手伝います、とは言ったものの、僕にできる事はあんまりなかった。ライカさんの手際が良くて、手を出す暇がなかったんだ。なんでも、もう4年も一人暮らしをしているから慣れたものらしい。

「自分一人だと手抜きも覚えるしねー」

そんな事を言って、悪戯っぽく笑う。最初はきっちりレシピ通りにしていた事も、だんだん大雑把になって、計量なんかも目分量だそうだ。だから手早い反面、人に指示を出すには向かないらしい。

結局 僕がした事と言えば、ちょっと野菜を切ったり、お皿を出したりしたくらい。それでもライカさんは嬉しそうで、「ありがとう」って微笑んでくれた。

なんだか、この人はいつも笑顔の人なんだなぁ。
それに、いろんな笑顔を持ってる人なんだ。楽しそうだったり、嬉しそうだったり。



――僕は、気付いていなかったけど。こんなに『笑顔』を向けられるのは、初めての事だったんだ。
トラブルを抱えていたから、開発室では難しい顔をされる事が多かったし、優しい人達は心配そうな顔をしていて。

無意識の底で、初めて知ったんだ。『笑顔』が、あたたかいものなんだって事を。



 * * * * *

【 KAosの楽園 第1楽章-003 】

 * * * * *



「どう? 初めての『食事』は。嫌だったら無理しないでね」
「大丈夫です。……美味しい、です」

これが『美味しい』だよね? 初めてだけど、僕のプログラムはそう判断してる。ちょっと自信はなかったけど、思い切って言ってみた。

「そっか、良かった」

ライカさんが顔をほころばせる。それから、一言付け足した。

「ありがと」
「? 何が、ですか?」

ふいに御礼を言われて戸惑ってしまう。僕は別に、何もしてないと思うんだけど。
考えても分からなかったので訊いてみたら、ライカさんはあっさり答えてくれた。

「え? 美味しい、って言ってくれたからさ」

ぱちり、と瞬きをする。答えてもらって、また戸惑う。だってそれ、何だかおかしくないですか?

「それなら、美味しいものを食べさせてもらった僕が『ありがとう』なんじゃ?」

腑に落ちないのでそう言うと、今度はライカさんが ぱちりと瞬きだ。そして ぱっと破顔する。

「いいひとだねー。うん、それも間違ってないよね。で、褒めてもらったら『ありがとう』も変じゃないでしょ。それにほら、ご飯に付き合ってくれてるし。それも『ありがとう』」
「そんな……」
「いや、ほんとに。一人のご飯て味気ないんだよね。やっぱり誰かと一緒の方がずっと美味しい」

『付き合ってる』なんて、そんなつもりないのに。むしろ僕みたいなアンドロイドにまでご飯を作ってくれて、吃驚してるのに。
そう言おうとしたけど、ライカさんは僕の否定を少し違う風に取ったらしい(御礼を言われるような大した事じゃない、とかだと思ったんだろう) 『否定』を否定して、重ねて笑う。

「だから、美味しいご飯をありがとう……ってあれ、何か聞いた台詞だなこれ」

何だっけ?と悩み始めてしまうライカさんは、やっぱり本当に変な人だった。
僕が言った時には「いいひとだね」なんて嬉しそうだった言葉を、自分で言う時はごく当たり前に流してしまう、変な人。同じ言葉を、言う時も聞く時も相手に感謝する、変な人。

「いいひとですね」

さっき彼女がくれたのと同じ言葉を返すと、ライカさんが驚いた顔をして僕を見た。それから、『聞いた台詞』の正体に思い当たったんだろう、納得した顔をして、嬉しそうに目を細めて。

――少し遅れて、僕は自分の言葉を理解した。それが持つ意味も、やっと今。今更。



 * * * * *



好きに使っていい、と貰った部屋で、僕はしゃがみこんで震えている。
頭を抱えて、目を見開いて、でも何も映さずに、震えている。
頭の中では混乱と恐怖が渦を巻いて、電脳が弾けとびそうだ。

――どうして。

ただその言葉が駆け巡る。
どうして、『いいひと』だなんて言ってしまった? あんなに普通に話したりして、一緒に食事なんてして。関わったら駄目だって、『その人』を識別したら駄目だって、ずっとずっと避けてきたのにどうして!
折角『博士』と離れても、これじゃ駄目だ。『博士』の代わりにライカさんが、

―― 『 ラ イ カ さ ん 』 ?


「っぁあ」

今更気付いて呻きが漏れる。
どうして、いつから、そう 認 識 し て し ま っ て い た ?
『誰』かは判らない『誰か』じゃないと駄目なのに、こんなにはっきり『あのひと』を識別してしまったら、

駄目だ、もう関わったら駄目だ。善いひと、優しいひと、あたたかいひと。 だ か ら 駄目だ、守らなくちゃ。 こ の 僕 か ら 守らなくちゃ――。

「……守るんだ。もうあんな風に話したりしないで、関わらないように、食事もやめて」

( 喜 ん で く れ た の に ? )


何処か深いところから声がした。


(一緒の方が美味しいって、あんなに喜んでた。なのにやめるの?)
                  (何て言うの、「もう嫌です」って? そしたら何て思われるかな)
           (酷いって思われるかな)
                     (ほんとは無理してたんだって思われるかな)
         (無理して、我慢して『付き合った』って)

(美味しいって言ったのも 嘘 だ っ た って)


「止めろ違う! 嘘なんかじゃない、僕は」

(でもきっとそう思われる)
          (あんなにいいひとだもの、きっと)
  (悪かったなって思わせちゃうよ?)

「……あぁ、」

そうだろう、きっと、あのひとなら。
違うんです。貴女は無理に付き合わせたりしてない、僕はほんとに嫌なんかじゃなかったし、ほんとに美味しかったんです。
ほんとうに、

(でももう食べない)

「それは、」

(食事だけじゃないね?)
         (話も、普通に関わるのも駄目。ずっと部屋に閉じこもってる?)
   (そしたら、あのひとは何て思うだろうなぁ?)

( 自 分 が 何 か 

「止めろ! 止めろ止めろ止めて、違います、貴女は何も、」

――何も。

あぁ、駄目だ、変わったら駄目だ。今日と同じようにしないと。
あのひとが何か気に病んだりしないように、『普通』にしてないと――。



明かりも点けないままの部屋で、僕は震え続ける。がくがくと、最早『震える』というよりは『揺さぶられている』に近い有様で。見開いた目からは ぽたぽたと滴が落ちていたけれど、何も映していない僕は気が付かず、ただ無為に染みを作るばかりだ。

誰か、誰か。神様でも何でもいい、悪魔だっていい。
あのひとを、護ってください。僕から、この狂気から、あのあたたかいひとを、どうか。

どうか、お願いだから。



<the 1st mov-003:Closed / Next:the 1st mov-004>

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

KAosの楽園 第1楽章-003

・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?

↓後書きっぽいもの





 * * * * *
『個人』を認識しない為に『名前』を呼ぶなんて以ての外だったKAITOが、來果の事は気付かぬ内に呼んでしまっていた。うっかりペースに乗せられて警戒を忘れてしまっていた――と気付く回です。

『内側から響く、自分のもうひとつの声』に煽られ、悩まされ。
これだけ演出として左詰にせず左右に振ってみましたが、読みにくいかなぁ。
改行にかからない程度にしか揺らせないので、微妙だったかな?

*****
ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/

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2010/08/21 UP
2010/08/30 編集(冒頭から注意文を削除)

閲覧数:457

投稿日:2010/08/30 20:47:31

文字数:2,907文字

カテゴリ:小説

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