あの日、彼が私に与えてくれたのは初恋でした。

だからこそ、得てしまったこの感情に、戸惑うことしかできないのです。






その春、私は地元から少し離れた高校に進学した。
父が二年間東京へ赴任することになり、母は父について行った。
私は東京行きの話に乗らなかったので、一人で暮らすことになった。
公私共に新しい環境になったことで、私はゼロから味方を作らなければならない。
もう甘えられる人はいない。私ひとりで生きていかなくちゃいけないんだ。


私には、恋愛経験など無い。
そもそも興味すら無い。
おそらく、これからもずっと、恋愛なんかしないだろうと思っていた。
同級生が語る「恋バナ」は他人事であり、フィクションの世界のように聞いていた。
変化を望むわけじゃない。たくさんの味方が欲しかったわけでもない。
ただ、私自身を認めてくれる人がいてくれれば、それだけで良かった。


いつからだろう。そんなことを考えなくなっていったのは。
自覚したとき、私は初めて自らの変化に気づいた。
ああ、私は、恋をしているんだ。








<<【がくルカ】私の初恋と白衣の彼【side:L】>>








教卓の向こう、顔を上げれば時々交わる視線。
この席と教壇までの距離は近くて遠い。けれどそれで良かったのだ。

国語科の担当、神威先生。
紫色の長髪をまとめ、白衣の裾をたなびかせ、眼鏡の奥に宿る優しい光。
この学校の先生達の中では特に若い印象を受け、授業もわかりやすく生徒の間でも人気がある。
なぜ白衣を着ているのだろう?その疑問の答えを誰も知らないが、似合うのだからそれでいいのではないだろうか。


彼のことが気になる。その理由に気がついたのは一ヶ月前。最近のことだ。
初めて好きになったのが教師だなんて。まるでテレビみたいな話だ。
子どもは身近な大人に憧れる。その感覚を恋と勘違いしているのだと世間ではよく言われる。
勘違いでもいい。今この瞬間、彼を見ていられるのなら。




今は十月。九月に比べ、肌寒くなってきた。
制服が冬服に移行し、先日よりは温かくて過ごしやすい。
それでも手だけは、手袋をしても冷たいままで。
私の冷え性は、いつまでたっても変わらないらしい。


今年の冬は例年より冷え込むのだろうか、十月でも息が白い。
夏には連日猛暑日を記録したり、何十年に一度の大雨が降ったり。
こんなに環境の変化が急激だったら、体調を崩しやすくなってしまう。
そんな日々に憂いを抱きながら一時間目の準備をする。
一時間目は彼の授業。朝からラッキーだ。


「はい席つけー、授業始めるぞー」


ざわついている生徒たちに声がかかり、授業が始まる。

チョークで黒板に文字が刻まれていく音に、文字列の内容を補足していく彼の声。
先ほどまで騒がしかった教室を、今は彼ひとりが音を紡いでいく。
顔を上げれば、教室を見渡す彼と目が合う。
けれどその視線はすぐに外れ、教室の隅に向けられる。

視線の先にいる人たちのことを、クラスの人間はよく知っている。
いつも三人組で行動している女生徒たちは、まさにこのクラスの問題児だ。
授業中にメイクをしたり、お菓子を食べたりしている。いつのことだったか、無音でゲームをしているのをチラ見したことがある。
先生達が目線を生徒達に向けた瞬間、彼女達はうまくそれを隠して知らないふりをしているのだ。
授業を大きな話し声で妨害することもない。だからこそ先生達も表立って指導ができない。
他にも噂があったと思うけど、私は詳しく知らない。

そういえば前回の授業はミニテストだったはずなのに、今日は答案を返さないのだろうか。
いつもならすぐに返却するのになぜだろう。その疑問は、その日のうちに知ることになる。



放課後、私は神威先生の補習に呼ばれた。
理由はすぐにわかった。私は前回の授業を、熱があったので保健室で休んでいた。
それの再試なのだろう。


「あの、なぜ体調が悪くなっただけなのに、補習を受けなくてはならないのでしょう…」
「そういうルールだからな。俺も本当は、体調の関係で保健室に行った生徒には受けさせたくないんだが、学園長がそういうルールを作ったから」
「そういうものですか…?」
「ああ。再試扱いにはならないから、申し訳ないけど頼むよ」
「再試扱いじゃないんです?それって、私だけ有利になって不公平になりませんか?」
「大丈夫。前の授業で行ったテストだからまだ答案を返してないし、口止めしてある」


良かった。再試じゃないんだ。
彼はルールに対して、私に気を使ってくれたらしい。
ほっと安心したら、落ち着いて問題を解くことができた。
見直しをして教卓のほうを見ると、彼はその近くの椅子で本を読んでいるようだった。
その横顔を見ていたいと思ったけど、すぐにその考えを打ち消す。
だめだめ。これは補習なんだから。



「答案できましたよ」
「けっこう早いね」
「きちんと復習してますから。そういえば…先生、相談があるんですけど」
「ん?相談?俺でよければ」


答案を教卓に置いて、彼に話を振る。
相談があるのは本当だ。でもそれは誰にでもできる。
彼に相談するのは、単純に長く彼と話していたかったから。


「なぜか最近、学校の中で誰かにつけられてる気がするんです」
「つけられてる?」


彼の視線が私に投げられる。
それを真っ向から見るのは少し恥ずかしくて、私は少し視線を逸らす。


「どれくらい前から?」
「ええと…4、5日くらい前です」
「わりと最近だな。そういうことは早めに誰かに相談したほうがいいぞ、なにかあったら危ないし」
「はい」
「誰かはわからない?疑うようで悪いけど、心当たりとかは?」
「な、ないです。そんなにクラスのみんなとお話することもないですし…」
「そうだよなあ」


謙遜でもなんでもなく、私は本当にクラスのみんなと関わることが少ない。
友達といえる人なんて数えるほどだ。恨みを買うような覚えなんて全くない。


「じゃあ、もし何かされたら言ってくれ。力になるから」
「ありがとうございます」
「ついでに補習も終わりね」
「え、終わるの早いですね?」
「ミニテストだからね。あとは個人的に、ムダに長い補習が嫌いなんだ」
「…ムダに長い補習をする先生に恨みがあるんですか?」
「俺の高校時代からいる先生がそうなんだ……これ以上はやめておこう、俺が怒られる」


知らなかった。先生はこの高校出身なのか。
彼について知ってることが増えた。それだけで今日は本当にラッキーだと思う私は単純なんだろう。

まだ時間に余裕があったけれど、それを切り上げて彼は補習を終わらせた。
きっと生徒が長く補習に拘束されるのに気を使ってくれたんだろうけど、私は全然かまわないのに。

荷物をまとめて廊下に出る。
彼はまだまだ仕事のようだ。


「じゃ、俺は職員室行くから。気をつけて帰れよ」
「はーい。ありがとうございました」


階段を下りていく姿を見送る。
彼と初めて会ったのは図書室だったっけ。
図書室があるのは旧校舎の一階。ここは新校舎の三階だから、けっこう離れている。
最終下校時刻まで余裕があることだし、たまには行ってみよう。








気がついたときにはもう日は暮れかけていた。
時計を見ると三十分ほど経っているようだった。
最近は夜になるのが早いのだ。
仕方ないから続きは明日以降読もうかな。
読んでいた本を棚に戻し、図書室を出たときだった。


「ねえあんた、ちょっと待ってくれない?」


聞き覚えのある声に反し、停止する思考。
あれ。おかしいな、足が動かない。
声のするほうを振り返ると、クラスの問題児三人組が立っていた。


「どうしたの?何か探してる?」


できるだけ平静を装って放った言葉を、三人はどうも気に入らなかったようで。


「探し物はないけど。あんた今日、神威に私らのことチクったでしょ」
「え?告げ口?…もしかして、ここ数日私のことを付けていたのって」
「え、気づいてなかったの?」
「ちょっと!あんたのせいでばれたじゃない」
「何よう、巡音がチクったかもって言い出したのはあんたでしょーが!」


ぎゃいぎゃいと揉め始める三人。
よくわからないけど、何やら行き違いがあったらしい。


「ええと、あなたたちが尾行の犯人ということはわかったけど。何で私?」
「ほら、あんたって優等生じゃない。弱みか裏の顔でも出てきたらおもしろいなって思って始めたんだけど」
「ねー。見事なまでに出ないから、よっぽど隠すのがうまいか、もしくは本当の本当に優等生なのか」
「だから考えたの。私たちバカだから、巡音さんに教えてもらおうと思って」


じりじりと近づいてくる三人。
そのうちの一人が鞄の中を探っている。
あれ。これ、まずいんじゃない?


「悪いけど私、人に教えるのは苦手なんだ。ごめんね」


そう言って足早に三人の横をすり抜けようとした。
待ちな、と鞄を探っていた子が咄嗟に私の腕を掴む。
その時、掴まれた手首に走る鋭い痛み。

目をやると、その手にカッターナイフが握られているのを見た。


「あっ」
「あっ」


要するに。
カッターナイフを取り出したと同時に私の腕を慌てて掴んで。
そのときに出ていた刃が偶然私の肌の上を走っていったらしい。


「ちょ、ちょっと、ケガさせるつもりなかったのに!あんたが急に動くから!」
「ケガさせるつもりがなかったのなら、その手に持ってるものはどう言うつもり?」
「知らないよ!たまたま掴んじゃったのがこれだったんだから!」
「たまたま掴んだカッターの刃が出てることってあるの?」
「…あるんじゃない?」
「どうしよう」
「どうしようね」


三人が顔を見合わせる。
その間に、一歩、二歩と遠ざかる私。
数メートル離れたところで、一目散に走り出す。


「あっ!あいつ逃げた!」
「今度こそチクるつもりだ!追うよ!」
「結局追ってくるのね…」
「「「当たり前でしょ!」」」


三人いる以上、逃げ切ることは難しいかもしれない。
それに私は足が速いわけじゃない。

まず、昇降口はダメだ。
私が走り出した方向は最短距離じゃないから、三人の内の一人が真っ先にそこに向かってるかもしれない。

それと、職員室もダメだ。
職員室は新校舎の二階にある。
様々な行き方があるし、三人の誰かが先回りしている可能性が高い。

そう考えるとすぐに捕まることはないだろうけど。
問題はどうやって外に出るかだ。
適当に撒けたら、職員用の出入り口から出るのがベストだろうか。





走り続けること、体感的に十五分。
やり過ごしたり、見つかったりを繰り返して、疲れてきた。
チラリと後ろを見ると、階段や渡り廊下から三人が集合していくのが見えた。


「いや全員集まってたら意味ないんじゃない!?」
「…あっ!本当だ!」


彼女達は言っていた。「私たちはバカだ」と。
なるほど、嘘は言っていなかったようで。
だけど私の身の安全に繋がるかというと、その真反対だ。

旧校舎の四階まで逃げてきていた。
この階は、暗黙のルールがあるので立ち入る者を見たことがない。
よりにもよって、人気がない場所に来てしまった。


「た…たすけて」


疲れからさすがに声がもれる。
走り続けているからか、声が掠れていた。


「あんたも…そろそろ限界のようね?」


三人のうちの一人が、余裕そうにそう言った。


「あなたたちかなり走ってるのにどうして平気なの?どんな身体能力してるの!?」
「「「だって水分補給してるもん」」」
「卑怯だっ!」
「何よ、無策のあんたが悪いんでしょ!」
「私は何もしてません!」


無駄なところだけ模範的だ。
私は休憩すらできていないのに。

多対一、休憩の有無の差は大きくて。
もう数メートルで追いつかれてしまう。
あ、もうだめかもしれないなあ。
ろくに思考の回らない頭で考えながら、廊下の角を曲がったとき。


突然手を掴まれて、どこかへ引き込まれてしまった。




「あいつどこに行った!?探せ!」


切羽詰った声が、扉ごしに聞こえて。
助かった?でも私の体は拘束されている。


「ちょっと、誰ですか、放してくださ」
「静かに。じっとして」


バタバタとうるさい足音が聞こえる。
もがいてみるけど、すぐに大きな手に口を塞がれた。
いや。怖い。でも、ここで見つかってしまったら?
そう考えて、一旦落ち着くことにした。
何者かも、それ以上何もしてこなかった。

何者か?
ちがう。知ってる。さっきの声は恋焦がれた声で。
口を塞ぐ手元に、見慣れた真っ白な袖。

苦しい呼吸のまま目線を下ろしていく。
風に揺れる裾と紫色。
まさか。私を抱きしめている、この人は。


三人の声と足音が遠ざかっていく。
窓から光が差し込む。
その人は私を離した。
夕日の光を受け、オレンジ色に染まる白衣。



「はっ、はっ、っ!?なんで…?」


解放されて息を大きく吸い込みながら振り返る。
その人の顔を見た。

ああ、やっぱり彼なんだ。
でも、私のヒーローになって、どうするの?


「ど…どうして、先生がここに…」



そこに立っていたのは――神威先生だった。

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【がくルカ】私の初恋と白衣の彼【side:L】

元々はとあるコラボのお題「初恋」をテーマに投稿した、初のオリジナルがくルカ作品です。
そのコラボと作品が消えたのでリメイクしました。

元データがない関係上、大まかな流れは彼の視点を参考に、一から書き直しました。
かなり変更されている部分があったり、セリフがたくさん増えていたりします。

長くなったので前のバージョンが後半です。
彼の視点:http://piapro.jp/t/Gh88


2011/10/01 初投稿

閲覧数:647

投稿日:2017/08/15 23:00:38

文字数:5,501文字

カテゴリ:小説

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  • Tea Cat

    Tea Cat

    ご意見・ご感想

    し ん ど い
    レポートの進捗ダメですが元気を貰いました☆にゃぁ(ヤケクソ)
    とうとみの極みって感じですありがとうございます
    ブクマもらいます☆にゃぁ

    2017/08/15 23:07:35

    • ゆるりー

      ゆるりー

      確認が早すぎて笑った。
      このときの二人純粋すぎて何回かパソコン閉じたくなったよ!
      進捗がんばって…()

      2017/08/15 23:14:33

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