鈴のように美しい声が好きだ。
桃色の滝のようなその髪も。
時折揺らめく神秘的な瞳も。
その全部。全部全部全部。
大切すぎて…近づくことすらできないほどに。
「…で、まーた僕のところに来たの?」
呆れたようなカイトの声に、窓の外を眺めていた青年…神威がくぽはギクッと肩を揺らした。
放課後の教室。外では運動部が元気に声を張り上げているが、人のはけた教室にはカイトとがくぽしかいない。
自分の席で眠たそうに頬杖をつきながら、麗人と言って差し支えない友人を見上げたカイトは、どうでもよさそうに続けた。実際、そろそろどうでもよかった。
学校のアイドルに3年間恋をし続けた、奥手でチキンな友人の恋の応援なんて。
「だ、だってだな!彼女の中で俺はただの『元クラスメイトかつ近所に住んでる人』くらいの存在な訳で…!」
「そうだね。だからさ、何回も言ってるけど、小中高と一緒で何回も同じクラスになってて、何でそんなに仲良くなれないの。僕とめーちゃんを見てよ。高校からの友達だけど親友だよ?」
「お前達と俺を一緒にするな!そもそも、彼女に近づくことすら恐れ多いと言うか、…言葉を間違えたりとかうっかりぶつかったりとか!何かあって傷つけたらいけないじゃないか!!」
はいはい、とカイトは聞き流す。このやり取りは既にルーチンワークだった。日常だった。つまり、飽きている。
だから、カイトに言えることはただ1つ。
「もう、君がヘタレなことは嫌になるくらい知ってるからさ…毎日毎日、ルカさんが部活に行ったのを見計らって僕に彼女の様子を聞きに来るの、やめてくれないかなぁ」
「う…」
「しかも毎日毎日僕にこうやって放課後ストーキングを付き合わせて。僕だって暇じゃないんだよ?」
「うう…」
「…まぁ、僕もめーちゃんが部活終わるの待ってるから、そんなに文句は言わないけどさ」
「ううう…!」
うなるがくぽ。迷惑をかけているのは自覚しているがでもやめるのは嫌だ、と、そんな響きの声だった。
2人の眼下で活動に精を出している運動部の内、一際目立っているのがテニス部。ここからは見えないが、体育館ではバレー部が盛り上がりを見せていることだろう。それぞれ、テニス部にはルカが、バレー部にはメイコが属している。2人とも才色兼備な学園のアイドル的存在だった。
そんな高根の花に恋をし続け、早何年か…。自身もファンクラブがあるくらいモテるはずのがくぽは、何とも情けない表情でカイトを見返しているのだった。彼を見て頬を染める女子生徒には決して見せられない顔だな、とカイトは思いつつ、いやむしろこの顔を見てテンションをあげる女子も一部いるのかもしれない、と思い直した。でもそんなファンはちょっと病気だ。
特にがくぽに対して言うこともなく、自己葛藤を続けている様子をただ見守っていると、彼はやがてそっと視線を窓の外に投げた。
それが誰を見ているのか、なんてことは、言うまでもない。
羽のように優しい瞳で意中の相手を見下ろしながら、がくぽは静かな声で言う。
「…意気地のないことをしているとは、分かっている。でも、俺にとっては彼女は特別すぎるんだ…今更、修正がきかないくらいに」
だから、と呟くがくぽに、カイトは仕方なさそうに溜息を吐く。
「特別なことは百も承知。…でもさ、考えたことはないの?」
「彼女が、誰か他の人のものになってしまうかもしれないって」
その言葉は、重たく空気を切り裂いた。
息を飲んだがくぽの顔を冷静に眺めやって、カイトは淡々と続ける。
「ルカさんは素敵だと思うよ。優しいし頭は良いし美人だし。彼氏を作らないのには何かポリシーがあるらしいけど、それだって、本当に特別な人ができたら変わるものだろう」
「それは…」
「今は同じ学校だよ。ご近所でもある。いくらでも接点は作れる。…でも、大学生になったら?彼女が遠くの大学で1人暮らしすることになったら、どうする?追いかけて同じ大学を受けるのかい?そんな馬鹿なことは言わないだろう」
「………」
「今の状況が特別なんだよ。それを当たり前のように考えてたら…この状況を、ただ維持したいとか考えてるんだったら」
カイトはす、と目を細めて言葉を締めくくる。
「…彼女のことなんか、諦めてしまった方がいい」
「っ…」
がたん、とイスが鳴る。座っていたがくぽが勢いよく立ちあがった音だった。泣きだしそうな腹立たしそうな、そんな顔でカイトを見たがくぽは、同じくらい鋭い視線で自分を見返してくるカイトの視線に気圧されたように、何も言わずに教室から出て行ってしまう。
その背中を無言で見送って、カイトは今度は腹の底から溜息を吐く。
「全くさぁ…」
独り言は、一転して柔らかな響きを帯びていた。
「…両想いなのにお互い気付かないとか、冗談も大概にしてほしいよね」
ちらりと目をやった先では、テニスウェアをまとったルカが、一心不乱にラケットを振っていた。
教室を出て行ったがくぽは、廊下を意味もなく進みながらカイトの声を振り払おうとする。
『諦めてしまった方がいい』
「…、簡単に…!」
簡単に言うな、と、心の中で吐き捨てる。
そんな軽い気持ちで、彼女を想っている訳ではない。
…がくぽとルカが初めて会ったのは、彼女が引っ越してきた小学5年の時だった。
長らく人のいなかった空き屋に越してきた一家がどんな人達なのだろう、と、がくぽが興味を持ったのはある意味当然の流れで。
その興味を持った相手が自分のクラスに転校してきて、がくぽは運がいいと喜びながら、彼女に目を奪われてしまったのだ。
腰まで流れる桃色の髪。
大人びた雰囲気。
どこか憂いを秘めた美しい瞳。
まるで、天女みたいだと思った。羽衣を奪われて天に帰れなくなった天女みたいだと。
美しいと思い、何度か一緒に帰り、会話もし、知り合いと言っても差し支えないくらいの間柄にはなって。
…会えば会うほどルカに惹かれていく自分を自覚したのは、一体いつのことだったか。
明確には覚えていないが、きっかけになった出来事は覚えている。
そう、あれは、中学2年生の夏のことだった…
ルカとの思い出を思いだしかけた、その時だった。
何も考えずに足を向けた先には昇降口があって、ほとんど人のいないそこで、何やら怪しい動きをしている男子生徒がいた。
きょろきょろと辺りを伺いつつ、まるで悪いことでもしているかのような、でもこれから一大決心をするかのような、そんな挙動不審極まりない態度で、一枚の紙を胸に抱いている。
掌に収まりそうなサイズのそれは、手紙。
ラブレターか何かか、と、がくぽは何気なく思い。
同時、男子がそれを差しこんだ先の下駄箱に、目を見開いた。
遠目では、1つ1つの下駄箱に書かれた氏名など分かる訳もないが、その下駄箱が誰のものかをがくぽは知っていた。
巡音ルカ。その下駄箱には、そう書かれているはずだった。
『彼女が、誰か他の人のものになってしまうかもしれないって』
カイトの言葉がフラッシュバックする。
ルカに、誰かが告白しようとしている。
ルカに想いを寄せる者は、自分の他にだっている。
『今の状況が特別なんだよ』
男子生徒がその場から離れるのよりも早く、がくぽは勢いよく駆けだしていた。
ルカの特別になりたいと、願い続けていた。
でも、そのために自分から行動を起こすことは、怖くて仕方がなかった。
拒絶されたらどうしよう。
今ある僅かな繋がりすら、断ち切られてしまったらどうしよう。
そんな自分勝手で弱くて醜い、愛される資格もない自分。
今だって、本当はこんなことをするべきじゃないのかもしれない。
これまで何もできなかった自分を思うなら、あの男子の勇気に負けたと、素直に身を引くべきかもしれない。
でも。でも。でも。
好きだと思っている気持は本物だ。
大切だと思っている自分は本物だ。
そんな自分だけは、否定したくないから。
そんな自分だけは、知っていてほしいから。
だから、がくぽは走る。
これまで、自分から広げていた距離を詰めるかのように。
立場上の僅かな繋がりが、奇跡のように強くなることを信じて。
走る。
「あれ…がくぽ?」
1人、教室でぼんやりと窓の外を見ていたカイトは、見慣れた紫の髪がすごいスピードで眼下を駆け抜けて行くのを見て目を丸くした。
一直線に、器用に他の生徒を避けながら向かう先は…テニスコート。
ルカがいる場所。
「ふーん…どんな心境の変化かな」
ちょっとそそのかし過ぎたのかな?と小さく首を傾げながらも、カイトはそっと口元に笑みをはく。
ここからでは、その表情まで伺い知ることはできないが…きっと、良い顔をしているのだろう。
彼らしい、とカイトが思う、凛とした決意を秘めた顔に。
「…頑張れ」
今までずっと、がくぽに対して言いたかったエールを口にして、カイトは笑った。
春の陽だまりのように、笑った。
テニスコートが見える。20人弱の生徒が練習している中で、一際目立つ桃色の髪。
部活が終わるまで待とうか、なんて考えることもできずに、がくぽは腹の底から声を張り上げる。
「…ルカ!」
ざわり、と部活をしていた生徒達がざわめいて、その場の生徒の視線が全てがくぽに向けられた。
突き刺さる視線を物ともせずに、がくぽはただ1人を見つめて待つ。
ゆっくりと、驚いたように目を見開いて振り向いたルカに、がくぽは自然と笑顔をこぼした。
あぁ、やっぱり…ルカは綺麗だ。
「ルカ…好きだ」
その言葉は、まるで何光年も先の星に向かって放たれたかのように空を渡って。
ゆるゆると、ルカの表情が変わっていく。
信じられないように、目を瞬き。泣き出しそうに、顔が歪んで。
やがてその顔に、大輪の花のような笑顔が浮かぶ。
「私も…好きです」
どこか遠くで、つがいの鳥が優しく鳴いた。
<飛べない鳥が羽ばたくとき・FIN>
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