デート当日、待ち合わせの駅前広場。
もちろん予定時間の三十分前。手には三段重ねのアイスクリームと準備は万端だ。
ただ気温が思ったよりも高いので、アイスが想像以上に早く溶けてしまいそうなのが誤算だった。
たぶんこのままじゃ三十分どころか五分と持たない。なんてこった。せめてカップアイスにしておけばよかった。
仕方ないのでこれは食べてしまって、あとで新しいのを買い直そうかと思っていたら、なんともう彼女がやってきた。
「え、カイト、もう来てたの? …っていうかアンタなにやってんの?」
「………」
メルトしかけた三段アイスを落とさないよう、必死にペロペロなめてます。だから返事できなくてゴメン。
「ああもう、手も口のまわりもアイスでベトベトじゃないの。ほら、拭いてあげるから動かないで」
グシグシと少し乱暴にハンカチで口の周りを拭かれた。
これはこれで嬉しいんだけど、何かものすごい複雑。
あのシチュエーションやりたかったのになぁ。
「ほら、手も吹いて」
「うん……めーちゃんのハンカチ、汚してゴメンね」
「気にしなくていいわよ。どうせこんなことになるだろうと思って何枚か持ってきたから」
さすが、長い付き合いだけあって子分のことを良く分かってらっしゃる。
あー、自分が情けない。
ちょっと落ち込みつつ改めて彼女を見る。
今日の彼女は珍しく白のブラウスにピンクのスカート姿。それに髪止めには小さな花飾りも。
落ち込みなんか何処かに吹き飛んでしまうくらい、可愛い姿だった。思わず見惚れてしまう。
「な、何よ。そんなにジッと見つめて……」
今日の君はとても可愛いよ。って言ったらやっぱり殴られた。
でも赤くなった彼女はやっぱり可愛かった。
昼食を済ませた後、水族館で世にも珍しいタコとマグロのナイトフィーバー的なライブパフォーマンスという前衛表現にも程があるシロモノを鑑賞した。なんじゃこりゃ。
なぜか無性にマグロが食べたくなったので、夕食にはちょっと早いけど近くの回転寿司屋に飛び込んだ。
「ここの大トロ、結構高いわね」
「全部、こだわりの大間産だってさ」
大トロと焙りエンガワ、イカ、タコ、アナゴでしめて千五百円でした。嗚呼。
店を出ると雲行きがだいぶ怪しくなっていた。
まさか降るのか?
と思っていたら一気に天候が悪化して、バケツの底が抜けたかのような土砂降りになった。
二人して慌てて近くの屋根の下に非難する。
「今朝のラジオじゃ一日張れだって言ってたのになぁ。天気予報の嘘付きめ」
どうしよう、コンビニで傘でも買ってこようかと思っていたら、傍らで彼女が手提げ鞄から折り畳み傘を取り出した。
「めーちゃん、用意がいいね」
「私、この時期の天気予報って信じないの」
流石です、姐御。
いつまでも子分の身が情けなくて、彼女の隙の無さがちょっと嬉しくない。
真の漢に傘なんていらねぇ。どうしてもっていうならしょうがない、入ってやるぜ……って言えるくらいまで男を上げられたらなぁ。
彼女は折り畳み傘を広げてその大きさを確認した後、僕の方を見て、小さく溜息をついた。
「ちょっと小さいけど……しょうがないか。入れてあげるわ」
「わ~い」
「その子供っぽいところ、全然変わらないわね……」
彼女が手を少し高く上げて、僕の上に傘をかざした。その視線が、じっと僕を見る。
「……中身は変わらない癖に、背ばっかり大きくなっちゃってさ」
呆れたように笑うその表情に、ちょっとだけむっとする。
「中身だってちゃんと成長したさ」
言いながら、彼女の手から傘を取った。彼女の全身が覆われるように傘を差す。
「ちょっと、アンタが濡れるじゃない」
「自分で言うのもなんだけど、肩幅、結構広いからね。どっちにしろ入りきらないよ」
彼女がちゃんと傘の下に入るよう、身を寄せる。肩と肩が触れた。
そしたら彼女、少しだけ離れてった。ショック。
「これじゃ歩きにくいわよ」
彼女はそう言って、半歩だけ後ろに下がって、僕の傘を持った腕の袖を掴んだ。
「これなら二人とも傘に入るでしょ」
さっき以上にお互いが近い。ほとんど腕を組んでいるのと変わらない距離だ。
うわ、顔が熱い。耳まで真っ赤になりそうだ。
二人で雨の下を歩きだした。
雨に沈んだ街のなか、掲げた傘に雨だれが音を立て、僕たちを二人きりの小さな世界に閉じ込めた。
触れた彼女の感触と、ほのかな髪の香りに僕の心拍数は跳ね上がる。
胸の鼓動が、一分間に110回の「好き」を叫んでいる。いいや、違う、「愛している」だ。
重なる足音と、触れ合う腕。いつの間にか僕たちの間には沈黙がおり、雨音だけが二人の耳に届いていた。
だけど気まずいものじゃない。ドキドキは収まらないのに、不思議と居心地が良かった。
そう。彼女の隣りが、きっと、僕の居場所なんだ。
交差点に差し掛かり、赤信号の横断歩道の前で立ち止まった。
この交差点を超えたらもうすぐ駅だ。そしたら、この相合傘もそれでおしまい。
二人の距離はまた元に戻ってしまう。
近くて遠い、二人の距離。
ちょっと、もったいないな。だからせめて、
「めーちゃん、大好きだよ」
ぽつりと呟いてみる。
何十回となく口にした言葉。
雨音に隠されるくらい微かなささやきだったけど、
「人前で言わないでよ…」
こつんと脇腹を軽く小突かれた。
「雨で誰にも聞こえないよ」
「…………………」
またしばらく沈黙が降りた。
あちゃ、また怒らせちゃったかな。
そう思ってたら、
「……も…………きよ」
「ん? なんか言った」
「なんにも言ってない」
首を捻って、肩越しに彼女を見た。
彼女は僕から顔を逸らして信号を見ていた。
車道の信号が、青から黄色、赤に変わる。
「ほら、こっち青になるわよ」
彼女は急かすようにそう言って、僕を引っ張って前に出ようとした。
「メイコ」
僕はその腕を引っ張って、彼女を抱き寄せる。
「え?」
傘を前に下げて車道に向ける。
まだ青に変わりきっていない横断歩道を自動車が勢いよく横切っていった。
雨水が跳ね上がり、盾にした傘を打つ。
「危ない、轢かれるよ」
「…………………」
お、今の僕は恰好良かったかも。
ついでに、俺の方に惹かれるなよ、ぐらい言ってみようかと思ったけどキャラじゃ無いのでやめた。
抱いていた彼女の肩を離す。本当はこのままずっと抱きしめていたいけれど、人前だしね。
だけど、あれ?
彼女は僕の胸にくっついたまま動こうとしなかった。
「めーちゃん?」
「――えっ、…あ、な、何!?」
「信号、青になったよ?」
「そ、そう」
彼女は打って変わって僕の胸から離れると、早足で横断歩道を渡りだした。
僕は傘の下から出てしまった彼女を慌てて追いかける。
「め、めーちゃん、待ってよ~」
「か、カイトが遅いのよ。早く歩きなさい、このバカイトっ」
何とか後ろから彼女を傘に入れる。
でも早足の彼女はすぐに前に出てしまう。
僕はそれを追いかける。
付かず離れず、でもなかなか追いつけない彼女との距離。
僕らの、距離感。
でも、
……私も……好きよ…
あのとき聴こえた彼女のささやき。
あれはきっと、空耳じゃないよね?
――了――
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