44.晩夏の葬列 ~後編~
「何!」
しっかりとかぶった皮の頭巾のせいで、蹄の音に気づくのが遅れた。ハクはあわてて四人の子らを集めたが、間に合わなかった。
「誰か居るな!」
男の声の呼び掛けと同時にバタンと戸が弾かれ、兵士が三人、屋敷の土間に居たハクたちの前に降り立った。ハクはとっさに腕を広げて子らを背後にかばう。ハクがなにか言う前に、兵士が口を開いた。
「黄の国の女王、リン様からのお達しである!」
ハクが、ぐっと兵士をにらみ上げた。
「自決した者に対して、その者の生きた証、墓を作ることを禁じる! 石や樹の墓標はもちろん、花をたむけることも禁止だ!」
「なんですって!」
ハクが思わず頭巾の口をはぎとり、兵士たちに詰め寄る。
「どうしてそんなひどい命令を!」
「リン女王様のお考えは、これ以上の犠牲の出ないことだ!」
ハクの意識が一瞬焼けた。
「どの口が……どの口が、それを言う?! 黄の国が……黄の国が来なければ、こんなことにはならなかった! ……ミク様だって、……ネルちゃんだって、あんなことには……! 」
思わず墓守の外套を跳ね上げ、ミクの短剣を抜こうとしたハクに、兵士は言葉を重ねた。
「その姿は、墓守か。緑の女は、健気なものだな」
「……! 」
思わぬ言葉に、ハクは絶句した。
「……埋葬は禁じられておらぬ。われらが、手伝おう。女子供に、死体は刺激が強すぎる」
「……! 」
ハクは思わず唇を引き結んだ。
「天使様、天使様! 」
少女の声がハクの外套を引き、ハクははっとふりむく。ここで初めて、自分が拳を握り締めていたことに気づく。
「敵に仲間を触られたく無いのなら、われらは土掘りだけ手伝おう。お前、職人だろう」
茫然とするハクに、兵士たちはスコップをよこせ、と手を出す。
「どうして、私が職人だと分かるの」
「農民の肩と腕は、お前のように細くはない。そして、兵士に物を言うのは、だいたい相当な頑固者か腕一つで生きている職人だ。商人ならば、そんな阿呆なことは、しないわな」
ハクの手からも、スコップが奪われる。それをとんと担ぎながら、兵士は続けた。
「三日後に、ミク女王の葬儀が行われる。花の少ない季節だから、手工芸の花で彩って送り出すこととなった。今頃は、緑の国全土の生きている職人たちに、話が回った頃だろう。ここから王宮まで、徒歩なら一日だ。作るなら残り二日しかないぞ。急げ」
ハクの目に、涙があふれた。
「ミク様の、葬儀……! 」
ハクの喉に強烈な塩辛さがこみ上げた。そしてハクは気づいた。自分が、いまこの瞬間まで、ミクがどこかで生きているのではないかと、小さな希望を持っていたことを。
そして、今この瞬間、ミクの死が確定し、受け入れようとしていることを。
「……天使様……いえ、ハクさん」
ハクの外套を掴んでいた少女が、そっと優しくハクの肩を叩いた。
「弔いは、私たちに、任せてください。……そして、どうか、ミク様に、花を」
ハクがふりむくと、四人の子らが、頷いた。ハクは黄の兵らをちらりと睨む。
「大丈夫だ。自分たちは伝令のためにきた。子供をどうかしたりなどしない」
そういって、伝令たちは、スコップを手に取った。子供たちに場所をたずね、言われたとおりに手を動かす。
ハクは、そのまま工房に上がりこみ、色とりどりの完成された糸棚の前へと立った。
「青、群青、紫、菫色、浅葱、藍、白、黄、若葉……」
ハクの手が次々と糸を手に取る。すべてミクが好んだ色だ。
そしてハクは工房の中を歩き回る。
「ユレムおばさんは、専門は染めだけど刺繍もすごかったから……」
針箱は工房の主の私室で見つけた。刺繍の道具のひとそろいは、糸を売る店の番台の椅子の下にあった。ハクの手が、道具を手に取る。最後に道具に触ったのは、王宮の、ミク女王への指南のためだった。ハクは、そっと、無言でひとそろいの道具を胸に抱きしめた。
「天使様、僕ら、次へ行くよ」
子供たちが『仕事』を終えて目にしたものは、糸を商った番台に座り、探し出してきた布に鮮やかに糸を刺していくハクの姿だった。
「下絵だけでも大したもんだ。すげぇもんだな」
黄の兵士が感心したつぶやきに、ハクは糸を刺しながら頷いた
夕暮れが訪れるころ、黄の兵たちはヨワネを去っていった。この日の仕事はだいぶ進み、5つの工房を弔った。まだまだ、ヨワネの町に残された工房の数の十分の一にも及ばない。
ハクは糸と布を抱えて、墓守姿の子供たちと教会に戻った。
「ハクさんは、作って。……僕らのおやじや家族が遺した、ヨワネの技で、ヨワネ最高の花を、作って」
「花を飾ることも許されないなら……せめてそれが、かあさんたちへの手向け花になるから」
ハクがそっと歩み寄り、子供たちの肩を抱きしめた。もう、子供を抱きしめることに何のためらいも感じなかった。
「ありがとう。ミクさまの好きだった花を、ヨワネの布と糸で、精一杯描くよ」
ハクが糸を刺している間も、年長組は弔いに出かけ、年少組は教会で働き続けた。
子供たちの思いに押されるように、ハクは糸を刺し続け、小さいながらも鮮やかな作品が出来上がった。
「これを、ミク様に送るよ」
ミクの葬儀の前日の朝、子供たちの前に広げて見せた。
真白な布に、鮮やかな花畑が広がっていた。
子供たちがその美しさに歓声を上げた。
「花は十個あるよ。これは、ヨワネの生き残りの数」
「天使さま!」
小さい子供たちが飛びついてくる。
「どれ? どれが私? 」
「この右のバラがあなたでしょ、ここのアネモネがきみでしょ、」
説明しながらもハクは悩む。本当は王宮まで届けに行きたい。しかし道のりは徒歩で一日だ。行きと帰りも含め、長い時間教会を空けることになる。
「……これは、小舟にのせて町の川に流そう。緑の国のとむらいは、たしか海辺の墓地へ向かう人とともに、海へ花を流すから……ここで流しても海へと届けば、同じよね」
その時、遠くからたくさんの馬と馬車の駆ける音がした。
「みんな、中に入って! 」
子供たちを教会の建物に押し込み、ハクが外の様子をうかがうと、馬車に乗せられた黄の兵が教会の丘の麓に集まっていた。その数はざっと数えて三十人。そのうち数騎が丘への道を上って来る。
「ハクどの!」
その声は、つい二日前に伝令に来た兵士たちだった。
「ミク様の葬儀に参加する職人は、黄の国が援助します。埋葬は我々が手伝いますので、すぐに王宮に向かってください」
ハクはぐっと目を細めた。
「……そう、馬車に乗せて、そのまま黄の国へ連れ去るつもり?」
当然疑いの目を向けたハクに、兵士は静かに首を振った。
「……ハクどの。ハクどのだから招くのです。ハクどのは、緑の国では王宮にも召された職人だとか。
どうか、生きている姿を見せて、他の職人たちに、生きる希望を与えてください」
「ですが、私は白い髪をしています。やはり黄に寝返ったのだなと思われるのが関の山でしょう」
「それがどうした!」
声をあげたのは、それまで黙っていた伝令のうちの一人だった。二日前、ハクの刺繍をみて感心の声を漏らした者だとハクは気づいた。
「正直、あんたがどう思われようと構わねぇ。ただ、せっかくの腕を持つ人間が失われるのは、おれは嫌だね! 裏切ろうとそしられようと国がどうなろうと、生きて緑の技と誇りを残す。それが職人根性らしくていいじゃねぇか! 」
ハクが一歩身を引くと、子供たちが全員、ハクの後ろで首を出して様子をうかがっていた。
「あんたは、どうなんだ! ヨワネの貴重な職人がほぼ全滅して、何も思わないのか! 」
ハクの口が笑みに歪んだ。
「黄の兵のあなたがたが、それを言うのね」
ハクが、グイと顔を上げた。
「たしかに、悔しい。緑の民の職人ともあろう者が、自分から命を絶ち、この世から技を失わせるなんて、正直、ミクさまに生きろと言われた私には理解できなかった。
ヨワネの職人が死んだせいで、ヨワネの技術は十年戻った」
ハクは真っ赤な瞳で兵士を睨みつけた。
「連れて行ってもらうわ」
ハクの迫力に、兵士が思わず言葉を止める。ハクは低く静かな声で告げた。
「あなたの言う通りよ。たとえ裏切りだと思われても、石を投げられるのも殴られるのも、もう慣れたわ。そうやって私を憎んだら、悪口を言うのに忙しくなって、死んでいる暇もなくなるかもしれない。
そうして私を憎んで生きて、私より美しいものを作ればいい」
他の緑の職人の生きる力になるという可能性に賭けてみるのも悪くない。
そう告げたハクの言葉に、兵士三人はうなずいた。
「ただし条件があるの」
ハクは後ろをふりかえった。
「九人の子らも私と一緒に連れて行っていただけるのなら。そして」
と、ハクが丘の下を望んだ。
「……あなたがたには関係のない者たちですし、状態はひどいですけど、……もう、これ以上死んだ人達を野ざらしにしたくありません。ただ、扱いは、丁重にお願いします」
「了解した」
三人の黄の兵の、リーダー格の男が頷いた。
「もとより、その条件で交渉するつもりで来た」
ハクが、三人の兵士に礼をとった。
子供たちに出てきてと合図する。
「聞いていたよね。どう思う?王宮へ行きたい?」
全員が行くと頷いたところで、ハクは準備に取り掛かった。自分の作品と、それを乗せる小舟。
兵士たちの馬車に今度はハクと子供たちが乗り込み、王宮へと向かった。
「あんたは、死んだ職人たちをアホだと言ったが、あんたも、根っからの職人馬鹿だな」
去り際にかけられた言葉に、ハクはぐっとうつむいた。馬車に揺られて、誰にも知られずに頬を伝う雫は、乾いた青空に飛ばされていく。
* *
その日も、緑の国の王宮の上には、いつもの年のように夏の青空が広がっていた。
いつもと違うことは、その王宮の上に黄の旗がはためいていることである。さすがにミクに弔意を表してか、この日ばかりは旗竿の半分まで旗を上げる、半旗となっていた。
海沿いの墓地へと向かうミクの棺を追うように、海へと注ぐ川沿いに、大勢の職人たちが集まった。皆、その手に自作の小舟と、花を乗せている。
「こんなに、いたんだ……」
川の両岸には、戦乱の後だというのに、ぎっしりと人が詰めかけている。
一番上流側の、王宮に近いところに位置するハクからも、下流に人の列が途切れる場所を見とめることはできなかった。
一千人以上の群衆が集まり、静かに水面を見つめていた。静かな荘厳な雰囲気が、川べりに漂う。やがて合図の昼花火とともに、職人たちが川へおり、いっせいに舟を流していった。
ハクの持つ小舟には、ハクの作った刺繍を灯籠のように立たせて載せてあった。そして、子供たちが紙でこさえた小さな花を周囲に載せてある。
「いくよ」
ハクがそっと舟の尻を押しだすと、すぐに小舟は流れに乗った。
布の花、紙に描かれた花、木の花、金属を打って作られた花、ガラスの花。緑の国のさまざまな地方の技の花が、やがてひとつの流れとなって海を目指して流れていく。
誰かが撒いた紙の花吹雪が流れに白の花びらを添えた。
「きれいだな……」
少年のつぶやきに、ハクはうなずいた。
川面を、さまざまな材料で作られたたくさんの花が流れていく。
ヨワネの人々は死を選んでしまったけれと、まだ、ヨワネにはこんなにたくさんの職人が生きている。それを知っただけで十分だとハクは思った。
「糸屋のおじさん、染屋のおばさん、ヨワネの花が流れていくよ」
たくさんの花の中でたった一つのヨワネの花は、今日の海のように鮮やかな青の花を揺らめかせながら、やがてたくさんの花とともにきらめく流れにまぎれ、ハクの視界からかすんで見えなくなった。
「ハクさんですね」
ふと肩に触れられ、振りむくと、夏の喪服を着た壮年の男がゆっくりとハクに礼をとった。
「進行役のツヒサと申します。ハクさん。ミク様の棺が出ます。どうぞ、ともに来てください。埋葬の際に、緑の職人として、挨拶をお願い致します」
ハクが行ってくるねと見回すと、ツヒサは子供たちに目をむけ、微笑んだ。
「もちろん、お連れのみなさまも、どうぞ」
ハクが川面を離れ土手に上がると、真白な布に包まれた箱が、男たちに担がれて荒れ果てた道を海に向かって進んでいくところだった。
ツヒサに促され、ハクがその棺の後ろにつづき、子供たちがハクを取り巻くように追った。
つづく!
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