64.リグレット・メッセージ

「レン……!」

 暁色の髪の青年が、飛びこんできた彼女を、立ち上がってしっかりと抱きとめた。
 青年の腕の中で、リンの息を吸い込む音が、浜辺いっぱいに響いた。

「……背、伸びたね」
「うん」
「……声、変わったね」
「うん」
「ねぇ、レン」
「うん?」

 リンが、レンの胸から、顔を上げて、しっかりと目をあわせて微笑んだ。

「……もう、レンじゃないのね?」

 その青い瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。涙をためながら微笑むリンは、レンも何度も見たことがあった。
 でも、この時のリンは、レンの初めて見るリンだった。
 リンが、初めて、自然な笑顔で笑っている。
 初めて、自分の願った、素直な笑顔で笑っている。
 この時、レンは、そう思った。

 そして、レンも、そんなリンに微笑み返した。

「うん。……僕はもう、レンじゃないよ」

 レンは大きく笑った。その瞳には、リンと同じ、涙が溜まって海のように光っていた。

「もう、女王じゃない。僕はリンにはなれない。だってそうだろう? 僕は男で、君は女性だ」
 ふざけた調子で彼は言うが、リンには解る。それはリンを解き放つ言葉だ。

「君は王女だった。僕は召使だった。運命の分かれた、哀れな双子だった」
「でも、もう、違うのね」
 うん、とレンはうなずいた。

「僕らは、ひとりの、人間だ。運命は、もともと、一人ずつのものだ」

 リンが、レンから、そっと体を離した。

「さよなら、レン」

 レンが頷いた。

「うん。さよならだ。リン」

「もしも、生まれ変われるならば」
 はっと聞こえた声に、リンと『元』レンは申し合わせたように振り向く。
「はははハクさん?」
 ふたりの振り向いた先に、浜辺に座り込み、さらりと歌うハクがいた。
 その手には小瓶があった。
「なあにこれ。『もしも生まれ変われるならば、そのときはまた遊んでね』……レンって。ずいぶん古い紙ね」

「ちょっちょちょっちょ!」
 歌と詩を職業にする巡り音とは思えない滑舌を放ちながら、レンは一直線にハクに向かって頭から砂浜に飛び込んだ。
「ななななんでそれが?」
「あら、だれかがたわむれに、歌詞を書いて流したのだと思うけれど……違うの?」
 リンはその瓶の形を見て、あっと声を上げる。
 その瓶の形は、間違いなく、あのときの瓶だ。五年前、青の国の浜辺で、ガクにもらった薬瓶に願い事をこめて流したのだ。
 かならず、願いが叶うようにと祈りながら。
「そ、そそそれ、俺が書いたっ……俺のっ……」
「あら、そんなわけないでしょ。私、いまここで拾ったもの。それに、この紙も瓶もずいぶん古いし……話からすると、あなたが正式な『巡り音』になったのは最近でしょう? 例の『召使』の歌を作ったのも、最近よね? 
 私は緑の王都にも出かけるし、ずいぶん流行には詳しいつもりだけれども、『召使』の歌をこちらの大陸で聞いたのは昨日が初めてだもの」
 それに、とハクは、にこりと微笑む。
「この砂浜には、青の国を通る海流が漂流物を寄せて行くのよ。そう思うと、青の国の、黄の女王伝説って……結構前からあったようね?」
 ああああ決定だ、とレンが頭を抱え、リンが顔を赤くしている。
「……あなた、あの時から、そんなことを願っていたのね」
「リン! わざとらしく名前を伏せるんじゃないっ!」
 いい加減大人の男の声となったレンが、ハクの手から瓶を奪い取った。そして紙を瓶にねじ込み蓋をこれでもかと押し込み、そのまま沖へと放り投げた。瓶はしばらく波間に漂っていたが、やがて視界から消えて行った。
「なに、どういうこと?」
 不思議そうに、瓶を奪われた手とリンを見るハクに、リンは説明した。
「青の国の海岸でね、願い事を瓶につめて投げると、どれだけ時間がかかっても叶うっていう場所があるの」
 へえ、とハクはレンとリンを交互に眺めた。やおらに砂をはたいて立ち上がる。
「……どうぞ、お幸せに」
「ハクさん!」

 レンの叫びに、海と彼らに背を向け歩きだしていたハクが振り返った。

「なに?」
「恨むんなら、俺を恨んで!」

 かけられたのは、予想外の言葉だった。
 ハクは黙って、叫んだレンに向き直った。そのまま、しばらく風が流れる。

「……リンをかばうつもりはない。ハクさんの、大切な人……ミク女王を殺したのは、俺だ」

 ハクの瞳が、すっと細く引かれた。
「……言われなくとも」

 ハクは、くるりとレンに背を向けて、帰り道を歩きだした。

「……忘れないし、許しもしない。あなたを怨んだからってミクさまはもう、戻ってはこない。不毛なことだと解っているけど、恨まずにはいられない」

 砂の上に足跡を残し、太陽を背に受けてハクは道を戻っていく。

「……でも、あなたは私を止めてくれたから」
 レンとリンに背を向けたまま、かれらに聞えないよう、小さく、ハクはつぶやいた。
「……あなたが、幻でなくて良かったわ。レン」

 ハクは、そっと腰の短剣に触れる。そして、勢いをつけて背筋を伸ばし、前を向いて歩きはじめた。

「そうか、あなたはもう、レンではないのね。
幻なのは、青の国で出会った、少年の日のレンということね……」

 ハクの口元に、ふわりと笑みが浮かんだ。
「輝きを留める者、か。さすがルカさんね。師弟、対を為した良い名前だな。流れる歌に、留める輝き。……」

 その名を口にして、ハクは空を仰いだ。
「ルカさんが旅に歌い、レンに生きてと願っていること……つけた名前でよくわかる」

 春の風が、海を吹き渡り、水面がだんだんと碧く輝き始めた。
 ヨワネの旧職人街に戻ると、ノルンとナユが駆け寄ってきた。ハクは、大丈夫よと答え、後から「ご心配をおかけしました」とリンとレンが追い付いてきた。
 ノルンは笑って二人を迎え入れた。
「朝食、結構うまくいっていると思うんだが、いろんな国の物を食べ慣れている『巡り音』さんの意見も聞いてみたくてさ。戻っていただけて本当に良かった」
 そこには、パン籠いっぱいに焼かれた、うまそうな香りを漂わせるブリオッシュだった。

         *         *

 そして、昨夜のお詫びと仕切り直しということで、『巡り音』となったレンが、改めて昨夜の最後の歌を歌った。

『君は王女、僕は召使』
 
 歌に乗せて強く語られるかつてのレンの思いに、リンは、涙を浮かべつつもじっと黙ってすべてを受け止めていた。ハクも、ともに静かに聴き入っていた。

 やがて『巡り音』となった彼の歌う『レンの思い』は、ドラマチックな双子の伝説として、歌に乗って世界を巡るだろう。

 その歌が伝承となり、今の時代が民話として語られるようになっても、
「黄の国の皆が幸せでありますように……」
 そう、リンは、山を隔てた向こうの黄の国に、思いを馳せた。

 歌が工芸の港町に響き、そして終わる。拍手は、思わぬところから巻き起こった。
 いつのまにか、開かれた宿屋の入り口から、通りがかったさまざまな人々がのぞいていたのだ。

「いい声だな!」
「良かったぞ!」

 そこには、黄の髪、緑の民、そして青の髪をした海の向こうの民や、茶の髪を持つ黄の大地の果ての、ユドル出身と分かる者もいる。
 ヨワネの穏やかな港、そしてメイコが整備した道のおかげで、前にもましてさまざまな地方の人々が緑の国を行き交うようになった。

 はっとハクは気がついた。

「……ミクさま」
 思わず、口に手をあてて、こみあげてくる熱を押さえ隠した。
「……ミクさまの夢が、いつのまにか、叶っています……!」

 黄の民も、緑の民も、さまざまな国の人々が行き来する国が出来る。
 ハクや、ネルなど、髪の色の変わった者たちが、差別されない時代がやってくる。

『そして、緑の国はますます発展するのだわ』 

 そう言って胸を張るミクの口調が、ハクの耳によみがえった。ふと振り返ったハクの目先を、春の風が街路樹をかすめて吹きすぎて行った。
 青く茂る樹の若葉が、まるで在りし日のミクのように、りりしくたおやかに揺れた
 

「さー、もうすぐお昼ですね。お茶と食事はいかがですか?」
 したたかにノルンが商売を始め、ナユはそれを見届けて自分の糸屋に作業に戻った。
「ハクさん、子供たち、しばらくこちらで預かりますか?」
 心配そうに尋ねたナユに、ハクは微笑んでいいえと答えた。
「私も、もう大丈夫よ。リンは……折を見て、彼女のいた街に送っていこうと思うの」
 ハクの笑顔に、昨夜までのような影が見られないことを感じ取り、ナユは安心しましたと笑い返した。
「ねー、リンちゃん、今日はなにするー? まだヨワネにいるよねー?」
 子供たちに囲まれながら、リンはふっと笑った。
「うん。……ブリオッシュをうまく焼けるようになったら、帰ろうかな」
 じゃあまだまだ居るんだね! と歓声を上げる子供たちを、意味に気づいたリンが追いまわす。
「悪いけど、巡り音さん」
 リンが彼に向き直った。
「あなたの『鳩』を、貸してください。緑の王都の、サジオの酒場へ」
 彼が頷いて、快諾した。
「では。よい旅を。リン」
「あなたも。良い旅を。……」

 やはり、違う名前に慣れるには時間がかかりそうだと、リンは笑った。
 リンはハクとともに、丘の上の教会までの道をたどり始めた。
 背後で、再び歌が始まり、観客が賑やかに囃す声がする。

「ねえ、ハク」
 リンは、上り坂の途中で、ハクに声をかけた。
「わたしに、おいしいブリオッシュの焼き方を教えてくれない? ノルンさんは、とっても忙しそうだから」
 ノルンを育てたのがハクならば、ブリオッシュの焼き方も、知っているに違いない。

 ハクはしばらく黙っていたが、やがて振り向かずにこう返した。
「私は刺繍の職人。……たしかに、ブリオッシュの焼き方を、最初にノルンに教えたのは私だけど、自己流よ。……かまわないのね?」
 リンは、頷いた。
「うん……うれしい」
「私、厳しいかもしれないよ?」
「うん! わたし、自分の『おやつ』を自分で焼いてみたかったの!」

 青く輝く海から、丘の上の教会に向かって風が吹く。普段は黒々と茂っている背後の森も、春の季節の一時は、新しい緑に輝いている。
 今、新たな客を迎えてにぎわうヨワネの旧職人街も、その工房や家々は、かつての住人の墓を、その庭に抱いている。
 その景色を見ながら、リンはある考えに至った。

「一度起こってしまった悲しい歴史は、もう二度と取り消すことは出来ない。でも」

 緑の髪を持たないハクが、ヨワネの町を復興しつつあるように、
 レンが新しい名前を手に入れたように、

「わたしも、これから、新しい幸せを形にしたい。そう、わたしにこそ……考え方の革命が、必要なんだわ」

 権利を手にするために革命を起こした黄の民とは違い、リンの幸せの形は、まだリン自身にも解らない。しかし、誰かのために生きなければという焦りは、リンの中からきれいに消え去っていた。


 ……最終回へつづく。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 64.リグレット・メッセージ

砂に描いた夢は波に洗われて消えても、過去に描いた夢はさまざまなものを引きずりながら、今の自分を作る。

ハクは美しい思い出しか覚えていないようだけど、ミクだってリンに負けないくらい、というよりもむしろあっちが本気の悪ノ娘だったぞ!……というあたりが第二話でさっそく発覚する過去はこちら↓
悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ娘・悪ノ召使二次・小説】 1.リン王女
http://piapro.jp/content/f4w4slkbkcy9mohk

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投稿日:2011/03/19 22:57:13

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カテゴリ:小説

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