伝えるのは、難しくて。
メイコが足を止めたのはレコーディングを終え、部屋に向かう途中だった。
何気なく見たベランダに、風に靡くマフラーが見えた。
首をかしげて近づいて見れば、見慣れた彼――紅に染まっている空を見上げる人影が佇んでいた。
「カイト、どうしたの?」
名を呼ばれ、窓辺に手をついていた空色の髪の青年は、弾けるように振り返ると目を細めた。
「ああ……めーちゃん」
カイトが浮かべるのは、いつもながらの緩い笑顔だ。
けれど、栗色の髪を押さえる彼女は彼のそれがいつもの笑顔でないことに気づいていた。
「元気ないみたいだけど、どうしたのよ?」
「え、いや、そんなことな」
「――どうしたの、って聞いたんだけど」
否定する間も与えて貰えない。
う、と小さく呻いたカイトはもごもごと口の中で何かを繰り返した後、観念したようにため息を吐いた。
「マスターが……『カイトを上手く歌わせてあげられない』って」
ぽつり、と漏れた言葉は、すとんとメイコの足下に落ちた。
「うん、わかってるよ。マスターは悪くない。僕が――」
「こら」
また最後まで言えなかったのは、伸ばされた一本の指に口を押さえつけられたからだ。
ずい、と背伸びして距離を詰めた彼女に、彼は一歩足を引くが、逆にマフラーを引かれて近い距離で固定される。
「マスターがあなたにそんなこと言った訳?」
至近距離で凄んでくるメイコの目は強く、怖いくらい。
「い、いや……違う、けど」
ゆらりと空を彷徨う仕草は、彼の欠点だ。わかりやすい点でもある。
いつも、考えすぎてしまう。一人で。
「それじゃカイトは、マスターに言ったの? 自分が悪いって」
「……言って、ない」
さらにうつろう目線に、メイコは深々とため息を吐いた。
「ほんっとにもう……、マスターもカイトも、似てるんだから」
「え?」
「勝手に、自己完結しないの。今回初めての曲なんだし、単純に調整と練習が足りないだけよ」
メイコが思い出すのは、ついさっきまで落ち込んだ様子で自分のレコーディングに立ち会っていたマスターのこと。
気にはなったけれど、それを本人に尋ねる事はなかった。
けれど、カイトは違う。
それは姉弟のようなものだから? 仲間だから?
それとも――
「マスターだってカイトを責めた訳じゃないし、カイトだってマスターに文句があるわけじゃないんでしょ?」
「それは、もちろん」
「ほら、言わないと伝わらない事だってあるの。たまには口に出しなさいよ」
言われ、カイトは苦く笑んだ。
言葉を選び抜いたように、慎重に呟く。
「……難しいよ」
こうして弱音を吐けるのは、メイコだからだ。
それは姉弟のようなものだから? 仲間だから?
それとも――
「大体、ね」
俯いたメイコのこめかみに十字路が浮かんだ気がして、カイトは思い切り引きかけた足をベランダの柱に殴打する羽目になった。残念ながら逃げ場はない。
凄い勢いで顔を上げたメイコの目はやっぱりカイトの予想通りで。
「少しは自信を持ちなさい、このバカイト!」
ぺちん、と両頬を同時に叩かれる。
いた、という声が聞こえたが、メイコは完全にスルーする。
「あたしはカイトの歌、好きよ!」
一瞬でも瞳を逸らさない。
見開かれた空色の瞳は、確かに茶色の瞳を映している。
だから、絶対逸らさない。
むしろ嘘なんてついていないから、逸らす必要すらないのだ。
長い間傍にいて、ずっと聞いて来た。彼の歌声。
風に溶けるような、儚くてそれでも透き通るような澄んだ声。
初めて聞いた時から、耳に馴染む声。
「あたしが認めてるんだから、少しは――」
「めーちゃん」
頬を包んでいた掌がやんわりとカイトの掌に重ねられ、ついで絡む指に、茶色の瞳がぱちりと瞬いた。
メイコが反射的に落ちていた視線をゆっくりと前方に戻すと、目の前には優しく笑む青年の表情があった。いつもの、否、それ以上の。
「ありがとう」
今度こそ、なんの憂いもなく微笑むカイトに、迷いはない。心から嬉しそうな微笑み。
だから一つになった手を引いて、今度は自分に引き寄せた。
「僕も、好きだ」
跳ねたのは、どちらの指か、そんなのはどちらかが知っているだけのこと。
「君、の歌」
歌だけじゃ、声だけじゃないよ。
そんなこと、知ってるけれど。
青の青年は苦笑を口の端に乗せた。
――本当、口に出すのは難しいよ。
風に乱れた栗色の髪に指を差し込んで、撫でる。今はそれだけで温もりが伝わるから。
「さ……っさと行きなさいよっ。マスター帰っちゃうわよ!」
ぐいっと胸を押されて、コンボで頬を殴る仕草。
これは本気じゃないけれど、降参とばかりにカイトは両手をあげた。
「あー、はいはい。わかったよ。……あ、そうだ」
通路へと戻る直前で、カイトはバルコニーに立つメイコを肩越しに振り返った。
「何よ」
「ありがと、メイコ」
青年が立ち去ったバルコニーは、急に音を無くして静まり返る。
けれどメイコは苛々したように、先程整えられたばかりの髪をくしゃり、と握った。
「ほんっと……カイトのくせに」
少し冷やさないと部屋には戻れそうに無い。
――夕日じゃない色で紅に染まった頬を。
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