先駆の青 追い風の黄
城の前に集まる人々を廊下の窓から眺め、大臣はこれまでに無い程の優越感に浸っていた。
今日の式典を止められる者は誰もいない。自分側に付いていた家臣は適当な理由で処刑をして、面倒な事を言う前に消した。
そいつらを使って数年前から少しずつ邪魔者を消し、足場を固めていった。
黄の国前王が病に襲われたのは幸運だった。それを利用して少しずつ毒を与えて弱らせ、病気と偽って暗殺した。戦争直後には、リン王女が緑の国王女に嫉妬していたと言う噂を流すよう部下に命じ、国民が王女に不満を持つよう扇動した。
後は実に楽だった。税率を上げたのも戦争を起こしたのも、悪ノ娘リンが命じ、家臣達は粛清を恐れていた事にして、全ての罪をリン王女になすりつけ、そのまま処刑した。
不意に、最後まで屈しなかった王女の姿が頭を掠め、大臣は不愉快に歯を軋らせた。
「死んでからも目障りな小娘が……!」
追い詰められているのにも関わらず、王女は恐怖で震える姿を見せるどころか、威厳に満ちた姿勢を崩さず、本当に射抜かれるかと思う程の目でこちらを見てきた。
一点の曇りも無かったその瞳を思い出す度に、屈辱感が心を支配する。何故勝者である自分がこんな気分にならなければいけないのか。牢から出した時、処刑台へと歩いていた時、こちらの事など意に介さなかった態度も癇に障った。
「忌々しい」
だが全て終わった事。王家に古くから仕えていたルカと、王女の傍に付いていた召使は暴動を境にして行方不明。所詮は己の身が惜しくなって逃げ出したのだろう。そうでなくても、抵抗する力は残っていない。黄の王家はもう無い、緑の国に協力を求めても無駄な事、緑の国の王家の血筋は途絶え、その原因を作った敵国の重鎮など受け入れはしないだろう。味方も仲間もいない中、何も出来ずに絶望しているに違いない。それを想像すると実に愉快だ。
「そろそろお時間です」
突然声をかけられ振り向くと、礼服に身を包み、儀礼用の剣を腰に下げたカイトが立っていた。どうやら指定した時間が迫って来たのを知らせに来たようだ。
「うむ、ご苦労。ようやくこの時が来たか。これが終われば、私は正式に三国の頂点に立つ王になる。お前も喜ばしいだろう、そんな偉業を成し遂げた者が父なのだから」
「……式典を終えるまで、気を抜かぬよう願います」
「全く気の利かない奴だ。いいか? お前の目の前にいるのは、歴史に長く名を刻む事になる王だぞ? その演説を前にしているのだ。ここは主の気分を良くさせるのがお前の仕事だ。分かったか?」
威張り散らして言われた言葉に、カイトは表情を変えずに会釈をしてから言葉を返した。
「身の程をわきまえず、失礼を致しました。歴史的瞬間に立ち会える事、光栄です」
分かれば良いと見下した口調で言った後、大臣はカイトを伴って廊下を歩き出した。
城の正面玄関から見て左側。群衆の最前列に立つメイコは、緊張した面持ちでバルコニーを見上げていた。隣には、同じく緊張した表情のネルもいる。
「あの狸ジジイ、今に見てろ……」
ネルが低い声で呟いたのを聞いたメイコは、これは相当怒っているなと苦笑する。だからと言って止める気は一切無いが。
私利私欲の為に友人のリンに無実の罪を被せ、片思いをしていたレンを処刑されたのを踏まえると、ネルが大臣に強い怒りを持つのは当たり前である。鬱憤が晴らせる機会がようやく巡って来て、我慢していた気持ちが出たのだろう。
「もう少しだから」
顔を寄せて耳打ちをする。ネルは無言で頷き、バルコニーに目を向けた。準備は既に済んでいる。後は合図を待つだけだ。
「カイト、任せたわよ」
これが終わったら祝い酒に付き合え。メイコは先頭を切る大役を担う幼馴染にそう約束していた。
廊下を進むにつれ、外から聞こえる音が大きくなる。バルコニーの出入り口に到着し、カイトが恭しく扉を開けたのを見た大臣は、上機嫌に笑いを浮かべた。
生まれた時からこちらの役に立つ事も不都合な事もする事は無かったが、二国会議の際にカイトは非常に好都合な事をしてくれた。
それが、緑の国王女に告白をした事。カイトを監視させていた部下から報告を受けた時は、何とも思っていなかった息子に僅かながら感謝をしたものだ。
王都に来た直後は分かりやすく反発していたこの愚かな息子も、しばらくすると権力に敵わない事を理解し、今ではこうして大人しく従っている。
自分を畏れ敬う人間を見るのが、大臣にとって最大の愉悦であった。
バルコニーに出たカイトは、殺気で火照る顔に風を受けながら、悠々とバルコニーを歩く大臣の背中を睨みつけた。後ろから蹴りでも入れて転ばせてやろうかと一瞬考えたが、あまりにも幼稚すぎると思い直し、そのまま足を進める。わざわざそんな小さな嫌がらせをしても意味は無い。
バルコニーから群衆の前に姿を現した大臣は、ざわめく群衆に向かって右手を大きく上げた。喧騒が治まりカイトが隣に到着したのを確認すると、大臣は群衆を見下す笑みを浮かべた後、声高に王位即位の演説を開始した。
調子に乗りやがって。ここまで自惚れが強いとある意味幸せだな。
大臣の演説は、カイトにとってはただの耳障りな騒音にしか聞こえなかった。黄の国前王の病死は誠に遺憾だっただの、リン王女が悪逆非道に変貌していく事に心を痛めていただの、大臣は自分が如何に国を憂いていたかを群衆に語っていた。
「緑の国が滅んでしまった事は私の不徳の致す所であります! 緑の国王女だけでも戦火より救おうと尽力していましたが、時既に遅く……」
必要以上の動きと事実無根の発言が飛び出し、大げさに悲しむ動作をした大臣の姿を見たカイトは、必死で失笑を堪えていた。
混乱を引き起こした元凶の癖によくも言えるものだ、崩壊を止められなかった事を悔いる忠臣にでもなったつもりだろうか。もしそうなら滑稽極まりないが、大臣は群衆にそう思わせたいのだろう。ここまで器が小さい人間がいるとは、ある意味貴重だ。
自己顕示に満ちた演説を締めくくろうと、大臣は両腕を大きく広げた。その顔は恍惚としていて、自分の輝かしい人生が始まる事を微塵も疑っていない。
カイトはゆっくりと剣の柄に右手をかける。剣の腕は決して良くない、むしろ悪いと自負している。子どもの頃メイコと共に剣を習いに道場に通っていたが、自分には剣を使う才能は全く無い。精々剣を構えられる程度だ。厳しい鍛錬を積み、実戦経験のあるメイコやレオンには敵う訳が無いと断言できる。いや、質の悪い大臣の私兵にも勝てないだろう。
だが、作戦開始の幕を切って落とすには充分だ。
音を立てて鞘から剣を抜き放つ。儀式の際に剣を掲げるなんて珍しく無い。大臣はこちらに振り向く事も無く、群衆の注目を一身に浴びて声を張り上げた。
「滅びた王家の遺志を継ぐこの私が、黄、緑、青、三国をまとめた全く新しい国の王に即位する事を、今! ここに宣」「そこまでだ」
白銀の刀身が太陽の光を反射して煌き、大臣は大仰な状態のまま固まっていた。
群衆が戸惑いでどよめく中、凛々しく低い声が風に乗って流れる。
「これ以上、お前の好きにはさせない」
大臣は体を硬直させたままだったが、目だけを動かして真横から剣を突き付けるカイトを視界に入れる。
「カイト。……貴様、何のつもりだ?」
平静を装いながら、大臣は首に向けられた刃から少しでも離れようと摺り足で横に数歩移動する。カイトは大臣を見据えて構えを解かないまま、分からないならもう一度言ってやると言葉を重ねた。
「お前の好きにはさせない。そう言ったんだ」
青い髪を風になびかせ断言したカイトを嘲り、大臣は憐れむような、しかし隠しきれない侮蔑を込めた目をしていた。
「っは! 馬鹿な事を! 何をしたのか分かっているのか? お前はこれだけ多くの観客の前で、反逆者だと言う事を自ら告白したのだ!」
何が起こったのかと群衆は固唾を呑んで二人の様子を見守っている。自分が絶対的に有利な立場にいる事を思い出し、大臣は良い余興だとまくし立てた。
「仮にここで私を討ったとしても、その後はどうする? 黄の国最後の王族であったリン王女は処刑され、緑の国王家は戦争によって滅んだ!」
カイトは焦る気持ちを抑え、尊大に叫ぶ大臣に対して沈黙を守っていた。
まだ早い。もう少しだけ待つんだ。こいつが話を締めくくり、己の勝利が動かないと確信させなければ。
自分達の役目は、群衆の意識をこちらに向けさせて、他に目が行かないようにする事。多少の誤差が生じても問題は無いが、最高潮まで持ち上げてから叩き落とした方がこいつに与える衝撃は大きい。
「お前のする事など全て無駄なのだ! お前は歴史的瞬間を台無しにし、新しい王に向かって剣を向けたのだ。反逆者として捕えられるのも時間の問題だ!」
大臣は勝ち誇った表情で断言する。ここまで言えば、目の前に立つカイトは許しを請い、二度とこんな事はしないと詫びるに違いないと考えていた。
「そいつはどうかな」
カイトは不敵な笑みを見せ、空いていた左手を勢いよく振り上げた。
――合図だ。
今こそ真実を白日の元に晒す時。メイコは深く息を吸い込み、あらん限りの力で声を上げる。
「皆! 聞け! 先日処刑をされたのは、リン王女では無い!」
バルコニーに注目していた人々は、声が発せられた最前列へと一斉に目を向けた。多くの視線に臆する事も無く、メイコは朗々と続ける。
「悪ノ娘として断頭台の刃を受けたのは、リン王女に仕えていた召使の少年。彼は王女がこの国を救うと信じ、暴動の際に入れ替わり、無実の罪を被せられていた王女を逃がしたのだ!」
言葉を区切り、メイコはもう一度息を吸い込む。
「召使として仕え、王女を守ったその少年の名前はレン! 幼き頃に病でこの世を去ったとされたこの国の王子で、リン王女の双子の弟だ!」
公では亡くなった筈の王子の存在を知らされ、群衆はどよめいた。メイコの言葉をすんなりと信じる者、続きを教えて欲しいとせがむ者。反応こそ様々だか、メイコに反感を持っている者はいなかった。
狼狽した大臣がバルコニーから身を乗り出し、メイコを指差して喚く。
「で、でたらめだ! そんな事があるはずが無い! 信じるに値しない妄言だ! そこの女の言う事などでっち上げだ! 証拠はあるのか!?」
懸念していた事を突かれ、メイコは冷静な顔のまま内心動揺していた。
確かにこちらにはこの場ですぐ出せる物的証拠は無い。リンが生きていると知らせても、国民がそれを信じなければ意味が無い。もしも大臣の意見に国民が賛同すれば作戦は失敗に終わる。最悪の事態を思い浮かべ、メイコは肝を冷やした。
「証拠なんかいるか! 俺はメイコさんの言う事を信じる! たとえリン王女が生きている事が嘘だとしても、メイコさんが俺達国民の為に戦ってくれていた事は紛れも無い事実だ! 私利私欲にまみれたお前なんかとは違う!」
群衆の中から一人の男性の声が響き渡る。思わぬ助け船が現れた事に驚いたのは、他ならぬメイコであった。群衆の中から声の主を見つけて、目を見開く。
「あの人は……そうか」
見覚えのある男性を眺めて頬を緩めていると、すぐ傍から小声でぼやく声が聞こえた。
「あたしの出番を取らないで欲しいなぁ……」
メイコが隣に顔を向けると、ネルも元リーダーの男性を見ていた。不服そうなのは言葉だけで、顔は味方が増えた事に歓喜していた。
深呼吸をしてから「よし」と拳を作って気合を入れ、ネルも声を上げる。
「あの大臣には、王になる資格なんて無い! 圧政も戦争も、全部あいつが国を乗っ取る為に仕組んだ事! リン王女は戦争の混乱の中、緑の国王女を助けていた!」
バルコニーを真っ直ぐ指差して叫ぶ。大臣は虚言だ、妄想だなどと喚いていたが、誰一人として耳を貸す者はいない。むしろ弁明をしたことで、メイコとネルの話に信憑性を持たせていた。
「リン王女は、あたし達から見えない所でずっとずっと頑張ってた! あの小さな身で国を背負ってた! 思い出してよ、リンが国民の為に何をしてくれたか、国の為に何をしていたのかを!」
後半は涙声になっていた。敬称を付けていた事を途中で忘れ、支離滅裂になっていると自覚しながらも、ネルはただ願いを込めて声を上げていた。
そんなネルを大臣は嘲弄する。
「下らん! 実に下らんぞ! 悪ノ娘をここまで擁護するとは……」
「ふざけるな! リン王女に全部押し付けていた奴が偉そうな口叩くな!」
大臣の発言を拒み怒声が上がる。演説を聞きに来ていた青年が拳を振り上げていた。兵士でも何でもなく、何の変哲も無い王都の住人である。それに励まされたのか、他の人々も大臣へ怒りをぶつけ始めた。
「そうだ! お前なんか王とは認めない!」
「出て行け! 国民をなめるのも大概にしろ!」
「そこに立つべき者はリン王女だ! お前じゃ無い!」
今まで抱えてきた鬱憤が爆発した国民はリン王女に味方し、大臣の所業に対しての非難を浴びせる。
バルコニーを揺るがす程の怒号が飛び交い、大臣はたじろぐ。これまでしてきた事が仇になったのが認められず、苦し紛れにカイトに命じていた。
「今すぐに奴らを鎮圧しろ! そうすれば先程の無礼は不問にしてやる!」
「断る」
間髪を容れずに返された言葉に、大臣は逆上する。
「裏切る気か!」
「裏切るも何も、俺は最初からリン達の味方だ」
「ここまで来れば、息子のお前もただでは済まんぞ!」
大臣の言葉を下らないと一蹴してから、カイトは極々当たり前のように言い放つ。
「そんな覚悟はとっくに出来ているさ」
カイトの返答に憎々しげに顔を歪め、大臣はほうほうの体でバルコニーから逃げ出していた。その哀れな姿が消えたのを確認してから剣を治め、カイトは良い具合に盛り上がる群衆を見渡して頬を緩ませる。
「俺達の役目はここまでだな」
呟いてからさりげなく城の正面玄関の方に目を向ける。どうやら、あちらも上手くやったようだ。
「後はリン達に任せるか」
やっと一息つけると安堵し、カイトは窮屈でたまらなかった礼服の襟元を緩めていた。
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