第八章 残された者達 パート2

 この時代、最も時代を動かした人物は誰か。
 後の歴史学者はその様な問いをすることがある。最も一般的に、青の国のカイト王という返答を用意する学者が多い中で、一部の学者は強い調子でこう評価する傾向があった。即ち、歴史の早い段階でその役目を終えたはずのミク女王こそが最もこの時代を動かした、という学説である。他の時代の歴史とは趣を変え、一人の女性に対する複雑な感情が今後暫く続くミルドガルド大陸の混乱を生みだしたという学説がその理由であった。そのミク女王の後世の評価に対する真偽に対する議論を展開する訳にもいかないが、確かにその事実は歴史の覇者となる当時のカイト王に対して深い傷を残したことだけは間違いのない事実であったようだ。
 そのカイト王が緑の国陥落の報告を受けたのは、ミク女王が死亡してからおよそ三日後、青の国の救援軍が緑の国との国境線に到達したころであった。
 「そんな、馬鹿な!」
 カイト王のその言葉が響いたのは日も暮れる頃であった。野営の準備を終え、明日からは緑の国に侵入するというところまで救援軍は迫っていたのである。それなのに、なぜ。カイト王の為に設置された特別巨大な天幕の中で、カイトは密偵からの報告書を握りしめると、そのまま床に向かって叩きつけた。直後に、後悔がカイトを襲う。間に合わなかったのか。まさか、戦闘開始からたった一週間程度で緑の国が陥落したというのか。これまでの戦の常識からは考えられないスピードであった。なかなか良い返答を寄越さないミク女王に対する、ほんの少しの嫌味のつもりでわざとグミが使者として訪れるまで軍の派遣を抑えていたのだ。もし、黄の国の動向に気が付いた瞬間に軍を派遣していれば、十分に間に合ったはずであった。ミク女王を救うための唯一のチャンスを自らの嫌らしい感情の為に失ったということに気が付いたカイト王は、続けて目の前に用意されている机を力任せに右腕で殴りつけた。兵力は確かに黄の国の方が優勢であっただろうが、それでも緑の国は一万近くの兵力を誇っている。軍略の天才ロックバード伯爵の実力を軽視していた傾向にあったカイトは、次々ともたらされる戦の詳細に関する報告に対して、右拳を切れるのではないだろうか、という強さで握りしめた。
 「まさか、そんな戦法があったとは・・。」
 カイトはそう呻き、そのまま沈黙した。火砲の一斉射撃。炸裂弾の一斉使用。これまでの兵法書のどの項目にも記載されていない戦法に、カイトは愕然としたのである。そのカイトの態度に、傍に控えるアクが珍しく不安そうな表情でこう尋ねた。
 「どうする?」
 このまま攻めてミク女王の仇を撃つか、それとも一度引き返すか。果たしてどちらが良いのか。黄の国の軍勢は未だ二万を超えているという報告が届いている。こちらも二万、数では互角だが、緑の国の王宮に立て篭もられた場合、果たして勝機はあるのか。奇策を用いて僅か数時間で緑の国の王宮を陥落させたロックバード伯爵に、俺は勝てるのだろうか。その時、アクが首を天幕の入口へと向けた。アクは人の気配に鋭い。誰かが訪れたのだろう、と考えたカイトに対して、直属の従者が来客の報告を告げた。ルカと、グミが訪れているらしい。
 「お通ししろ。」
 ルカはともかく、グミがここに訪れたと言うことはグミの元にも緑の国の陥落の報が届いたということだろう。さて、どう対応すればいいのか、と考えながら、カイトは二人の女性の入室を待った。少しの時間を置いて、ルカとグミが入室してくる。その二人に向かって、カイトはこう声をかけた。
 「緑の国が陥落したそうだ。」
 極力、冷静に。国際関係が絡む場所で感情を抑える程度の演技なら既に造作もない程度に訓練されている。その演技が自身の評価に対する誤解を招いているとはカイトは露知らず、ただ簡潔にそう告げると、二人の反応を待った。二人は対照的な反応を見せ、ルカは神妙に頷き、グミは明らかに表情が青ざめた。沈黙を破ったのはルカである。
 「今後の軍の方針をお聞かせ願えますか?」
 軍の方針か。ルカの言葉に、カイトはもう一度思索を繰り返した。このまま黄の国の軍と戦うのは分が悪い。しかし、緑の国を手に入れて国力を拡大させた格好になる黄の国をこのまま放置することは今後の国際戦略を考えると、やはり分が悪い。さて、どうするか、と考えたカイトに向かって、グミが口を開いた。
 「私に、ミク女王の仇を討つ許可を。」
 青ざめた表情のまま、それでも強い視線でグミはそう訴えた。その姿を見て、カイト王は僅かに瞳を緩める。成程、ミク女王を失ってこれまでかと考えたが、まだ俺には手が残されているのだな、と考えたカイトは、極力優しげな口調でグミに向かってこう言った。
 「お気持ちはよく分かる、グミ殿。しかし、今は状況が悪い。緑の国との連携を失った段階で、我が軍が黄の国に勝てる可能性は低い。ここは一度撤退し、改めて黄の国を攻めるべきだと考える。」
 その言葉に眉をひそめたのはルカであった。そう言えば、ルカは本来黄の国の魔術師であったな、と思い起こしながら、カイトはルカの言葉を待った。
 「これ以上の混乱はミルドガルド大陸に必要ありません。黄の国に対しては穏便な対応を。」
 ルカはそう告げた。結局、この場において重視されるべきは互いの国益だけだろう、とカイト王は考えた。唯一自身の望みの為に発言をしているのはグミ殿だけ。いくらでも、付け入る隙があると考えたカイトは、ひとまずルカの言葉をかわそうと考え、そしてこう告げた。
 「無論、俺もこれ以上の戦を望んでいる訳ではない。しかし、黄の国が緑の国へと不当な侵略行為を行い、そして占領したという事実は紛れもない。しかるべき対応を取らなければならない。その際には、ルカ殿にも、グミ殿にも協力して頂くことになるだろう。俺が望んでいるのは、あくまで平和なのだ。」
 カイトはそう告げると、二人に退出を促した。今はこれ以上話すことはない。まずは今後の戦略の策定。その上で、二人には俺の駒として動いてもらう。その二人が退出すると、アクが再びいつもの無表情な口調で、カイトに向かってこう言った。
 「あなたの目的は何?」
 「目的?」
 カイトはそう聞き返した。そのカイトに向かって、アクが再び口を開く。
 「ミク女王?それともミルドガルド?」
 アクの言葉に、そうだな、とカイトは考えた。ミク女王に出会ったからミルドガルドの統一を企み始めたのか、それともミルドガルドの統一を意識したからこそミク女王を愛したのか。そう考えて、カイトは短く、こう答えた。
 「鶏と卵だよ。」
 その言葉に、得心したようにアクは頷いた。

 「ルカ様、カイト王は一体何をお考えなのでしょうか。」
 カイト王の本陣を退出したグミは、同行しているルカに向かってそう声をかけた。まだ緑の国が陥落したことが信じられない。しかし、カイト王も同じことを言っていたのだから、おそらく正しいのだろう。それにしても、どうしてカイト王はここまで冷静にいられるのか。愛していたはずの女性の死を聞いても、何も心が動かされなかったかのように。
 「彼の本心は私にも分からないわ。」
 ルカはそう答えた。成人男性の心理を読むことは幼いグミにはまだ難しかっただろうし、それにカイト王は外交のプロだ。国際関係において自身の弱みを見せることに対する危険性を熟知している。私とグミが訪れた段階で国際会談だと判断したカイト王が無防備にミク女王への感情を私達にぶつけるとは到底思えなかったが、それでも気になることはある。
 『黄の国を攻めるべきだ。』
 この言葉が、現在においてはカイト王が放った唯一の本音だろう。そうなればどうなるのか。自然と、ミルドガルドは青の国により統一されることになる。ルカが守り続けて来た黄の国の滅亡と引き換えに。果たして、今の黄の国に青の国と戦うだけの戦力があるのか。カイト王の目的はミク女王ではなく、当初からミルドガルド大陸の統一にあるのではないか、と考えたルカは、まだ残暑が残る季節にも関わらず、背筋が凍るような感覚を覚えた。歴代に登場したどの国王よりも間違いなく優れた能力を持つカイト王が、青の国の統治だけで満足するはずがない。今回はロックバード伯爵の軍略に出し抜かれた格好にはなるが、カイト王のこと、すぐにロックバード伯爵以上の軍略を考案して黄の国に対抗してくるのではないか。そう考えだすと悪い思考が止まらなくなる。当面は青の国に留まり、カイト王の動向を探るべきだろうと考えたルカは、グミに向かってこう言った。
 「暫く、カイト王の様子を探りましょう。」
 その言葉に、グミは不安そうに表情を歪めた。
 「私、どうすれば。」
 「私と一緒にいて。必ず、良い方法が見つかるから。」
 ルカはそう言った。根拠がある訳ではない。それでも、こうでも言わないとグミは納得しないだろう、と考えたのである。そう言えば、同じ言葉を黄の国の前国王にも告げたな、とルカは思い起こして、そして自嘲するような苦笑を漏らした。

ライセンス

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  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン41 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第四十一弾です!」
満「前回説明が漏れたので、追加で解説だ。」
みのり「ルータオの件ね。海運が発達しているという・・。」
満「そうだ。今後の物語展開で、どうしても大航海時代の到来が必要だったのでその様に記載した。もう一般的に遠方航海が実現しているという状況を思い浮かべて欲しい。そうすると実は、良く読むと矛盾が出るのだけど。」
みのり「ほえ?」
満「以前ミクが、最近地動説が発表されたと述べている。地動説の発表→数十年後にマゼラン一行の世界一周航海という流れになるから、若干時代がずれているんだが、すまん、気にしないでくれ!」
みのり「え~?」
満「当初『ハルジオン』を書き始めた頃はこの時代にするつもりはなかったんだ。諦めてくれ。」
みのり「もう!皆さん申し訳ありませんでした。」
満「申し訳ない。」
みのり「で、今回の投稿分で、言葉の解説です。」
満「聞いたことはあるんじゃないか?『鶏と卵』」
みのり「哲学の用法ね。どちらが先に発生したのか、という・・。」
満「鶏が生まれるには卵が必要、でもその卵が生まれるには鶏が必要、ということでどちらが先に発生したか、その根源(世界初の鶏、或いは世界初の卵)については分からない、という考えだ。深く考えるときりがない上に頭が痛くなるのでここまでで勘弁してくれ。」
みのり「では、今回も読んでくれてありがとう♪次回投稿分をお待ちください☆」

閲覧数:335

投稿日:2010/04/18 18:39:49

文字数:3,748文字

カテゴリ:小説

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  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    執筆お疲れ様です! 今回は一番大変な場面が続きましたね。
    人の生命を絶つのは、紙の上でも大変な作業だと思います。

    「ハルジオン」編では、カイトがとても人間らしい動きをしていて、一番のお気に入りです。
    国を背負ってきちんと立つ王として、時代と時間の流れと戦う王のすがたは、勇気付けられるものがあります。

    卵も、鶏も。どちらが先であろうと、どちらも手に入れてしまえば同じこと。
    この、欲張りとも思える覚悟を、しっかりと自覚しているあたりが、個人の感情的に共感できる場所かと思います。

    前の「悪ノ娘」よりも、人間が生きている感じがして、楽しくなってきました☆
    向日葵さまへのコメント返信をみて、グミの今後も楽しみにしています。
    では、おやすみなさい!

    2010/04/18 21:01:56

    • レイジ

      レイジ

      コメントありがとうございます☆

      今回は本当に書いていて痺れました・・。
      でも避けられない状況なので、結構しんどくなりながらもなんとか書きました^^;

      こんな状態で『悪ノ召使』のラストシーンを書けるのか・・?
      とりあえず気合入れて頑張ります。

      カイト=自分自身の色々反省したい人生
      だったりします^^;
      好きな人に振り向いてもらえない時に拗ねるような態度をとってしまう人間なのです。。
      かつ、仕事に対しては真剣。
      家族よりも仕事、愛情よりも政治、というカイトの中の優先順位がグミには不安を、アクには安心を与えるのではないでしょうか。(若干ネタばれ・・?)

      >卵と鶏
      カイトはそしてその内の一つを失いました。
      では、もう一つを死ぬ気で取りに行く。そしてそれがもう一つの混乱を生みだして行くことになるはずです。そのお話はずっと先の出来ごとになりますが。

      >人間が生きている感じ
      ありがとうございます!
      そう言って頂けると本当に嬉しいです☆
      そういう文章を書けるようになりたいと考えて必死で頭使って書いているので、そう言って頂けると書いた価値があったなあ、と思います。

      >グミ
      これは完全に僕の挑戦です。
      なにしろ少女の心理状態が今一良く分からない。
      なんだか変だな、と思ったらコメント下さい。
      そう言った、異性の(しかも思春期の少女の)心理状況を上手く表現出来れば、文章化としてもう一つ上の段階へと進める気がするので・・。

      では、よろしくお願いします!

      2010/04/18 21:26:49

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