最終章 白ノ娘 パート6
「どう、かな?」
恐る恐る、と言う様子でマリーがハクに向かってそう訊ねた。場所はルータオ修道院の厨房、今ハクの目の前に置かれているものは本来ならブリオッシュと名付けられるべき食べ物である。だが、お世辞にも美味しそうとは言えない見栄えではあった。ブリオッシュの端は黒く焦げているし、逆に中身は生煮えではないのだろうか。どこで間違えたのだろうか、とハクは考えたが、それでもここまで、とにかくも焼き上がりまで辿り着くことができただけでも凄い進歩かもしれない、と考え直し、そしてハクはブリオッシュの一切れを両手で千切ると、その切れ端を丁寧にその形の良い唇の中に放り込んだ。だが、次の瞬間にハクは思わず表情を固めることになる。
「あの、不味かった・・かな?」
不安そうにそう訊ねるマリーに向かって、ハクは無理な笑顔を作ると、続けてこう言った。
「もう少し、練習すればもっと良くなるわ。」
ハクのその言葉に、マリーは僅かに肩を落として、そしてそっか、と小さく呟いた。
「そんなに落ち込まないで、マリー。きっと美味しく焼き上げられるようになるから、だがから一緒に頑張りましょう。」
ハクが努めて元気にそう告げると、マリーは何かを決意したかのように頷き、そしてこう言った。
「うん、頑張る。明日も教えてね、ハク。」
マリーがブリオッシュを作りたい、と言いだしたのはもう三カ月ほど前の話になる。あの日、ウェッジと共に出かけた生誕祭が終わり、新年を迎えて暫くたってからのことであった。マリーが何を考えてその様な申し出をしたのかは分からない。ただ、強い瞳でそう訴えるマリーに対して断りの文句を告げられるはずもなく、ハクは二つ返事でマリーの指導を買って出たのであった。最初は強力粉を捏ねることすらままならなかったマリーではあったが、それでも徐々に進歩を見せて、最近はようやく焼き上がりまでを一人でこなせるまでに進化している。あとは竈の使い方を学べば、美味しいブリオッシュが作れるのでしょうけれど、とハクが考えた時、修道院の鐘が大きく三つ、鳴り響いた。
「あ、いけない!」
その鐘の音を耳にして、マリーは焦る様にそう叫んだ。毎日午後三時、マリーが海岸へと向かう時間である。生誕祭の日から毎日欠かさず、マリーは海へと小瓶を流していたのであった。それほどまでに強く想う願いとは一体何なのか、ハクでなくとも気になることではあったが、ハクは敢えてそれを訊ねていない。一度ミレアがその謎を解明しようと訊ねたことがあったが、その問いの直後に酷く寂しげな表情をマリーがして以来、誰もその話題を訊ねることがなくなったのである。この場にいる誰もが何かしらの心の傷を負っている。それを敢えて訊ねないことも修道女に課せられた風習であったのである。
「じゃあ、行ってくるね。」
いそいそとエプロンを取り外して身軽になったマリーは、ハクに向かって笑顔でそう言った。最近、こうした笑顔を見せることが以前よりも多くなっている。悲しみを乗り越え、生きてゆく力を身につけ始めているのだろう。その笑顔に安堵したハクは、マリーに向かって軽く手を振ると、いってらっしゃい、と優しく告げた。そのマリーが厨房から姿を消すと、ハクもまたエプロンを外すことにした。後片付けをしなければならないが、そろそろあの人が来る時間だろう、と考えたのである。あきれ顔のミレアがウェッジの来訪を告げたのは、丁度その様な頃合いであった。
海風が気持ちいいわ。
修道院から外に出たリンは、頬を撫でる、草原よりも濃厚に陸地を覆う海風をその頬に感じながら、その様なことを考えた。塩味が含まれているせいか、少し髪にべたつくような感覚は残るが、温かな陽光に照らされた身体にその風は丁度よい強さでリンの身体を包み込む。近くで、カモメが囀った。遠く鳴り伝わる様な良く通るその囀りを耳に納めたリンは、そのまま軽いステップで街の反対側、運河の奥に広がる小さな海岸へ向けて歩き出した。今日も、小瓶に願いを込めて海に流すのである。その願いが叶うとはリンも考えてはいなかったが、その行為を行うことでレンがリンに託してくれた想いに応えようとしているかも知れなかった。そのリンがすっかり春の色に包まれた街を歩いている時、街の隙間、石畳で覆われた大通の端に小さく煌めく白と黄色の花弁を見つけて、思わずと言った声を上げた。
「ハルジオンだ。」
もう、こんな季節なのか。そう考えて、リンはポケットの中に納めているハルジオンの栞を取り出して、それをまじまじと眺めた。レンがこの栞を作ってくれてから、もう一年。そういえばあの時、レンと一緒にあたしはハルジオンを摘みに行った。その時、レンはあたしが好きな歌を歌ってくれたな、と思い起こし、リンは小さくその歌を口ずさんだ。『海風』である。この歌の意味を、あの時のあたしは良く理解できていなかった。だけど、今なら分かる気がする。リンの身体を包む、湿気をふんだんに含んだこの海風は、いずれ平地に辿り着き、農村を優しく撫で、そしてミルドガルド山地に衝突して、そこで大きな雲を作り上げる。その雲が農村に恵みの雨をもたらし、そしてその雨が小麦を作り上げる。その小麦を収穫して、粉にして、そして人の手によってパンになり、ブリオッシュになる。その大切な食物を人が食べて、そして成長した人は自らの子孫を残す。そして人が増え、国が繁栄する。その繰り返し。それがミルドガルドの歴史が始まったその時から変わらぬ摂理。その輪廻に対する想いを込めて、それを短い歌にした。『海風』の意味をあたしがあの時からちゃんと理解していれば、或いはレンを失うことはなかったかもしれない。そう考えて、思わず上着の長袖越しに、レンから託されたリボンを握りしめた。大丈夫、レンはいつもここにいる。そう考えながら、リンはもう一度道端に咲く、小さいけれど力強い生命力を持ったハルジオンの様子を見つめ直した。せめてあたしも、この子の様に強く生きていければ。そう考えて、リンはふとハクもまたハルジオンが好きだという話を思い起こす。ハクと一緒にハルジオンを摘みに行けたら、どれだけ楽しいだろう。そう考え、リンは明日にでもハクを誘って修道院の裏手に広がる野原に向かおう、と考えたのである。
そして、翌日。
「ハク、早く行きましょう。」
昼食を終え、午後の礼拝を済ませたマリーは、ハクを急かす様にそう言った。今日はブリオッシュの調理はお休みである。リンの予想通り、ハルジオンを摘みに行くと言う提案にハクは二つ返事で同意し、二人で修道院の裏手にある野原へと向かうことにしたのである。ルカとミレアにも声をかけたのだが、ルカは急遽訪れた、港作業で怪我をした船員の手当てに追われることになり、一方のミレアはハルジオンには興味がないらしく、それなら他の修道女とのおしゃべりを楽しむわ、という回答だったのである。
「今行くわ。」
マリーに向かって微笑んだハクは、先を歩くマリーに追いつこうと少し早足でマリーの後について歩いてゆく。そのまま修道院の扉を出て、建物を半周する様な経路で二人は修道院の裏手へと歩いて行ったのである。この季節にしては温かく、寧ろ暑いくらいの陽気をハクは感じ、その温かさに照らされた、舗装されていない土のままの地面の感触が妙に心地が良いな、とハクは考えた。その道すがら、マリーがじゃれる様にハクの左手にその両手を絡ませる。
「マリー、どうしたの?」
突然腕に感じた、柔らかな体温に驚くように、ハクはマリーに向かってそう言った。それに対して、マリーは笑顔でこう答える。
「だって、こっちの方がデートみたいだもの。」
確かに、ある意味でデートかも知れないわ、とハクは考え、マリーの楽しげなその笑顔にハクもまた柔らかな笑顔を見せると、結局そのままの格好で目的の野原へと歩いてゆくことにしたのである。修道院の裏手に回り、その野原がマリーの視界に納まった時、マリーが思わずと言った様子で感嘆の声を上げた。
「わあ、凄く綺麗。」
その野山には、白と黄色で染められたハルジオンが無数に咲き誇っていたのである。昨年は緑の国の奥地、迷いの森の奥にある千年樹の麓で咲き誇るハルジオンを摘んだな、とハクは思い起こし、そう言えばミクさまと出会ったのもこの時期だったと思い出す。あれから、たった一年。一年であたしは大切な友人を得て、そして大切な友人を失った。
「ハク、早く摘もうよ!」
少し興奮したようにマリーはそう述べると、ハクの左腕からその両手を離して早速とばかりに手近なハルジオンを茎から摘み取った。その摘み取られたばかりのハルジオンを見つめて、マリーは僅かに頬を上気させる。そのマリーの様子を見つめながら、でも、とハクは考えた。あたしには、新しい友達が出来たから。それがとても素晴らしいことであることは、今のハクには十分に理解出来ていたのである。早速二本目に手を伸ばしたマリーにつられる様に、ハクもまた腰をかがめて一つのハルジオンを摘み取った。場所は変わっても、同じ様に美しい花であることには変わらない。親指よりも小さく、細かい線のような白い花弁を見つめながら、ハクは自然と目元が優しく緩むことを自覚した。
そうして暫くの間、二人でハルジオン摘みに熱中して三十分ほどが経過した時、唐突にマリーが声を上げた。独り言のように、呟くように。
「なんだか、とても暑いわ。」
確かに、今日は妙に暑い日ね。ハクはそう考えながら、マリーの身体を視界に納めた。そのマリーは、少しでも熱を逃がそうと考えたのだろう、長袖の修道服を半袖になるように捲りあげた。それはとても自然な行為だった。だが、その右腕から現れたものを瞳に納めて、ハクは暑さにも関わらず、背筋が凍るような感覚を覚えることになったのである。
「どうしたの、ハク?」
あんぐりと口を開け、目を見開いてマリーの右腕に注視していたハクに向かって、マリーは不思議そうな声でそう訊ねた。その言葉に、ええ、暑いわね、と呟くように答えたハクはしかし、その脳内が沸騰するような感覚を味わっていたのである。
それは、マリーの右腕に巻きつかれたものは、リボン。黒地に桃色のラインが走るそのリボン、見間違えるはずもない。それは、ハクがいつも彼女の為に用意していたものだった。そして、彼女の為だけにあるものであるはずだった。それは、貴女のものじゃない。ハクは自身の鼓動が極度に高まったことを自覚しながら、心理の中で強く呻いた。
それは、そのリボンは、ミクさまのものだ・・!
ハルジオン78 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】
みのり「第七十八弾です!」
満「読者の悲鳴が聞こえる気がする・・。」
みのり「悶々とさせるだけさせて、続きは来週です☆」
満「酷い話だ。」
みのり「ということで、来週もお楽しみください。」
満「・・みのり、例のやつ。」
みのり「え?あ、あれ本当にやるの!?」
満「・・うん。」
みのり「うう、恥ずかしい・・。」
満「でも、皆期待してると思うぞ。」
みのり「そ、そんなことないでしょ?」
満「分からないけど。」
みのり「うう、じ、じゃあ、えっと・さ、さあ~て、来週のハルジオンはっ!」
満「じゃんけんぽぉおおん!」
みのり「うわあ、やっぱり無理!あたしこのセリフ無理!もう、満のバカ!」
満「俺かよ!ってか俺も無理!キャラ壊れる!」
コメント4
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ご意見・ご感想
sukima_neru
ご意見・ご感想
お久しぶりです。
やはり私は一気に読むほうが性に合うようです。
遂にリボン来た・・・、ってところでサザエさん。二人ともよく頑張った。
気が付いたらレイジさんも向日葵さんも画像変わってますね。似合ってます。
でも、個人的にはレイジさんはロックバード伯爵のような恰好良いおじさまを目指してほしいです。
早速続きを読ませていただきます。楽しみだ楽しみだ。
2010/06/16 14:56:23
lilum
ご意見・ご感想
うわああああああああああああっ!!リンちゃんがリボン大事にしていたのが裏目にっ!ハクさんついに核心に迫るのかっ!?ここで終わって「続きは来週です」とはなんて上手い引きだっ!やっぱりレイジ様は素晴らしいぜっ!嫌と言われようがこれからもずっとあなた様についていきますよっ!!
ハッ!Σ(・_・;)
すいません取り乱しました…。中年の星☆ロックバード氏のカッコ良さに感動したり、「セリスちゃんカワイーなぁ」とか「リンちゃんとハクさんはもうすっかり仲良しさんだね☆」とほのぼのしながら読んでいたので最後のにやられました。リアルに叫びそうになりましたよ…。もう今から週末が楽しみでしょうがないです。
>さあ~て、来週のハルジオンはっ!
みのりちゃんと満君wwよく頑張ってくれましたwww 皆の期待に健気に応えてくれる、そんな二人が私は大好きです!それでは(^-^)/
2010/05/31 20:27:28
レイジ
おお、狙い通りの反応☆
・・ってごめんなさい、多少は落ち着きましたか^^;
でもそこまで言って頂けると作家冥利に尽きます☆
のんびり、まったりした空気→リンとハクがとても、仲が良くなる→まさかの急降下
という落差をつけたら相当面白いな、ということであのように執筆しました^^;
今週もお楽しみくださいませ♪
みのりと満も応援お願いしますね☆
2010/06/05 07:50:55
紗央
ご意見・ご感想
ども紗央です^^
リボン・・
きったぁぁぁぁ!!!!
ハクよく気づいたねぇ((
デートに吹いてしまったww
ウェッジwwみたいな(どうしても出てきてしまう。。
ほのぼの~だったのに最後のアレが・・!
続き気になってしょうがない。。
お久しぶりにミクとレンの名前が出てきてテンションが上がっているのです。。
来週。。
がんばって待ちますっ!
じゃけんぽぉおおおん!
ノリでいったらいけるもんだよ、お二人さん。
小説とあとがきのテンションの差に癒されますた☆
2010/05/31 19:07:23
レイジ
ウェッジの立場無いよね^^;
敢えて狙ったんだけどさww
ということでようやく週末ですね!
待って頂いていたと思うので続きを頑張って書きます。
じゃんけんぽん☆
2010/06/05 07:46:17
wanita
ご意見・ご感想
き・た……!!ついに、この時が!
もう、何も言わずに次回を待ちます。
そして。
みのりちゃんよりも満くんの「じゃんけんぽおんっ!うっふふふふ☆」の方が難易度高いと思う♪
2010/05/31 01:03:18
レイジ
はい、来ちゃいました^^;
というか一週間もお返事出来なくてすみません^^;
ようやく週末になったので続きをお楽しみくださいませ☆
確かに、満の方が無理してますよね?w←書いておいて無責任www
2010/06/05 07:31:12