この「ココロ」が届くのは、今のままではきっと無理。
それは、私たち三人が唯一共通して抱いていたこと。
だからきっと、あの七日間を「転機」として、誰かが与えてくれたんだ。
-三つの恋音。①-
もうすぐ、今日もベッドで眠る時間になってしまう。白いナイトを人差し指でつついて、私は小さなため息を吐き出した。
「ルカ様、どうかされましたか?」
目の前で黒のビショップを掴んでは離し、離しては掴んでいる男がそう言う。それを聞いて、ああ、ため息を欠伸に見せかける能力があれば良かったのにと思う。
狙いを定めたビショップに、白いポーンが奪われる。どうしてそう引っかかりやすいのかしら、と思いながら、私は、白のクイーンでポーンのかたき討ちをする。
「いいえ、退屈になってしまっただけだわ」
「申し訳ありません、私が弱いばかりに……」
黒のビショップが討ち取られたのを見て、あわてたように彼が言う。別に、目の前の男が弱いことはずっと前から知っているし、知っていてチェスの相手をずっとさせているのだ。今更それに、退屈はしない。
「いいえ、きっと眠いのだわ。頭がちゃんと働いていないみたい」
「そう、ですか。では、もうそろそろ寝支度を致しましょう」
私の言葉に、彼は少しだけ安堵したような顔をする。良かった、私の言葉はフォローとしてちゃんと働いてくれたようだ。
チェスを丁寧に片付けている彼をぼんやりと眺めながら、もう終わってしまった。眠る前の時間を、終わらせてしまったと、ささやかな後悔をする。
片付けが終わると、男は私にベッドの方へと行くよう促す。それに素直に従って、整えられた上質なシーツの上に腰をおろした。
「明日の朝は今日届いたアッサムでよろしかったですか?」
「ええ。それと、朝食は少し軽くていいわ。夜は晩餐会だから」
「かしこまりました」
ブラシで私の髪をとかしながら、彼が尋ねる。この時間だけは、私の髪が長くてよかった、と思える。ゆっくりと、時間をかけてとかされた髪は、彼が動くのとともに揺れた空気で、ふわりと浮いた。
ベッドに横になると、彼は軽く毛布を整えて、その口元を柔らかい笑みに変える。
「おやすみなさいませ、ルカ様」
「おやすみなさい、神威」
彼が灯りを消して、去っていく。
使用人が主人の部屋に居座り続けるなんて出来るわけもないのに、行かないでほしいと願ってしまうのは、どうしてなのだろう。
自分の髪を撫でて、私はそっと目を閉じた。
早く、早く、早く。誰よりも早く起きて、誰よりも早く身支度を整えて、あの人に、会いにいかなくちゃ。そう思って家を飛び出して、そして百メートル先に、あの人を見つけて、あたしはもっともっと速く走った。
「カイトお兄ちゃん、おはよう!」
「う、わ、え、ミク?」
見つけた背中に思いっきり抱きついたら、カイトがとっても驚いた顔をした。けっこう毎朝やっているのに、それでも驚いちゃうカイトがなんだかカワイイ。
「カイトお兄ちゃん、今日はどこ行くの? 何をするの?」
「今日はめーちゃんと買物なんだよー。またどうせお酒だけどね」
呆れたような顔をしながら、あたしの頭をなでなでするカイト。めーちゃんは、あたしも大好きなお姉ちゃんだ。ときどき赤い顔をしてふらふらしているけど、そのときもとっても明るくて、楽しい。でも、カイトと一緒に居る時のめーちゃんは、なんだかカワイイから、少し、嫌い。
「ミクは今日何か予定あるの?」
「全然からっぽだよ!ね、私も買物行っていい?いいよね?」
「え、あ、うん。ミクならめーちゃんも良いって言うよ」
「やったー!ありがとっ」
お礼の意味で、カイトのほっぺにキスをする。おおげさだなあってカイトは笑って、目的地に向かって歩いていく。置いて行かれないように、しっかり隣をキープして、あたしも歩く。
お礼の意味に便乗したキスなんて、気にされることはない。そもそもこんなの親子でもする、友達でもする、誰にでもする、あいさつだし。でも、でも、知ってても、なんだかいらっとする。
「ミク? 怖い顔して、どうしたの?」
「ううん、なんでもない! 歯になんかひっかかってただけ!」
「あはは、そっか」
明るく言い返すと、カイトはとってもまぶしい笑顔になる。毎朝いろんなウソをついてしまうあたしだけど、カイトを笑わせたいから、って理由なら咎められないと思ってる。
どうか、これからの買物、途中でめーちゃんがいなくなって、あたしとカイトが二人っきりになりますように。
そう願掛けをして、あたしはカイトの手を、迷子にならないようにっていうウソの理由で握りしめた。
今日も着る服が決まらない。あれでもない、これでもない、とタンスを漁りながら、部屋の扉の外で、別の扉が開かれる音を聞いた。きっと、隣の部屋のレンは、もう準備を終えたのだ。また今日も先に用意を終えられてしまった。となると間違いなく、私に催促のノックが襲ってくる。
案の定、私の部屋の扉は乾いた音を響かせて、それから高めの少年ボイスが扉の向こうからやってきた。
「ちょっと、リン。またかよー。もう待ち合わせ10分前だぜ?」
「ちょっと待って! あと1分、ううん、30秒!」
仕方なく、その瞬間手に取ったサロペットを急いで身につける。髪の毛はちゃんとセットしたいところだけど仕方ない。適当に束ねて、せめてもの飾りにシュシュを付けて、斜めに流した。
「お待たせ!」
「ったく、時間かかる割にてきとーなんだよなー」
「失礼ね、バカレン」
私だって適当なのは重々承知だけれど、仕方ない。服を選ぶのに手間取ってしまって、そこまで気が回らないのだから。そもそもなんで同級生とカラオケ行くだけなのに、服選びに困ってると思ってるんだか。
「髪くらい歩きながら束ね直せよ、一束落ちてる」
「え、うっそ!」
「んなくだらねー嘘つくかよ」
首筋に手を当ててみれば、確かに髪の毛が一束落ちている。いや、落ちているっていうか束ねそこなって首にくっついてる。慌てて直しながら、口は悪いながらも、外に出る前に教えてくれるっていうあたり、レンはすごいなあと思う。
「あ、ねえ、待ち合わせまであとどのくらい?」
マンションの階段を下りながら問う。出る直前に時計を見ればよかったのだけれど、とにかく急がないと、という気持ちが先に立って、見損ねた。
「ん? あ、時計忘れた」
「え、じゃあ分かんないじゃん。ったく、準備不足ねー」
「うるさいよ、アホリン」
私の言葉にむっとしつつ、でも忘れたこと自体は恥ずかしいみたいで、照れ隠しみたいなアホ、の言葉になってる。さっきバカって言った時の、私みたい。
「ま、走れば間に合うって。ほら、行くぞ!」
「ちょ、ひっぱんないでよ、バカー!!」
レンが私の右腕を掴んで突っ走るのに合わせて、私も全速力。走る速さはレンのほうが早いはずだから、きっとレンは全速力じゃない。
双子だけど、ちょっと違うところもきっとたくさんある。私のこの、気持ちと同じものがレンにあるか分からないみたいに。
それが七日間を迎える前の、私たち。
<つづく>
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