種を撒く者
「……王子は、そこまでの覚悟を」
話を聞き終え、メイコは沈痛な面持ちで呟く。ミクは病人のように青ざめ、信じられないと首を振った。
「嘘。嘘よ……」
話を受け入れられない様子の彼女へ、リンは憐れみの視線を送る。緑の兵が略奪をしていた事とレンがカイト王子を殺していないと知り、緑の王女は相当の衝撃を受けたようだ。それはそうだろう。正しいと思い込んでいたものを徹底的に否定されたのだから。
レンがカイト王子を殺すのは不可能。その時レンは王宮で貴族の粛清を行っていた。他の国へ行く暇など無い。
カイト王子暗殺と粛清の時期はほぼ重なっている。王宮を離れられないレンにはまず無理だ。それに黄が青に侵攻する直前では、戦争の混乱に乗じる事もあり得ない。
緑の王女の誤解についてリンは問いかける。
「何でレンを犯人だと断定していたの?」
表向きかもしれないが、青の国は犯人の情報を掴めていなかった。戦争のどさくさに紛れてしまったのもあるとはいえ、まだ犯人は分かっていない。なのに、緑の王女はレンが直接手を下したと判断している。黄の国の策略と考えるのはともかく、根拠も無くレンを犯人だと決め付けるのはおかしい。
リンの疑問はメイコも同様であったらしく、二人の視線がミクへ注ぐ。四つの瞳に見つめられた彼女は若干青ざめたまま、しかし得意気に胸を張って答える。
「緑の国は知っていたのよ。カイト様を殺した人間は、小柄で金髪だと……」
話す内に顔が強張り、語尾が消え入りそうな程小さくなる。目の前にいるのは特徴が一致して、レン王子と瓜二つの人間。
疑いと確信が入り混じった瞳を向けられたリンは、微かな笑みを浮かべた。
「偶然だね。私と犯人は似てるんだ?」
直後に格子の隙間から手が伸ばされ、リンの両腕を掴んで引き寄せた。小柄な体が縦横に組まれた鉄棒に激突する。
「ミク王女!」
「貴女がカイト様を殺したの!? 王子の命令で、あの方を殺したの!?」
メイコの制止を聞かずにミクは叫ぶ。危うく顔をぶつけていたリンは、後ろへ反らしていた頭を慎重に戻した。
「カイトさんを殺せって言ったのは別の人間。むしろレンは怒ってたよ」
涼やかに答えてやる。レンの服のお陰で衝撃が軽減されて、激突の痛みは案外弱かった。とは言え、鉄格子に押さえ付けられた体勢は少々辛い。
レンを恨むのは筋違い。静かに断言され、更にメイコに宥められたミクは手を離してリンを解放する。だが、浅葱色の瞳には怒りと憎悪が宿っていた。
「悪ノ王子を庇わなくても良いのに」
ごく小さな呟きを、リンの耳はしっかり拾い上げた。この期に及んでもレンのせいだとする緑の王女は、どうあっても自分本位の考えを曲げたくないようだ。
レンが悪じゃなければ、復讐を正当化出来ないから。己の正しさを誇示出来ないから。
自分は間違っていないと信じて疑わない緑の王女に、リンは心底呆れ果てた。
「そんなだからレンにも愛想を尽かされる」
鉄格子の隙間から手を伸ばす。メイコはそれに気付いたが、ミクが死角になってリンの右手が見えなくなる。
次の瞬間、その手には短剣が握られていた。切っ先がミクの喉元に突き付けられ、彼女の表情が凍り付く。
「下手に動かない方が良いよ。加減が分からないからうっかり刺さるかも」
隙が多すぎる。リンは小馬鹿にして笑い、メイコは早業に驚いていた。息を止めていたミクがゆっくりと話す。
「いつの間に……。どこに隠し持っていたの? いや、どうやって持ち込んだの」
「貴女が持って来てくれたんでしょ。こんなご立派な物を」
リンはあっさり手を引き、短剣を見せびらかすように左右に振る。鍔に埋め込まれた緑色の宝石を目に留め、ミクは慌てて腰へ視線を落とした。鞘に納めていたはずの宝剣が消えている。
「あ、ああっ! それは私の剣、返しなさい!」
取り戻そうと手を伸ばすも、後退したリンには届かない。鉄格子に阻まれるミクの姿を見て、まるで向こうが牢に入れられているみたいだとリンは思う。聞く必要の無い文句を捨て置いて、掠め取った短剣を検分した。
柄に緑の国の紋章が刻まれ、鞘は一瞬見えただけでも分かる程に宝石がちりばめられていた。レンが部屋に飾っていたのと同じで、これは緑の王家に代々伝わる宝剣だろう。売れば数年遊んで暮らせる価値はあるかもしれない。
権威を見せつけるには分かりやすく便利な代物だ。この剣を持っていれば、とりあえず高い身分の人間であるのが一目で伝わる。
分不相応だと嘲り、リンは再び短剣を左右に揺らした。
「これに頼らないと王族を名乗れないんだ? 程度が知れるね」
意趣返しをされたミクが顔を朱に染める。羞恥と怒気で震える彼女を意に介さず、リンは軽く右腕を動かした。放られた短剣が宙を進み、鉄格子に当たって金属音が響く。
また盗られないよう警戒しつつ、ミクは床に落ちた宝剣を拾い上げる。ぞんざいな扱いに不満を訴えようとした時、リンの声がそれを遮った。
「カイト王子暗殺の重要な手掛かりを持っていたのに、どうして緑の国は青の国に報告しなかったの?」
「それは……」
何故連絡を怠った。鋭い指摘を受けたミクは言葉を詰まらせる。威勢の良さが急速に萎んだ彼女へリンが畳みかける。
「そもそも変だと思わない? 青の国は犯人を知らないのに、何で緑の国が犯人の特徴を知っていたのか」
矛盾を追及するリンは、既に辻褄の合う答えを導き出していた。
カイトに致命傷を与えた黒ずくめ。あれは緑の国が放った刺客だったのだろう。青の国に報告をしなかったのは不審感を持たれるのを避ける為。金髪で小柄の人間がいたと証言したのは、レンがカイトを殺したと緑の王女に思い込ませる為。
おそらく、緑の目的は黄の国そのものだ。王宮にいた内通者、ジェネセルから情報を得て、王女が反乱に参加するよう仕向けた。
革命が終わった後、黄の国は統治者不在になる。そこで革命に協力した緑の王女を祭り上げれば、黄を乗っ取るのは難しくない。推論だが、そう考えれば説明が付く。
「青の国が弱まって、黄の国が滅んで得をするのは一体どこだろうね?」
嫌味が込められたリンの追い打ち。はっとしたミクは口元に手を当てた。絶句した彼女に変わり、メイコが悔しさを滲ませて呻く。
「レン王子と私達は、西側に踊らされていたと言う事ですか」
「そんな……。なら、私は何の為に……」
ミクは膝から崩れ落ちる。緑の策略だと知った彼女は現実を認められず、呆然自失としていた。意味の無い呟きを繰り返し、やがて両目から涙が零れ落ちる。
「私は、何を守ろうとしていたの? 大切なものはなんだったの?」
「そんなの私が知ってる訳ない」
勝手に縋られても困る。守りたいものや大切なものは本人にしか分からないのだ。他人が決める事じゃない。
救いを求める緑の王女を斬り捨て、リンはメイコに訊ねた。
「メイコ。王宮内で、背が高くて長い金髪のメイドを見なかった?」
特徴を聞いたメイコは心当たりのある人物を挙げる。
「リリィ殿、ですか?」
「知ってる? 生きてるか分かる!?」
革命軍に殺されていないかとリンは詰め寄る。嗚咽するミクへ目を落としてからメイコは返した。
「無事です。何処にいるかは不明ですが」
リリィは王宮陥落寸前に逃げ出し、革命軍も行方を追っていない。捕まえたとも殺害したとも報告されていないので生きているはず。メイコから詳しく説明を聞き、リンは安心して肩の力を抜く。
良かった。リリィが生きていれば、必ずレンを探し当ててくれる。合流すれば一人でいるよりも遥かに安全だ。
「私からも聞いて宜しいでしょうか?」
メイコに質問されたリンは頷き、ミクを一瞥して続きを待った。
「リリィ殿は一体何者ですか? ただのメイドとは思えませんが」
瞬く間に革命軍兵士を打ちのめし、一騎打ちで全く引けを取らなかったと教えられ、リンは思わず声を上げる。
「互角!? リリィが? メイコと?」
嘘でしょと目を丸くする。まさか黄の国の元近衛兵隊長と渡り合える程の実力を持っていたとは。しかも革命軍の包囲を掻い潜って逃亡を成功させている。
生き抜いて欲しいと頼んでおいて何だが、無茶苦茶もいい所だ。メイコが疑うのも無理はない。
「昔から武術を習ってたらしいけど、正真正銘王宮のメイド。三年前からレンの侍女を務めてる」
要点に絞ってリンは伝える。リリィに驚かされているのは自分も同じだった。彼女は本当に何者なのかと、以前払拭したはずの疑問が再び浮かぶ。
ただ、リンにははっきりと言える事があった。
「独りになったレンを誰よりも支えたのは、リリィだよ」
これからのレンに必要なのは、かつての師匠でも、隣国の王女でも、双子の姉でも無い。同じ場所に立って、レンをレンでいさせてくれる人がいる。
王宮を失っても、王子でなくなっても、レンにはちゃんと居場所がある。独りぼっちじゃない。
ミクが鉄格子に掴まって身を起こす。メイコが気遣いの声をかけ、ミクは未だ潤む目を向けた。
「大丈夫、です」
足が震えているが、自力で立てると意思表示する。他人の力を借りなくても平気だと意地を見せていた。
メイコは牢へ向き直り、リンに話しかける。
「最後に一つだけ。貴女は『悪ノ王子』ではありません」
今ならまだ間に合う。このまま王子として処刑されても構わないのか。逃げる気は無いのかと確認されたが、リンは首を横に振った。
「黄の国は生まれ変わるには、『悪ノ王子』が殺されないと駄目なの。レンの望みを叶える為にも、他に方法は無いから」
レンを傷つける事は分かっている。あの子は優しいから、自分のせいで姉が死んだと自分を責めるだろう。
これは私の我が儘だ。それでも私は弟を守りたい。生きて欲しい。その為ならば身代わりにでも悪にでもなる。
「お願い。レンを自由にさせて」
王宮の檻に閉じ込められ、王子と言う枷を付けられて、国に鎖で繋がれていた。もうレンは縛られなくて良い。解放されるべきだ。
「……分かりました」
リンの意思は揺るがないと悟り、メイコは説得を止める。ミクは何か言おうと口を開いたが、結局一言も発さずに俯いた。
メイコとミクが踵を返す。立ち去る二人を見送りながら、リンは頭を下げて礼を言った。
「ありがとう」
耳がおかしくなるような静けさを感じつつ、リンはベッドに腰を落とす。先程まで人と会話をしていたせいか、静けさが妙に強く感じた。
残り三日。夜と朝を三回迎えたら、黄の国と自分の命は終わる。
「帰って来たら本を読んであげるよ」
不意に港町を出立した時の事を思い出す。そうだ。ユキと約束したじゃないか。泣くのを我慢するあの子と指切りをして、また読み聞かせをするって。
嘘を吐いてばかりだと自嘲する。名前を偽って過ごして、リリィを騙して、レンから王子を奪い取り、処刑台で国民を欺く。
リンは右手を開き、小指を見つめて呟く。
「約束、破っちゃうな」
ごめんね。と謝罪したのは誰に向けてだったのか。言うべき相手が多くて曖昧なまま、リンは体を横たえて目を閉じた。
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