自室のドアを開けると、ベッドに腰掛けるMEIKOが映り何だか安堵した。ようやく俺のいるべき場所へ帰ってきたという実感が湧き上がり、自然と頬が緩んでいく。
「おかえり、KAITO。何の話だったの?」
部屋にあった本を適当に読んでいたらしい彼女は、俺が近付くとそれを脇に置きこちらを見上げた。
「いつも通りだよ」
そして俺は彼女の隣に腰掛けた。彼女は俺の“力”を知っている。特に口止めされていなかったこともあり、付き合い始めてしばらく経った時分に打ち明けたのだ。とは言えそうそう言い触らすようなものでもなく、彼女の方も同様に思ってくれているため、今の所承知しているのは幹部連中や彼女などごく一部の人間だけだった。
「それで、何て答えたの?」
「訊かなくても分かってるだろ?」
「まあね」
そうして彼女は意味ありげに口角を吊り上げた。その表情が何とも様になっている。昔から何一つ変わらない、彼女の人を揶揄する時の癖だった。
「プライドの高いあんたが引き受けるはずないものね」
「大人にもなってそう簡単に泣けるか」
「そんな無茶な要求、聞かなくたっていいんじゃない?」
「だから今日も蹴ってきた」
「それで良いと思うわ。切羽詰った状態にはまだなっていないんだし」
もし彼女の言うような状況に陥ったら、まず実験やら研究やらのたまっている場合ではなくなるだろう。しかし俺は反駁せず頷いておいた。彼女は本当に筋でも入っているかの如く一貫した性格の持ち主だ。俺は彼女と付き合い出して多少変化した部分もあるが、彼女はそのままでぶれがない。自由奔放で利己的、我儘で基本的に言い出したら引かず、間違いを認めようとしない頑固さも持ち合わせている。ただ時折妙に鋭い一面を見せては、それをひけらかすことなく人の心を攫っていく。
そう――これらは初対面の時から強烈に彼女を印象付ける個性だった。
俺が彼女と出会ったのは十四歳の頃。丁度その日は年一度あるクラス替えの日で、同時に新しいクラスでの最初の授業日でもあった。ただし、そうそうランクや適性タイプが変動することはないため、俺含め他のクラスメイトは大体同じ顔触れだった。
確認するまでもなく分かっていたことだ。そして俺は新年度が始まる前から確信していた。また誰とも親しくなることなく一年を終えるのだろう、と。
「庭」にいる間、生徒たちの密かな楽しみといえば、愚にもつかない噂話に花を咲かせることくらいだった。そうやって様々な風説が生まれ忘れ去られていく中、立ち消えたと思えば再燃し残り続ける息の長いものも存在する。その一つが塔内の魔力需給に関する噂だ。
個室を始め塔全域を明るく照らし続ける魔石の原石の話、食糧自給を可能にしている遺伝子配列を組み変えた畜産物生成の謎など燃料に事欠くことはなかったが、とりわけ人気があったのは塔内部を自由自在に移動出来るテレポートスポット関連の風聞だった。塔の地下に随時稼動させられるだけの魔力源があるとする説が圧倒的で、次点が最上階に何らかの魔力増幅器が設置されているというものだ。果てには、実は幻の階層が存在し、昔そこで起こった凄惨な事故の影響により今尚すさまじい魔力が湧き出している、などという荒唐無稽な論まであった。
たまたま同期の年齢幅が然程なかったためだろうか。噂話が好きな年代の彼らは、早速クラスのあちこちに散らばり、到る所で新しく仕入れた種を囁いていた。例え明らかに眉唾ものの情報であろうとも、その話に乗っかっているだけで楽しいのだろう。それを俺は常に冷めた目で外側から眺める役どころだった。真相を手にした者故の空しい達観だ。
俺は知っている。この塔の地下深くに何があるのかを。そして最上階に何が待つのかを。それらは決して魔力の供給源などではなかった。しかしその事実を口にすることは出来ない。最下層の“彼女”は勿論のこと、立ち入り厳禁が周知である場所を話題になんてしたらどうなるか。まさか幹部連中も、兄がセキュリティを解除して勝手に入り込み、いわんや俺に暴露しているとは思いも寄らないだろう。どこで口を滑らせるか自分でも予測がつかない以上、知りすぎた俺がおいそれとクラスメイトの話に加われるはずもない。
また俺が他人との接触を避けるのは、その兄の存在も大きかった。何でもそつなくこなし、完璧だった兄。生き続ける噂の中にはそれに関わるものもまだ根強く、未だに立つ無神経な風評へはほとほと飽きが来ていた。加えて、皆口には出さずとも、あの兄と俺を内心比べているのではないか。そんな疑心暗鬼にも陥っていたのだ。
噂話の輪に入れないことを初めから運命付けられていた俺は、「庭」に入って一年も経たぬ内に段々と口を利かなくなっていった。俺の内情を理解していればまだ違ったのかもしれない。だが周囲の人間にはただの付き合いが悪いひねた奴と映ったことだろう。そうしていつしか、俺に話しかけようとする者は誰もいなくなっていた。
それでも俺は一向に構わなかった。一人でいることに苦痛を感じる時期はとうに過ぎた。一人の寂しさに流す涙はもう枯らしてしまったのだ。残るはぶつけようのない苛立ちと憎しみのみ。ならばこのままずっと一人でいればいい。それが一番楽なのだと言い聞かせ、その日まで誰とも関わらず日々を過ごしてきた。
どうせこんな俺と関わり合いになりたがる物好きなんかいやしない。
そう高をくくっていた俺に、新学期早々話しかけてきたのがMEIKOだった。彼女は俺より一つ年上で、同期の乙ランクBタイプらしかった。何故彼女が俺に話しかけてきたのかは覚えていない。おそらくそれ自体は大したことない理由だったのだろう。
問題はこの後で、俺たちが話しているのを聞きつけた彼女の友人が、俺にちらちら視線を寄越しつつ何事か彼女に耳打ちしたのだ。
『あら。貴方がそうなのね』
再びこちらに向き直った彼女の第一声。そして声の調子で、何を言われたのかは大体想像がついた。この後の展開としては大抵二つのパターンに分かれる。俺の存在をなかったことにしてさっさと立ち去る者と、興味津々に質問攻めを仕掛けてくる者だ。彼女の場合も漏れなくその片方に入っていた。
『ねぇ。貴方のお兄さんの話、詳しく聞かせてちょうだい』
『悪いけど、それについてはあまり話したくないんだ。兄って言っても血は繋がってないしさ』
一連の言い慣れた台詞を久々に口ずさむ。多くはこの時点で何か勝手に思い違いをし、そそくさと離れていくのだが、彼女は不満げに眉根を寄せ追求してきた。
『どうしてよ。もうお兄さんはいないんだし、噂が耳に入って気まずくなるということはないでしょう?』
『俺がただ話したくないんだ。兄は関係ない』
『ふーん……そう』
彼女は黙り込み、ややあってあの独特の嘲笑を浮かべた。以降俺が何度も目にすることになる、彼女の表情の基本形だ。
『つまり、僻んでるのね』
その一言に俺は目を瞠った。彼女が何を言っているのか、意図する所が掴めない。そうして反応出来ないでいる内に、彼女の歯に衣着せぬ言葉がつらつらと続いた。
『だってそうじゃない。どんなに凄い人でも結局は過去の栄光に過ぎないわ。血の繋がりなんてちっぽけなものよ。それなのに個人的にこだわる理由なんて何があるっていうの?ただの子供染みた不満と嫉妬を被害妄想に置き換えてるだけ。弱い人ね。全くの期待外れだわ、馬鹿みたい』
そこで俺のこめかみ付近がかっと熱くなった。何も知らないくせに。他人事としてへらへら笑っていられる立場のくせに。なのに何故ここまでずけずけと言われなければならないのだ。俺が勢い込んで口を開きかけると、それを制すように彼女の冷笑が飛んだ。
『あら、反論出来るの?してみなさいよ。私はその全てを論破してあげるけど』
そう言い捨て、あたふたする友人を伴い去っていく後姿を、俺は脳裏へ深く刻みつけた。いつか絶対にこの借りは返してやると、復讐心にも似た凄絶な思いが眼差しを一層険しくさせる。「塔」に来てからある意味自然な形で感情を露にしたのはこれが初めてかもしれない。何にせよ第一印象は互いに低位置で固定されたはずだ。
そんな最悪の出会いから数週間後。俺は研究室へと呼び出され、“知的救済探求”と称されるいつもの実験を受けていた。
『っっっ………!!!』
練り上げられた魔力が風の形を纏い、腰の辺りを紐で結んだだけの白い検査着にじわりと血の色を滲ませる。ぱっくりと開いたのは俺の皮膚のみで、一枚布は切り裂かれることなく無事だった。おそらく出血量を意識させて、痛みや恐怖をより引き出そうという魂胆なのだろう。
しかし俺がそれを視認する間もなく第二波が襲い、風圧で乱れはだけた胸元へ袈裟に斬られたような裂傷が走る。次いで息つく時も置かず内腿へ、それも一撃目と重なる箇所に激痛が生じ、俺は切れるくらいに唇を噛み締めた。変な話だが、度を越した刺激のせいで途切れそうな意識を、小さな痛みでかろうじて繋ぎ止めているといった感じだった。
とは言え足元のふらつきと視界の揺れは如何ともしがたく、ついに俺は首の真後ろを駆け抜けた一陣に抗しきれぬまま、無様に鉄板が張られた床へと頽れた。平衡感覚を失った身体は泥濘に沈んでいくかの如く動かず、こちらへ近付いてくる足音に顔を上げることすらままならない。
そうこうしている内に誰かが俺の脇へとしゃがみ込み、静かに手を当てた。途端これまでの痛みが嘘のように消えていく。噛み切った唇も見逃さず丁寧に治してくれる辺りが、また何とも小憎らしい。そして再び正常な状態を取り戻し、しかと地面を踏み締めた所で、今度は静電気を強力にしたような電撃が襲い、俺は全身の痙攣を抑えることも能わずがくんと膝をついた。何とか倒れ込まずには済んだものの、時間の問題であることは誰の目にも明白だ。
『声を上げていいのですよ。我慢しないで存分に泣きなさい』
どこか遠くから観察しているのであろう幹部の声に、再度治療を受けた俺は無言で立ち上がる。次の瞬間、何か巨大な見えない手に脇付近を鷲掴みにされ、肋骨の数本折れる音が絶望的に鳴った。
『づっっっ………!!!!』
咄嗟に抑えた腕の関節が捻り外される。続いて脚の腱が千切られ、踝まで砕かれては最早立ってなどいられない。口から泡を吹き鉄板敷きの床面に額を叩きつけ、それでも決して痛みに呑まれはすまいと精神を維持するので精一杯だ。
『……強情な子供だ。全く役に立たないな』
冷徹な評価は、しかしその日の実験終了を告げる合図でもあった。医術の恩恵に浴しながら、今日はどうにか意識を保ったまま終えることが出来た、とわずかに安堵する。失神癖がついては困るのだ。幹部連中の前に無防備な姿を晒すことだけは何としても避けたかった。それが無力な俺に許されたせめてもの抵抗なのだから。
「庭」の制服へと着替え、研究室を出るまではと気力を張り詰めさせ何でもないように振舞う。そうしてドアが閉じた刹那、俺は前のめりに身を投げ出した。医療魔術で損傷部自体は治ったが、何度も強い魔力を重ね掛けされた身体は負荷のせいで痺れ言うことを聞かず、実際は歩くのすら困難な有り様だった。実験が終わった後はいつもこうだ。大抵十数分程度で感覚が戻ってくるため、毎回通路に座りやり過ごすのだが、今回は普段よりも後遺症がきつい。起き直ることも叶わぬまま、俺は為す術なくその場に倒れ伏して時が過ぎるのを待つ他なかった。
(②へ続く)
夢の痕~siciliano 8-①
見直しをしたのももう随分と前のことなので、こんなことを書いていたんだなぁと思いながら載せていたりします。
内容を忘れたわけでは流石にないのですが、何だか過去の自分と向き合っているようで不思議な感じです。
また今回も例によりまして字数制限で分けました。
ご了承下さいませ。
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