「レン、この鏡をお前にあげよう」
父親の言葉に促され、少年はそれを眺める。
壁際に置かれた大きな姿見。静かな存在感を持って佇むそれは、少年になんとなく好もしい感じを与えた。
「これを?…綺麗な鏡だね。アンティークみたいだ」
「まあ、それなりに由緒あるものだからね。それにこれは面白い伝説付きなんだよ」
「伝説?」
首をかしげる少年に一つ頷き、父親は懐かしそうに枠の飾りを指でなぞる。
まるで、思い出も共になぞるかのように。
「そう。…この鏡は、魔法の鏡なのさ」
<魔法の鏡の物語.6>
「じゃあ次、リンの番だよ」
「…えっ」
困ったように青い瞳が視線を揺らす。
今までに見たどんな青より綺麗だ、というと僕がいかにぞっこんかばれてしまうだろう。というかぞっこんって、自分で言ってなんだけど、死語だ。
「でも私、外に出たこともあんまりないし、話なんてしてもつまらないかも」
「それは聞いてみないとわからないんじゃないかな?」
「うう…」
困ったように彼女が俯くと、柔らかそうな金色の髪がふんわりと揺れた。
今の彼女の状況からすればろくに身繕いもできていないはずなのに、汚ならしさは全然感じられない。確かに顔色は悪いし体も病的な細さだけれど、それは同時に彼女に不思議な魅力を与えていた。
浮世離れした感じというか、消えてしまいそうな儚さというか…捕まえたい、傍で見ていてあげなくちゃ、なんて気分になる。
出会いは、リンより僕の方が先だった。
こう言うと意味不明に聞こえるけれど、他にどう言えばいいか分からない。具体的に言うと、鏡の中で独りで眠っているリンを見付けたのが始まりだったんだ。
それまでは普通に鏡として使っていたそれに突然見たこともない風景が映って、正直なところ不気味でどうしようもなかった。
でもその鏡は淡々と彼女の生活を映し続け―――気が付いたら、僕はリンに恋をしていた。
鏡の向こうの孤独な少女。初めは幻覚か何かかと思って真剣に悩んだけれど、部屋の中で独りで健気に耐える姿があまりにもいじらしかったから何かせずにはいられなくなったんだ。といっても鏡を叩こうが声を掛けようがリンは全然気付いていないみたいだったから、最初の頃は自分に何が出来るのかなんて全く考え付かなかったんだけど。
病気のせいか孤独のせいか、日に日に生気を失っていくリンの姿を見るのが辛くて、ある日、僕は願った。
『あの子に何かしてあげたいな…』
…魔法がどうのなんて信じていなかった。
けれどそう口にした途端に僕の手からオレンジが転がり落ちて、そして。
きみが、僕を見つけたんだ。
「それでね……レン?」
「うわぁ!?」
「きゃっ!?」
意識を引き戻した瞬間にリンの顔が間近にあって、思わず変な声を出してしまった。
うっ、間抜けな声を出した上にリンまで驚かせてしまうなんて…
「…ご、ごめんリン。ちょっとぼんやりしてた」
決まり悪さを脇に除けてまずは謝る。
リンは一瞬だけ不満そうな空気を纏い、しかしすぐに控えめな笑顔に変わって首を振った。
「謝る程のことじゃないよ」
「そう?それにしては今不満そうな顔してなかった?」
「うっ…えと、その、そんなことないけど」
「…」
「…あ、えと…」
「………」
「…う…だ、だって話を振ったのはレンからなのに、ずっと上の空なんだもの」
「よろしい」
恥じらっている顔が可愛くて、つい意地悪をしたくなってしまう。本当は思いっきり抱きしめたりしてあげたいんだけど、それはできないんだから仕方ない。
「ごめんね。…そうだ、最近体調はどう?顔色はそんなに悪くないみたいだけど」
新しい話を振ってみると、リンはほっとしたように表情を緩ませた。話をして分かったことだけど、彼女は受け身の会話の方が得意みたいだ。まあ、あんまり話し慣れていない、と言う方が合っているんだろう。同年代の人とこんなに話すのは初めてだと言っていたし。
それって、僕がリンにとって特別な位置にいるってことだって思っていいのかな。なんとなく優越感のようなものを感じながらリンの綺麗な顔(その辺のモデルやらアイドルやら天使やらなんて目じゃない。もう本当に可愛い。世界一、というか宇宙一、いや次元一可愛い。異論は認めない)を眺める。
僕の視線を少しだけはにかみながら受け止め、リンはその顔に控えめな笑みを浮かべた。
「最近はずっと気分がいいの。きっとレンのおかげね」
「レンのおかげ」。それがどんな意味か判断しかねて、僕は少しだけ口ごもった。
「そう…かな?」
「うん。きっと、レンが…その…そこにいてくれるからだと思う。あの、えと、励まして貰ったりするだけで元気になれる気がする!」
「…ありがとう。そう言ってくれると嬉しいな」
何故か微妙に早口になったリンを不思議に思いながらも、僕はほっと胸を撫で下ろす。
…いや、どう思われてても自業自得なんだけど。最初に嘘をついて、それを今まで引っ張り続けているのは僕が悪いんだし。
初めて彼女が僕を見てくれた時、その表情があまりにも不思議そうだったから、僕はついいたずら心を働かせてしまった。
別に彼女を騙そうとした訳じゃない。ただ、僕が今まで見てきた彼女は余りに寂しそうだったから、少しでも気分が前を向いてくれたらいいと思ってふざけてみただけだったのに、…いやだって「魔法使いです」だなんて…まさか信じるなんて思わないじゃないか。まあ、リンはそんなところも純で可愛いんだけど。
でも幸い、こちらから向こうにものを渡すことはできた。だから特に嘘だったと告げる必要もなく今に至る訳だ。
リンは具体的な願いは殆ど口にしない。願いは?と聞いてみても、返ってくる願いはひどく控えめな事ばかり。実際のところ、今まで彼女が願ったのは「ここにいて」と「行かないで」の二つだけ。僕としても願ったり叶ったりというか、寧ろ喜んで!って感じだけど、同時に、そんなので本当にいいの?とも思う。
きっと他にも願いたいことはあるんだろうに、まだ僕との間に壁を感じるのか、全然本音を口にしてくれない。
魔法使いでも何でもない僕がそれでもその後もリンの願いをしつこく聞き続けたのは、その壁を壊して欲しかったからだ。多少のわがままくらい言ってくれるような仲になりたい…いや、それはね、下心があるのは否定しないけど。でも純粋に、リンの心をもっと見せて欲しいと思ったんだ。
便利な奴、と思われるのはそれもまた気持ちいいものではないけれど、相手がリンならわがままを聞くのも楽しそうな気がする。もちろん「世界征服したい」とか言われたら僕の化けの皮が剥がれてしまうけど…。
「―――っ!」
不意にリンがびくりと体を震わせた。
「リン?どうしたの?」
かたかた、とリンの爪が鏡に当たる。
僕の言葉が聞こえていないみたいに怯えた瞳で後方―確かドアがあった方向だ―を眺め、体を強ばらせる。
「―――」「――――ぞ」「こちらにも」
聞こえてくる微かな声に、僕は事態を理解した。
…誰かが、この家の中をうろついている。
それはリンのように隠れている人を探している兵士かもしれないし、ただ単に忍び込んできた空き巣かもしれない。口調が鋭いあたり、お隣さんが掃除にきた、なんて展開ではなさそうだ。
リンが見つかってしまったら―――危険。
「…リン、大丈夫」
鏡に強く押し付けられた手が白く変色している。
それが痛々しくて、僕はそっとその手を撫でた。鏡越しでさえなければ、この手でリンの手を包んであげたい。そんな傷になるようなことしちゃ駄目だって言ってやりたい。
今の僕には、彼女を救うことはできない。
だけど、せめて。
「あいつらは君を見つけられないよ。この部屋は絶対に見つからない」
小さな声で囁くと、リンの瞳の色が微かに和らいだ。
こういうところを見ると、最初についた嘘もあながち悪いものじゃなかったと思う。
だって僕は「魔法使い」だから、悪い奴からリンを護ることなんて簡単なんだ。なんかこう、マジカルでミラクルな感じのバリアーとかで。
本当はそんな力がないんだって自分が一番良く分かっているけど、そんな自分自身さえも騙していく。
今この瞬間だけは、僕は君を守ることができる。大したことのない、誰でも使える言葉の魔法…なんて言えば聞こえはいいけど、身も蓋もない言い方をすれば、嘘を破綻させないようにうまいことやりくりしてるってだけ。リンにばれたら嫌われても仕方ないくらいだ。
でも―――そう。
嘘っていうより、あれは、願望だったんだろうな。
リンの願いを叶える魔法使い。彼女に笑顔をあげられる存在。そういうものになれたらどんなに幸せだろう。…あのときの僕はそう思っていたんだ。
じゃあ、今はどうか。
…今は、うん。人間の欲ってきりがないよね。もっとリンの「特別」になりたい、って思うようになってしまった。
大丈夫だよ、落ち着いて。そんなことを口にしながら、僕はぼんやりと考えていた。
―――この想いは叶うんだろうか。
―――いや、その前に叶えてもいいんだろうか?
かつて教えてもらったリンの住所は、聞いたことのない地名だった。国名でさえ僕の世界には存在しないもの。
リンの嘘にしては妙に詳細がリアルだし、何より彼女は嘘をつくまで会話慣れしていない。今のリンは、愚直なまでにまっすぐ話に切り込むだけで精一杯に見える。
だとしたら…僕と彼女は違う世界に住んでいる、ってことにならないか?
もしそうなら、僕達が鏡越しでなく向き合える日は来るんだろうか。
僕自身は鏡を越えることは出来ないようだ。いや、もしかしたら願えば行けるのかもしれないけど、行ったら戻ってこれないんじゃないか?
…それは駄目だ。父さんには、肉親は僕だけなんだ。
国の要人っていう一面からは考え付かないほど子煩悩なのは、他の家族がみんな死んでしまったという面が強く出ているからに違いない。
だから、独りにはできない。
だったら、どうにもできないのなら…今は無責任にリンに想いを伝える事って、良くないんじゃないかな?
このときの僕は、まだ知らなかった。
僕の回りの世界が大きく動き始めていたということを―――…
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ご意見・ご感想
鈴歌
ご意見・ご感想
読ませていただきました、すごく気になる・・・
今日はじめて読んだんですけれど・・・
とっても見てて面白いです、続きまってます。
2011/09/18 12:01:52
翔破
コメントありがとうございます。
楽しんで頂けたなら何よりです。ただ、ゆっくり更新なので続きは気長にお待ちください!
思った形で終わらせられるように頑張ります!
2011/09/19 19:46:29
アストリア@生きてるよ
ご意見・ご感想
レン視点ktkr!!
半バッドエンドでリンちゃん編の終わりを迎えましたが、これからどうなるんだろ…
続き楽しみに待ってます!!頑張ってください!!
ああもうレン君リンちゃん大好きとか!!翔破さんのレンって感じがしますww
2011/09/11 13:27:58
翔破
メッセージありがとうございます!
なんか実生活が死ぬほど忙しくなってしまったので、ゆっくりお待ちください…でも影響が出るのは小説より絵の方の更新速度かな?
とりあえず思った通りの終わりになるように頑張ります!レンが変に暴走しませんように…!
2011/09/13 20:44:30
目白皐月
ご意見・ご感想
こんにちは、目白皐月です。
冒頭のシーンを読んで、もしかしたら昔お父さんにも、同じようなことがあったのかなと思いました。
それにしても、レン、最初から全開で飛ばしてますね……既にベタ惚れのメロメロ状態というか。いやそれでいいんですけど、もちろん。
もちろんレンとしては、リンに直接触りたいんですよね……?(何書いてんだ、私)
ところで、
>同じ場所同じ時代で違う世界
これって、SF小説なんかで時々見かけるパターンですよね。パラレルワールドの自分が異性で、恋に落ちたりするとか。このパターンだと梶尾真治の短編にいい話があって、お気に入りだったりします。でも、不思議と鏡音関連二次創作ではあんまり見ない気が……。あってもよさそうなのですが。
こういうことを書くと「じゃ、お前が書けよ」とどこかから言われそうなんですが、現在の連載中の話で手一杯なんですよね……誰か書いてくれないもんでしょうか。
書いても書いても終わりそうになくて……書けば書くほど自分の首が絞まってくような気がします。
ですので、翔破さんもお気になさらず、自分の書きたい長さのものを書くのがよろしいかと。
……フォローにも何にもなってないかな?
2011/09/11 01:00:27
翔破
メッセージありがとうございます!
はい、レン君サイドはその辺の話をメインに回る事になります。
そしてレンの性格は、最初はもうちょっと大人しい性格だったのですが書いていたら勝手に暴走を始めていました。書き終わって自分で「あれ、こいつこんな性格だっけ?」と思ってしまいました…
そして、>連載中の話で手一杯 わかります!でも苦しんで書いた一話よりも楽しんで書いた一話の方が確実に良いものが出来るんですよね。難しいです。
あと、もしよろしかったらその短編小説の本タイトル教えてください!本は好きなのですが海外作家ばかり読んでいるので、日本人作家の良小説を是非読みたいです!
2011/09/13 20:42:19