミクの視線を受けて、カイトは更に頬を赤くしながら首を横に振った。
「大丈夫、です」
「大丈夫?」
メイコが繰り返すと、今度は、こくん、とカイトは首を縦に振った。
「代えなくても大丈夫。あの、すごく格好良くて……。おれ来たばかりなのになんで俺の好きなのをマスターは分かったんだろうって、驚いて、声が出なくかっただけだから」
緊張でその声は固かったが、嘘偽りの色はどこにもなく。なんだ、とその言葉にメイコは力を抜いた。
「もう、気に入ったならミクみたいに歓声くらいあげなさいよ。心配したじゃない」
そうメイコがわざとらしく小言を言えば、臆面通りに受け取ったカイトは、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「や、おれが叫んだら、うるさいかな、と思って」
「馬鹿な事を言うわね。ボカロは声を出すのが仕事でしょうが」
まったくもう、と苦笑して。よかったね。とメイコはその青い髪を撫でた。
「カイト、素敵なのを用意してもらえて、よかったね」
よしよし、とメイコは子供相手にするようにその頭を撫でた。柔らかなメイコの手の感触に、カイトの緊張も少しは解けたのかもしれない。撫でる手の下で、カイトは少しくすぐったそうに笑った。その子犬のような笑顔にメイコもまた胸の内側がくすぐったいもので満ちていく。なんだなんだこの可愛い弟は。まったくお姉ちゃんをどうしたいのかしら。
うちの妹と弟は手がかかるけど可愛らしくてたまらない。ほんとうに仕方がない子達だなあ。
そんな贅沢な悩みを抱きながら、メイコは口元をほころばせた。
Master番外 着物くるくる・1
お久しぶりです。ばあちゃんマスターのお話ですが、過去にさかのぼったエピソードなので番外です。お正月周辺のネタです。お正月、もう二週間前だけどお正月ネタです。
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