50.誕生、紅き鎧の女騎士 ~後編~
教会の鐘が鳴り響いて一日の終わりを告げた。夜八時の、この日最後の鐘の音だ。
「じゃあ、メイコ。私、そろそろ下の食堂で歌ってくるね」
メイコが、自分の寝台に立てかけた楽器を右手に取り、菓子を食べ終えた盆に二人分の杯を左手に乗せて器用に扉を開けた。
「メイコも、来る? それとも、今日は休む?」
メイコがふわりと笑った。
「後で行くわ。私も、『商売』の話をしなくちゃならないから」
ルカはにこりと笑って扉を閉め、下階に下りて行った。
とん、とんと規則的にきしむ床の音を聞きながら、メイコは星空を見上げていた窓を閉めた。
「……リン女王は、私を、生かした」
メイコは、そっと部屋の物入れを開けた。数着の服とともに、メイコが王宮を去った日に着ていた服が掛けられていた。
その左胸には、べったりと手形が遺されている。捨ててしまおうとしたルカを、分けも解らないまま泣きながら止めた記憶が残っている。
「……ホルスト様」
メイコは、その服に手を伸ばし、手を触れ抱きしめる。
「……本当に、ネズミが、国を作ることになりそうです」
メイコが、何かを尋ねるように頭を垂れた。
「……責任を取れとおっしゃいましたね。……その責任とは、こういうことなのでしょうか」
その時、ワッと騒ぎが足元から湧き上がった。
ルカが歌い始めたのだ。
今日の王宮広場の出来事を、さっそく歌にしたようだ。
「……民衆率いて立ち上がる、紅き鎧の女剣士……」
思わずメイコは噴き出してしまった。
「……あたしが、女剣士だって……!」
くすくす笑いながら服を戻し、メイコは部屋を出た。
とんとんと階下に下りていく。ちょうど曲が終わったころに、ルカに向かって声をかけた。
「なあに、ルカ。誰が女剣士ですって?」
とたんに食堂の客たちが一斉にメイコを見た。
「姐さん!」
「メイコさん!」
メイコだ、メイコだ、本物だ、と、小さな食堂はあっという間に沸きかえった。
「嘘は嫌よ? ルカ」
「いいえ、嘘なものですか」
ルカが立ち上がり、メイコのもとへと歩み寄った。
「あなたの剣は、ここにあるでしょう?」
弦を弾いていた指が、とん、とメイコの胸を叩いた。傍らに抱えた楽器がポロンと鳴った。
「さっき二階で聞かせてもらった、あなたの覚悟が、あなたの剣。あなたの勇気が、あなたの鎧よ。
……具体的な刃物だけが剣ではないわ。
すべての覚悟あるものの心に、剣は宿る。
覚悟した者すべてが、この国の剣士。この国を守る熱き鎧を纏った騎士よ。
恐怖の女王に向って『馬鹿野郎』と怒鳴ったその言葉は、どんな名刀よりも輝いているのではなくて?」
ルカの言葉に、うち震えたのは聴衆の方だった。
「ルカ!」
「メイコ!」
「メイコ!」
「メイコ!」
彼らは知っているのだ。剣を持つ役人にさからう怖さを。緑の国に進軍したとき、手にした剣がどんなふうに人を殺すかを。そして、人を殺す道具を下げている者に、ただの丸腰のメイコが立ち向かうことが、どんなに勇気を必要とするかを。
メイコは見まわし、そして苦笑した。
その笑顔に、聴衆は大いに沸きたった。
「ついていきます!姐さん!」
「王宮に言いたいことを、俺たちも言ってやりたいのです!」
「俺たちも、言葉の剣と熱き鎧の騎士になりたい!」
「女だって、男連中には負けませんから!」
と、メイコは食堂の入口に、懐かしい白い衣の姿を見た。
「……ガクせんせ?!」
濃い色の長髪を後ろでひとくくりにした背の高い男が、メイコに向かって頷いた。
「なぜここに」
ルカがそっとメイコの袖を引いた。
「彼もね、あなたの身を案じて付き添った人のひとりだから」
王宮を出て一か月。その間の記憶は泣いていた記憶しかないメイコにとって、ガクとルカ、ふたりの人間が支えてくれていたことを、改めて思い知ったのであった。
「メイコ殿」
ガクが、入口で静かに微笑んだ。
「主治医として、そして、かつて滅んだ国の者として、この国の興りを見届けよう」
ガクの白い衣が、夜の風にはためいた。メイコは、ガクのその声音と瞳に、深い悲しみを見た。
「ガクせんせ、あの、」
「おら、にいちゃんも、聴くならちゃんと入んな! なんとまあ、今朝の大英雄メイコさんがいるそうじゃないか!」
「おっとこれは失礼」
後ろから来た者に押されてガクは宿の中に足を踏み入れ、そのまま部屋の壁際の片隅に陣取った。メイコに向かい、自分の腰の剣を指し、静かにうなずいた。
「良いのだな?」
「ええ。私はもう、言葉の剣を抜きました」
……抜いた剣の重さが、覚悟となって型に入ります。
それはいつかリンに告げた剣士ガクの言葉だ。
メイコは、白衣の剣士に、静かにゆっくりと、丁寧に頭を下げた。
それは滅んだガクの国に伝わる礼であった。
再びルカが歌い、メイコは傍らに立つ。
大勢の人が、いれかわり立ちかわりルカの歌を聴き、ルカもまた他の場所へと歌を広めに赴いた。
ルカの歌う「紅き鎧の女剣士」は瞬く間に黄の国全土へと広がった。
歌を歌いながら、群衆は毎日のように王宮へ詰めかけた。そして、だんだんとその人数は膨れ上がり、地方の諸侯の館にも群衆が押し寄せるようになっていった。
「赤の炎が、広がっていく……」
宿屋宛てで、メイコのもとに、有志から本物の紅い鎧が届いたのは、数日後のことだった。
ベールをかぶり、黒の衣をまとった『巡り音』のルカが唄う中、メイコは民を率いて立ち上がった。
「王宮を、民の手に!」
慣れた感覚だった。
大勢の人を誘い、中核を作り、隊商を組むように組織を組み、多くの人に訴え、共感させ、奔流となり、目的を果たす。
メイコに、かつて紅き大地で鍛えた、人を動かす商売の感覚が、還ってきた。
つづく!
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