【恋】君の熱
幼い頃、俺は病弱だった。
今ではその面影は微塵もない健康体だけれど、中学校に上がるくらいまではしょっちゅう熱を出して寝込んでいて、両親が共働きだった俺の面倒を見てくれたのはいつも彼女だった。二階で向かい合わせの部屋だった俺たちの部屋は屋根を伝うと簡単に行き来が出来るようになっていて、お互いのために窓の鍵はいつでも開いていた。
「ただいま、めーちゃん」
玄関を開けレジ袋を放り、もどかしい気持ちで寝室の扉を開ける。
豆電球の明かりの下、朝より幾分か呼吸の落ち着いた彼女がベッドでうっすらと目を開けて、おかえり、と小さく呟いた。
「遅くなっちゃってごめん、具合どう?」
「…まぁまぁ、かな」
張り付いた額の髪の毛を払って掌を置くと、まだ少しだけ残った熱がじんわりと伝わってくる。
だいぶ汗をかいたようで、ベッドサイドに置いてあったスポーツドリンクはもうほとんど空になっている。余分に買って来ておいてよかった。
「…まだちょっと熱あるね」
「…そう?」
「スーパーで色々買って来たよ。お粥食べれる?」
「…あんまり食欲ない」
「なくても食べなきゃだめ。元気になるならまず体力つけないと」
「……」
ため息を勝手に同意と捉え、ネクタイを緩めた。脱ぎ散らかした背広に飛んで来るお小言が今日はない。生活の大部分を彼女で占められている俺にとってはそんな些細なことだけで調子が狂ってしまう。
彼女が季節外れの風邪を引いて二日。
普段あまり病気をしない人が倒れると長引くという迷信もあるが、赤ん坊の頃から一緒にいる俺でさえ彼女がこんな風にダウンしている姿は初めてだった。規則正しい生活に美味い食事。一緒に暮らし始めてから俺は人生で一番健康になったけれど、仕事の他に二人分の家事をするようになった彼女は少し無理が祟ったらしい。誤解のないように言っておくと勿論俺だって手伝ってはいる。料理はどう頑張ったって彼女の方が上手だし、掃除洗濯にしても大雑把な俺にやらせるよりはと彼女が一人で済ませてしまうのだ。
「…ふふ」
新しい冷却シートに替えるとくすぐったそうに身を捩り、彼女が微笑んだ。その表情に力はないが、それでも笑顔が見れた事が嬉しくて、「なに」と優しく尋ねる。
「今のやり取り、ちっちゃい頃と逆だなって思って」
昔は俺がベッドで寝込んでいてその側に彼女が居て、あれこれと世話を焼いてくれたのだ。今ではすっかり病気知らずだが、あの時の熱の苦しさだったり関節の痛みだったり、彼女が来てくれる事の喜びだったり、それらがすべてごっちゃになったノスタルジックな気持ちが未だに心の中に残っている。
「…めーちゃん」
「なぁに」
「俺、もう子供じゃないよ」
「……?分かってるわ、そんなこと」
「子供でもないし、弟でもない。身体だってもう弱くない。だから、めーちゃんが身体壊すほど全力でお世話してくれなくたっていいんだ」
急な雨に濡れて帰って来て、洗濯物を取り込んで。そのまま俺が帰ってくるまでにと料理の支度なんかしてたら風邪だって引くだろう。
布団の中にある右手を取って、汗ばんだ掌にそっとキスを贈る。ぴくんと返って来る反応はいつもよりも鈍くて、ほんの少しだけ物足りない。
「あなたのことが好きなんだ。昔も今も、これからもずっと」
「……」
「めーちゃんを守りたい。ガキの頃からずっとずっとそれが夢だった。ようやくそれが叶うところまで来た」
だから、と落とすように呟いて、祈るように手を握る。
年上だからというつまらない意地も一人で何でもやろうとする強情さも、その熱も。全部全部俺が奪ってしまえばいい。
「俺のこと、もっと頼って下さい。…そんで」
俺も彼女も子供ではないから風邪の治し方の一つや二つ覚えているし、ちょっと寝込んだくらいで大袈裟に騒ぎ立てる程のことでもないことも分かっている。
けれど。君が俺の隣に居てくれないと、どうしたって力が沸いてこない。
だから、どうか。
「…早く、良くなってください」
しばらくの沈黙の後、はい、と律儀に返って来た返事に顔を上げる。
薄明かりの下でもわかるほど頬を染めた彼女が、嬉しそうに目を細めて俺のことをまっすぐに見つめていた。
【カイメイ】恋扉桜【短編詰め合わせ】
年の11月に発行した薄い本3種、【恋】【桜】【扉】http://piapro.jp/t/z7NB
の続編にあたる短編詰め合わせです。
バレンタインやらなにやら時期はバラバラですが、まあ趣の違うカイメイがいちゃいちゃしてるだけです←
薄い本はおかげさまで完売しておりますが、特に読んでいらっしゃらなくても読めるかと…よろしければ!
幼馴染二人は同棲をはじめたようです。
書き始めた時は大学生だったカイトも無事社会人になりました。
一番オリジナルの性格に近い二人だと思います。
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