夜も暮れると、子供達の姿は見えなくなる。
仕事が終わった人々は疲れを癒すために、様々な店に立ち寄る。
私は立ち寄るほうではなく場を提供するほうなのだが。
「……ん?」
いつもと同じように接客していると、店の扉の前に変な気配を感じる。
誰かが立ちっぱなしでこちらを見ているらしい。なんだか黒い影が見える。
変な客でいちゃもんでもつけてくるのだろうか。
それは営業妨害ですよ?
おかしな噂を立てられるのも嫌だし、何か一言言ってやろうと扉を開ける。
そこに立っていたのは一人の女性。
片手を宙に浮かせたまま呆然としているその女性。
「何してるんですか?…とりあえず中入ってください」
私に促されるままに中に入る女性。
そんな彼女をカウンター席に座らせ、シェイカーを手に取る。
「全く。悩み事があるなら遠慮なく言ってくださいよ」
お酒やジュースなどをシェイカーに注いで言う。
一瞬眉をピクリと動かし、すぐに真顔に戻って呟く彼女。
「気づいてたの?」
「当たり前ですよ。メイコさんはいつも悩んでるときにうちに来るじゃないですか」
「…そうだったかしら」
「とぼけたって無駄ですよ」
あら失敗、と冗談ぽく言いながらも目は笑っていない彼女。
感情を表に出したがらない。彼女『深川芽衣子』はこういう人なのだ。
「三年前から同じですから。初めてうちに来たときびっくりしたんですからね?」
「店の前で蹲ってた私を、仕入れから帰ってきたあんたが声をかけた。もう耳にタコができるほど聞いてるわよ」
「覚えてないんですか?」
「さあ。雨の中無我夢中で走って、気づいたらここに来てただけの話よ」
それとなく話を逸らされる。
いつもこうだ。思い出したくない、もしくは人に聞かれたくない話のときはとくに。
彼女が初めてこの店「Berceuse(ベルスーズ)」にやってきたのは三年前。
夜に小さなバーもやっているこの喫茶店のバーテンダーを継いだのは丁度その少し前だった。
先代のバーテンである母とはずいぶん歳が離れていた。その母にメイコさんはどこかそっくりだった。
もちろんメイコさんはまだ二十代半ば、私といくつかしか離れていないのだから母なわけはないのだけれど。
だけど母はいつも何かに悩む目をしていた。その目が彼女にそっくりだった。
気が付けば、彼女を店に入れていたのだ。
「…あの時の話はもういいでしょ」
「そうですね。何か食べます?」
「いらない」
「そうですか。…どうぞ」
カクテルグラスをカウンターに置く。
水面に映る自らの顔を眺めながらメイコが呟く。
「『クローバー・クラブ』?」
「ええ。その表情を見る限り、悩みを忘れたいわけではないのでしょう?」
「まあね…でもよくわかったわね、今日の私の気分がこれって」
「ふふ、なんとなくです」
そのなんとなくがよく当たるのだが。
それに彼女は以前これ(クローバー・クラブ)も好きだと言っていたし。
「そろそろ本題に入りましょうか」
「……もう少し雑談を続けてもいいと思うけれど」
「また逃げるんですか?」
「そういう訳じゃないのよ。たださっきと全然話変わってないもの、さすがに驚くわよ」
「あぁ…なんですか」
「まだ、彼のこと好きなんですか」
グラスを傾ける手が止まる。
「もう三年も経つんですよ?新しい恋に踏み出してもいい頃でしょう」
彷徨った目はカウンターを見つめ続ける。
「いつまでも歩みを止めたままでは、あなたは泥沼から抜け出せませんよ」
コトという音と共に、自由になる手のひら。
「…私の部屋、彼の存在が消えてくれないの」
その瞳はどこか虚ろで。
「いるだけで思い出が蘇るの、消えてるはずなのに、心の奥に焼きついて離れないの。それに…」
静かに儚い雫が落ちていく。
「まだ夢に出てくるの。いつも笑顔で、でも少し悲しそうで…何か私に言ってるの」
苦しげに吐き出される心のわだかまり。
「忘れさせてくれないのよ…」
言葉のナイフは地面で砕けて消えていった。
その後、泣く彼女をフォローして今日は家に帰らせた。
彼女の心にはまだ鎖が絡みついているようだ。
私は「彼」を彼女の話でしか知らない。
名前も特徴も、個人を特定できるような情報は知らない。
まったく知らない他人だから、私は彼女にもズバズバ言えるのだろうか。
彼女が呪いを振り切るのはいつになるのだろう。
このまま放っておけば、ふらふらとどこかに消えてしまいそうだった。
*
メイコさんを見送ってから数分後、静けさの戻るバーに一人の男性がやってきた。
「やあ。元気でやってるかい」
「いらっしゃいませ。なんとかやってますが。…ずいぶん久しぶりですね?」
「悪い悪い。仕事が立て込んでてさ、なかなか寄れなかったんだよ。あっシクラメンもらえるかい?」
「今日は皆さん甘めの気分なんですね」
「ん?何か言ったかい?」
「こちらの話ですよ。それで?今日はなんの用なんですか?……音崎海人さん」
「やけに皮肉っぽく言うんだな」
「別に。いつものことでしょう」
【カイメイ】Distance【Ⅱ】
【side:Y】
ゆるりーですよ。目がかゆいです。どうでもいいね。
Berceuse:フランス語で「子守唄」
クローバー・クラブ:ドライ・ジン、ライムジュース(又はレモンジュース)、グレナデンシロップ、卵白を混ぜたカクテル。ほどよい甘さと酸味が特徴らしい。米国のフィラデルフィアにあったクラブの名称が名前の由来。
シクラメン:テキーラ、コアントロー、オレンジ・ジュース、レモン・ジュース、グレナデンシロップ、レモンの果皮(香り付けのため)が主な材料。こちらも甘め。名前の由来は同名の植物から。
名前は漢字表記にしてみました。
呼び方はカタカナが多め。
メイコ:深川芽衣子(ふかがわ めいこ)
カイト:音崎海人(おとざき かいと)
ゆかり:結月縁(ゆづき ゆかり)
ゆかりさんがようやくまともな役を手にしたよやったね!
でもバーテンには向いてないっていうね。
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