1
草木も眠る丑三つ時。
女は矢庭に立ち上がると、目の前にいる菖蒲色の侍を指さした。
「私は必ず戻ってくる! その時再び勝負だ! 神威がくぽ!」
指さされた侍は、猩々緋を纏う女を見上げた。
「うむ、よかろう。某(それがし)、逃げも隠れもいたさん」
「よく言った!」
女は崩れ落ちるようにソファに座り、そのまま倒れた。
「十分だけ寝るから、待ってるのよ! 絶対起きるからね! それから呑み直しよ!」
「あい分かった」
というがくぽの返事を、メイコが聞いていたかどうかは定かではない。
メイコは宣言通り、速攻で眠ってしまった。
「がっくん、めーちゃん寝ちゃった?」
水の入ったグラスを持って、カイトがキッチンから出てきた。
「もう、熟睡しておられる。ただ本人は、直ぐに起きるので待てと」
「まだ呑む気なんだね」
リヴィングスペースにやって来たカイトは、半ば呆れるように眠るメイコを見下ろした。 コの字方に置かれた三つのソファの、奥の所でメイコが眠り、その左側のソファにがくぽが座っている。
カイトは右側のソファ越しに、メイコを見つめていた。
テーブルの上には日本酒、ワイン、焼酎などの各種酒類。
カイトが用意した、数々のつまみの残骸。
今日は三人仕事は別々だった物の、スタジオを出る時に丁度鉢合わせた。
そこで、では時間もあるし、今日は年少組も家に帰ってこないことだし、飲み会でもやろうという事になったのだ。
もっとも呑むのはメイコとがくぽだけ。カイトは飲酒がある一定量を越えると、ブラックアウトして、そのまま気絶するので、おつまみ作りに徹した。
ルカやミク達が不在なので、ブラックアウトしても助けてくれる人が誰もいないからだ。
絶対に酔っ払い状態になる、メイコとがくぽは全くあてに出来ない。
というカイトの予想通り、今二人は完全に酔っ払い状態だ。
メイコは酔って眠ってしまってるし、がくぽは普通に見えるが、これもかなり酔っている。
その証拠に言葉が完全に、侍状態だ。
普段のがくぽなら言葉の端々に、武士言葉が出ることはあるが、ここまで侍状態にはならない。
「それで、がっくんどうする? めーちゃんが起きるのを本当に待ってる?」
「うむ……。某も相当呑んでおるし、メイコ殿もこれ以上呑むのは体に障ろう」
言葉は酔っているが、状況判断はちゃんとできている。
がくぽは大きくため息をついた。
「今宵は、我が室も戻らぬ故、これにて帰らせていただこう」
一瞬何のことか分からなかったが、直ぐに理解した。
要するに、ルカが戻ってこないなら、帰ると言うことか。
それにしても『我が室』とは……。
(うわー、武士語を使って、ルカは俺の嫁宣言だよ)
と口には出さずに呆れるカイト。
神威がくぽ、状況判断は出来ているが、若干箍(たが)が外れている。
「メイコ殿は義兄者におまかせ致そう」
「そうだね……」
ソファの上で丸くなっているメイコを見つめながら、カイトがつぶやいた。
2
「めーちゃん、めーちゃん」
カイトの声……。
「めーちゃん……起きて……」
メイコが目を覚ますと、部屋は薄暗くなっていた。
灯りは消され、灯されているのは常夜灯だけ。
テーブルの上は綺麗に片付いている。
「ん……がくぽくんは?」
ソファから体を起こす、軽く風景が揺らいだ。
まだ酔いが残っている。
がくぽが座っていた辺りを見ると、がくぽではなく、タコルカのぬいぐるみが座っていた。
「……帰ったな~。神威がくぽ~~」
若干ご立腹のメイコさん。
「めーちゃん、めーちゃん」
再びカイトの声。
見回してみるが誰もいない。
声がした方を見てみる。
声はメイコが寝ているソファの右側から。
そちらにあるソファを見てもカイトはいない。
代わりにカイトのマフラーが置かれていた。
「めーちゃん、めーちゃん」
怪訝そうな顔でソファから降りると、メイコはマフラーに近づいた。
「めーちゃん、俺、本体だけになっちゃった」
一瞬頭の中が真っ白になる。
「かっ、カイト?! なんで?!」
「分からない。がっくんが帰って片付けが終わって、ソファに座ってうとうとしてたんだ。それで目が覚めたら、付属品がなくなってマフラーだけになってた」
やっぱりマフラーが本体で、他の体は付属品だったのか……。
なんて感心している場合ではない!
「うっ、うそ! 冗談でしょ!」
メイコは慌ててマフラーを手に取り引っ張った。
「わっ! めーちゃん、あんまり引っ張らないでよ。びっくりした」
「ご、ごめん! でも……そうだ! 医者! いや、メンテ担当者に連絡を!」
マフラーを掴んだまま、メイコが立ち上がろうとした。
「めーちゃん落ち着いて。この時間だと、みんな寝てるよ。俺たちのメンテナンススタッフに連絡するのは、明日の朝で大丈夫だよ」
「でも!」
「取りあえず声は出るし、周りの状況も分かるし。まあ、動けないから不便だけど」
「もっ、もどるの?」
「分からない。どうしてこうなったかも分からないし」
「ど、どうしよう、戻らなかったら!」
本体(?)だけになったカイトより、メイコの方が動揺している。
「うーん、まあ、声は出るから歌えるだろうし、仕事には差し支えないと思うよ」
「いやよ、そんなの! 何でこうなるのよ! 私のイケメンで格好いいカイトを返してよーーー!」
マフラーに向かって叫ぶメイコ。まだ酔いは残っているようだ。
「めーちゃん、そんなに嘆かなくてもいいよ」
「どうしてカイトはそんなに落ち着いてるのよ! あんたのファンだって、きっとびっくりするわよ!」
「……そうかな? みんな、ああ、やっぱりカイトの本体はマフラーだったんだ。って、納得しそうだけど」
確かに。
「みんなが納得しても、私が嫌なの! カイト! 私が絶対、元のカイトに戻してあげるからね!」
「……ありがとう。めーちゃん。ええと、それで俺の頼み聞いてくれる?」
「なに?! 何でも言って!」
「取りあえず、もう眠いから、部屋に帰って眠りたいんだ」
「いいわ。部屋に連れてってあげる」
「それでね、一緒に寝てくれる?」
「もちろんよ。こんな事になっちゃったんだもん、カイト、不安だよね。一晩中、側についてるからね」
「ありがとう、めーちゃん。じゃあ、俺、眠いから、このまま寝るけどいい? 本体だけになると、体力が少なくなるみたい……」
「寝てなさい。ちゃんとカイトのベッドに連れてってあげるから」
「うん……おやすみ……めーちゃん……」
マフラー……いや、カイトはそのまま眠ってしまった。
「カイト……ちゃんと元に戻るまで、私が守ってあげるからね」
メイコはマフラーを胸に抱いて立ち上がると、リヴィングを後にした。
3
誰もいなくなったリヴィング。
「義兄者……心は痛みませんか?」
今度はタコルカがしゃべった。しかも声が神威がくぽ。
「……多少」
マフラーもないのにカイトの声。
「それにしても、あんなに信じるとは思わなかったよ」
声がする方のソファの後ろから、立ち上がったのは、メイコ曰くイケメンで格好いい、カイトの付属品。
「酔ってて判断力がなくなってるんですよ」
向かいのソファの後ろからは、がくぽの本体が立ち上がる。
「俺は酔いが覚めましたけど……もったいない」
酔いが覚めて言葉が戻ったがくぽの、見事な酒飲み発言。
「で、なんと申し開きをするんですか?」
「申し開き? しないよ」
返事をしながら、部屋の灯りを付ける。
「ではどうやって、メイコ殿に……」
「めーちゃんが起きる前に、マフラーを巻いてベッドに寝てれば問題なし。元に戻ったよ。めーちゃんのお陰だね。って言えば一件落着」
「……」
本当にそれでいいのか?!
「で、がっくんどうする? 泊まっていく?」
「……いえ……何だか疲れました。家に帰って寝ます……」
項垂れるがくぽ。
「それがいいね。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい……」
やっぱりこの義兄には勝てる気がしないがくぽなのであった。
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